2003年の投稿記事
ここに紹介します過去ログは2003年-2004年にとある掲示板に投稿された記事です。
事実を追求するにあたって大変内容の濃い掲示板記事ですので、投稿記事の中からさらに
信憑性のある記事と考察に役立ちそうな記事を拾い上げてデータとして保存しておきます。
2000レス程ありますので随時追加投稿してまいります。


1 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/05(月) 12:32
ここの書き込みでは、主に、小説 人間革命 十二巻を取り上げる。
同作品は、私小説と断られていないし、純粋な伝記でもない。作者は、これをフィクションと言っている。
しかし、人物の配置、時代設定等を鑑みるとどう見ても、ドキュメンタリーとしか読めない。
つまり、作者に都合の悪い面は、フィクションで、都合の良い部分は、真実としているのだ。
同十二巻では、露骨に「誰」とわかる形で、「反逆者」への陰険な人格攻撃が際立っている。その描写は、あまりにも生々しく、日本の法律で定めた「名誉毀損の罪」に該当するのは、明らかなのだ。
しかし、不思議な事に誰も作者を訴えようとしていない。これは、公明党の存在が明らかな憲法違反であるにも拘わらず、誰も本気で問題にして来なかった事と並んで、日本文化に於ける不思議の一つだ。
私が、ここで問題にしたいのは、同小説160ページに登場する石川幸男こと、石田次男氏への侮辱的記述である。これが書かれた当時は、石田氏は存命中だった。
石田氏の母は、初代の創価学会婦人部長であり、戸田先生との信頼関係は、深いものがあった。しかし、どういう訳か、同小説には、登場していない。これは、意図的に削除されたのだろう。
その息子である次男氏への戸田先生の信頼は、並々ならぬものがあった。同氏は、大卒ではあるが、有名校出身ではない。にも拘わらず、戸田先生に目をかけられた。という事は、池田先生の場合と同様、石田氏の人格的素養が戸田流の人材育成法のメガネに適った為だったのだろう。
p160には、次のような記述がある。
『一一幸男は、九州との馴染みはあるが、力量、人格はどうか....。
石川は........戸田は、翌年四月に聖教新聞が創刊された時には、編集スタッフに任命し、ほどなく彼を編集長とした。......
二十六年七月の男子部結成式の折には、石川は第一部隊長に抜擢され、一年半後には、青年部出身の初の支部長として、小岩支部長に就任したのである。まさに彗星のように、短日月のうちに登場してきた幹部といってよい。』
つまり、作者としては、戸田先生と石田氏との特別な関係を意識的に無視した上で、一応の敬意は払っているように見える。
当時の創価学会は、戸田創価学会と言うべきで、特に人事の面では、戸田先生が全てを裁可した。
その中で、石田氏は、『まさに彗星のように、短日月のうちに登場』したのだ。並々ならぬ戸田先生の信頼を受けていたのだ。
これは、ただ事ではない。ただの要領だけで、(当時の)学会の中で出世できるものではない。
さらに、そこに記載はないが、次男氏は、学会青年部初の理事にも就任している。
誰が見ても、それは、戸田先生が石田氏を自分の後継者とする布石だった筈だ。
実際、戸田先生の石田氏への信頼は、並々ならぬものがあったのは確かだった。
例えば、石川氏を小岩支部長にした時、戸田先生は、
「追いて来る者だけが追て来ればいい。次男と私で創価学会の旗を持って死ぬ覚悟だけだ」
とまで、言った。
また、現在の創価学会が愛用している「御書全集」への氏の貢献は、大きい。同全集は、長年の掘米尊師(後、猊下)の研究がなくては、成立するものではなかったが、氏の貢献も無視してはならい。
因に創価学会では、未だに、同書を「創価学会教学部が総力を結集して成った全集」と位置ずけている。
今年は、その創刊60周年?記念だそうだ。石田氏が果たした学会貢献を再評価するいい機会ではないのか?
戸田先生は、その貢献を称えて、一首の歌を送っている。正確には、覚えていないが、
『夫婦して 作れり御書全集 本仏の 永久に輝け その誉れ高し』
みたいなものだったと思う。

2 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/05(月) 12:34
作者の言い分とは逆に、戸田先生の石田氏への信頼は絶対とも言える程深かった。
また、戸田先生は、とりわけ聖教新聞の役割を重視した。「聖教新聞は、学会のミサイルだ」と戸田先生が常々語っていたのは有名な話だ。これは、聖教新聞が現在のような無礼講の人格攻撃や争い事を奨励したというより、「聖教新聞こそ広宣流布の道を切り開く最大の武器」という意味だったと思う。
私は、一部内容はともかく、聖教新聞の長年の愛読者である。よく出来ている新聞だと思う。新聞は、その起ち上げこそ重要である。従って、初代編集長の石田氏の貢献度はとりわけ大きかったと言える。
さらに、注目すべきは、石田氏は、当時の創価学会の唯一、最高の教義解説書の「折伏経典」の最初の章で、「宿命論」の執筆を任せられていた点だ。
これは、戸田先生が、石田氏を自分の分身と見ていた何よりの証拠だ。
不幸な事に、戸田先生の死後は、その章は、戸田先生の生命論にそっくり差し換えられた。
そうした戸田先生と石田氏の師弟の交流の記述は、人間革命では、スッポリ抜け落ちている。
p162には、次のような面白い記述がある。
『....彼(戸田城聖)は、石川によくこう言うのであった。
「幸男は長男だな、伸一は次男だよ」
それは、長男が甚六といわれるように、観念的な傾向が強く、苦労知らずの石川に対する戸田の婉曲的な指摘であったが、石川にはその意味がわからなかった。むしろ、石川は、それを自分が学会の跡取りであるといわれているように受け取ったのかもしれない。』
つまり、戸田氏が石田氏にこっそりと話した事を作者の地獄耳が捉えていたらしい。
私は、最初これを読んだ時、大笑いしてしまった。こうした珍説を読んだ全国の長男の会員の皆さんは、どう感じたのだろうかと、思ってしまったからだ。特に、池田家長男の博正氏はどう思ったのだろう?
余程、博正氏は父親から嫌われているののだろう。かつて、次男の城久氏が池田先生の後継者に最有力とされ、彼の突然死の後は、今は、三男の尊弘氏が池田家後継の最有力候補だ。
確かに、組織に於いては実力主義こそ最も尊ばれるべきものだが、古今東西、経験と実力は、ある程度の相関関係があるのも、常識だ。
まして、戸田先生の石田氏への信頼度を考えれば、戸田先生は、石田氏を自分の後継者と考えていたという意味で、氏を長男とよく言っていたのではなかろうか?また、それは、野心家の池田先生の心根を戸田先生は、鋭く見抜いた上での、池田先生への鋭い牽制だったのではなかろうか?
その上で、作者は、石田氏の事を酒のみで乱れがちな上、酒任せの指導をしては、会員から顰蹙を買っていたとしている。そういう破人格者である筈にも拘わらず、戸田先生は、石田氏を九州総支部長に任命している。それを作者は次のように解説している。
p163
『燃え盛る炎のごとき気質をもった「火の国」九州の総支部長には、まったく対照的な理の人にみえる石川幸男が就任することも、全体のバランスを考えると、よいかもしれないと思われた。
一抹の不安はあったが、戸田城聖は、あえて石川の可能性に賭け、彼を九州総支部長に任命しようと決めたのである。』
全く、人をバカにしきった記述だ。なぜに、戸田先生は、破人格の典型ともいえる人間に重要な役職を与えたかの説明には全くなっていない。私は、寧ろ作者が毎度のように勝手に戸田先生の心を推測し、平然と解説する厚顔ぶりにこそ、ぞっとした。
こういうデタラメを許し、有り難がっている創価学会員こそ哀れというより、バカである。
不幸な事に、戸田先生から深い信頼を受けていた石田氏は、戸田先生の死後、完全に池田専制体制から閉め出された。
池田先生が学会本部にやって来ても、周囲が騒然とする中、石田氏のみが、平然としていたという。
そんな態度が我が儘な池田先生の神経を逆撫でしていたのは、想像に難く無い。
そして、晩年には、公然と反旗を翻している。
普段から会員には、「仲良く!」などと池田先生は指導しているが、何故に『兄とも仰ぐべき』石田氏とは、仲良く出来なかったのか不思議だ。
池田先生が、自分を戸田先生の真の弟子を自称するなら、戸田先生が最もかわいがっていた弟子をもっと大切にすべきではなかったのか?
氏の実弟は、第三代公明党委員長の石田幸四郎氏だ。
幸四郎氏は、池田先生の命令の故か、実の兄の葬式にも訪れていない。
戸田先生の一番弟子が惨めに憤死した事実は、重く受け止める必要がある。
全く、目的故には、師弟、夫婦、親子、兄弟、姉妹の仲を平然と裂く池田先生の人生学は、恐ろしい。(参考資料 『堕ちた神池田大作』 『創価王国の野望』 溝口敦


13 名前: SGI 投稿日: 2003/05/06(火) 21:26

『人間革命』には描かれていない、第三代会長選出をめぐる学会史をせっかく書いたものですから…。


 戸田会長逝去の際、世情では学会の空中分解や分裂が取り沙汰された。これがかえって幹部や会員の危機感となり、本部への求心力を呼び、分派活動を制した。戸田先生が逝去間際に、学会の敵は「内部だよ」と指摘したことも、内部崩壊への警戒になったのである。

 ところが、この会長不在の2年間に、池田大作参謀室長を中心とする一部の青年部幹部・池田派=現学会首脳だけが精力的に多数派工作を行い、学会の実権を握っていったのである。戸田会長の「三代会長は青年部に渡す。牧口門下には渡しません」との言葉を“錦の御旗”にして、池田大作を神輿に担いでのクーデターである。

 この青年部のクーデターを支持したのが、故・原島宏治元理事長であった。原島理事(当時)が牧口門下などの年長者の反発を押えたことが、学会を「池田政権」に一本化できた要因の1つ。原島理事は、この池田会長選出の論功行賞により、後に学会理事長や公明党初代委員長に就く。

 戸田会長逝去後の学会は、小泉隆理事長を中心とする「集団指導体制」であった。
 昭和33年5月の春季総会(戸田会長逝去の1ヶ月後)で、小泉理事長は「会長職は当分おかない」と言明している。これは、いずれ戸田門下生が第三代会長に就任するとしても、皆30歳前後の若造であり、巨大化しつつある学会を統理するには心もとないとの認識と、また戸田先生の第二代会長就任が牧口会長の七回忌法要後という前例もあって、漠然と「戸田先生の七回忌までは会長不在」というコンセンサスが中枢幹部らにはあったからだという。

14 名前: SGI 投稿日: 2003/05/06(火) 21:27

 さて、戸田先生の生前、戸田先生の石田次男氏への“想い”を目の当たりにしていた幹部諸氏の間には、「後継者は石田」が当然の認識だった。
 当時の『聖教新聞』や『大白蓮華』を眺めても、後の小説『人間革命』に描かれているような戸田-池田の特別な師弟関係、あるいは後継者への認知は全くない。「戸田-池田の師弟神話」は「池田政権」確立後、次第に独裁体制になっていく過程でつくられたものだ。

 名誉会長は、参謀室や渉外部といった参謀畑を歩き、総務を経て会長に就任した。
 石田次男氏は、秘書室、『聖教新聞』編集長、男子部第1部隊長、小岩支部長、理事、九州総支部長などを拝任しながら、常に第一線の指揮を執り王道を歩いている。

 戸田先生が「今日、集まられた諸君の中から、必ずや次の学会会長が現われるだろう」と挨拶した、昭和26年7月の青年部結成式には、石田氏は部隊長、名誉会長は班長として参集していた。また31年の小樽法論も夕張炭労問題でも、両氏は共に北海道に渡っている。

 つまり、再建草創の重要な出来事には、石田氏は必ず絡んでいるのだ。なにも名誉会長だけが“特別”ではない。むしろ『聖教』の初代編集長を務め、御書編纂、『折伏教典』の発刊、『大白』の編集発行など、教学振興の分野では石田氏の貢献度の方がはるかに大きい。名誉会長ら池田派は、会長就任以来、ことごとく石田氏の矮小化を図り、歴史を書き換えていったのである。

15 名前: SGI 投稿日: 2003/05/06(火) 21:28

 名誉会長の「王権神授説」=「戸田-池田の師弟神話」の最たるものが、いわゆる「大阪事件」だ。戸田先生が出獄した“7月3日”に入獄したという、師弟不二の神話である。

 だが実際は、大阪府警が、昭和32年6月29日に小泉隆理事長を、7月4日に池田大作参謀室長を逮捕・拘留している。当時の一般紙も『聖教』の第一報も、皆7月4日。“7月3日”は「出獄と入獄の日に師弟あり」が強調されるようになった、昭和40年代後半から言いはやされたもの(創作『若き日の日記』が発端か)。
 それに刑が確定して服役したわけではない。単に取調べのために、大阪東署に2週間、留置された被疑者であり、17日に保釈出所、29日に起訴されたにすぎない。

 「大阪事件」は、翌年33年に小泉理事長が無罪となり、4年後の37年には、名誉会長の犯罪は証拠不十分で無罪となったが、他の一般会員は、戸別訪問や買収等で選挙法違反により罪が確定し結審している。
 名誉会長の無罪は、取調べ調書が証拠として採用されなかったからだ。不採用の理由は、取調べが、刑事訴訟法の規定を守らず深夜に及んでおり、手続き上に正当性がないからというもの。つまり内容審理ではない。
 したがって「大阪事件」において、名誉会長が、戸田先生や学会総体に累が及ばないよう、一人毅然として権力と対峙したという意義づけは、会長に就任した後、クーデターを正当化させていく過程で生まれたものだ。

 ついでに触れておくと、大世学院を中退した名誉会長を戸田先生が個人教授し“帝王学”を授けたというのも誇張。この戸田先生の教授は、名誉会長のみの個人教授ではなく、秋谷会長らも受講生で、当時の青年部数名が薫陶を受けており、秋谷会長は、戸田先生から「城」の字を戴き「城永」と改名している。

16 名前: SGI 投稿日: 2003/05/06(火) 21:29

 名誉会長を敬愛し崇拝している多くの会員は、「池田先生はすごい」と思い込んでいる。「名誉会長は偉大な指導者である」と信じ込むために、名誉会長と自分の“絆”――つまり学会が説くところの“人生の原点”を心に刻んでいる。

 しかし、この“人生の原点”は、人が1つの社会や集団に同化していく時の「刷り込み」心理である。けっして運命的な出会いでもなければ、宿縁でもない。単なる思い込みであって、池田大作を「人生の師」と仰がせるための心理操作である。

 もし、学会の「人生の師」が石田次男氏や秋谷会長であれば、今度は石田氏や秋谷会長との“絆”を見出すにちがいない。それまでの活動や体験の中から探したり、あるいは“人生の原点”になるエピソードを作ろうとするだろう。
 つまり、所属する組織集団が「池田大作」を宣揚するから、心地よく学会に帰属するために無理にでも(あるいは自然と)、そういった“人生の原点”を心に刷り込むだけの話である。いうなれば「アバタもエクボ」ということなのだ。必ずしも池田大作という一個人が傑出した人物というわけではないだろう。

青年部クーデターの続きは、後日。

30 名前: SGI 投稿日: 2003/05/08(木) 00:43

 >>15 で「王権神授説」=「戸田-池田の師弟神話」の例として「大阪事件」に言及した。
 名誉会長や学会中枢は「仏法は勝負」なのだから、覇権を握れば歴史はいくらでも書き換えることができると捉えているのだ。

 名誉会長と戸田先生の師弟関係は過去世からの不思議な宿縁であり、名誉会長ただ一人が“師弟の道”を貫いたという神話を、実に会長就任前後から、様々な場面や手法で積み重ねてきた。あの有名な「名誉会長の入信場面」も、その1つ。

 まず、関西辺りから口コミで広め、ある程度定着すると(当時は、どんどん新入信者が増えており、事実を知らない会員は、それが真実だと思い込んでいく)、今度は小説『人間革命』に登場させる。
 「現代の御書」とも呼ばれた『人間革命』は「学会の真実の歴史と峻厳なる師弟の大道を綴るもの」と意義づけられており、“学会魂”を学ぶ会員必読の書である。にもかかわらず、事実との関係を問われると「これは小説ですから…」とごまかす。

 その一方、学会の正史を綴った『革命の大河・創価学会四十五年史』には、「後に小説『人間革命』で述べている」とか「……と伝えられている」と記述し、この入信場面を正史に残す。そして名誉会長の半生記『私の履歴書』には堂々と綴り、あたかも事実であるかのように装い、さらに第三者による評伝に、この虚飾に満ちた入信場面が紹介され、歴史として定着していく――。こうして“神話”は作られていくのである。

31 名前: SGI 投稿日: 2003/05/08(木) 00:43

 名誉会長の入信経緯は、Leoさんが度々ご紹介されているように、『人間革命』の記述は全くのウソ。
 そこで、小口偉一編『新心理学講座』第4巻とは別の資料を提示してみる。

 まず1つは、『聖教新聞』昭和32年10月18日付の「私の初信当時」欄。
 これは、名誉会長が青年部参謀室長として、新潟・長岡市での会合で自身の入信当時を振り返って語ったものを掲載している。
 「私が信仰したのは、丁度今から十年前の八月二十四日です。…折伏されたのは、前の本部です。前の本部は会長先生が事業をなさっていらっしゃった二階の八畳と六畳の二間でした。…私はそこで教学部長から折伏されたんですよ」

 小口偉一編『新心理学講座』のインタビューは昭和30年頃。この記事は32年。共に戸田会長の生前中であり、第三代会長就任前の名誉会長自身の談話である。それだけに信憑性は極めて高い。

 もう1つは、先頃(平成15年2月23日)開催された法華講・東京第一地方部総会での体験発表。
 発表者は、妙縁寺信徒の三宅妙子さん。平成13年10月に脱会し入講された年配の三宅さんは、なんと小説『人間革命』で名誉会長と戸田先生が初めて出会ったとする蒲田の座談会会場のお嬢さん。名誉会長を学会の会合に誘ったのが三宅さんの実姉で、いわば名誉会長入信の紹介者の妹なのだ。

 「時は昭和二十二年の八月、私の姉が同伴してきたのは同窓生であった池田大作その人でありました。小説『人間革命』には、そのときの美化された戸田先生との出会いが描かれていますが、それは全く事実は違います。そのとき十九歳であった彼は、折伏されて十日後に入信しました。
 その後、昭和二十四年の一月、池田が二十一歳のとき、蒲田工業会に勤務していた彼を、私の母が、日本正学館を経営されていた戸田先生に、「よい青年がいる」と、初めて紹介し、就職を依頼しました。池田の学会での仕事の出発点がここであり、私は、このときのことを今でも鮮明に覚えています」(『大白法』平成15年3月16日付)。
 
 つまり、三宅さんの話では、名誉会長と戸田先生のちゃんとした出会いは24年1月のことであり、入信の経緯は、『新心理学講座』や「私の初信当時」に記述の通り、三宅さん宅に新来者として初めて学会の座談会に参加し、その十日後学会本部で小平教学部長に折伏されたのだ。

37 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/08(木) 07:00
池田先生は、最近の「随筆人間革命」(平成14年8月25日)において、しつこく自分の入信秘話を美化している。
抑、何への「入信」だったのが大いに疑問だ。せめて、死ぬ前に正直になったらどうだらう?
池田先生は、最近でも戸田先生は、軍国主義に反対して牢に入ったと強弁しているが、そんな事実はない。これは、かつては、『戦争に反対して.....}』という言い回しより前進しているが、池田先生得意の誤魔化しの論法だ。
正しくは、「戦争の遂行方針の方法論で、時の政府と対立した為」だ。
戸田先生や牧口先生は、日蓮大聖人の御本尊を奉じてさえいれば、戦争に勝利できると信じて居た。
聖教新聞に随時掲載される随筆人間革命は、主に内部向けであり、そこには、池田先生の本音がよく現われている。言いたい放題の嘘が書き連ねてある。
8月24は、一応池田先生の入信記念日になっているが、抑、何に対する入信だったのだろうか?
『昭和22年8月14日のよる。私が人生の師と仰いだ戸田先生と大田区の座談会場より御会いしてより、満55年。私は、即座に戸田の弟子たることを決意した。』
竜年光氏(後に第4部隊長、青年部参謀)は、此の日、その座談会の司会をしていて、池田青年は竜氏のすぐ後ろに座った。それで、竜氏のみが、池田先生をよく憶えていた。他にも、辻副会長もいたが、池田先生の事は全然記憶になかったそうだ。それほど池田先生は、目立たぬ男だった。
池田先生は、天皇制について質問をし、そのあと何やらメモらしきものを取り出して、読み出した。
ところが、あまりに、ぼそぼそ喋っていた為に、誰も何を言っているのかわからなかったそうだ。座は完全にしらけた上、池田先生は、無礼にも途中で帰ってしまったそうだ。
それで、池田先生は何か癪に障って、創価学会本部に再び、友達と連れ立って行った。
理論で負けたら、入信すると言って、当時の教学部長の小平氏と論争した。ところが、全く太刀打ちできないで、5時間も締め上げられ、入信を渋々する事になる。随分と随筆人間革命の記述とは隔たりがある。

38 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/08(木) 07:02
37の続き
『入信を決意し、大田区から向かった杉並区にある寺院までお道のりは、肺病と肋膜を病んだ私には、随分と遠く辛く感じられた。
入信の儀式の勤行も唱題も、それは長く感じた。慣れない長時間の正座で、足は痺れた。』←---池田先生の日蓮正宗寺院に対する逆恨みは、ここまで逆登れる。だからこそ、池田先生は、勤行をサボり、怠行を皆に勧めているのだ。
『私もまた、青年の直感で、「戦争中、平和の為、仏法の為に投獄された、この人に付いていける」と確信したのであった』
これも全くのデタラメだ。本当は、『前の信者さん達が、牢獄に行ったことで、恐ろしかった』と二の足を踏んだのが、真相だ。
『ちなみに、その「立正安国論」が鎌倉幕府に提出された文応元年の7月16日は、当時の西暦であるユルウス暦では、1260年の8月24日に当たるようだ』
得意のこじつけだ。吐き気がしてくる。それで自分は、日蓮大聖人の再誕とでもいいたいのだろうか?
『侘びしく粗末な西神田の学会本部では、戸田先生の法華経の講義があった。
疲れ切った我が身をはげましながら、青年らしく求道の道を走った。どんなに多忙でも、必ず講義に出席した。』
これも、大嘘で、竜氏によると、池田先生は、戸田先生の事業を手伝うのに忙しいと、言い訳をして、殆ど講義には、出席しなかった。後に、中西氏をして、「あの人の欠点は、教学がないことです」と言わしめた遠因は、ここら辺にありそうだ。
『「言論の自由の時代だ。一つの新聞を持っているということは、実にすごい力を持つことだ。
学会もいつか、新聞を持たなければならない。太作、よく考えておいてくれ」
聖教新聞は、実に、この苦難の渦中の8月24日、師弟の対話から生みだされた。』
これも真っ赤な嘘だ。
戸田先生が、入信したばかり(三年目)で、学歴もなく、得体の知れない男にそんな大事を託す筈がない。
寧ろ、戸田先生は、自分の秘蔵ッ子である石田次男(故人)に全てをまかせて、編集長に命じた。
後年、戸田先生の池田先生への信頼も並々ならぬものがあったのも確かだが、日頃から、戸田先生は池田先生には、「次男が長男で、太作が次男だぞ」と釘をさしていた。これは、決して、駄洒落のつもりで言っていたとは、思えない。
『師匠を支えるために、私は夜学も、さらに大学への進学も断念した』
自分の学歴コンプレックスを戸田先生のせいにする池田先生の嫌らしさがよく出ている。
古今東西、学歴がなくても立派な仕事を成し遂げた人は、いくらでもいる。何故にもっと、肯定的に自分の人生を見れないのだろうか?
『毎朝、そして毎日曜に万般にわたる教育をしてくださった。今もって、その慈愛を噛み締めてて感謝している』
これも恐らく、これまでの文脈からすると、嘘だろう。
池田先生の初期の著作(「政治と宗教」や「政治と科学」など)には、池田先生の無教養ぶりが躍如している。
池田先生は、戸田先生を誉めているようで、貶めている。「催尊入卑」の典型だ。

42 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/08(木) 11:13
>>9 みかんさん
堀米日淳(大石寺六十五世)と、堀日亨(大石寺五十九世)を混同しているようですが。
>そのようでした。
御指摘ありがとうございました。
>>10 みかん さん
60周年じゃなくて、50周年です。(あと創刊というのは雑誌に使う言葉です)
御書全集が出されたのは、昭和27年(1952)の立教開宗70本人0年です。
で昨年2002年が750年なので、50周年です。
>わかりました。
>>31 名前: SGI
その後、昭和二十四年の一月、池田が二十一歳のとき、蒲田工業会に勤務していた彼を、私の母が、日本正学館を経営されていた戸田先生に、「よい青年がいる」と、初めて紹介し、就職を依頼しました。池田の学会での仕事の出発点がここであり、私は、このときのことを今でも鮮明に覚えています」(『大白法』平成15年3月16日付)。

とすると、竜氏の発言「池田青年は、会場に居た」というのは間違っていたのだろうか?
そうでもないんじゃないか?
(名誉会長を学会の会合に誘ったのが三宅さんの実姉)なのだから、本人以外、証明できない。
また、竜氏のいよれば、その座談会会場には、森田青年(後の理事長)も居たというが、池田青年のことは、全く目立っていない為、全く記憶になかったそうだ。
竜氏によれば、池田青年が座談会場に居たことは、竜氏以外に記憶に残ってさえいない。
『戸田先生に、「よい青年がいる」と、初めて紹介し、就職を依頼』とすると、
戸田会長さえ、池田青年のことは、記憶に残っていなかった。
こんな事はよくあることで改めて言及する必要さえ感じられない。
つまり、戸田先生と池田先生の出会いは、少なくとも最初は、何の変哲も無い凡庸なものだった。よくある話だ。
問題は、池田先生が悪智慧を出して、戸田先生を利用した挙げ句、自分が入信した場面を脚色をグロテスクに施した事実だ。
創価学会では、古来から「入信記念日は、第二の誕生日」などと嘯いてきた。
ところが、池田先生の醜悪とも言える権力への野望は、そんな大事な「入信記念日」さえデマによって粉飾(ふんしょく)した。その目的は自分が「神」になることに他ならなかった。

43 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/08(木) 13:31
前にも書いたが、聖教新聞に時折連載される随筆人間革命は、主に会内むけであり、それだけに作者?池田先生の本音が窺われて興味深い。ときには、露骨に反学会勢力への怨み事を書いている。外の社会に対しては、神妙な反省の態度を示しながら、内部向けには、怨み事を縷々と書いている。
  小説人間革命は、新旧併せて、20巻になろうとしているのに、そういう性質の書物故に、市場に発刊されたのは、何と文庫本の一冊だけだ。もっとも、最近では、インターネットの急速な普及により、そんな内部向けの内容でも、一般で容易に閲覧できるようになった。
  書店などで唯一取得できる聖教新聞社発行の「随筆人間革命」では、作者が思わず真実の執筆背景を書いてしまう箇所がある。
「ともあれ、執筆にあたって、今までも多くの方がたにご協力を戴く。..........とくに私を激励してくれたS氏にいたっては、資料の収集はもちろんのこと、文体の運び方、文章の調子、結構までご協力を戴き、感謝の言葉もない。益々のご協力をただ乞う。」(p47)
さらに興味深い記述がある。
「多量にわたる原稿書きは、最早、万年筆では不向きである。....鉛筆のほうが能率があがるからと、....一月中旬より実行。」(p47ー8)
「『人間革命』の執筆直前までは、恩師の出獄は巣鴨が通説となっていた。この通説はかなり抜きがたいもので、私はS氏らに詳しく調べてもらったものである。」(p70)

44 名前: 続yuriko 投稿日: 2003/05/08(木) 13:33
これらの記述からは、一体池田先生は、何をして、同書を自分の著作としていたのか不思議に思う。資料の収集はしない。基本的文さえ書けない。それなのに、堂々と、自分の名を冠しているのだ。
後に、人間革命の代筆を疑われて、大量の直筆の原稿が会員の間に配られた。私もその恩恵?に浴したのだが、それは、万年筆で書かれたものだった。当時は、感激したものだったが、これを読むと、普通は、鉛筆書きだったことがわかる。そうすると、あの万年筆の原稿は、代筆者が仕上げた原稿を写し、さらにそれをそれらしく、万年筆でなぞったものだったようだ。それにしても、上から様々な手直しが加えられていて、本物みたいだった。手の込んだことをすると思う。
「新聞をつくろう。.....俺が社長になる。伸一は副社長になって出発するのだ」(p122)この会話が持たれたのは、昭和25年としている。
池田先生が入信したのは、これよりほんの三年前だ。池田先生は、やっと教学部助師、つまりやっと入門レベルに辿りついただけだ。役職は、やっと班長になったばかりだった。
一方、後に池田先生のライバルとなる石田次男氏は、既に、教授という教学部最高の地位に就いていた。更に、御書の編集発刊や当時の唯一の教義解説書である折伏教典の中心的執筆者であった。役職も、青年部の第一部隊長という栄光の座にあった。そんな中で、戸田先生が石田氏を差し置いて、池田先生に新聞の発刊の相談をしたり、副社長に内示したりするのは、不自然というものだ。
後に両者と戸田先生との距離は、逆転してしまうのだが、ライバルの功績を全て盗むやりかたは、陰険そのものだ。
  それでも、この随筆人間革命執筆当時は、石田氏に対しては、それなりの気使いが伺える。
「その後、社に帰り、ただちにスタッフの人選に入った。.....その最初の編集長として、選ばれたのが、後に名編集長とうたわれたI君である」(p122)
I君とは、言うまでもなく、石田氏のことだが、晩年、聖教新聞社の専務とはなったが、最終的には、窓際に追い込まれた挙げ句に、退転反逆(創価学会に対して)をした。
人間革命12巻では、辛辣に批判されている。最期は、60代の若さでこの世を去ったのだが、その葬式には、弟の幸四郎氏(三代目公明委員長)は出席していない。まさに憤死したと言える。
何故に、池田先生は、名編集長とまでうたわれた人材を活用するどころか憤死させてしまったのだろうか?池田先生のリーダーとしての力量に疑問を投げかける、一つのエピソードだ。

46 名前: SGI 投稿日: 2003/05/08(木) 20:29
>>42 yuriko さんへ
>とすると、竜氏の発言「池田青年は、会場に居た」というのは間違っていたのだろうか?
 そうでもないんじゃないか?
>つまり、戸田先生と池田先生の出会いは、少なくとも最初は、何の変哲も無い凡庸なものだった。よくある話だ。

その通りだと思います。
>>31 でご紹介した部分の前段には、三宅さん宅が蒲田の拠点で、戸田先生の月例の「立正安国論」講義の会場だったことをお話されております。そこで、三宅さんのお姉さんが同窓生だった名誉会長を連れてきたことは、話の流れの中で容易に頷けられるところです。
ただ、小説『人間革命』の描写が「全く事実は違います。」と明言されていることと、
きちんと自己紹介をし戸田先生に面識をいただいたのは、昭和24年1月の、三宅さんのお母さんを通じての就職依頼の時だったということです。

したがって、yurikoさんがご指摘されているように、天皇制や愛国者等の質問や即興詩を朗々と詠んだというのは、全くの脚色・創作でしかないでしょう。まさに“神話”創りなのです。


余談を1つ。
興味深いのは、名誉会長が御本尊下付の後、「家に帰っても三日間おがまずにほっておきました。三日目にものすごい雷が鳴って、私の上ばかりでゴロゴロ鳴って、私ばかり狙っているように思ったので、そのとき思わず南無妙法蓮華経と口をついて出ました」(小口偉一編『新心理学講座』より)と、雷への恐怖心から信心を始めたと語っていることです。

宗教改革の流れを生み出したマルティン・ルターは、大学で法律を学んでいたのですが、ある日、目前に雷が落ちて死の恐怖の中で、修道士になることを誓い、1505年に修道院に入りました。
雷は、信仰心を呼び目覚めさすのでしょうかね。

名誉会長は、今般の宗門vs学会抗争が起きる前、側近幹部を前にして
「俺は、マルティン・ルターになる。日本では宗教改革の歴史がなかった。今、それをやるのだ。坊主とケンカをするのだ。もしもの時でも、大聖人の仏法を掲げて、外から宗門を攻めていく」と語っております。
ご本人は“新教の確立”をめざし、改革者気取りなのかもしれませんが、所詮脂ぎった無知性な俗物然としたおっさんにしか思えないのは、私だけでしょうか。

47 名前: SGI 投稿日: 2003/05/08(木) 22:20

 名誉会長の入信は、昭和22年8月。昭和3年1月生まれの名誉会長は19歳だった。この「19歳」も、師弟神話に脚色する。つまり「牧口と戸田」「戸田と池田」の出会いにおける師弟の年齢が一致する、というウソである。

 「牧口と戸田」の出会いは、牧口先生が東京・西町小学校の校長時代〔大正8年12月12日~9年6月22日の半年間〕。ところが2人の出会いの正確な日付が明らかではない。様々な資料に当たったが、曖昧で確定しないが、「48歳と19歳」か「49歳と20歳」のいずれかになる。

 一方の「戸田と池田」は、昭和22年8月とすれば、戸田先生が47歳で名誉会長は19歳。そこで、弟子の年齢を「19歳」と限定しても、牧口:48歳で戸田:47歳で一致しない。つまり、「48歳と19歳」で一致し「仏法の不思議」とか「尋常ならざる因縁」という師弟神話は成立しないのである。


 さらに名誉会長が、戸田会長の事業に従事した日付も資料によってマチマチだ。また「出版業(編集者)」なのか「信用組合・金融業」なのかはっきりしない。

 とりあえず『革命の大河』に基づき、昭和24年1月、雑誌編集者ということにしておこう。ところが『冒険少年』は同年8月に『少年日本』と改題され、10月には廃刊となっている。この時、戸田先生は全社員の信用組合への異動を命じている。つまり名誉会長の編集者生活は、最大限に見積もっても1年弱。
 
 信用組合は、翌25年8月に業務停止命令が出され、戸田会長は同年秋に大蔵商事を設立。名誉会長に営業部長を命ずる。したがって戸田先生の下で従事した仕事の大半は、保険代理業や高利貸し、手形割引等を営む大蔵商事の“営業”である。
 名誉会長は、編集者であったことをいろいろな機会で得意気になって公表している名誉会長だが、高利貸しの“営業”だったことはひたすら隠す。

 信用組合が26年3月に正式に解散すると、戸田先生は学会第二代会長に就任。大蔵商事の業績も、信用と顔がものをいう世界だけに、顧問の戸田先生が会長を務める学会の発展に伴い、急速に好転していく。
 信用組合の清算中は給与の遅配や分割払いもあったが、解散後は、歩合給の池田大作営業部長も、債務者への取立てに辣腕ぶりを発揮し、相当の高給を得るようになった。あの住宅事情が悪かった時代にもかかわらず、20代の若さで家持ちとなるほどだ。
 この経済力が、学会組織内で幹部として出遅れた分を取り戻す源泉となったのである。

63 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/10(土) 05:10
http://www.ne.jp/asahi/my/www/note007.html
最初にこの小口偉一編『新心理学講座』の池田インタビューを読んだ時は、その真偽を疑ったが、
池田先生の生い立ち等を考えると、それは、真正のものだ。
その感想は、『こいつとだったら、友達になれそうだ』という好感だった。しかし、その後に本人が辿った輝かしい『人間革命』のお陰で、池田先生は、今や日本で最も嫌われている人物になってしまった。
池田先生がその過程で身に付けたものは、周りの錯覚を己が自覚とした上で、嘘で固めた得意の演出で、自分を偉そうに見せる処世術だけだった。哀れとしかいいようがない。
私は別にコピペのみをしているわけではない。自分の意見を述べるのに必要な資料として提示しただけだ。
個人的には、創価学会の社会に果たして来た役割を高く評価している。そこには、少なからず池田先生の果たした部分もあるだろう。しかし、池田先生=創価学会=公明党には、あまりに欺瞞の歴史が多すぎる。
北朝鮮もよもやと思われたのに、その厚い壁を開きつつある。創価学会に於ても、「人間革命」に代表される嘘で固めた歴史に終止符を打ち、より民主的な開かれた、正直な団体に生まれ変わるべきなのではないのか?

66 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/10(土) 20:23

私は、主に人間革命第十二巻を取り上げて、その人権蹂躙的記述を批判してきた。
作者は、言うまでも無く池田先生である。
ゴーストライターの手になる部分が大半だろうが、池田先生の思考パターンか如実に現われているのは確かだ。特異で陰険な表現で反逆退転者を揶揄した挙げ句、粉微塵にその人格を砕く残酷なやり方には、池田先生の面目躍如たるものがある。
その中で、最も悲惨な人格の持ち主として描写されているのが、「滝本欣也」つまり、「竜年光」でる。
かれは、十二ページにも亘り登場する。
存命中の人物を無許可?で登場させて、扱き下ろす作者の神経に唖然とせずにはおれない。
竜の登場の仕方が面白い。
『ある時、報告にやって来た参謀の滝本欣也が、戸田にたずねた。
「................もはや、敵はなくなったと思います。これからの学会は、何を敵として進んでいけばよいのでしょうか」
(戸田先生)「敵は内部だよ」................
滝本は、.....ますます仕事の手を抜くようになっていった。』
つまり、竜の破人格は、とっくに戸田先生の見通す所で、いつか反逆すると面と向かって宣言していたというのだ。
もし、これが本当なら戸田先生は、余程陰険な性格の持ち主だったのだろう。
竜は、仕事を放って『(学会活動の為に)さっさと帰ってしま』ったり、昼休みに勝手に『大学者ぶって御書の講義を始めた』りして、職場に多大な迷惑をかける人物として描かれている。
義弟となった竜に対して、『酒田(誰かな?)は、会合などで見せる幹部の顔とはまったく裏腹な、彼(滝本)の実像を見せつけられて来た』と思っていた。
実に辛辣な表現だ。

67 名前: 続1yuriko 投稿日: 2003/05/10(土) 20:27
そんな破人格の典型である竜は、第四部隊長となり、『伸一は滝本の部隊の班長となった。』これが、竜にとって、生涯の仇になった。
池田先生の偽善に溢れた若き日々を知る竜は、「知り過ぎた男」になってしまったのだ。
『そのころ、......時に喀血さえしながら、病身に鞭打ち、壮絶なまでの戦いを展開していたのが山本伸一であった』が、実際は、会合をサボって、映画などを見ていた
この事は、池田先生が自ら、後に公開した若き日の日記で明らかにしている。
{別にいいんじゃないの?でも嘘はよくない....}(私の独り言)
そして、
『.伸一は、この日も、やむなく仕事のために欠席せざるをそえなかった。』
『滝本は、伸一が欠席しているのを知ると、冷たく言うのであった。
「山本は退転だよ。また欠席だ」』
池田先生、もう嘘はばれちゃったんですよ。
『戸田は、以前から、滝本の壮士気取りの生き方を憂慮しつずけ.....(滝本に)善意の人を自分の為に利用する心が芽生えたのであろう。』と分析させている。
つまり、戸田先生は全く竜を信用していなかったとしているのである。
さらに、終に酒田は、だらしない上、無責任な義弟の滝本を解雇してしまう。
滝本はさんざん悪たれをついて辞める。しかし、どう言うわけか、酒田の家に居座り続ける。
何か腑に落ちない。不自然だ。やはり、解雇の背景には、やむを得ぬ事情があったのではないか?
そんな破人格者の竜を、戸田先生は『腐っても私の弟子であることに変わりはない。』として、忍耐強く訓育し続けたとしている。
そして『滝本は、戸田の指導によって、かわっていったように見えた。そして
滝本は、品川の区議会議員となった。』
メデタシ、メデタシ。しかし、ここで終わりじゃないのだ。

68 名前: 続2yuriko 投稿日: 2003/05/10(土) 20:31
さらに続けて、戸田先生は池田先生にこっそり言う
『滝本はいつ退転してもおかしくない男だ。だが、そんな男だからこそ、まともな日の当たる人生行路をあるかせてやりたいと思って、私は、滝本を育ててきたんだよ。...........
伸一、仏法者というのは、騙されても、騙されても、最後まで相手を信じ、つつみながら、再起と更生を願って、手をつくしていく以外にないのだよ』
そんな怪し気な人物だと戸田先生はわかっていたなら、絶対に大幹部に任命したり、その行動によって学会の社会的評価が左右される議員に推薦などするべきでなかった。
さらに、続けて
『しかし、ひとたび、学会に牙をむき、仏子の和合を破壊しようとしてきたなら、その時は、徹底的に相手を叩きつぶすまで戦うんだ。』
もし、戸田先生が自分が育てた弟子に対してこう思っていたとしたら、戸田先生こそ嫌な人格の持ち主の典型だったと言える。
ただ安心できるのは、この事は、毎度のように戸田先生が池田先生だけにこっそり話していた。
従って、人間革命の今までのパターンとして、この部分は、100%作者の創作と見た方がいい。
さらに結びが強烈だ。
『(三年後)
(戸田)は、滝本をまじまじと見詰めて、もう一度、言った。
「敵は内部だよ.......」』
池田先生は、自分の師匠の陰険ぶりを実に見事に描いている。
結局、『仏法者というのは、騙されても、騙されても、最後まで相手を信じ、つつみながら、再起と更生を願って、手をつくしていく以外にない』だから、
創価学会員も池田先生から、騙されても、騙されても、最後まで池田先生を信じ、つつみながら、池田先生の再起と更生を願って、手をつくしていく以外にない。
でもちょっと気ずくのには、遅すぎた気がするのだ。
池田先生は、余程竜氏が気に入らなかったのだろう。
後に恭しく公開した「若き日の日記」では、竜氏は、Rとして登場して、「バイク事故の弁償金を学会が負担したにも拘わらず、礼の一つも言わない嫌な同志」として登場する。
私にも経験あるのだが、気持ちがあまりにも落ち込んでいたりすると、常識的なマナーまで忘れてしまう事がある。
後で、しまったと思うが遅すぎたりする。そして、せめて自分が逆に人を助ける立場になったら、相手の気持ちがよくわかる故に、あまり厳しい態度を取るまいと思うのだ。
もっとも、いずれの立場もあまり歓迎したくない。
「若き日の日記」で、もっと注目すべきは、竜氏の妻に対する批判的見解だ。
竜氏が「礼も言わぬ嫌な同志」と書いた後、続けて、「特に女房の態度が気に入らない」などと書いている。
池田先生の人間性のパターンとして、こうして敵対者?の家族のものまで攻撃するのだ。
既に、藤原氏の妻「幾子夫人」「日顕上人の妻や息子」「竹入氏の妻や息子」なども容赦なく人格攻撃されている。
ねらいは、「お前等、もし反逆でもしてみろ、お前だけじゃなく、家族、親類、友人関係すべてに塁(るい)が及ぶのだ」という脅しなのだろう。
竹入氏などの場合も、かつての同志達の口から薄汚い人格攻撃や秘密の暴露がされるのも当然といえる。
どう考えても、創価学会が人道主義を掲げ、人権問題に本気で取り組んでいるとは思えないのだ。
実に胡散臭い団体だ。

71 名前: SGI 投稿日: 2003/05/11(日) 00:32
yuriko さんが、『人間革命』の記述に基づき論及されていることを邪魔する所存は全くありません。
ただ私自身は、今『人間革命』を読み返す気持ちにはなれないのです。嫌悪感が先立ち、触れたくもない心境です。

しかし、第12巻は、昭和33年の学会が舞台です。「3・16広布の模擬試験」における一連の流れの中で、戸田⇒池田の“エレベーター相承”があったとされる、学会の歴史にとって大変重要な事柄を記述するところです。
“エレベーター相承”は、敷衍すれば「師弟神話」(王権神授説)の最大エポックです。そこで、師弟神話の虚構と第三代会長就任の経緯について、『人間革命』の描写から直裁的には離れておりますが、私なりに言及したくレスしております。

竜年光氏の告発手記『池田創価学会を解散せよ』(日新報道刊)は、名誉会長の尊厳性に対する重大なトゲとなって突き刺さっております。なにしろ、戸田-池田の師弟神話に関するエピソードが全て「作り話」であるということを、当事者が暴露しているのですから。
山崎氏や原島氏は、名誉会長が第三代会長に就任し、独裁者・絶対者として君臨してからの名誉会長の実態を暴露していますが、
竜氏は、名誉会長の先輩として、会長就任前の実態を公表しております。それだけに“師弟の道”を説く学会にとって、名誉会長の尊厳性や学会指導の根源性を根本から否定することになりかねず、神経質にならざるをえないのです。そこで、いかに竜氏が人間として破人格であったかということを執拗に綴るのでしょう。

竜氏の手記によれば、33年3月の大講堂落慶法要や広布の模擬試験の「車駕」(輿)は、戸田先生の全くの意向ではなく、名誉会長が勝手に勘違いをし作らせ、戸田先生から烈火の如く怒鳴られたことが記され、この頃の名誉会長の言動を、戸田先生が不快に思っていたことを明らかにしております。

72 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/11(日) 16:46
今までの人間革命への批判文の中で、最も印象に残っているものは、文芸春秋に掲載された井上ひさし氏の書いたものだった。
(正確な年月日は忘れた)
その中で氏は、同書を「むずかしい書」と呼んだ。読んで行く内に何で、氏は、何故、わざわざ同書をひらがなで「むずかしい書」と書いたのか解って来る。氏は、同書を本当は、「はずかしい書」と呼びたかったのだ。氏らしいパロデーと言える。氏によれば、山本伸一というスーパーヒーローが縦横無尽の活躍をする姿が何とも不自然に格好良すぎるのだ。その人物が、現実に生きている著者その人だと言う事が露骨に明らかとなれば、そこに「恥知らず」という言葉がぴったり当て嵌まるのだ。そこでは、日本人が伝統的に美徳として重んじてきた、「控えめ」とか「人を立てる」などの徳が無造作に吹き飛ばされている、と井上は述べている。
全くその通りだと思う。私は、主に人間革命第十二巻を題材に批評しようと思う。
まず、同書の最初の章「涼風」では、戸田が山本と森川の二人の弟子を引き連れて軽井沢の浅間山の噴火口を覗きながらのやりとりが描写される。
山本は、言うまでもなく池田先生で森川とは、森田理事長を指しているのは、会員の間では、常識だ。森田理事長は、東大出身で、同法華経研究会に所属し、戸田先生から直接訓薫を受けて来た学会のエリート中のエリートである。その森川は、物語りの中では、見事にピエロを演じている。それは、勿論、スーパーヒーロー山本を際立たせる為だ。
p8
『「すごいですね」
森川は、こう言ったきり、次の言葉が続かなかった。』
そして、我等がヒーロー山本青年は、様々な鋭い質問を戸田にした挙げ句に、戸田著作の小説人間革命の感想を見事に述べ、自らが「続人間革命」を書く事が、戸田から暗黙の内に託されていた事を白々しく述べている。そういう白々しい池田先生の自己顕示欲を井上は、「はずかしい」と呼んだのだ。

73 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/11(日) 16:49
私は、小説人間革命は「はずかしい」書である以上に、人権侵害の書だと思う。
その傾向は、第十二巻で特に顕著だ。
人間革命第十二巻では、宗門批判を露骨にやり始めた事と並んで、所謂学会反逆者に対する人格攻撃が明からか様に行われている。登場人物が誰だかわかるだけに、その描写は無惨を窮める。
その中で、滝本欽一に次いでも悲惨な人格の持ち主として描かれているのが、藤川一正である。
藤川とは、藤原行正氏の事である。
藤川は、部下を無造作にこき使った挙げ句に、事故死に追いやった鬼上司として描かれている。
その上、責任逃れの為か、葬式にも顔を出さずじまいの「破人格者」として登場する。
彼は、そんな破人格に加えて、異常に功名心も強いとされている。
p257
『戸田城誠は、翌日、藤川が通夜にも参列しなかったと知ると、顔を真っ赤にして激怒した。
「なにッ!藤川は人間として許せん。先輩でありながら、無責任極まりない態度ではないか。今後、藤川のことは、いっさい信じるな!」』
こういう戸田先生の遺言があったにも拘わらず、池田先生は、言論出版妨害事件の折には、重要な密使の役を藤原氏に最初に演じさせている。そして、藤原弘達氏をして「小物を派遣して、生意気だ」と言わせ、その後の事態の進展を悪い影響を与えた。戸田先生の遺言を真面目に受け取らなかった池田先生に責任の一端はあるとも言える。
さらに藤川の妻が登場するのは面白い。
彼女こそ池田先生の元恋人渡辺(旧姓松川)通子の姉であり、池田先生を振った事があり、池田先生から逆恨みされていたのだ。
p250
『.....女子部の幹部である松田幾代と結婚するが、彼の名聞名利を欲する心はますます強くなったように思えた。
戸田は、怒りをこめた声で山本伸一に言った。
「藤川は、一将功なりて万骨を枯らすことになる。とんでもないことだ。しかし、女房も女房だ。あの見栄っぱりの性格が。ますます亭主を狂わせている。悪いのは女房だ。」』
ここまで特定の人物を誰とわかるにも拘わらず、露骨に描写し、バカにするとなると、人権侵害行為は明らかである。公共性や真実性が問題となる名誉毀損罪とは、別に侮辱罪が成立すると思う。それに、死人に口無しとばかり、師を利用して語らせている点は、毎度の事ながら、池田先生の目的の為には手段を選ばない悲惨な人格が現れている。
尤も、過去に於ける「私小説に登場する人物描写」に絡んだ裁判所の判例では、著者の裁量を大幅に認めるものと、認めないものの両方があっただけに、人権侵害を立証するのは、難しい点はある。しかし、争点はあると思う。

74 名前: SGI 投稿日: 2003/05/11(日) 22:40
>>47 自己レスの続き

貸金の取立てなどに辣腕をふるい、金回りのよい名誉会長は、
田代冨士男元参議院議員の手記『将軍学を学ぶ』など、多くの資料でも明らかなように、
会員に対して頻繁に万年筆やライター、念珠、交通費等をあげたり、ビスケットや饅頭、チョコレートといった菓子類の差し入れ、ラーメンやカレーライス、時には寿司などをおごる。
こうした“気配り上手”が、金の世界で誰よりも「生き金・死に金」を学んだ名誉会長の最大のセールスポイントとなった。

戦後の新興宗教ブームは、一般に「貧乏・病気・争い」からの救いを求めて起こったといわれる。再建当時の学会も「貧乏人と病人の集まり」といわれ、ご多分にもれなかった。誰もが貧しかったのである。
そこに、戸田先生の下で働き、妙に金回りがよく、いろいろと“気配り”してくれ、時には「ベートーヴェンを聞こう」なんてことを言い出す、こざっぱりした若いやり手いる。クラシック音楽などには縁がなかった人々であるだけに、畏敬の念も生まれよう。
こうして、組織内で幹部として出遅れた分を取り戻すどころか、名誉会長を中心とする親分子分にも似た集団が青年部の中に生まれていったのである。

  • 法介
  • URL
  • 2016/10/14 (Fri) 18:48:19
 
Re: 2003年の投稿記事
75 名前: SGI 投稿日: 2003/05/11(日) 22:42

名誉会長のもともとの本名は「池田太作」。
長男・博正氏が生まれた時、正式に「大作」と改める。「たいちゃん」「たっちゃん」と呼ばれていた少年時代に触れられることをひどく嫌う。記述は省略するが、複雑な家庭環境にあった。
父・子之吉氏は「強情さま」ともいわれるほどの真言宗の強信者。葬儀も真言宗で行っている。名誉会長が折伏した家族親族は、一応十人兄弟姉妹といわれる中で、兄弟2人だけだという。

名誉会長は1対1の個人折伏がとても苦手。
“人間・池田太作”を知る人の大半は、入信していないようだ。幹部として指揮する立場を得た時は、自信に満ちたはったりと気配りで成果を出しても、名誉会長自身が紹介者となる個人折伏は、ご本人が語るようにあまりない。
「『折伏しろ』っていうから、私は自分の友だちを十人ぐらいよんだのです。…会長先生がわざわざ、私のおよびした会合に出て下さったこともありました。しかしだれも信心しないのですよ。一生懸命やってもね。みな友だちがはなれっちゃうんだよ」(『聖教新聞』昭和34年2月6日付)。
他人の成果をも自分の手柄にして誇るよりも、素直に御本仏のご照覧に委ねる方が、よほど信仰者らしいと思うのだが……。

戸田先生時代、「教学の石田・行動の池田」といわれていたと聞く。
≪名誉会長の教学歴は、別スレ「初心者に教えてください。 」>178 をご覧下さい。≫

名誉会長が得意なのは“実践の教学”。
大聖人の御消息を切り文して、組織活動の中で状況に応じ、陳列していくやり方だ。この独特な解釈展開が、教義解釈になりがちな講義よりも受けたのである。「私のは対機説法だから、難解な講義よりよっぽどいいでしょう」とのたまう。
会長就任後の『御義口伝講義』や『立正安国論講義』等でも、現代解釈や生活に約した展開は“ヒラメキの人”だけに口述しているが、法義の解説に関しては優秀な教学部スタッフが担当している。40年間、いつもこのやり方で通している。

それでも、名誉会長のこの独特な解釈展開は、昭和30年代でも、1つ1つの組織活動のみならず名誉会長に関わる個人的な言動にも、何か大聖人の深いご法義の裏付けがあるかのような錯覚を周りの青年部会員に与え、“名誉会長は特別なのだ”という雰囲気を生んでいったのである。

79 名前: SGI 投稿日: 2003/05/12(月) 22:19

名誉会長には、多くの「神話」や「伝説」がある。
学会員は、毎日のように40年間うわべだけの偶像神話を聞かされ、ウソも百遍聞かされると「本当かな」と思ってしまう。だが、これら「師弟神話」が、ことごとくウソ・誇張・歪曲であることを言及した。

 ○入信エピソード ⇒ ウソ >>30 >>31 >>33 >>46 参照
 ○出獄・入獄の7月3日 ⇒ ウソ >>15
 ○「大阪事件」 ⇒ 歪曲 >>15
 ○戸田先生の個人教授 ⇒ 誇張 >>15
 ○師弟年齢の一致 ⇒ ウソ >>47
 ○編集者生活 ⇒ 歪曲 >>47 >>74
 ○折伏の名手 ⇒ ウソ >>75
 ○教学神話 ⇒ 誇張 >>75

どうしてここまで「神話」を創作するのか。
詐欺師は、人をだます時、まず自分が信じ込み、その話を確信もって語るから、人はだまされる。つまり誠心誠意のウソをつくのである。今般の数々の宗門批判を語る幹部たちは、まさにその姿であろう。そして語っているうちに、そう思い込んでしまう。ウソが事実になっていくのである。

名誉会長や学会中枢には、「師弟神話」を創作・演出しなければならない理由がある。
それは、第三代会長誕生の経緯がいかがわしいからだ。
『人間革命』は、学会の真実の歴史を綴るものではない。単に自己顕示欲の業にとどまるものでもない。歴史を改ざんし、名誉会長と池田創価学会中枢の存在に正当性を付与するためのものだ。

池田大作・第三代会長誕生の経緯は、戸田先生の“想い”を裏切る「師敵対」行為にほかならず、それ故、覇権を握った名誉会長らは必死になって、その「師敵対」行為を誤魔化すために、池田大作を“特別の人”として宣揚し続けなければならないのだ。
現下の学会の“歪さ”の淵源は、池田大作会長就任にある。まさに戸田先生の予言「学会の敵は内部だよ」は至言だった…。

82 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/12(月) 23:43
>>72
確か、森田理事長は、東大出身ではなかった。
戸田先生を囲んでの、法華経研究会のメンバーリストを御存知の方いらっしゃいませんか?

90 名前: SGI 投稿日: 2003/05/13(火) 20:11
>>82 yuriko さんへ

1)森田理事長の件
 森田理事長は、中央大学の夜間です。
 理事長の父・悌二氏が戦前からの会員で、戦争中、横浜・鶴見区に疎開。戦後昭和21年夏、戸田会長が座談会を復活されると、森田宅も会場となり、森田理事長は戸田先生の薫陶を受けるようになりました。

2)法華経研究会の件
 「法華経研究会」が具体的に何を指しているのか判然としません。
 が、記録によれば、戸田先生は昭和21年元旦から法華経講義を始められております。
 第1回法華経講義は、21年1月1日~3月28日で、受講者は、戦前の学会の経済人グループ「生活革新倶楽部」のメンバー4人。岩崎洋三、西川喜方、本間直四郎、藤森富作の各氏。
 第2回法華経講義は、同年4月12日~9月で、奥山和平、矢島周平、原島宏治、小泉隆、辻武寿、小平芳平、柏原ヤスの7名が受講。戸田先生は、このメンバーの終了式に、わざわざ鶴丸のバッチを作って一人ひとりに手渡しました。このバッチが、後に学会の会員章にもなったのです。
 そして、全員に歌を歌わせ、知っている気に入っているものがあれば合唱させたそうで、これが(戦後の)学会の会合で歌を合唱するようになった最初の日だと伝えられております。
 池田名誉会長は、昭和23年9月からの第7期法華経講義の受講生です。
 法華経講義は、戸田先生の理事長辞任まで続けられました。戸田会長の事業破綻は、この法華経講義に原因があったと、25年11月の第5回総会で総括されております。

91 名前: SGI 投稿日: 2003/05/13(火) 20:17
追記
第7期法華経講義の受講生は、約50人。
法華経講義は、第5期から毎回50~60人位を対象として、西神田の学会本部が会場です。



107 名前: SGI 投稿日: 2003/05/16(金) 00:32
 前レス>>106の続き
 さてさて、青年部クーデターに話を戻そう。

 名誉会長は、戸田会長逝去後、渉外部長を辞任するものの青年部参謀室長のまま、総務に就任する。
 だが総務職の規定は、当時の学会規則にはなく、その権限も定められておらず、法的にも組織機構的にも“幽霊職”のままだった。既成事実の積み重ねだ。

 >>14 で記述したように戸田会長の生前中は石田次男氏が後継者と目されていた。
 また、戸田会長の逝去後は「戸田先生の七回忌までは会長不在」というコンセンサスが中枢幹部らにはあった(>>13 参照)。信徒団体なのだから、御法主上人猊下を師と仰ぎ、まとめ役としての理事長がいればいいのであって、急いで会長を選出することもなかろう、との意識もあったのである。
 
 にもかかわらず、名誉会長は野心達成のために、この総務と参謀室長の立場をフルに利用した。
 まず、無規定の総務職を選挙対策の責任者のように見せかけ、参議院選挙を取り仕切ることで、会長就任への工作を行う。つまり、最大のライバル・石田次男氏を昭和34年の参議院選に立候補させ、学会内での要職を失わせると共に、反池田派と目される先輩理事らに議員職を与え、会内での影響力を削いだのである。

 また、戸田先生の遺産整理を担当し、個人名義の資産をも学会の帰属にし、池田派の多数派工作に流用(着服もあったかもしれない)。香典も、北条浩会長の時と同様に、学会葬ということで、一部を除き遺族に渡さず学会会計に組み入れる。

 名誉会長は、戸田会長の事業・高利貸し業に従事していた時から、大変な高給取り(>>47 参照)。当時で月額20万円以上とさえいわれている。その上、当時の学会では資産家といわれた白木家との姻戚関係を持ち、さらに政商・塚本素山氏とも親しかった。
 こうした財力にものを言わせ、青年部幹部らの歓心を買い、参謀室を足がかりにして、選挙戦を仕切ることで、参謀室を青年部機関から学会総体の機関に引き上げて、覇権をめざしたのである。

108 名前: SGI 投稿日: 2003/05/17(土) 23:32

 組織ライン(本部-総支部-支部-地区-班-組)でもなく、壮・婦・男・女の四者でもなく、また本部事務局や『聖教』『大白』、教学でもない、それ以外の業務を担当するといった意味合いで「総務」というポストが生まれた。したがって、組織機構上の位置づけも、権限も、具体的な担当業務も、何も規定せず、ただポストだけが名誉会長のために新設されたのである。

 名誉会長は、大蔵商事の仕事(>>47 参照)を部下の中西治雄氏に任せ(役員に昇進し現場から離れる)、この無規定の「総務」に専念する形で、24時間“本部幹部”として専従する立場を得た。責任役員でも理事でも部長でもなく何の権限もないのに、専従職員や職業幹部がほとんどいなかった学会本部において、無規定であるが故に何でもできる状況が、全レス>>107のような行動を可能とした。小泉隆理事長は「実権を取られた」とボヤいたという。
 
 総務職が正式に規定されたのは、1年余後の昭和34年6月。「理事長の下に理事室を代表して事務局及び各部を統括する」というもの。これは、実質的にナンバー2を意味する。しかも、新任の理事が理事室を代表するという破天荒な人事であるばかりか、その理事室の代表者が法的には何らの立場を有していない(責任役員には未就任)という代物なのだ。

 この時の組織改革は、青年部参謀室が理事室入りを果たしことを意味する。かつ、学会事務局には北条浩と森田一哉が局長・次長に就き、『聖教新聞』編集長と青年部長に秋谷城永(後に栄之助)、男子部長に多田省吾、女子部長に湊時子(現姓・多田)が就任。まさに青年部池田派の主要ポスト制圧であった。

 新たに理事になった4名〔池田大作、北条浩、森田一哉、竜年光〕は、宗教法人法に基づく責任役員にはつかず、理事と責任役員は同一という、それまでの原則が崩れた。また、代表役員代務者だった小泉隆理事長は正式に代表役員となり、法的には創価学会の第三代会長となっている。これは、青年部池田派の行動をよしとしない者たちの抵抗を示す。法律上の権限=“名”は渡さないという手段に出た。

109 名前: SGI 投稿日: 2003/05/17(土) 23:33

第三代会長選出をめぐる経緯は、けっして伝えられているようなキレイ事ではない。
 実質的には、名誉会長と青年部参謀室によるクーデターである。彼らの権謀術数は、常に“名”を捨て“実”を取り、やがて“名”を整えるというやり方だ。「勝てば官軍」という覇道であり、王道ではない。

 名誉会長の野心は、現学会首脳である当時の青年部幹部・池田派による、学会最高幹部の代替わりによって達成されたのである。戸田先生に早くから大抜擢され、理事に就任(戸田生前中の唯一青年部出身理事)していた石田次男氏は、この代替わりの際、古参幹部陣に繰り入れられ、参議院議員に棚上げられてしまった。石田氏に対する妬みもあったのだろう。また、石田氏や小泉理事長らは、青年部池田派のように権謀術数の資質を持たなかったのである。

 「三代会長は戸田先生の七回忌後」というのがコンセンサスだった(>>13 参照)。なのに、総務の名誉会長だけは「早く三代会長を実現しないと戸田先生のご意思に反する」と主張。このドグマに青年部幹部(池田派)が同調し、名誉会長を押し立てて、一気に世代交代を図ったのが真相だ。34年6月の組織改革で、事は決したのである。

111 名前: SGI 投稿日: 2003/05/19(月) 00:17
>>109 自己レス続き

 昭和33年3月、総本山で起こったことは、あまりにも生々しい。
 名誉会長は、死の床にあった戸田会長を蔑ろにし避けながら、悪辣非道の事を行い、青年部幹部らに後継者であることを印象付けていく。小説『人間革命』は、脚色・誇張・すり替え・捏造に満ちている。
 当時の中枢幹部や青年部幹部ら数名から、知られざる多くの事実を聞いたのだが、いかんせん直接体験したわけではないので、ここでは明らかにできない。外形上の名誉会長のポスト遍歴や組織改革を中心に、第三代会長選出が「青年部クーデター」であることを記している。

 昭和35年5月3日、第三代会長に就任した名誉会長は、腹心の北条前会長を新設の副理事長にすえ、本部事務局は森田、『聖教』と青年部は秋谷、渉外・広報は藤原行正元都議、出版は中西治雄元総務といった具合に側近で固める。というよりも、青年部池田派が要職を独占し、池田大作を表にした「学会中枢」を作り上げたのである。

 そして、小泉理事長を本部最高顧問に、和泉覚理事を文化部最高参与に、石田氏を副指導部長に、辻武寿理事や柏原ヤス理事を参議院議員へ、それぞれ戸田先生の下で学会再建に尽くした草創の先輩幹部をことごとく主要ポストから外していった。

 責任役員の枠も7名から15名に増設し、旧理事7名と同数の新理事7名を任命。責任役員会の過半数を制する。なお、名誉会長はそれまで一度も法的には登場したことがなく、ここで突如、責任役員および代表役員となる。その後36年7月に、責任役員は秋谷現会長を筆頭に一挙に14名が加わり、さらに翌年2名が追加され、名実共に「池田政権」は確立していくことになる。
[続く]

112 名前: SGI 投稿日: 2003/05/19(月) 00:19
>>111 続き]
 こうした青年部池田派の行動に反旗を翻したグループがある。
 蒲田支部や大阪支部の支部幹事、男子部部隊長などが、名誉会長の第三代会長就任にまつわる全てを「汚い」として、『顕徳会』と名乗る分派を結成。この旗揚げは、名誉会長の蒲田での言動や、大阪での選挙活動、青年部池田派の秩序破壊などを踏まえてのことだった。

 対する学会中枢(池田派)は、学会除名と、宗門に働きかけて『顕徳会』の不認知・破門で抗した。正宗からの破門は、当時の信徒にとって、何よりも堪えがたい措置である。こうして造反運動はつぶれた。
 学会再建に尽くした古参幹部らは、名誉会長や青年部のクーデターに不満を抱いても、反旗を翻すことはできなかった。戸田先生の「譲る会長は一人でありますが、その時に分裂があってはなりませんぞ」との言葉に縛られたのである。
また、反乱に失敗し生活を破綻させ、かつ正宗からの破門への恐れもあった。あるいは議員という栄誉や会員からの信望も惜しい、との人情もあったのであろう。さらに、学会総体の躍進は凄まじいものがあった。目覚しく発展していく学会を前にすれば、青年部池田派の行いを認めざるをえなかったともいえよう。

 一方、青年部池田派はクーデターを正当化させるために、会内で「池田大作」の宣揚を積極的に進めた。「戸田-池田の師弟神話」(王権神授説)など、デッチあげとすり替えの神話・伝説作り、指導者として「類まれなる人物・池田大作」の演出、はては「会長帰命説」に至る法義利用等々、会員の間に“池田大作絶対”の雰囲気を醸し出し、幹部らの造反を防いだ。この手法は今日まで続いている。
 「池田政権」は、多少の揺り戻しはあったものの、昭和40年頃までには安定確立し、41年5月の「学会規則」改定では、会長の任期を終身とする独裁体制を完成させたのである。

116 名前: SGI 投稿日: 2003/05/20(火) 00:39
>>112 自己レスの続き

 学会中枢を支配した青年部出身の最高幹部たちは、互いに姻戚関係を結び、自分たちの権益を守りながら、手足となる「学会テクノクラート」(本部職員)の養成を急いだ。そして優秀なテクノクラートたちはその期待に応えていった。

 公明党の結成・衆議院進出の選挙運動による組織の引き締め、大客殿や正本堂建立という目標設定、文化祭・民音・出版・教育などの多様化、日常業務や組織運営(たとえば、地域ブロック制の導入等)の近代化といったことが、「最高の実務家」「組織の人」といわれる秋谷現会長の下で、効果的に整然と進められたのである。

 学会の躍進は、人心掌握術・カリスマ性に富む“池田大作”を前面に押し立てて、これを支えた秋谷現会長を筆頭とするテクノクラートの手腕だ。「池田40年の歴史」は、同時に「秋谷40年の軌跡」でもある。

117 名前: SGI 投稿日: 2003/05/20(火) 00:40
>>116 の続き]

 秋谷栄之助会長は、入信当初から「カミソリのように切れる頭脳」といわれていたという。そこで「理の人」「情に薄い人」との評判も根強い。
 それはともかく、秋谷会長夫人は、石田次男氏の実妹。
 つまり、名誉会長の最大のライバル・次男氏や石田幸四郎・元公明党委員長とも姻戚関係(次男氏と幸四郎氏は兄弟)を持つ。次男氏の存命中は、幸四郎氏や秋谷家は次男氏と絶縁状態だったとも聞くが、いずれにせよ、秋谷会長は、戸田会長時代、戸田先生の後継者と目された石田次男氏と姻戚関係を有しながら、一方の雄・名誉会長と共に青年部主流の一翼を担っているのだ。

 そして「池田政権」が誕生すると、名誉会長をサポートする形で『聖教新聞』編集長として学会の最高意思決定に関わり、さらに藤原行正氏と共に対外的な交渉折衝をも担当。その上、青年部長として「学会テクノクラート」の人材発掘も自らの手で行い、育成し、各部署につけていった。やがて学会事務局も掌中に収め、「学会テクノクラート」(秋谷人脈)の筆頭として確固たる地位を築き上げている。

 名誉会長と秋谷会長は、共に議員を経験せず、学会の要職に専任することで、学会内で不動の地位を得た。名誉会長の片腕ともいうべき北条前会長は、参議院議員になった古参幹部らのお目付け役として一時、参議院議員になっており、そのことが本部事務局での秋谷人脈の拡大を許したのである。

 もう一人の議員未経験者・森田理事長は、所詮“町役場の小役人”程度の能力しかなく、秋谷人脈にとってはアクセサリーにすぎない。藤原行正氏の後任として広報を担当している山崎副会長や関西の和田副会長らは、単なるイエス・マンであって、意思決定を司るだけの器量はない。結局、現在の池田創価学会は、秋谷人脈によって全てが決められている。

120 名前: SGI 投稿日: 2003/05/21(水) 23:31
>>117 自己レスの続き

 戸田先生は、昭和28年夏、石田次男氏に次期会長の打診を行っている。しかし石田氏は「任にあらず」と断ったという。それでも戸田先生は、側近幹部や九州・八女支部での会合など折に触れ「次は次男だ」と語っている。

 そして、次代の学会を担う青年部の中から、これぞと思う人材に対しては、水滸会や華陽会の薫陶とは別に個人教授での訓練を実施する。彼らには、ご自分の名:城聖の「城」を与えており、期待の大きさが分かる。秋谷現会長もその1人だ(>>15 参照)。

 推測であるが、戸田先生の後継者構想は、石田次男氏を会長に据え、その「石田体制」を支える人材として秋谷会長を考えていたのではないだろうか。秋谷会長は、昭和31年に男子部長に任命されており、また戸田先生の媒酌で石田次男氏の実妹と結婚している。戸田先生の秋谷会長に対する期待がうかがわれるのだ。

 名誉会長は、組織人事本流の役職に一度も就いていない。また常々「戦前は教学がなくてつぶれた」と語られていたというのだから、教学部の存在は大変重要な位置づけにあったにもかかわらず、名誉会長は教学での貢献もない(>>75 参照)。教学面では、いつも戸田先生に叱られていたという。戸田先生が名誉会長に期待したのは、選挙などに関するオルガナイザーとしての手腕ではないだろうか。

 ところが「次の会長は皆で相談して決めろ」との遺言をタテに、名誉会長の野望に呼応する形で、青年部参謀室を中心とする池田派がクーデターを起こし、強引に第三代会長の座を奪ってしまった。このクーデターに秋谷会長は、戸田先生の“想い”を蔑ろにし参加したのだ。「石田政権」より「池田政権」を選んだのである。
 「池田政権」誕生と共に、秋谷会長は、戸田先生からいただいた「城永」の名を捨て、再び「栄之助」に戻り、「池田政権」の中で確固たる地位を築いていった。

123 名前: SGI 投稿日: 2003/05/24(土) 21:48
>>120 自己レスの続き

 名誉会長は、第三代会長に就任すると、こう言った。「戸田先生の本当の姿や心は私を通さないと判らない。君たちは知っているようで知らないのだ」と。
 これを受けて、参謀室以来の腹心である北条前会長は、「私たちは愚かでした。戸田先生と行動を共にしていても、雖近而不見で本当の戸田先生を知らなかったのです。本当の戸田先生のことは、今池田先生から伺って少しずつ判ってきました」と応えた。見事な忠臣ぶりだった。こうして戸田先生の指導も、名誉会長のフィルターを通して読み替えられていく。
 
 戸田会長の時代はテープレコーダーは一般には普及していない。また、戸田先生は極度の近眼のため、あらかじめ原稿を書くということをしなかった。いつもアドリブだ。『聖教』や『大白』の原稿も、ほんの例外を除いて皆口述筆記なのである。したがって、戸田会長の指導録や講演録は、全て出席者・同行者の筆記メモに基づく。
 
 そこで名誉会長は、会長就任後、戸田会長の『方便品寿量品講義』や『戸田城聖全集』等を刊行する際、自己の都合の悪い部分や真意を理解できない部分を削ったり手直しをしている。
 戸田先生の口述筆記を担当したのが、秘書の和泉美代女史や山浦千鶴子女史、『大白』や『立正安国論講義』は小平芳平元教学部長、『聖教』関係は石田次男氏らがまとめている。
 にもかかわらず、名誉会長は、戸田会長時代を知らない若手職員に『全集』などを担当させた。しかも石田氏ら当事者に接触することを禁じたのだ。

 名誉会長ら学会中枢は「戸田先生のことは池田先生だけが知っている」というドグマを展開した。師弟不ニの神話を説き続け、名誉会長の“解釈”による戸田先生の教理・指導・言動の再構築を図っていったのである。
 戸田先生の教えを忠実に守り実現しているように見せかけ、実は名誉会長らの都合に戸田先生の教えを変えていったのである。足に靴を合わせるのではなく、靴に足を合わせるという、本末を転倒した行為―戸田会長利用―師敵対行為を、こうしたところでも重ねているのだ。

124 名前: SGI 投稿日: 2003/05/25(日) 00:10
>>123 自己レスの続き 

 名誉会長の第三代会長就任は、“池田大作”を旗頭にした青年部池田派のクーデターであることを長々と書き込んできた。このクーデターが師敵対の行為であるが故に、クーデターを正当化させるために、戸田=池田の師弟神話を作り出さなければならず、名誉会長が“特別の人”であることを演出しなければならなかった。その際たる現われが、小説「人間革命」が描く世界なのである。

 このような「池田大作の宣揚」は、当然のことながら名誉会長の望むところである。本仏意識に基づく神格化願望は、早くから抱いていたようだ。就任以前より、そうした特異の言動が散見している。
 クーデターの成功によって「池田政権」を樹立した名誉会長は、「私を守れ。私を守ることは学会を守ることだ。学会を守ることは、広宣流布を進めることになる」との指導を繰り返す。こうして学会のあらゆるシステム・活動・方向性が、名誉会長のために仕えるようになり、名誉会長そのものが創価学会=体現者という実態を築いていったのである。⇒「池田国体説」(参照「創価学会(SGI)は世界宗教をめざす」スレッド >415)。

 しかし、クーデター推進実行者である秋谷会長ら青年部池田派の幹部らにとって、名誉会長の独裁は「委任の君臨」であり、名誉会長は「同輩者中の第一人者」にすぎない。ただ師敵対行為であるクーデターを正当化させるためには、名誉会長を第三代会長に推した理由づけのために、師弟神話など「池田大作の宣揚」を必要としたのである。彼らにすれば、学会の“象徴”としての「池田大作」なのだ。⇒「池田機関説」(参照 同スレッド >416)。

 だから、青年部池田派にとって、学会批判や事実の暴露はそのまま「池田政権」の崩壊につながりかねず、そこで池田会長就任以来、長年にわたり“言論弾圧”を行ってきた。だか、ついに『創価学会を斬る』(藤原弘達著)で“鶴のタブー”が表面化。「池田政権」崩壊の危機を招く。

 この世間の激しい非難の嵐に、名誉会長は「私を守れ」と叫ぶだけで、箱根に逃げ隠れてしまう。若い頃の結核が元因の肺炎で微熱が続いていたというのはウソ。学会本部では、北条前会長を中心に善後策が連日にわたり講じられた。形振り構わずの組織防衛だった。
 最後は、自民党や右翼勢力と取引きをし、妥協を図ったのである。そして、政教分離・「国立戒壇」破棄・折伏路線の転換・思想的独善性の否定といった、創価学会の根幹をなすテーゼを揺るがしてしまったのである。

125 名前: SGI 投稿日: 2003/05/25(日) 12:55
>>124 自己レスの続き

まもなく半世紀に及ぶ「池田=秋谷時代」が終わる…。
学会SGIは、世代交代を図り“池田イズム”の継承と共に世界宗教をめざす。
果たして、どのように世代交代を成し遂げ、SGIの第二幕を進めるのだろうか。
秋谷執行部の、最後で最大の手腕が問われる時を、今迎えようとしている。


 さて「池田政権」は、いわゆる言論出版問題で危機を招いた。
 それ故に学会中枢は、活路を「学会の社会化」に見出す。つまり〔平和・文化・教育〕だ。「世界広布」の名の下で欧米識者との会談や、「社会に開かれた学会」のスローガンによる映写活動、合唱祭、地域友好イベント、図書贈呈・施設寄贈といった、現在の学会SGIの原形が生まれた。
〈参照「創価学会(SGI)は世界宗教をめざす」スレッド >230 〉

 この「学会の近代化」から「学会の社会化」路線は、今日明らかなように、日蓮正宗の教義に抵触する問題を内包している。そこで、本部中枢・テクノクラートは、正本堂の完成を「本門・事の戒壇」建立と意義づけ、名誉会長の会長就任あいさつの「化儀の広宣流布をめざして一歩前進の指揮」という所信表明に終止符を打ち、新たに「広布第二章」を掲げる。
 つまり、日蓮正宗の教義を改変・逸脱・革新する“池田教”による「新・化法の広宣流布」の誕生であった。
〈参照・同スレッド >242 >243 >246 〉

 正法正義に基づかない創価学会は、これ以降、ご承知のように、実にさまざまな不祥事を次々と引き起こしていく。同時に、“池田大作”を神輿に担ぐ旧青年部池田派内部にも、深刻な亀裂を生んだ。
 路線変更や会長に対する個人崇拝の域に達していた現状を苦々しく思う人々や、名誉会長ら最高首脳幹部の独裁体制に疑いを抱く者たち、神輿と担ぎながらも「俗物・池田大作」を見限る幹部の群像、側近として「茶坊主」「腰ぎんちゃく」に生きる連中など、隠微な派閥抗争・主導権争い、追い落とし、取り込み、密告・告発・疑心が本部の内実となる。


129 名前: SGI 投稿日: 2003/05/26(月) 23:33
>>125 自己レスの続き

 特に、絶対者として君臨する名誉会長と、現実対応を重視する秋谷人脈の間で、学会中枢の主導権をめぐって駆け引きが続いた。「創共協定」(昭和49年12月)などをめぐり、秋谷人脈の幹部たちは“俗物・池田大作”の勝手気ままな独走が学会の存亡に関わると判断していた。

 名誉会長にしても、秋谷会長らにしても、それぞれが「創価学会」に人生をかけてきた。「創価学会」は、それぞれにとって手塩にかけた我が子のように、人生の“作品”だ。己が創り上げたという自負がある。その“作品”が意のままにならないことは、共に許し難いことでもあるのだ。

 そこには、御本尊の偉大な功力によって創価学会の発展があったという「感謝の気持ち」「信心の発想」は断じてなく、自己の業績を誇る“慢心”ともいうべき執着心しかない。「私がやった。全て私が道を開いた」といった発言が、それを物語る。学会中枢には、仏法信仰者としての矜持がない。

 そこへ宗門から、「学会の社会化」路線―その象徴である「五十二年路線」に対して、批判の火の手が上がる。それまで誰も首に鈴がつけられなかった池田会長を会長勇退に追い込んだのである。“絶対者・池田大作”の失墜であった。

130 名前: SGI 投稿日: 2003/05/26(月) 23:35
>>129 自己レスの続き

 しかし、この“無血革命”は、同時に学会中枢の世代交代の気運を高めた。世代交代を最も恐れたのが、秋谷人脈をはじめとする旧青年部池田派の面々だった。
 広宣流布への使命感や情熱に燃える30代だった青年部池田派も、すでに50代半ばの壮年世代。自己の権益や地位を守り、保身に走る。あるいは、学会の一人立ち・世代交代を認める程には枯れていない。働き盛りだ。こうして学会内部の派閥抗争・パワーゲームに、世代間の確執も加わった。

 そこで中枢首脳幹部は、クーデター防止のために、名誉会長の復権と共に、再び「先生を守ることは学会を守ること」との“幻想”を若手幹部に打ち込み、自分たちの地位を脅かす者を炙り出しては、造反者に仕立てたり、閑職や議員、外郭団体に飛ばし、主流からはずしていった。

 学会中枢の主導権は、北条前会長が亡くなった事で、名誉会長人脈から秋谷人脈に移っている。今の名誉会長は「裸の王様」だ。まさに単なる神輿に過ぎない。
 実権を握る秋谷人脈の最高首脳幹部たちは、自分たちが名誉会長に照らされた≪影≫であることを十分に自覚している。だからこそ、再び“名誉会長”を担いで、権益を守るのである。

 秋谷会長は、北京で名誉会長に土下座して忠誠を誓ったと伝えられている。土下座で臣下の礼を示し、名誉と豪奢な生活を保障することで、実質的権限をがっちりと握ったのである。
 名誉会長の「意を体する」形で、一層池田大作の宣揚に取り組み、今日のSGI路線を推進。これは、名誉会長の想いと利害と一致するが、“池田大作”をタテにした「実権派」秋谷人脈の処世術でもある。

131 名前: SGI 投稿日: 2003/05/28(水) 00:06
>>130 自己レスの続き

 「実権派」と深く結びついているのが、学会葬儀社の社長H氏や『聖教』御用達の広告屋Y氏、会館建設を取り仕切るH氏、S大学のO氏など、旧「社長会」の面々が「利権派」だ。
 「実権派」は、巨大な組織を統理運営するといった人を動かすことに喜びを覚える支配執着の人々。「利権派」は、私腹肥やし(宗教ビジネス)を生き甲斐とする物欲執着の人々。この少数の中枢幹部らが、名誉会長と共に“池田大作”を躍らせながら学会を牛耳っている。

 「実権派」の施策を支えるのが、中央の「実務派」H氏、M氏、N氏といった「御義口伝メンバー」を中心とする学会テクノクラートの実力者たち。役員室や常任中央会議、総務会、本部事務局などを主宰する。
 そして「実権・実務派」の方針を具体化するのが、M氏、T氏、U氏、O氏、N氏、W氏、Y氏などの方面組織の筆頭副会長ら。この「組織派」ともいうべきグループは、県青年部長時代に培った人脈があり、副会長になった現在、そのネットワークが“もう一つの創価学会”を形成している。

 また「実権・実務派」のブレーンに当たるのが、広報室、企画室、渉外局、教学部、顧問弁護士団などで、これに様々な工作や謀略を担当する「影の軍団」を含めて、創価CIA(SCIA)という“影の創価学会”がある。

 「学会の国際化」に伴って、H氏とかT氏、N氏、A氏といった“SGI人脈”による情報も、最近はかなり反映されるようになっている。この“SGI人脈”に、世襲制をめざす「奥様・御子息派」が接近しており、海外での派閥抗争も激しい。

132 名前: SGI 投稿日: 2003/05/28(水) 00:09
前レスの続き

 世襲制を支持推進する連中は、どの派閥にも存在する。
 学会総体をまとめていくには「世襲制がベスト」との認識に基づく。
 ⇒参照・「創価学会(SGI)は世界宗教をめざす」スレッド >415 >416 >417
 ところが、「長男・博正」擁立派と「三男・尊広」擁立派の確執で、1つにまとまらない。

 博正氏が世襲を拒み、尊広氏が色気を出している事情や、次男・城久氏の遺児の存在、奥様の意向、「池田家」と学会との“線引き”問題、SGIと学会の関係、さらには宗門問題の絡みから“操り猊下”を担ごうとしているグループもあり、名誉会長の後継者問題は、ほぼ博正氏に固まりつつあるが、最終結論には至っていないようだ。

 学会の「永遠の指導者」は既に定められており(昨年の会則改定)、後継者といっても、単なる財産継承者であり、学会統合の“象徴”にすぎないだろう。
 現在創価学会の実質支配権は、これまで長々と記してきたように、秋谷人脈にあり、「ポスト池田」は集団指導体制となることは間違いない。しかしもし、秋谷人脈に内紛が起これば、そのまま学会総体の内紛・分裂につながる可能性がある。

 つまり本部中枢にとって、「ポスト池田」の最大の課題は、実は「ポスト秋谷」なのだ。
 それだけ秋谷会長のマネジメント能力は傑出しているということにほかならない。半世紀近くに及ぶ「池田政権」は、秋谷会長の統治(管理)能力に支えられているといっても過言ではない。秋谷会長の会長在位期間が、池田会長の在位期間の超え、最長不倒の長期間に達していることでも、ご理解いただけると思う。

133 名前: SGI 投稿日: 2003/05/31(土) 22:16
>>132 自己レスの続き

 学会の組織は、公益部門の本部事務局・地方組織と、収益部門の聖教新聞社・墓苑事業に大きく分かれる。どの部門に属するかで、行動様式や発想に相当の隔たりがあり、『聖教』の中でも編集と業務では肌合いが異なる。

 それだけに不祥事・不始末等をしないかぎり、所属部門からの異動はあまりない。それに、異動が頻繁であれば情報の拡散にもつながる。内実情報の漏洩こそが、学会中枢の最も回避すべき事態だ。だから人事異動が少ないのかもしれない。したがって、不正は極めて起こりやすい。

 その上、ポストによる権益(旨味)にもかなり差があるし、出身大学による先輩後輩の関係もあり、登用・昇進・配置転換といった人事面で怨嫉が起こりやすい。それだけに、どの人物と親しくするのかが、本部内で生き抜いていく中での才覚にならざるをえないのである。

 今はまだ「先生の指示ならば仕方がない」との諦めや、次々に設けられるポストのお陰で表面化していないだけのことだ。今後、パイの拡大がなくなり、絶対権力者(裁定者)が存在しなくなれば、どうなるのか判らない。〔誰が名誉会長の意を体しているのか〕をめぐり、実質的決裁権を争うことになる。

134 名前: SGI 投稿日: 2003/05/31(土) 22:18
前レスの続き

 真の池田門下生ともいうべき未来部(池田学会2世)あがりの30代40代の幹部職員には、こうした学会本部の内実を目の前にして、現実に妥協する者と、改革をめざす者がいる。
 旧青年部池田派も、この世代は子供世代だけに路線継承を働きかけている。現在の「R作戦・SGI路線」を担っているのも、この「ウルトラマン世代」だ。⇒参照「創価学会(SGI)は世界宗教をめざす」>57 >58 >62 >227

 それだけに「ポスト池田」=「ポスト秋谷」は、一気にこの世代への代替わりの可能性もある。この「ウルトラマン世代」と、もう一つ上の“おいしい生活”を享受しつつある「団塊の世代」との間に跡目争いがあり、ドス黒い怨嫉の嵐が吹き荒れるかもしれない。

 未来部あがりの世代は、総じて現在の「創価ルネサンス・SGI路線・仏法人間主義」が正しいと信じている。しかし“金まみれ”の池田創価学会SGIの現実は苦々しく思っている者が多い。
 そうした改革刷新の意識と、宗教貴族の“おいしい生活”に浸ろうとする中堅幹部との間に攻防があるのだ。現在は、宗門という外部の敵が存在しているので、明らかな形ではなかなか現われないだけのこと。

 若き「ウルトラマン世代」は、“池田紅衛兵”にもなりうる。
 本仏意識に根づき絶対権力者たらんとする名誉会長と、機関説(>>124 参照)に基づき現実対応を重視する秋谷人脈との間には、絶えず緊張関係がある。独裁者は、常に「超越した第一人者」でなければ気がすまない。「同輩中の第一人者」であることは許されないだろう。

 名誉会長が、人生の終焉に当たり、最後に再び「超越した第一人者」であることを確認しようとする我欲があれば、“池田紅衛兵”を動かし、秋谷人脈との軋轢を作り出すに違いない。そう“秋谷の首”を取って有終の美を飾りたい、と。そうなれば、学会版「文化大革命」の開幕だ。

135 名前: SGI 投稿日: 2003/06/01(日) 00:42

 しかしながら…
 「ウルトラマン世代」は、名誉会長にしても秋谷会長らにしても、子供世代。実際のところ、学会後継者と目される名誉会長の子息にしても、北条前会長や秋谷会長の子息にしても、その他学会中枢や公明党幹部議員の子息子女は、ことごとく皆学会および外郭団体に就職等している。彼らにとって、本部職員等は“家業”なのだ。

 それに >>116 で記したように、クーデターで学会中枢を支配した青年部池田派の面々は、互いに姻戚関係を結んでおり、現在の学会本部関係者は、広い意味で一族郎党の関係にあり、運命共同体である。だから、造反はそんなに簡単なことではないのだ。所詮、改革といっても改善であり、根本的な変革はありえず、現下の学会の在り様の延長にならざるをえない。

 本部幹部職員同士の姻戚関係作りは、例えば、学生時代や新入職員時代には「革命に女はいらない」との指導がまかり通り、個人的な意思による恋愛は好ましいものではないとの言われ続けていたことでも分かる。配偶者は、名誉会長(本部)が手当てしてくれるのだ。

 名誉会長(本部)の紹介による縁談を受け入れる方が、やはり後々メリットが大きい。名誉会長ら中枢の意向を無視して、自由恋愛で結婚すれば、結局のところ冷遇されてしまう事実を見せつけられれば、ごく普通の感覚として、紹介・推薦の縁談となるのが人情。
 こうして、今の“学会村”=創価王国には、隠然と“宗教貴族”が存する。彼ら特権階級の“おいしい生活”を支えているのが、名誉会長ら学会中枢の情報だけを信じ、幻想を抱き、身も心も財も捧げている一般会員である。

 したがって、名誉会長を頂点とする特権階級の面々が、“家業”として手にしている現在の“おいしい生活”を、つまらぬ内部軋轢で失うようなバカげた真似をするとは思えない。常に外部に敵を作り、内部の怨嫉を発散させている。名誉会長が、瞋恚(しんに)な我執に身を費やさない限り、学会本部内で深刻な抗争は早晩には起きないであろう。

161 名前: SGI 投稿日: 2003/06/04(水) 23:45
 >>123 で記したように
 『戸田城聖全集』等は、名誉会長の綿密な指示と厳重な監督の下で、版を重ねる程に、名誉会長にとって都合の良いものに編纂されていく。
 編纂担当者は、「名誉会長を守ること・名誉会長と呼吸を合わせること」を習いとしており、かつ戸田=池田の“師弟不ニ”を信じている。したがって、名誉会長の指導や講演・講義を判断基準に『戸田全集』をまとめあげている。
 つまり、今日伝えられている戸田先生の指導や思想は、戸田会長の本意・真意と関係なく、すべて“池田大作”というフィルターを通して歪曲・捏造された代物なのだ。

 『戸田城聖全集』には水滸会や華陽会での指導録がない。ご承知のように、水滸会や華陽会は、男女青年部の先鋭を集め、毎月一回戸田先生を囲んでの勉強会・人材育成の場である。小説『人間革命』にも描かれている。
 水滸会は、『水滸伝』を教材にしながら、次代を担う門下生に政治・経済・文化・人生・信心全般にわたり戸田会長が自由自在に語り、ご自身の全てを伝えようと全身全霊・渾身の想いで薫陶を積み重ねた“特別な会合”である。

 実は戸田会長の逝去後、水滸会メンバーは、1年余りをかけて、まるで経典結集のようにして、水滸会での指導をまとめている。ところが、第三代会長に就任したばかりの名誉会長は、この完成した指導録を「私が預かっておく」と取り上げ、いずこに隠してしまったのだ。その後二度と日の目を見ていない。

 この至言宝珠に満ちた貴重な指導録は、戸田先生の思想の全て・エッセンスが語られているちがいない。それが公開されると、名誉会長にとっては不都合なのであろう。戸田先生の指導・教えと、“池田イズム”が相容れないものであることが明らかになってしまう事を恐れたのかもしれない。

 名誉会長が、師匠・戸田先生の想いを裏切り、クーデターで強引に会長の座を奪い、かつ師匠の教えを隠し、“師弟不ニ”の幻想を植えつけながら、さも恩師の言葉を語るが如く自説を開陳し、会員を“池田イズム”に教化していった歴史は、水滸会の指導録隠しに始まる。

167 名前: SGI 投稿日: 2003/06/21(土) 22:37

これまで連々と「池田・秋谷40年」が“師敵対”の歴史であること綴ってきた。
○師弟神話のウソ
 >>79 師弟神話のウソ(まとめ)
○青年部クーデター
 >>106 参謀室長就任  >>107 総務就任  >>108 主要ポスト制圧
 >>110 第三代会長就任  >>111 造反運動
○池田・秋谷時代
 >>117 >>120 秋谷人脈  >>124 >>125 言論出版問題→路線変更
 >>129 >>130 >>130 主導権争い
○ポスト池田
 >>132 後継者問題  >>133 本部の人事  >>134 ウルトラマン世代
 >>135 本部幹部は皆世襲・家業なり
○戸田会長利用
 >>123 『戸田城聖全集』の編纂  >>161 水滸会「指導録」隠し
  
 小説『人間革命』は、学会の歴史を歪曲・捏造し、クーデターで学会中枢を乗っ取った「青年部池田派」の勝者による勝者のために書き換えられたものだ。“師敵対”行為を正当化し、名誉会長と学会の無謬性を植えつけるためのプロパガンダにすぎない。
 会員には「学会の真実の歴史を綴り、師弟の道を学ぶ書」として、教学試験の出題範囲や座談会テーマに取り上げたりして、必読書となり、捏造した歴史が残されていく。この営みは今も続いている。

168 名前: SGI 投稿日: 2003/06/21(土) 22:38
名誉会長ら学会中枢幹部は、師敵対・不知恩の輩である。

 >>107 に記しているように、名誉会長は戸田先生逝去後、トラック2台で戸田先生の自宅に乗りつけ、無理やり戸田先生の遺品を奪っていく。奪っていった数々の遺品は、全て名誉会長の管理下に置かれた。つまり実質的に名誉会長の“もの”になってしまったのだ。
 昭和58年、東京・八王子(創価大学正門前)の東京会館(当時)で開催された「創価学会重宝展」では、戸田先生の遺品の1つである刀が展示された。その説明書きには「池田会長が戸田先生から生前に拝領した刀です」と紹介されていたのである。

 学会は、会員から集めた金で全国各地に墓苑を作り、その上で会員に墓石を売りつけている。実に商売が上手い。戸田会長は「学会は墓地を運営しない。墓のことは、全て宗門にお任せする」と断言していたにもかかわらず、だ。
 で、学会墓苑には、宗門の三師塔になぞらえて、必ず牧口・戸田・池田の三代会長の墓がある。ところが、これは牧口家や戸田家の了解を得ていない。しかも勝手に造っておきながら、両家に墓地代・管理料を請求しているのだ。池田家の分は、誰も請求していないのに、だ。

169 名前: SGI 投稿日: 2003/06/21(土) 22:39
>>168自己レスの続き

 昭和59年4月2日、戸田会長二十七回忌法要が常在寺で営まれている。
 ところが、名誉会長はこの回忌法要に出席していない。名誉会長は、この日富士美術館で開幕した「池田大作写真展」に訪れていることが、翌日の『聖教』に報道されている。

 かつて、国会の行事でやむなき事情により4月2日の儀式に出席できなかった国会議員ら戸田門下生に「万難を排して集まってくるのが弟子の本分である。犬畜生にも劣る忘恩の徒だ」と厳しく叱責した御本人の所業とは、とても思えない。恩師の法要よりも御自分の写真展の方が重要だなんて、とんだ“弟子の道”である。

 常在寺での法要では、戸田会長の奥様やご遺族がすでに着座し法要の開始を待っている後、秋谷会長と共に香峰子夫人が入場し、しかも戸田先生の奥様の上座に着座。恩師の法要で、恩師のご遺族に対して、このような無礼な振る舞いを平然としているのが、学会中枢幹部の姿である。

 さらに実は、この日は、総本山大石寺でも日顕上人猊下の特別な計らいで、戸田会長の二十七回忌の満山供養の法要が奉修されている。なのに、名誉会長は参加していない!。正本堂の隣に建っている富士美術館には訪れているのに、だ。

 所詮、名誉会長の「恩師」「恩師」の言葉は、自らの宣揚・権威保持に利用するものでしかないのだろう。
 会長就任後は、戸田先生の権威を借り、『全集』発刊で戸田会長の指導を書き換え、小説『人間革命』では最高の弟子であることを描き、名誉会長一人“師弟の道”を貫いているが如くの架空の神話で、会内に君臨する。恩師を利用する「忘恩の徒」とは、名誉会長ら学会中枢幹部にほかならない。


171 名前: SGI 投稿日: 2003/06/22(日) 21:57
歴史で“もし”“たら”を論じることは詮なきことですが、
是非との枕詞付きですので、ご一緒に検討してみましょう。

>>120 で書き込んでいるように、私見ですが、
>戸田先生の後継者構想は、石田次男氏を会長に据え、その「石田体制」を支える人材として秋谷会長を考えていたのではないだろうか。
と思います。

信徒団体のトップとして石田氏を据え、事務局を秋谷会長や多田省吾氏らで支え、教学面は小平氏、選挙を含めての渉外関係が名誉会長や藤原行正氏らといった布陣をご構想されていたのではなかろうかと想像します。私も基本的には、それが妥当だと考えます。

しかしながら、
小説『人間革命』には1行も記述がありませんが、昭和33年3月17日総本山理境坊で第1回創価学会最高会議が開催され、席上戸田会長は、辻武寿氏の「次の会長は誰にするのですか」との質問に対して、「それは、お前達で決めるんだ」と答えております。
つまり戸田会長は、ご逝去間際において、明確に後継者指名を拒否されているのです。

さらに、同年同月の大講堂落慶法要の最中、戸田会長は側近幹部に「(学会の)敵は内部だ」と指導されていることを踏まえますと、戸田先生は、ポスト戸田の学会に、すでにある意味で失望していたのかもしれません。

174 名前: SGI 投稿日: 2003/06/24(火) 00:27
 戸田会長の後が「石田体制」だったとして、学会世帯数等が、「池田体制」と比して多いか少ないかなんて判りません。それこそ詮なき想像です。

 ただ、下記の点については、願望を込めて肯定的に想像します。

 1)まず、「石田体制」であれば、今日“池田教”と揶揄されるような、トップを宣揚し個人崇拝の域に達するような歪な独裁体制は生まれなかった。
 ①「池田体制」は無理やり会長の座を奪っているため、政権の正当性をことさらこじつけなければならないこと。
 ②そして、池田会長自身が“特別の人”であることを望み、そのような演出を積み重ねてきた結果として、今日の池田創価学会の在り様があります。
 ③しかし、「石田政権」は正当性を強調する必要性もなく、
 ④戸田先生は個人崇拝や会長宣揚を厳しく諫められていたこと、
 ⑤石田氏も、おそらくそのようなことを望まないだろうと考えるからです。

 2)次に、「学会が主・宗門が従」といった感覚・認識は学会本部内に生まれず、信徒団体の分を超えなかった。
 ①戸田先生は、小樽法論直後の日昇上人猊下ご招待の祝宴でも「学会を潰しても、宗門を潰すな」と言明され、生前中宗門に対して赤誠を尽くしております。
 ②また、会長空白期間、石田氏ら最高幹部には、宗門には法主は必ず存在しなければならないが、学会は単なる信徒の集団に過ぎず、必ずしも会長を必要としない。会長がいればこのうえないが、理事長中心の集団指導体制で、会員各位が自立的に信心を養っていけば充分に推進・運営できるとの認識がありました。
 ③石田氏らは、指導教師(担当僧侶)の派遣を宗門に要請したこともあり、学会組織を法華講組織の近代版と捉えていたと思われ、単独の在家信徒団体として存続したとしても、かなり早い時期に定期的な宗門・学会の連絡会議(僧俗協議会)が設けられただろうと推測できます。

175 名前: SGI 投稿日: 2003/06/24(火) 00:28
 3)今日の“金まみれ”の学会のようにはならなかった。
 ①戸田先生は「学会は貧乏でいけ」と常々語っていたといいます。財務部員にしても、任命には厳しい審査や面接を課しており、「全会員の1割を超えてはならない」と厳命されております。
 ②会員に供養を募る時は、総本山の堂宇建立や寺院寄進など目的を明確にし、絶えず宗門僧侶への供養しかありません。
 ③「折伏大行進」の時でも、学会は「金がかからない宗教」を“売り”にしており、また本部も会員も「金がかからない宗教」であることに誇りを持っていました。
 ④金は金を必要とします。したがって、世俗的な栄誉や名誉・財力よりも信仰者としての矜持を堅く保ち続けている限り、今日のような醜い金権集団には堕さないと信じたいのです。

 4)たぶん衆議院には進出しなかった?
 ①戸田先生は、学会員が政治家になるのは自民党でも社会党でも共産党でも構わない、と発言しております。また、学会組織が取り組む選挙は地方議会と参議院選挙に限るとも。
 ②『三大秘法抄』の解釈、王仏冥合の意義、国立戒壇の決着等々、これらに関する戸田先生の真意が不明であること。というか、宗門(御法主上人)の御指南がイマイチ明確でなく、宗団としての政治に対するスタンスが定まっていないように思われます。
 ③これは、もともと俗なる政治体制や政策―例えば、資本主義か社会主義か、安保や自衛隊の是非、福祉問題、教育政策といった事柄と、成仏や生老病死あるいは化儀化法としての聖なる仏法との関係が充分に整理・教示されていないことに起因しているのかもしれません。
 ④であれば、現実に流され衆議院進出もありえるかもしれませんが、おそらく教団として政治(衆議院・政権抗争)に関わるリスクを恐れ、慎重に期したのだと推測します。

 5)内部抗争・内紛が起こる?
 ①この推測は、「天下を取る」を口癖にしていた名誉会長が、「石田政権」下において“長男・石田、次男・池田”の序列に、やはり我慢できず、実際第三代会長の座を奪ったように、結局学会本部内で権力抗争を引き起こすのだろうと思います。
[この項、続く。今日はここまで]

176 名前: SGI 投稿日: 2003/06/24(火) 21:06
>>175 自己レスの続き

5)内部抗争・内紛が起こる?
 ①これは、「天下を取る」を口癖にしていた名誉会長が、石田体制下において“長男・石田、次男・池田”の序列に、やはり我慢できず、実際第三代会長の座を奪ったように、結局学会本部内で権力抗争を引き起こすのだろうとの推測に基づきます。
 ②つまり、早かれ遅かれいずれ創価学会は、名誉会長らによって牛耳られてしまうということです。それ故に戸田会長は、>>171 に記したように失望感を抱いていたのかもしれません。

 ③名誉会長は“攻め”の得意な人です。組織を鼓舞するオルガナイザーの才能には長けております。しかし基本的には“やりっ放し”で、口先だけの人間です。守勢に回れば滅法弱く、逃げ隠れるのが常です。
 だからこそ、脇を固める人材が必要なのです。最たる忠臣だった北条前会長はじめ秋谷会長ら学会テクノクラートが支えているから、クーデターが成功し、トップとして君臨しているのです。

 ④ですから、石田体制下で名誉会長が非主流と認知されシンパを作れなければ、名誉会長の造反は絶対に成功しません。しかし、脇を固める人材群を得れば、石田体制を覆すことは造作もないことです。
 ここでキーパーソンになるのが、秋谷現会長だと思います。
 秋谷会長が石田体制を支持すれば、名誉会長の野心・思惑の達成は、相当てこずり失敗に終わるかもしれませんが、池田支持に回れば易々成功するでしょう。秋谷氏は、それだけの器量がある人物です。

 ⑤秋谷氏が池田支持に回り、石田体制の転覆を図る時は、おそらく本部内での権力抗争で決着がつき、組織分裂といった事態などは起こらないと確信します。適当な時期にもっともらしい理由で、石田次男会長から池田大作会長への交代がなされるでしょう。そして、現下がそうであるように、師敵対の池田創価学会の営みが始まります。

あれ、5番目は望みたくない推測になってしまった。
池田創価学会の出現は必然なのだろうか。

  • 法介
  • URL
  • 2016/10/14 (Fri) 20:09:32
 
Re: 2003年の投稿記事
177 名前: yuriko 投稿日: 2003/06/29(日) 23:38
SGIさんの博識ぶりには驚かされます。
いろいろと調べてみたんですが、戸田先生は、いかなる時点に於てもポスト戸田体制に石田氏を考えたことはないでしょう?
昭和26年三月?日 広宣流布の模擬式として、青年部の登山がありました。
その時戸田先生の体は、相当衰弱しており、戸田先生は、後事を誰に託すか真剣に考えておられたと思う。
其の時、理事室と青年部参謀室とで、特別委員会が結成された。
そのメンバーの構成をみると石田氏は入っていない。
確かに、戸田先生が会長に就任した後、戸田先生の石田氏への信頼は並々ならぬものがあったのは確かだった。
その信頼が、池田先生に移っていったのも確かなのではないのか?
ただ問題は、その青年部総登山の折り、石田氏の姿はどこに居たのか?彼の書いたものを見ると、彼もその場に居合わせたようにも思える。
池田先生はというと、戸田先生を乗せる車駕を作ったりして、おおはしゃぎだった。
池田先生は、後継に自分が当然指命されるとばかり、たかを括っていた。
それで、その特別委員会(当然池田先生もそのメンバーの一人)が、戸田先生に「後継はどうするんですか?」と直接危聞きに行った時、その席を態と
外していた(池田先生らしい演出)。
全ての委員は、池田先生が後継に指命されるとばかり思い込んでいたという。
ところが、戸田先生の答えは。「それはお前達が話し合って決めるだ」と言った。そして再度「後継は?」と聞かれると同じ答えを繰り返して、横をプいと向いた儘だったという。
これは、明らかに戸田先生の心変わりを示していると思う。
その原因として考えられるのは、やはり池田グループによる僧侶リンチ事件が戸田先生の心但を寒からしめたのが原因だろう。
実際、その事件を聞いた戸田先生は、すぐに猊下の元に使いを走らせ、心からの謝罪
をしている。また、病床を見舞った猊下に対しても。平謝りだったという。
それを考えると、戸田先生は、もし池田体制が発足すれば、遅かれ早かれ、日蓮正宗僧侶への迫害が始まることを危惧していたと思う。
戸田先生には、獄中体験という生死にも拘わる信仰体験がる。
その信仰体験というのは、理屈を抜きにしての、大御本尊への報恩感謝の念を起こさせた。その大御本尊を700年に亘り護持してきた日蓮正宗への報恩感謝もまた当然あったと思う。
戸田先生と池田先生との致命的差というのは、大御本尊への報恩感謝の念がるかどうという一点だと思う。
池田先生には、これといいた信仰体験がないのが、宗教指導者としての適格性を疑わせる理由だと思う。
具体的名称、氏名、場所は、後で書き込む。

178 名前: yuriko 投稿日: 2003/06/30(月) 00:05
最近の人間革命では、いよいよ昭和43年に起きた言論出版妨害事件をあつかっている。
池田先生の健康状態を考えれば、それは、代作者の手によるものだろうが、池田先生の直接の意向を受けてのことであるのも確かだ。
読売新聞などの間で行われた2001正月インタビューでも、池田先生は、言論出版妨害事件の歪曲した評価をしている。
現在、当事者である藤原氏、内藤氏、田中氏はもうこの世にいない。どんな嘘を書いてもいいと思っているのだろう。
ただ悪いことに、妨害側は存命している。
そして、彼等は、皆反逆者に名を列ねている。
羊のように大人しく、従順な会員達を騙すことなどわけないとおもっているのだろうか?
オーウエンの書いた1984のような露骨な歴史の書き換えが、一人の稀にみる宗教独裁者
によって行われようとしている。
藤原氏が危惧していた保守独裁体制が公明党の永久的政権参加によって実現してしまった。
日本の民主主義の行方を危ぶむものなら誰でも人間革命の記述から目を離すべきではない。

180 名前: 続178 投稿日: 2003/06/30(月) 03:33
その特別委員会の面々も当然池田先生が後継に示されるとばかり思っていたようだ。
それは何と言っても、参議院選挙大阪地方区で、世間の予想に反して当選させた実績が大きかった/
池田先生は、東京に於ける折伏の実績もさることながら、大阪での折伏の実績があった。
これに関しては、旧人間革11巻に詳しいので改めて書き込む。
回りの目も池田先生が何かやってくれるような「大物ぶった態度」に過剰な期待をもってしまったと思われる。
そんな特別な位置を占めたいが為に、池田先生は、何としてでも大阪での参議院選挙は勝利したかったに違い無い。
そこで、選挙違反が行われたのもその成り行きに過ぎない。

181 名前: SGI 投稿日: 2003/07/02(水) 00:56
>>177 yurikoさんへ
>SGIさんの博識ぶりには驚かされます。

 いえいえ、たいしたことはございません。ただ多少皆さんよりは、学会や宗門の内実を知りえる立場・境遇・環境にあるのかもしれませんが、これまで体験したことや見聞きしたこと、手許資料などを適当にまとめているだけです。
 しかも基本的には、新聞や雑誌、書籍、ネット情報等、すでに公になっている情報を書き込むよう心がけておりますので、いわゆる“生”情報はほとんどなく、さほど目新しいものはないかと存じます。

 世阿弥だったと思いますが、「離見」という言葉があります。物事の本質をとらえるのに、離れて見る必要があるということです。そこで、可能な限り第三者的に客観情報やデータ、肯定否定の両情報などで「創価学会」を捉えてみたいと考えております。
 私自身の半生のほとんどは学会に属します。それだけに学会の素晴らしさ・長所・好感など肯定すべきところもあると認識しつつも、あえて学会の歪さ・短所・悪感など否定すべき点を浮き彫りにし、正邪・善悪・長短を合わせて総合的に検証することで、私自身の「創価学会」に対する決着をつけたいと思っております。

 それはさておき、yurikoさんの情熱には敬意を表します。
 レスを拝見しておりますと米国在住のようですが、遠くアメリカから(とはいってもネットでは距離は関係ないのですね)、何が真実で、正邪はどれで、本質は何かについて、真摯に考え、ご自分の言葉で何とか学会員の方に伝えようとの試みに勇気づけられます。
 貴方の営みにおいて、いささかでもお役に立つことがあれば、嬉しい限りです。

182 名前: SGI 投稿日: 2003/07/02(水) 00:57
[前レスに引き続いて]
>いろいろと調べてみたんですが、戸田先生は、いかなる時点に於てもポスト戸田体制に石田氏を考えたことはないでしょう?

 いいえ、>>14 および>>120 に書き込んでいるように、
 戸田先生は、一時期「ポスト戸田」の後継者として石田次男氏を考えていたことは間違いないと思われます。

 実際、戸田会長の学会における秘書であった和泉美代秘書部長は、戸田先生のご意向を最も良くする知る立場の方であり、昭和33年3月の総本山理境坊でも不眠不休に近い看病に尽くしており、当然のように戸田先生の言動を真正面から受け止め、第三代会長には石田氏の擁立に動きました。
 結果、池田会長誕生後、和泉秘書部長は名誉会長から陰湿な凄まじい“いじめ”にあい、深刻なノイローゼになってしまうのです。小説「人間革命」では“泉田ため”で登場しますが、もう故人となってしまいました。

>昭和26年三月?日 広宣流布の模擬式として、青年部の登山がありました。
 
 正確には、昭和33年3月16日のことでしょう。
 同年3月1日に大講堂落慶大法要が奉修され、1ヶ月にわたり約20万人の慶祝登山が挙行されております。大講堂は、戸田会長が発願され、学会が寄進した堂宇です。戸田先生の最後の願業でした。

 実は、もともと1日の落慶大法要・祝賀会に岸信介首相が参詣予定だったのですが、所用で都合がつかず16日に変更になったため、急遽青年部6千名の総登山会が企画されたのです。これが、後に“広宣流布の模擬試験”と意義づけられる記念式典の開催経緯です。

183 名前: SGI 投稿日: 2003/07/02(水) 00:58
[前レスの続き]
>其の時、理事室と青年部参謀室とで、特別委員会が結成された。
 そのメンバーの構成をみると石田氏は入っていない。
>その青年部総登山の折り、石田氏の姿はどこに居たのか?

 はて?特別委員会というのがわかりません。
 後事を誰に託すか―つまり後継会長問題に関する会合については、竜年光氏は「最高会議」、石田次男氏は「理事・参謀の合同会議」と、それぞれ著書などで記しております。
私が当事者の一人から聞いた時は「特別の名称はなかった。理事長以下、理事と青年部参謀が戸田先生の枕元に集まっていただけ」と語っていました。

 いずれにせよ、「それ(後継会長)はお前達が話し合って決めるのだ」と戸田先生が語った理境坊での集まりには、名誉会長は居合わせておらず、石田氏は同席しております。
 また16日の大講堂での祝宴でも、戸田先生は、同様の趣旨を含んだことをお話されており、支部長や婦人部長、青年部代表幹部らも聞いているとのことです。
 だからこそ、後に第三代会長誕生の時、理事室の総意として全会一致の決議で推挙をするという手続きを踏んでいるのです。

>その信頼が、池田先生に移っていったのも確かなのではないのか?

 確かに名誉会長を中枢幹部に登用したのですから、それなりの信頼もあったかと思いますが、果たして石田氏から名誉会長に信頼が移っていったということはあったのでしょうか。

 毎年1月に戸田先生を囲む「子供会」という集まりがありました。これは、戸田先生の縁結びで一緒になった青年部幹部同士の夫婦(総勢15~6組)が、戸田先生のご招待で会食するという会合です。
 この会合で戸田先生は、毎年のように「長男はツグオ、次男はダイサク」と繰り返し語られていたとのことです。戸田先生の御構想の中では、若手幹部の序列は、常に石田氏がトップで名誉会長は二番手であることが拝察できます。

 ですので、名誉会長を石田氏に代わって「後継会長に」という想いは、戸田先生の中にはないと思われます。
 しかしながら、名誉会長が青年部参謀室長として、>>106 で記したように、実質的に青年部の運営者(支配者)然となっている状況が、戸田先生の名誉会長への“信頼”であると、一般会員や青年部幹部らには映ったのかもしれません。
[続きは、また後日に]

184 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/03(木) 16:10
最近の聖教新聞では、しつこく「シアトル事件」なるものが実際に存在したかのように創価学会会長に語らせているし、創価学会草創期の最高幹部を口を窮めて批判している。
はたして、創価学会員は、そうした行動が、自分達を自ら貶めていることに気ずかないのだろうか?
また、創価学会の実質的創立者である戸田先生をも貶めていることにもなる。
去年の聖教新聞の随筆人間革命で池田先生は、戸田先生が牢獄に繋がれたことに関して、明らかな嘘の記述をしている。
改めて書き込もうとは思っているが、戸田先生は「戦争に反対して」牢に繋がれたのではなく、「軍部政府に反抗して」牢に繋がれたとはなっているものの、
池田先生自らを語る時は、「もし機会があれば、牢獄に入ってでも戦争に反対していただろう」んどと実に空々しい嘘を書いている。
虚言癖もここまで来ると救いようがない。

8ー14ー2002随筆新人間革命
『青年を愚弄する大人に嫌気がさしていた私は感動した。戦争を賛美しながら、戦後、手のひらを返すように平和主義に豹変した政治家や知識人にも辟易していた。
戸田先生が軍部政府の弾圧を受け、二年間、投獄されていた事実は、私が師事する決定的な理由となった。
私自身、もし再び戦争が起きたら、牢獄に入ってでも抵抗する覚悟の人間でありたかった。いかなる権力の横暴にも屈せぬ勇者として生きたかった』

185 名前: 続yuriko 投稿日: 2003/07/03(木) 16:22
世の俗言に「もしもとお化けは滅多に出ない」というのがある。
池田先生の決意発表もそれに当たるわけで、「もし戦争が起きたら反対する」などということは、誰でも容易く言える。
戦争を行う政府にしても、「戦争を行うしか事態を打開する道はない」と国民をもっともな資料を提示して説得しようとする。
大平洋戦争当時の日本国民の大部分は騙されたというより、それなりに納得して「日本を救わん!」という熱い使命感に燃えて戦争協力したのではなかったか?
戦争絶対悪の思想は、宗教的なものだ。
「たとえ自らがなされるまま蹂躙されても、暴力だけは使いません」という非暴力の精神は、余程強い精神力と信念がなければ為し得るものではない。
そんな高貴な精神力を池田先生が持ち合えている筈もない。
ノーベル平和賞をっ目指す御仁としては、情けない限りだ。
チベット仏教の精神的支柱のダライラマ14世の、非暴力による共産中国政府への抵抗や、同政府の支持によるヤンマー軍事政府から迫害されているヤンサンスーチー女史などへの支持協力もできないで、国際的仏教指導者などとよく言えたものだ。
池田先生が入信?した頃を知っている人々の数々の証言によると
当時勤務していた印刷工場などでの飲み会での池田先生の十八番は、「同期の桜」の斉唱だったという、
また、太作(たいさく)少年(本名)は、少年航空隊に志願しようとしたが、両親の反対で実現しなかった。
こういう人間が戸田先生と出会った当時反戦意識があったとは、どうしても思えないのだが、創価学会員の諸君は如何か?
体は頑丈で、体育は常に甲(最高点)だったという。
特に尻上がりはうまかった。
現在、新人間革命では、池田先生が病身を押して、会長職を全うするという美談が書かれているが、実に眉唾ものだ。
そして最も成績が芳しくなかったのは、図工だったという。後の救いようのない美術作品への悪趣味は、生来のものだったのは興味深い。
(資料まっとつるしま作『天魔の野望』

186 名前: SGI 投稿日: 2003/07/03(木) 23:57
>>183の続き
>>177 >これは、明らかに戸田先生の心変わりを示していると思う。

 というより、>>174->>176 に書き込んだように、戸田先生は昭和33年3月においては、すでに失望していたのではないかと、私は推測します。

>その原因として考えられるのは、やはり池田グループによる僧侶リンチ事件が戸田先生の心但を寒からしめたのが原因だろう。
実際、その事件を聞いた戸田先生は、すぐに猊下の元に使いを走らせ、心からの謝罪をしている。また、病床を見舞った猊下に対しても。平謝りだったという。

 論旨には同意しますが、事件の時系列が誤っているのではないでしょうか。
 日昇上人が、戸田会長の病床を見舞ったのは、3月18日。
 的場正順御尊師に暴行をはたらいたのは、3月29日(または28日:名誉会長ら一派の単独暴挙のためか、資料によって日付が異なる)。
 そして戸田会長が総本山から日大病院に転送されるのは、3月31日の夜更け(4月1日未明)である。明けて、2日午後6時40分過ぎ、逝去。

 よって、僧侶リンチ事件は、戸田先生が「後継会長は話し合いで決めろ」と指名を拒否した後のことです。でも
>戸田先生は、もし池田体制が発足すれば、遅かれ早かれ、日蓮正宗僧侶への迫害が始まることを危惧していたと思う。
 と、ご指摘のように、
 おそらく戸田先生は名誉会長に対して、そのような危惧や不安、そして不信感を抱かれていたのでしょう。

 戸田先生は、昭和27年4月の立宗七百年祭で青年部が引き起こした、いわゆる「狸祭り事件」や、昭和30年の「大阪・蓮華寺事件」などを通して、名誉会長の心の中にある宗門僧侶に対する反感や反抗心に気づかれていたのだと思います。
 このこともあって、名誉会長を後継者に指名することはできない、とお考えになっていたのだと思います。

 「狸祭り事件」も「蓮華寺事件」も「僧侶リンチ事件」も、いずれも小説『人間革命』では、学会や名誉会長にとって都合のように正当性があるかのように事実を歪曲して描かれています。すべて悪者は宗門僧侶になっておりますが、実際の事実はいささか異なるようです。歴史の書き換えといわざるをえません。
 ましてや、「僧侶リンチ事件」の後、名誉会長から報告を受けた戸田会長が「追撃の手をゆるめるな」と遺言したという記述は、捏造のなにものでもないのです。

187 名前: SGI 投稿日: 2003/07/03(木) 23:58
[前レスの続き]
>>180 >そんな特別な位置を占めたいが為に、池田先生は、何としてでも大阪での参議院選挙は勝利したかったに違い無い。
そこで、選挙違反が行われたのもその成り行きに過ぎない。

 でしょうね。
 昭和31年の選挙は当選を勝ち取ったものの、翌年の補欠選挙では落選となり、しかもご本人も選挙違反で逮捕されてしまったのですから、相当ショック・一大事だったのです。そこで失地回復をめざし、第三代会長の座を狙ったのでしょう。

 名誉会長は、「大阪事件」以前から会長就任の野望を抱いていたのでしょうが、事件後その想いを決定的に固めたのだと思います。
 しかも、戸田会長の逝去後、「戸田会長の七回忌後」というコンセンサスを覆すように会長就任を急いだのも、この「大阪事件」の被告だったからなのでしょう。

 「大阪事件」の裁判費用は、全額学会が負担しております。弁護団は、戸田会長の旧友である自民党元代議士を核にした強力弁護団が結成されましたが、弁護団は戸田先生の人脈であり、弁護団自体が名誉会長を厄介視しておりました。末端会員が全員有罪となったように、名誉会長の有罪判決は、まず逃れないであろうというのが大方の予測だったのです。

 そこで、名誉会長が第三代会長に就任しなければ、この強力弁護団は解散または無実化してしまいます。裁判で無罪を勝ち取るには、会長にならなければならないと、名誉会長は考えたのでしょう(裁判費用も個人負担になってしまう)。そして、もし無罪となれば「法難だった」と箔がつく、と。だから、会長就任を急いだのだと思うのです。
 こうして、名誉会長を中心とする青年部池田派のクーデターが遂行された…。

188 名前: yurikoのおば 投稿日: 2003/07/05(土) 15:19
>>186日昇上人が、戸田会長の病床を見舞ったのは、3月18日。
 的場正順御尊師に暴行をはたらいたのは、3月29日(または28日:名誉会長ら一派の単独暴挙のためか、資料によって日付が異なる)。
 そして戸田会長が総本山から日大病院に転送されるのは、3月31日の夜更け(4月1日未明)である。明けて、2日午後6時40分過ぎ、逝去。
ふむふむ、ということは、言いたくはないが、実質的に池田先生は戸田先生を死においやったわけですね。
池田先生にしてみれば、戸田先生が亡くなってしまえばこちらのものと思って居たのではないか?
石田氏が後に、池田先生が言ったそのものの言葉として、
「いい時に死んだよな~?」
というのも説得力が出てくる。
会長職に就任した後も、「これからは、本門の広宣流布の指揮を取らせて頂きます」などの発言も師を愚弄する言葉として説得力が出てくる。
もっとも、旧版の折伏経典などでは、時代錯誤的邪宗攻撃が露骨に語られていて、今読むと眉を顰めざるを得ないことを考えれば、池田先生のお陰で組織の近代化が進み、広宣流布が前進したと言えなくも無い。
池田先生の実力を過小評価するのも間違っているが、もっと問題にしたいのは、果たして、現在の創価学会の姿は果たして戸田先生が本当に望んだものだったのだろうか、という点だ。
確かに、死人に口無しとも言うが、死者へのそれなりの敬意を払うのも必要なのではあるまいか?
創価学会の発展?は、日本経済のバブル的発展と全く歩調を合わせた。
その特徴の一つに「伝統の破壊」というのがある。
それは、大きくは、大平洋戦争に日本が負けた為に、日本の政治経済の民主化が加速度的に進んだのと歩調を合わせている。
新興宗教団体の発展の中で取り分け、創価学会が得をしたのも故なきことではなかった。
創価学会は巧みに伝統の破壊を行って来た。
しかし、表向きには、「創価学会は、新興宗教ではない。何故なら、その教義は、日蓮正宗の伝統教義に則り、根本の本尊を大御本尊にしているからだ」と嘯いてきた。
平成5年くらいまでは、まだ日蓮正宗の伝統教義にこだわる面もあったが、今では半ば公然と日蓮正宗伝統化義の破壊が進行している。
大御本尊ん正統性を否定した挙げ句、池田大曼陀羅が登場したりするのもそんな先の話ではない。

189 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/07(月) 14:39
SGIさんに質問です。
水滸会(すいこかい)記録は、戸田先生の遺言集としてあったそうですが、これを池田先生が「編集するから」として持ち出したまま行方がわからなくなっているそうですが、本当のことでしょうか?
また、留言集という戸田先生の遺言集も池田先生が、一人占めしているそうですが本当でしょうか?
池田先生は、さかんに自分と戸田先生は、一体不二であることを強調して、自分の指導は戸田先生の指導と寸分違わぬことを強調しますが、これは明らかな嘘だと思います。
強調し過ぎる為に却って疑惑を招いてしまうのです。
果たして、内容の善し悪しは別にして、それら戸田先生の遺言集が日の目を見ることがあるのでしょうか?
『「水滸会記録二十六箇条適職置文」』について知っていることがあれば教えていただけないでしょうか?

190 名前: SGI 投稿日: 2003/07/08(火) 23:09
>>189 yuriko さんへ
>本当のことでしょうか? ――と改めて問いかけられても、今さら確かめようがなく、私がこれまでに数人の関係者から聞いた事実として、>>161 に書き込んだ次第です。
水滸会での指導録(ある人は『二十六箇条』と言っておりました)を名誉会長が預かっており、その指導録に基づいて名誉会長の指導展開があるのだから何も問題がないと、その関係者の1人は語っていました。

私は長らく戸田先生の指導=池田先生の指導と思っておりました。小説「人間革命」や学会指導をまともに受け止めていたのです。
しかし、現下の狂った学会の在り様の淵源を求めて、学会の歴史について見直しをしたところ、このスレッドで連々と書き込んできたような“師敵対の歴史”を知りえたのです。そして、戸田先生の指導と名誉会長の指導には根本的な相違があるらしいことも判りました。

ところが、>>123 に記したように『戸田城聖全集』も改ざんされ、指導録も隠され、多くの戸田門下生は口をつぐむ有り様では、戸田先生の本当の指導・信心・教学・信条などの全体像に触れることができません。
>日の目を見ることがあるのでしょうか? ――是非その日が来ることを私も望みます。が、ほぼ実現しないでしょう、「池田批判」でも起こらない限り。誠に残念でなりません。

191 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/09(水) 05:46
やっと、落ち着きました。
意味はいろいろです。
そこで、前々から予告しておりましたように、再び人間革命批判を始めたいと思います。
ただ私の知識は、SGIさんのものと比べると微々たるもので、またSGIさんに補って頂きたく思います。
私は、このスレッドで人間革命批判と名ずけましたが、私は何も事実無根の批判をしたいのではありません。
ただ小説人間革命には、明らかな事実歪曲があるのではないか?
もし、そうなら一般会員にとって全くフェアーじゃないし、未来の世代へも申し訳ないのではないか?と思ったのです。
真実を知った上で、自分達の思うところを主張して欲しいと思っただけです。
>>187
>昭和31年の選挙は当選を勝ち取ったものの、翌年の補欠選挙では落選となり、しかもご本人も選挙違反で逮捕されてしまった
...私は、主に人間革命第11巻を取り上げたいのですが、先日同巻を読んだのですが、選挙違反者が出たことや山本伸一が逮捕拘留されたことは書かれていましたが、落選したことは書かれていなかったように思われるのですが、もう一度確認してみます。
いずれにしても、同11巻では、あたかも山本伸一が当事者であったのに拘わらず、反省の弁が全くないばかりか、被害者を装っていたのには、気分が悪くなってきました。
これは、言論出版妨害事件へも引き継がれるわけで、
その時の弁
「自分達はそのつもりはなかったのだが、こちらの熱心さのあまり言論妨害と受け取られかねない行動に走ったことに対して謝罪する」というのと全く同じ論法で、
「自分達は選挙違反などするつもりはなかったのだが、こちらの熱心さのあまり、一部のものの行為が選挙違反と受け取られかねない行動をしてしまったことは残念だ」ともなるのでしょうか?
なにより、私が許せないのは、池田参謀室長がその職の重要さを鑑みることなく、検事の追求に震え上がって、「ペラペラ」と自供したことです。
具体的引用は後にしますが、その言い訳というのが「戸田先生を守る為」というのだから、毎度のことながら師の利用には呆れます。
池田先生は、法廷闘争で真実を詳らかにすると嘯いていたようですが、事によると戸田先生逮捕拘留という事態もあっただけに許せない気持ちがします。
実際の結果はというと、検挙された者達の大部分は有罪となりました。公民権停止や執行猶予つきの罰金刑の比較的重いものでした。
容易く自白してしまった池田参謀室長も本来なら有罪は確実だったのですが、どういう訳か無罪になってしまいます。
これは長い目で見るとき、創価学会の正常な発展にも不幸だったし、広くは日本否世界の不幸だったんじゃないでしょうか?
池田先生によると、戸田先生は池田先生が検事の取り調べに大阪に向かうというんで、送る時に
「お前が倒れたら、俺もその上に倒れて一緒に死のう」と言ったそうですが、池田先生の性格から言って、これも作り話でしょう。
石田次男氏は、池田室長が無罪を勝ち得たことに関して、面白い裏話を明らかにしておりますが、これも後に書き込みます。
石田氏によれば、要するに戸田先生の人脈を通して、検事に圧力が加えられ、取り調べが深夜にまで及ぶ違法性の強いものであったことが証明され、自白が証拠として採用されなかった為と記憶しております。
なんとも、呆れた実態ではありませんか?
不幸なことに、池田先生は、法律=司法権力を見方につければ、白を黒とし、黒を白とできることを身を持って学んでしまったのでした。
創価学会が抱える、法律家軍団は、正に創価学会の謀略の手先として活躍してきたわけです。
山崎正友氏らが果たしてきた役割は決して小さくはなかったでしょう。
しかし、山崎正友氏等は、自らの犯罪行為を公開してまで、創価学会と心中するつもりはないでしょう。
私が望みたいのは、米国で「内部告発者保護法」が成立したように、日本でもそんな法律が成立して内部告発を促すだけではなく、過去に遡っても、内部告発者の社会的地位を保護するような法律が制定して欲しいのです。

192 名前: 訂正191 投稿日: 2003/07/09(水) 05:57
不幸なことに、池田先生は、法律=司法権力を見方につければ、白を黒とし、黒を白とできる

不幸なことに、池田先生は、法律=司法権力を味方につければ、白を黒とし、黒を白とできる

193 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/09(水) 09:00
>>191参考資料
http://www.forum21.jp/contents/contents7-1.html

194 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/10(木) 07:17
>>90 SGI さんへ
>>82 yuriko さんへ
1)森田理事長の件
 森田理事長は、中央大学の夜間です。
2)法華経研究会の件

ちょっと前のレスですが、ちょっと私は、勘違いしていました。
創価学会理事長森田一哉氏ともう一人の責任役員の森田康夫氏をごっちゃにしていました。
>>72人間革命12巻に登場する森川青年は、森田康夫でしょうか?
森田康夫は、東大の応用化学科の研究室にいた関係で、青木享、渡辺一郎(発足メンバー)、篠原誠(発足メンバー)と共に計七人で法華経研究会が、発展した形で、戸田会長を囲んで法華経講義が行われた。
他のメンバーには、岡安博司、三宅健夫(東京外大)、八矢英世、小林宏(後期)、などが居る。
開講時五人から四十四人に登り、大部分は、東大生ではなかった(五人だけ)   私がわかったのはここまでです。
この東大法華経研究会は、後の渋谷学生部長を中心とする学生部にはってんする。
この東大法華経研究会には、池田先生もよく参加していたらしい。
学歴コンプレックスの強い池田先生が東大の学生達に混じって何を思ったのか定かではない。

195 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/10(木) 07:26
>>194参考資料「広布の走者」学生部史委員会編、創価学会学生部史1974年初版

196 名前: SGI 投稿日: 2003/07/11(金) 23:48
>>194 yuriko さんへ。
>「人間革命」12巻に登場する森川青年は、森田康夫でしょうか?
――いいえ、森川一正は森田一哉・現理事長です。
 だいたい実際にありもしなかった“エレベーター相承”の立会人として描かれていますし、青年部参謀室の設置を描く第8巻「推進」の章では参謀として登場しておりますので、まず間違いなく森田理事長をモデルにしていると断定してもいいのではないでしょうか。

 東大生については、同第8巻「学徒」の章で紹介されています。
 記述から推測しますと、森田康夫=森永安志、青木享=青田進、渡辺一郎=渡吾郎、篠原誠=藤原明となろうかと思います。
 池田会長時代になると、東大法華経研究会は『日蓮正宗創価学会』を刊行し、彼らおよび彼らの後輩たち学生部の精鋭が教学部や特別書記局に就き、学会の理論構築を担い、やがて名誉会長の要人・識者との会談・対談につながっていくのです。

197 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/12(土) 00:37
>>120
>「池田政権」誕生と共に、秋谷会長は、戸田先生からいただいた「城永」の名を捨て、再び「栄之助」に戻り、「池田政権」の中で確固たる地位を築いていった。
池田先生は、よく反逆者を揶揄して、「反逆者達」を「忘恩は人間として最大の恥であり、罪である」と言う。
そうすると、戸田先生から頂戴した名前を捨て去った現秋谷会長がそれに当たるといえる。
SGIさんに質問なのですが、
>>120
>そして、次代の学会を担う青年部の中から、これぞと思う人材に対しては、水滸会や華陽会の薫陶とは別に個人教授での訓練を実施する。彼らには、ご自分の名:城聖の「城」を与えており、期待の大きさが分かる。秋谷現会長もその1人だ
...そこで質問なのですが、戸田先生から城の字を頂いた幹部は、秋谷会長以外にどんな人が居るのでしょうか?

198 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/12(土) 08:54
>>15でSGIさんが触れられている大阪事件について述べる。
この事件とは、昭和32年参議院補欠選挙を巡っての創価学会の選挙違反事件のことである。
外部の人は、自分で詳細は、調べて欲しい。
小説人間革命では、第11巻で取り扱っている。
昭和32年7月は、山本伸一=池田大作は、炭労事件の処理の為、北海道夕張にいた。
池田先生は、これを不当な権力による弾圧であることを印象ずける為、屡、「国家権力」「弾圧」「大阪府警の黒い糸」などの表現を使い、 この事件を創価学会に向けられた宗教弾圧である事を印象ずけている。
私が問題にしたいのは、同小説で、山本は無実であったのに、他の被疑者の検察と共謀した偽の供述によって、罪が捏ち上げられたことが強調させられている。
それだけではない。担当した弁護士までも
「...戸田会長が逮捕されるとなれば、これはおおごとだよ。検事も、君の出方次第では。穏便にすめせてもよいといっている。...]
など無実の被疑者に全く不自然な嘘の自白を勧めている。
また、後に無慈悲にも除名してしまう他の拘留者に対しても、「...非道な取り調べを受けた報告を聞き、胸を痛めてきた。そんな指示など、もとよりしたことはないが、違反者を出したことに道義的な責任を強く感じていた。...自分こそ最も苦しむべきではないか。...罪を一身に被るべきではないかと思えてきた。」
などと自己正当化に励む。その上で、(迷惑をかけた)他の被疑者に対しても、思い遣っている。全く、作者の精神構造を疑わせるような偽善に満ちた表現だ。
そして、山本は、
「...それで逮捕されたら、先生のお体はーー。あってはならない。絶対み逮捕させてはならない」
と悲壮な決意をする。
しかし、ここでちょっと考えて欲しい。
現在選挙違反の首謀者と目される男が逮捕拘留されて、検事の追求に会っている。本人は無実を主張 している。
そんな男に
1接見した弁護士が嘘の自白を奨めるだろうか
2山本が容疑を否認し続けたとしたら、戸田先生にまで警察の追求の手が伸びるのはあり得ないのではないか?
3昭和35年に理事長小西(小泉)は、無罪判決を受けた。これは、小西が一貫して無実を主張し続けたのが認められたからだ。一方、山本の裁判がさらに2年も延びたのは、山本が自白したからに他ならない。 ということは、山本が容易に自白しなければならなかった理由などなかった。
したがって、山本の決意
「...学会の正義だけは、なんとしても証明しなくてはならない。そのために...裁判にいっさいを賭けようとしていた。伸一は罪を一身に背負う覚悟はできていたが、学会の正義を証明するためには、無実を明らかにしなければならないことを痛感していたのである。」
などと身勝手としか言い様のない屁理屈で自己正当化を図る。
この学会を守るという自己正当化の論理は、池田先生のその後を貫く哲学となっていく。
その哲学とは、創価学会=自分自身とした上で、それを守る為には、どんな反社会的嘘、謀略も正当化されるというものだ。
大阪事件こそ池田先生の原点といえる。

199 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/12(土) 09:09

却って危ぶまれるのは、選挙違反首謀者の自供を重くみた検察当局は、事態の重要さに鑑みて、一気に創価学会に対する追求の手を伸ばすことだ。
そうなれば、創価学会会長逮捕ともなり、創価学会は実質的崩壊の危機に直面したかも知れない。
結局はそうならなかったのだが、長い目で見る時、この検察当局の手緩さが、日本の政治に取りかえしのつかぬ災厄を齎(もたら)したとも言える。

200 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/12(土) 15:02
>>186に関してです。
私の手許に龍年光著「池田創価学会を解散させよ」(1991年発行)がある。
氏は、今年83才益々頑張って頂きたい。
同書には、氏の誠実な人柄が伺われて、創価学会の真実が語られている印象を受けた。
同書には、池田先生の入信神話の真実、戸田先生の昭和33年3月の様子、的場尊師へのリンチ事件等が語られていて興味深い。
まず、龍氏の略歴から見てみたい。
昭和21年日蓮正宗入信26才 青年部結成時 第4部隊長 後に参謀 政治部長、壮年部長、統監部長、理事、総務、教学部師範、昭和30年から昭和60年まで品川区議、都議、党都議会幹事長、都議会副議長などを務めている。
故北条会長や森田理事長とは、極めて親しい間柄にある。草創からの最高幹部と言っていいだろう。
もっとも、池田先生が会長に就任する際ただ一人、異を唱えた為、池田先生に終生怨まれることになり、党や学会での出世は著しく遅れることになっった。
この書で語られていて、同スレッドで話題になった戸田先生の後継に関する遺言
2的場師リンチ事件について述べる

201 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/12(土) 15:58
1戸田先生の後継に関する遺言について
まず池田先生の主張するエレベーター相承について。
私は、新人間革命は殆どよんでいない。したがって、具体的にエレベーター相承が語られている巻があるのかどうか定かではない。
私が注目したいのは、龍氏が目撃した次の場面だ。
『....三月一日の「大講堂落慶大法要」...池田はどこかにいなくなっていた。戸田先生が「池田を探して来い!」と命じられ、ジリジリしながら待っていると、池田はエレベーターの所に現れた。それを見つけた戸田先生が、大声を張り上げ、「何故、大事な時に俺の傍にいない!俺とお前しかいないんだぞ。それなのに、お前はどうしていないんだっ!」と、池田を怒鳴り付けた。池田は、恐縮するでもなく、「いえ、私のような者はこんな晴れがましい場に出るより、外で案内係をsジている方が相応しいので」と謙遜ぶった言い訳をしていた。」
これが、エレベーター相承の真実だが、私が注目したいのは、次の戸田先生の言葉「俺とお前しかいないんだぞ」だ。
池田先生が戸田先生に常にくっ付いていた事を考え合わせれば、この言葉は、戸田先生の後継としての御墨付きと取れなくも亡い。
また、「この儀式の後、先生の体がいよいよ衰弱された為、理事達と四参謀が揃って戸田先生の枕元に行き、遺言を聞こうということになった。...この際ハッキリ池田を三代会長に指命してもらおうというハラずもりだったようだ。,,,ところが先生は、はっきりした声で、「それは、お前達が決めるんだ」と答えられた。」
この手記は、所謂」反逆者の手によるものなので、ある意味で一層説得力がある。
これによると、やはり戸田先生の池田先生へ信頼は群を抜いて居たように思われるし、回りの最高幹部達も次は、池田会長での暗黙の諒解があったようだ。
しかし、戸田先生は、池田後継指命を拒否された。
これは、既に述べたように戸田先生は、池田先生の中にある「何か」に一抹の危惧を感じられたからだと思う。
その危惧とじゃ、池田先生の露骨な日蓮正宗の僧侶達への明から様な反抗心だったのは明らかだと思う。
そして実際に、池田先生は、自ら師の不安を適中させる。
的場師への暴行は次の機会に述べる。

202 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/12(土) 23:00
2 的場師リンチ事件
被害者的場正順師は、妙信講裁判の際、創価学会が総本山大石寺に加えた圧力の実態を証拠資料として提出している。
事件が起きた3月28日、戸田先生は既に重体に陥っていた。
池田先生は、16日の式典の後、営業で北条、森田と帰京。ところが、27日突然、北条、森田と共に総本山に戻る。
これは、青年部と的場師の感情的対立を利用して尊師を吊るし上げようとしてのことだった。
青年部幹部が本山所化 小僧さんを使い走りに使っていたのを抗議された。
また、本山では乗物が禁止されていたのに拘わらず、戸田先生が豪華な輿(みこし)に乗って山内を練り歩いた。
これにも抗議された。これに逆上したのが池田先生だった。
的場師へ行ったリンチというのは、尊師を裸にして青年部に担ぎ上げさせ、冷たい川の水の中(3月下旬)に何度も頭を押し込めたというもの。
どう考えても異様で、池田先生の逆恨みとしか言い様がない。
何が「人権」「平和」だ!
ここで池田先生は、戸田先生に報告に行くのだが、そうすると戸田先生は「追撃の手を緩めるな、といわれた」と皆に報告する。
ここで、SGIさんの>>186の時系列に付け加えたい。
確かに、3月18日に日昇上人が戸田先生を見舞っている。
ところが例のリンチ事件から3日後、理境坊に日淳上人も戸田先生を見舞っている。
同席していた小泉理事長によると、戸田先生は上人に対して、何度も何度も「申し訳ありません、申し訳ありません」と謝っていたという。
そして、二日後、4月2日に逝去する。
かように池田先生の行った悪行は、師を苦しめ、死に追いやったのである。
まさに鬼畜の行為と言える。
また、当然「追撃の手を緩めるな云々」は捏造だったのは確実だ。

203 名前: 訂正198 投稿日: 2003/07/13(日) 14:33
方、山本の裁判がさらに2年も延びたのは、山本が自白したからに他ならない。 ということは、山本が容易に自白しなければならなかった理由などなかった。
訂正↓
方、山本の裁判がさらに4年も延びたのは、山本が自白したからに他ならない。 ということは、山本が容易に自白しなければならなかった理由などなかった。

204 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/13(日) 22:19
>>186日昇上人が、戸田会長の病床を見舞ったのは、3月18日。
...細かい点ですが、これは、何処から取った資料でしょうか?
人間革命は、嘘の歴史で塗り固められているとはいえ、細かい歴史事実はだいたい正確なのではありませんか?
池田先生は、それを巧みに利用して、人間革命が恰も正史であることを装っているんじゃないでしょうか?
日昇上人は、人間革命第12巻で、昭和32年10月14日午前2時20分息を引き取っていますが?
日昇上人は、昭和31年に退座しています。
やはり、昭和33年3月、戸田先生の病床を訪れたのは、日淳上人だと思うんですが、如何でしょうか?

205 名前: SGI 投稿日: 2003/07/13(日) 23:25
>>197
>戸田先生から城の字を頂いた幹部は、秋谷会長以外にどんな人が居るのでしょうか?
―― yurikoさんが>>194で紹介している渡辺一郎氏も、その1人です。「城克」を名乗っておりました。

>>204
ご指摘のとおり、日淳上人です。私の勘違い、タイプミスです。ごめんなさい。
だから >Sちゃんの労作、半分は正しいが半分は想像・妄想です。
――ってレスされてしまうのでしょうね。
資料は、石田次男著『内外一致の妙法』。こちらも、日淳上人でした。


 ところで、
 学会本部内では以前より戸田会長時代の事を語ることが憚れる雰囲気があります。故・北条会長も秋谷会長も語りませんし、和泉・辻・柏原らの長老連中も公式会合では必要以上の話をしません。戸田先生の事は名誉会長しか語ってはならない、という暗黙のルールがあるようです。
 
 名誉会長以外の人が語る時は、戸田先生と名誉会長の“捏造・脚色された”師弟関係に限られており、エピソードにしても名誉会長が語った内容を必ず踏襲します。余計な事を言うのはタブーなのです。だから、小説「人間革命」に描かれる以外の戸田先生の振る舞いや言動、指導といったものが、今の学会組織には伝わっておりません。

 私の身内や知り合いにおいても同様です。戸田会長時代の事を聞いても、すでに50年ほど前の事で記憶が曖昧になっておりますし、「人間革命」等で伝えられる事を自らも長年語り続けてきたので、どれが事実で何が虚実なのか判別できなくなってきました。
 ああ、こうして“歴史”は、書き換えられ残されていくのだなと、つくづく思いますよ。

206 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/13(日) 23:38
小説人間革命12巻375p
「先生...」
伸一は心の中で叫んだ。彼の脳裏に、大講堂落慶法要の日、エレベーターのなかで戸田が語った言葉が、まざまざと蘇った。
「さあ、これで、私の仕事は、終わった。...伸一、あとはお前だ。頼むぞ!」
...これが、有名なエレベーター相承なのだが、要するに、いつものパターンで戸田先生と池田先生二人っきりの対話で、これが真実とも嘘ともいえない。
ただ、人間革命が真実の歴史を語ろうとしているのか、池田先生の妄想を意図的に語ろうとしているyのか定かではない。
時代背景の説明にしても、やたらに詳しく書き記して、人間革命の話の流れに説得力を持たせようとしている。
それでも首を傾げる記述も少なく無い。
昭和33年青年部総登山 3月16日に広宣流布模擬試験の儀式と称して、総理大臣を招いた。
抑、何故一国の首相が総本山を訪れることが広宣流布の儀式、予行演習になるのか、さっぱりわからない。
恐らく、これは日蓮大聖人が行った3度に亘る国家諌行に準えてのことだろう。
日本仏教の伝統である国家安泰を願う為の国家仏教の伝統を踏まえてのことだろうが、民衆仏教を唱える創価学会にしては、ちぐはぐな感じがする。
結局の所、その体制迎合主義は、創価学会の伝統となる。
俗に言う、「ブタも煽(おだ)てれば木に登る」を実践しているだけだ。「偉い人に誉められれば、それでよし」というエスタブリッシュメント志向だ。
ついでに言うと、
何故昭和33年当時の首相は、明らかに岸信介であるのに拘わらず、作者は態々、首相の名前を峰直介としたのだろうか?
何か姑息な感じだ。

207 名前: 訂正206 投稿日: 2003/07/14(月) 08:59
恐らく、これは日蓮大聖人が行った3度に亘る国家諌行に準えてのことだろう。→国家諌暁(こっかかんぎょう)

208 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/14(月) 16:19
>>190『戸田城聖全集』も改ざんされ、指導録も隠され、多くの戸田門下生は口をつぐむ有り様では、戸田先生の本当の指導・信心・教学・信条などの全体像に触れることができません。
...今の創価学会員は、それなりに現在の創価学会に対して満足していると思う。
逆にいえば、過去の創価学会のあり方は、その時代を反映していたとはいえ、時代錯誤的であり、非常識、反社会的だったと思っていると思う。
たとえ、創価学会の実質的創立者が戸田先生であったとしても、それは、あくまで過去の存在という割り切った見方をしているものが大部分なのではないか?
こういう仮定は不謹慎かもしれないが、もし石田次男氏が第三代会長に就任していたら、どうなっていただろうか?
恐らく、戸田時代の余勢をかって、公称300万世帯までは行っただろう。
組織は、教学が強調され、そこには、まだ時代錯誤的宗門教学が巾を利かせていただろう。
海外への進出はあっただろうが、そんなに大々的ではなかっただろう。
また、遅かれ早かれ、池田先生一派は、クーデターを起こし、会の実権を握ったに違い無い。しかし、そうなると石田派も黙っているとは考えにくく、創価学会は分裂していただろう。
これは、決して絵空事ではなく、当時の新興宗教団体が皆経験してきたことだ。
公明党に関して言うなら、衆議院には進出せず、宗教政党としての分を守り、決して権力志向とはなっていなかっただろう。
かように創価学会は、宗教団体らしく発展したのではないか?
結局、バカなくせに粋がった池田先生の妄想が行きついた先が、池田流総体革命であり、天下取り構想だった。

211 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/15(火) 02:33
>>168SBIさん
>学会墓苑には、宗門の三師塔になぞらえて、必ず牧口・戸田・池田の三代会長の墓がある。ところが、これは牧口家や戸田家の了解を得ていない。しかも勝手に造っておきながら、両家に墓地代・管理料を請求しているのだ。池田家の分は、誰も請求していないのに、だ。
...これは、ちょっと聞き捨てなりませんね。
ずっと、このスレッドでは、創価学会の池田先生を中心とする歴史の塗り替えや歪曲について書き込みをしている。
そこには、露骨な池田先生の自己宣揚が動機となっている。
心理学の定説として、人間を最も強く動機ずけるものとして、性欲と並んで、「重要人物になりたい」というのがあるそうだ。
新聞を屡賑わす青少年の一見動機不明の事件は、この「注目を集めたい」というのがあるそうだ。
(17才少年によるバスジャック事件)
そうすると、池田先生の病的自己宣揚も戸田哲学によって、「欲望を抱くことは良い事」で、勇気ずけられた結果としての肥大化した現象といえる。
本当に、人徳が勝れた人間は、自ずと謙虚になり、自分より他人を誉め称えようとするものだ。
池田先生は、それをも演出しようとする。
日本のライ病看護の歴史や精神心理学に多大な貢献をした神谷美恵子先生などこそが、「先生」と呼ばれるのに最も相応しいのに拘わらず、本人は酷く嫌がっていた。
(因みに彼女は、「第三文明」か何かに文章を書いたと、彼女自身記している。興味ある)
彼女こそ、「いぶし銀」のような勝れた人格者と言える。
しかし、彼女の名のついた建物等は皆無に等しい。彼女もそれが望みだろう。
また、現在ウイーンフルハーモニー交響楽壇の主席常任指揮者という名誉ある地位を占めている小沢セイジ氏は、長年務めたボストン交響楽団を去るに当たって、「是非小沢記念館を建立したい」との申し出を頑に拒否し続けた。
いわく、「そういう記念館は、普通死んでから建てるもので、まだ健在な内は、気恥ずかしい」というものだった。
結局、記念館は建設されたのだが、この言葉を煎じて薬にして、池田先生に飲ませてやりたいものだ。
まして、過去の偉大な人物と並んで自分の墓を建てるなどということは、とてもではないが、正常とは、思えぬ。
恐らく、池田先生死後は、「池田廟」なるものを建設して、遺体を冷凍保存にした挙げ句、拝観料をせしめる予定なのだろうが、創価学会員は「ノー」と言える勇気を持ってほしい。

214 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/15(火) 19:28
>>10
名誉会長の入信?は、昭和22年19才
石田次男氏の入信は、昭和25年22才

御書全集発刊時)昭和27年)
名誉会長の教学資格は助師(入門レベル)(24才)
次男氏の教学資格は教授(27才)

男子部結成時の役職
名誉会長の役職は龍部隊の班長(24才)
次男氏名の役職は栄光の第一部隊長(27才)

これら資料が意味する所を考えてみたい。
次男氏の出身校は、芝浦工専(後工業大学)
名前は、忘れたが学長は、結構有名な人物だ。
東大などの一流大学とは言えないまでも、中堅校といえる。

一方、名誉会長は、どんな言い訳(営業部長として借金の取り立てが忙しい)をしようにも、5年創価学会に在籍して居乍ら、やっと入門レベルの教学資格しか得ていないというのでは、その「オツム」の出来具合が疑われる。

これらデーターが裏ずけるのは、やはり「ちょっとオツムの弱い」名誉会長が頭がよく、戸田先生に可愛がられて居た次男氏に対して、嫉妬心を抱いていたと見るのが正しい見方だと思う。
「遅く来たのに追い抜かれた」池田先生は、口惜しかったに違い無い。それで、戸田先生死後は次男氏を冷遇して、虐めたのだろう。
何か、みっともない。

216 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/16(水) 03:49
>>205
>名誉会長以外の人が語る時は、戸田先生と名誉会長の“捏造・脚色された”師弟関係に限られており、エピソードにしても名誉会長が語った内容を必ず踏襲します。余計な事を言うのはタブーなのです。だから、小説「人間革命」に描かれる以外の戸田先生の振る舞いや言動、指導といったものが、今の学会組織には伝わっておりません。
...これは問題でしょうね。
やはり、今できることは、
水滸会での指導録『二十六箇条』を速やかに公開させることだと思います。
恐らく、公開に当たっては、相当な部分が改竄されたり、伏せ字が施されるでしょうが、戸田先生の生の指導を知る最後の機会だと思います。
もしかしたら、そこには、とんでもないことが書かれているかも知れません。
それは何とも言えません。
また、案外、池田先生は、そこから、そのまま借用している部分が多いのかも知れません。
何れにしても、戸田先生が実質的、創価学会創立者であるからには、その
「二十六箇条」は、創価学会全体の財産として、皆が共有すべきものだと思います。
創価学会では、「日顕上人退座要求書名運動」なる下らないことをやっていましたが、この戸田先生遺言「二十六箇条」の公開署名運動をすることの方が余程重要だと思うんですが、皆さん如何でしょう?

217 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/16(水) 05:08
これは、既にSGIさんが指摘していることですが、
>>177
訂正昭和26年三月?日 広宣流布の模擬式として、青年部の登山がありました。

昭和33年三月十六日 広宣流布の模擬式として、青年部の登山がありました。

218 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/16(水) 07:18
>>208
>結局、バカなくせに粋がった池田先生の妄想が行きついた先が、池田流総体革命であり、天下取り構想だった。
...これは、ちょっと言い過ぎでした。
訂正

結局、実力不相応に責任を任された池田先生の思考が行きついた先が、池田流総体革命であり、天下取り構想だった。

220 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/16(水) 08:47
>>198
大阪事件で、池田先生は、二週間取り調べの為、拘留された。
人は、これを入獄したわけでもないのに、大袈裟に表現したという。
それもそうかも知れない。
でも、取り調べの為とはいえ、ともかく鉄格子が入っている部屋に入れられたのは、確かだ。
もし、これが不当拘留というのなら「権力による迫害」といえなくもない。
日蓮大聖人は、竜の口法難を逃れたものの、「門下による火付け騒ぎ」の容疑故に佐渡へ島流しになる。
その時、大聖人の弟子達も拘留される。
日朗もその一人だった。
日朗は、土牢に入れられて取り調べを受けるのだが、大聖人は、お手紙(土牢御書)を送って、激励している。
そこには、土牢に入れられたことに対して、正法護持の為の迫害と捉え、「あなたは、口や目でで法華経を読んだだけではなく、身と行動を持って読んだのです。それは、あなたが、法華経の行者であることの何よりの証拠です」と書きました。
この文脈からすれば、池田先生の二週間のブタ箱入りも、迫害と言えなく無い。
でも、たった二週間なのである。
池田先生は、あのノ-ベル平和賞を授賞した南アフリカ元大統領、反アパルトヘイト運動の勇者、マンデラ大統領と会談の機会を持ったことがある。
大統領の政治思想には、あまりに暴力的共産思想が投影されていた為、世界から必ずしも肯定的評価は受けていなかった。
しかし、それでも長年、人種差別と闘ってきた姿は、20世紀を代表する勇者とみなされる。
何と言っても、何と27年間も獄に繋がれていたのだ。
普通なら、発狂するか廃人になっていただろう。その苦難を堪え
  • 法介
  • URL
  • 2016/10/14 (Fri) 20:39:49
 
Re: 2003年の投稿記事
251 名前: SGI 投稿日: 2003/07/23(水) 23:18
小説「人間革命」(法悟空著)の連載が始まったのは、昭和40年1月1日。池田政権の完全なる指導権・絶対権力が確立された時期である。翌年には、会長任期を終身とする会則改定まで行っている。⇒ >>112 参照
 “池田先生”の神格化は、この時点から急速に進められていく。小説「人間革命」は、それに理論的根拠を与えるものとして書かれ、活用され続けているのである。

 「人間革命」第1巻の発刊は、昭和40年10月。直後の『大白蓮華』(同年11月号)に、北条浩理事長、和泉覚副理事長(いずれも当時)ら最高幹部7名による座談会が掲載されている。
 座談会で最高幹部らは、「戸田先生についての小説を執筆される資格は、池田先生だけがお持ち」とか「信心のことは、池田先生のもとに直結する以外にありません」とか「先生のみが如実知見していられた」「池田先生は、戸田先生の思想を正しく後世に伝え、広宣流布のため、出現になられた」方なのだ――等々と力説している。
 もうほとんど「池田本仏論」の展開になっている、との印象を抱くのは私だけだろうか。

 この『大白』の座談会でも語られているように、また>>123 のエピソードが示すように、「戸田門下生」は名誉会長ただ一人で、他の幹部連中は皆競って「池田門下生」として指導を仰ぐという関係が築かれていったのだ。

 戸田会長時代、会内では、戸田先生のことを「会長先生」と呼称し、他の最高幹部らに対しても“先生づけ”をしていた。例えば「小泉先生」とか「神尾先生」とか「小平先生」等々。もともと学会は教師の集まりからスタートした団体なので、互いの“先生呼び”はさほど抵抗なく習慣化されており、教えを乞う幹部には、例えば「小泉理事長」「小平教学部長」といった“役職づけ”よりも“先生づけ”が自然だったのである。

 ところが、名誉会長が第三代会長に就任すると一変した。
 池田会長以外の幹部を“先生呼び”することが禁じられ、会内で「先生」といえば池田会長ただ一人を指すことになったのだ(「会長先生」との呼称も徐々に消えていった)。
 名誉会長は、戸田先生の権威を借り、「戸田門下生」の後継者であると捏造し、会内で唯一の指導者として振る舞い、他の戸田門下生は、「池田門下生」として池田会長を盛り立てるようになり「戸田門下生」を捨て亡恩の徒に成り果てたのである。

252 名前: SGI 投稿日: 2003/07/23(水) 23:28
 小説『人間革命』は、昭和40年1月1日から連載を開始し、断続的ながら13年7ヶ月余りの長期にわたり執筆され、昭和53年8月3日10巻終了で一旦中断されている。
 そう、「五十二年路線」問題に関連して、『人間革命』に描かれる「師弟不二論――師への帰命論」が、宗門から謗法との指摘を受けて連載できなくなったのである〔翌年4月には会長勇退に追い込まれた〕。
 その後、名誉会長が復権すると、再び昭和55年8月10日から第11巻として連載を再開。しかし同年11月20日三章分を掲載したところで、突然2度目の長い中断となり、以後10年余り『人間革命』の連載はなかったのである。その間、スピーチが不動の“実践指導原理書”となった。

 それが、平成2年末、宗門vs学会抗争が起こり、学会が明らかに独立路線を歩み出すと同時に『人間革命』の連載が始まったのである。平成3年5月3日11巻の途中から始まり、平成5年2月11日第12巻の完結で、小説『人間革命』の連載が終了した。
 この平成に入ってからの連載は、「炭労事件」や「大阪事件」を描き山本伸一の卓越した指導力を賞賛し、戸田会長の後継者であることを宣揚しつつ、宗門僧侶への批判が書き込まれると同時に、名誉会長批判に公然と立ち上がった古い幹部らについても、その当時からおかしかった人物であるかのように描き、会員読者に僧侶や批判者への“憎しみ”を植えつけている。ホンマ無慙な小説だ。

 石川幸男(=石田次男)は「実践力に欠け」「慢心」の男で、藤川一正(=藤原行正)のことは「いっさい信じるな」「悪いのは女房だ」とし、滝本欣也(=龍年光)は「いつ退転してもおかしくない男」だが「ひとたび、学会に牙をむいて」きたら「その時は、徹底的に相手を叩きつぶすまで戦うんだ」と、戸田会長にいわせている始末だ。

 『人間革命』は“先生からのお手紙”である。
 名誉会長はしばしば「『人間革命』は過去のことを書いているのではない。事実は過去のことであっても、それを通して現在の会員への激励の手紙である」との旨を語ってきた。単に歴史の捏造だけではない。
 会員は『人間革命』を通して現在の信仰の在り方を学び、それを実践しようとする。会内では幹部が、そう指導している。だから、『大白蓮華』で「人間革命の読み方」の特集が組まれたり、読了運動が展開されたり、教学試験の範囲になったりするのである。

253 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/23(水) 23:52
続き>>249

聖教新聞平成14年 11-4
『退転者の共通点』
「金」「遊び」「女狂い」で転落
秋谷会長
(原島元教学部長は)鼻もちならない卑しい男だった。
ーー山崎の命令で、聖教新聞社から大量の資料を盗み出している。

254 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/23(水) 23:53
続き2
ーー山崎は、やがて原島に盗み出させた資料を使って、凶悪な恐喝事件を起こした。
つなり、原島は恐喝事件の共犯者も同然の極悪人だ。
ーーそもそも、H島みたいに酒乱で有名な男ーー酔っぱらって大事な会合を、すっぽかす。御書講義にも、酒臭い息で千鳥足でやって来る。皆が鼻をつまんで逃げていた「笑い)。
山崎は当時、陰で、「あんな世間知らずの不細工なやつ」とバカにしていた。

会長に質問です。
1  「女狂い」という言い方は、女性蔑視に繋がりませんか?
2  原島氏は、20年以上に亘り、教学部長、教学室長といった創価学会の最重要ポストの内の一つに就いていました。
その上、氏は、特別書籍部長として、池田先生から直接指導を受けるとともに、共同で原稿を執筆していました。
氏が反逆退転に至った結果に対しては、直接の上司である池田先生の管理責任も問われるべきです。池田先生には、指導者として「善導」出来なかったことへの反省があってしかるべきなのではないでしょうか?
3  大量の資料を盗んだ挙げ句、恐喝の材料に使ったとのことですが、抑、一宗教団体に恐喝に使われそうな材料が大量に存在すること自体が間違っているのではないでしょうか?
あるジャーナリストがその盗み出された資料に目を通した際に、あまりの丸秘マークの多さに慄然としたそうです。それはやはり、今や世間の定説となっているように、創価学会には、陰の部分が多く、宗教団体らしからぬ「謀略団体」であることの証左なのではないでしょうか?
因に、原島氏は、いかなる意味においても、窃盗の刑事責任は、問えないことが、裁判上決定済みです。
4  「不細工云々」はまた聴きとはいえ、不用意な言葉使いであり、人権侵害に繋がりませんか?>
バカ野郎、秋谷!いい加減にしろ!

256 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/24(木) 09:28
聖教新聞紙上座談会で2chanが話題になった時があった。
それは、インタ-ネット上の人権侵害行為、報道の自由、主催者の管理責任についての話題だった。
2チャンは、裁判で悉く敗訴(本当か?)し、合計6000万円という巨額の賠償金の支払い命令が下ったそうだ。
参加者のい異口同音の結論としては、インターネットの書き込みは規制すべきというものだった。
全く、創価学会らしい手前勝手な結論である。
自分達の都合いいようにメディアを散々利用しておき乍ら、自分達に不利な言論は封殺したいとするいつものパターンである。
しかし、2チャンは、益々繁栄しているし、何より、創価学会が訴えて勝訴したというニュースも一向にない。
もし、創価学会が訴えたいのなら、ここのHPをこそ訴えたらいい。
たとえ私個人が訴えられても、堂々と受けて立つ。(管理人さん宜しく!)
信心を失くした群狐(ぐんこ、きつねさん達御免なさい!)達に負けよう筈もない。
池田代作人間革命批判は、まだ始まったばかりだ。

257 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/24(木) 10:05
>>251
>戸田会長時代、会内では、戸田先生のことを「会長先生」と呼称し、他の最高幹部らに対しても“先生づけ”をしていた。例えば「小泉先生」とか「神尾先生」とか「小平先生」等々。もともと学会は教師の集まりからスタートした団体なので、互いの“先生呼び”はさほど抵抗なく習慣化されており、教えを乞う幹部には、例えば「小泉理事長」「小平教学部長」といった“役職づけ”よりも“先生づけ”が自然だったのである。
...成る程。
全員が互いを先生と呼ぶ。
素晴らしいと思いますね\(^o^)/ 。
創価学会が屡主張してきた「一切衆生に全員が仏界が内在している)」というのを具体的に実践していたんですね。
創価学会本部内では、「先生」という呼称は、名誉会長以外タブー視されているというのは、本当でしょうか?
一般会員の間では、辻先生、柏原先生は、普通だったと思います。
ところが、私の母が辻副会長に指導を受けに行った時のことです。
母が、辻先生を先生と呼んだ所、他の学会幹部から注意を受けたそうです。
それに、名誉会長が創価学園を訪問した折は、たとえ教師の間でも「先生」と呼び合うことは、タブー視されているそうです。
面白いのは、正宗僧侶に対する呼び方です。
正宗僧侶は、伝統的に大学課程を終了すれば、「教師」の資格を得ます。それで、回りからは、先生と呼ばれる身分となるわけです。
信者が僧侶を先生とは、あまり呼ぶのを聞いたことはないが、聞いたことはある。
他にも、医者、教授、画家、弁護士などは、先生と呼ばれている。
これらは、一種の尊敬語としての修飾の働きをしているのだろう。
もし、一般の人がどうしても他人から「先生」と呼ばれたいのであれば、「クラブ」や「バー」に行ったらいい。
ホステス達は、あなたを「先生」か「社長」と呼んでくれるだろう。「あなたは、偉い」「私の為にお金を沢山使って下さい」
というわけだ。彼女達こそ、不軽菩薩の実践をしていると言える。
ところが、名誉会長が正宗僧侶を先生と呼んだ試しが無い。まして、法主猊下に対して、「合掌礼」をしている所など、目撃された事がない。

258 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/24(木) 10:26
続き
...と思っていたら違うのである。
名誉会長も僧侶を先生と呼んでいた!
その僧侶達とは、正宗から脱落、反逆した者達だ。
私は、この話を聞いた時、大笑いしてしまった。0 (⌒‐⌒) 0
何で「反逆脱落」僧を池田先生は、先生は「先生」呼ばわりするのだろう?とその時は不思議に思った。
しかし、何のことはない、「池田流ゴールデンルール」=「ブタも煽てりゃ木に登る」を実践していただけなのだ。
最早僧侶の資格のない反逆脱落僧侶達は、「会館寺院」なる所で、飼い殺しになる運命なのだろうが、御気の毒とは思うが、滑稽な光景である。

259 名前: 訂正yuriko 投稿日: 2003/07/24(木) 10:33
>>257
>創価学会が屡主張してきた「一切衆生に全員が仏界が内在している)」というのを具体的に実践していたんですね。

創価学会が屡主張してきた「一切衆生の全員に仏界が内在している)」というのを具体的に実践していたんですね。

260 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/24(木) 20:32
>>202
>かように池田先生の行った悪行は、師を苦しめ、死に追いやったのである。
...昭和33年に起きた池田参謀室長を中心とする正宗僧侶への蛮行は、正式に検証し直す必要がある。
人間革命では、恰も的場師が、本山勤務の小僧にリンチを頻繁に加えているのを見兼ねて、室長が正誅を加えたかのように説明してある。
毎度のこと乍ら「おやおや」っていう感じだ。
この的場師リンチに関しては、「創価学会旭日の70年」でも取り扱っていた。
今手許にないから、何とか手に入れて批判の糧にしたい。
何れにしても、この「的場師リンチ事件」こそ暴力教団創価学会の原点に違い無い。
戦後間もなく(昭和26年か?)、池田青年部一派は、正宗僧侶への逆恨みによる暴行を働いているが、それとてよく検証すれば、不当なものだった。
それの再検証もしてみる。
大事な点は、何れの蛮行も池田青年による単独的なもので、戸田先生の許可を得てのことではない。
去年あたりの妙教(日蓮正宗寺院が発行している月刊誌)では、蓮華寺住職が、「蓮華寺事件」を回想していた。
そこでも、池田青年部一派の蛮行が問題になっていた。
元住職に依れば、それらの蛮行は、全て池田青年の救い難い劣等感によって引き起こすされたものだそうだ。
納得した。

261 名前: SGI 投稿日: 2003/07/24(木) 23:25
>>255
>会長任期を終身とする会則改定してたんですか?

 YES。昭和41年5月の改定で「会長の任期は終身とする。」と定めると共に、責任役員以下すべての役員について「任命し罷免する」権限を持ち、さらに「会長は、後任を選ぶことができる。」という代物です。まさに完璧な独裁体制です。

 ところが、昭和49年10月、名誉会長は宗教法人「創価学会」の代表役員を北条浩理事長(当時)に移譲しております。
 40年代後半、妙信講との抗争や「月刊ペン」問題などで訴訟事件が多発しはじめ、代表役員だった名誉会長の出廷を避けるため、法人としての創価学会の全責任を北条浩前会長に負わせるための措置でした。

 つまり、名誉会長はやりたいことをやり、その責任は一切負わないという、まことに手前勝手な地位にみずからを置き、実権は相変わらず握り続けるという形を、昭和54年の会長勇退前に、すでに法的には作り出しているのです。
 実は、この時「名誉会長制度」についても検討しており、54年4月に「五十二年路線」の責任を取る形で会長を勇退したのですが、結果的には、法的にも組織上の規約からも、社会的には何ら責任を問われることがない全くもって都合のいい立場を望みどおり手中にしたということです。

263 名前: SGI 投稿日: 2003/07/25(金) 21:28
>>261自己レスの訂正と補足
>40年代後半、妙信講との抗争や「月刊ペン」問題などで訴訟事件が多発
 「月刊ペン」問題は、昭和50年代でした。
 40年代後半は、「言論出版問題」で国会喚問が取り沙汰され、その恐怖におののいた名誉会長は、共産党の動向を探るため電話盗聴等を指示。それが発覚し社会問題となり、後に「宮本委員長宅盗聴事件」として裁判へ発展したことや、
 また、妙信講との抗争から正本堂の意義づけが揺らぎ、各地で「正本堂御供養金返還請求」の訴訟が起こされたり、静岡・富士宮市では土地問題で市議や市民によって告発・裁判となったこと等々、いずれも代表役員・池田大作を相手に訴えられたので、
日頃の指導とは打って変わり、矢面の立たぬよう安全地帯にお逃げあそばされたのが、代表役員の移譲です。

264 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/25(金) 21:33
日蓮大聖人在世の頃、日妙聖人という女性信者がいた。
彼女は、若くして夫に先立たれ、幼子(乙羽御前)と鎌倉に住んでいた。
日蓮大聖人が竜の口の法難で斬首を逃るものいの、佐渡ヶ島に流罪となる。
その地に向かって、日妙聖人は、幼子を連れて会いに行く。
当時の行程で一ヶ月はかかった。追い剥ぎや強姦魔もいたかも知れない。
大聖人は、そんな彼女達に会って驚き、感動する。
そこで、大聖人は、母親に聖人号を与えるのである。
当時の聖人とは、「仏様」の異名である。
女性の地位が向上していた時代とはいえ、稀なことであった。
大聖人は、自ら在家の身分にある女性信者を「仏」と呼ぶことで、自らの教えを実践したのである。
翻って、牧口、戸田時代、信者に教師が多かったとはいえ、互いを先生と呼び合ったことは、その大聖人のい精神である「全ての衆生は、本仏となれる」を実践したものだ。
「先生」は、乃ち「仏様」だったのだ。
それが、戸田没後、池田総務時代突然変化した。
池田総務は、さかんに「会長先生は仏」「会長は嘘をつきません」「会長は仏」を盛んにいうようになる。
自らが会長職に納まった場合の独裁体制を着々と準備していったのである。
そして、先生は、ただ一人、戸田後継者たる自分のみになった。
大聖人が一女性信者を「聖人」と呼んだのと随分と違った精神である。

265 名前: SGI 投稿日: 2003/07/25(金) 21:54
>>262 LISAKOさんへ
>結論・・・“小説”
 はい、その通りです。で、貴方はどうのようにお考えなのでしょうか?
 例えば、
 ① >>30の「入信神話」のように、小説の虚実がやがて事実として残されていく手法について
 ② 会内では「真実の歴史を綴る」と喧伝され、刷り込みが図れていることについて
 ③ yurikoさんが再三指摘しているように、(宗教指導者が著述しているのに)人権侵害・名誉毀損的な記述が目立つことについて
 ④ 批判・批評を受けると「小説ですから」と言いながら、作中のスーパーヒーロー・山本伸一を現実に投影する、会員や幹部のダブルスタンダードの構えについて
 ――等々、単なる“小説”の域に止まらず、歴史を偽造してまでも現在の池田創価学会の正当化を図り、会員への指導原理書にしていることが問題ではないでしょうか。

310 名前: SGI 投稿日: 2003/07/28(月) 23:51
>>304 Leoさんへ
 金融機関のように定期的なローテション異動はありませんが、決して人事異動がないわけではありません。中央から方面への異動や、議員転出による異動とか、担当部門の変更とか、一般の企業組織と比べるとかなり少ないと思いますが、それなりにあります。

 また、昨今はあまりありませんが、学会の人材登用の方法として「抜擢人事」とか「特進人事」あるいは「エレベーター人事」などと呼ばれるものがあります。名誉会長らから特別に目をかけられると、いきなり全国幹部になったり本部内でも数階級昇進したり、反対に不興を買うとポーンと地方に飛ばされたり実質的な降格処遇になったりと、人事権(人事異動)で名誉会長の支配力を見せつけられたことがありました。

 さらに、本部内部で造反者等が出現した時には、必ずその造反者と近しい者や親しい者、関係者は一斉に身辺調査がなされ、場合によっては査問や念書提出に至ります。それでも疑いが晴れない時は、さりげなく人事異動で閑職や議員転出等への主流はずしが行われてきました。
 グループS、福島源次郎副会長の『誠諫の書』提出、池田問題対策事務所(外護の会)、四十六人会、地涌ネットワーク室といった80~90年代の造反グループ出現の時は、本部中枢は相当の危機感をもって対処。人事異動の範囲はSGI各国までに及びました。

 本部職員・幹部が退職した時も監視の網から逃れることができません。円満退職であっても定期的なさりげないチェックが続きます。ましてや突然の依願退職や造反疑惑者にリストアップされたことがある者については、場合によっては長期間にわたり尾行や通信傍受、交友関係調べが続きます。公明党議員OBにも似たようなシステムが存します。
 
 「五十二年路線」の第一次宗門抗争以来、学会本部では造反活動には異常なまでに警戒・予防対策に神経をつかっているとの印象を受けます。少しでもそのような疑いがあると、名目をつけての人事異動や身辺調査を行い、芽を摘み取っていこうという方針のようです。

322 名前: SGI 投稿日: 2003/08/15(金) 00:38
>>318>>321 yurikoさん。
>いよいよだ。
――と、御宣言されているところを失礼いたします。全く関連しない内容ですが、レスしちゃいます。許されよ。

“創価学会の根本理念──師弟不ニ論”を考える。

 小説「人間革命」の表向きの主人公は戸田城聖である。だが、戸田先生の思想と業績の正しさを顕揚し、美化し(執筆発表時で都合の悪いことは歪曲あるいは黙殺し)、それを自らの後光にして、現在の池田創価学会の正当性を図り、会員に指導理念を与えているのは、戸田城聖の唯一の後継者である山本伸一の思想と行動である。だから、山本伸一が実質上の主人公と呼んでさしつかえない。

 本来、師の偉大さを綴るべき内容が、巻を追うごとに山本伸一がいかに弟子の道をすばらしく歩み続けたかという“弟子宣揚論”へとウエイトが移行し、ついに「新・人間革命」では“私はこんなにも凄い偉大な正しい人間だ”という自慢話になる。
 小説「人間革命」は、戸田会長と山本伸一こと名誉会長の師弟関係は過去世からの不思議な宿縁であり、山本伸一青年ただ一人が“師弟の道”を貫いたという神話を綴るのがメインテーマだ。この二人の“師弟不ニ”という一体関係が、主題を規定している基本思想である。

 会員は、小説「人間革命」を通して“弟子の道”を学ぶ。山本伸一を理想形に、師に仕え応えることを身につけていく。学会で最も強調され教え説かれるのは“師弟の道”だ。
 名誉会長は「“師弟の道”こそ、正しい信仰、正しい人生をまっとうしゆく要諦である。“師弟の道”を見失い、自己の“原点”をなくした場合には……結局、無常に漂い、いかなる営々たる努力も、幸福と結びつかない人生になってしまう」と語る(平成元年11月18日・本部幹部会)。

 学会創立60周年の平成2年には「原点・求道の年」が掲げられていた。
 「原点」とは、「いうまでもなく池田名誉会長が心血を注いできた“師弟”の道である……師の正義とその構想の全てを実現された池田第三代会長、この三代会長の精神こそ創価精神であり、創価学会の永遠の原点である」。
 「求道」とは、「池田名誉会長と同じ時代に戦える私どもは、師とともに戦い抜くことが、そのまま自身の原点を確立することであり、……この共戦こそが、私どもにとっての“求道”の実践にほかならない」。
 この理念を、そのまま明文化したのが、昨年春の新会則にほかならない――。

 まさに“師弟の道”こそ、池田創価学会の根本理念・教義であり、そのテキストが小説「人間革命」である。だからこそ、会員必読の書(=現代の御書)であり、読了運動や学習会、教学試験にも活用されるのである。
 そこで、学会の“師弟の道”について、福島源次郎著『蘇生への選択』をベースに考えてみたい。

323 名前: SGI 投稿日: 2003/08/15(金) 00:39
 「人間革命」第10巻――「大聖人の仏法が師弟不ニの仏法であるならば、一切法がこれ仏法であるゆえに、広布実践という現実的な昇華のなかにも、師弟不ニの道が貫かれていくことは当然の理といわなければならない」(「一念」)

 大聖人の仏法は師弟不ニ → 一切法は仏法 → 広布実践も師弟不ニの道を貫く――実に“見事”な論法である。
 しかし、仏法における師弟とは、仏と衆生の関係であり、師=仏にほかならない。学会(=俗世間・組織)における師は、あくまでも凡夫たる“よき檀那”の中の一人である。だから、「五十二年路線」で教学上の誤りを正した時、厳格な峻別を確認し、以後“人生の師”という言葉で誤魔化してきた。

 もしかかる論法が許されるとすれば、「大聖人の仏法は信を根本とする → 一切法は仏法 → 会社においても社長に対して信を根本とすべきだ」というテーゼが成り立つ。これが詭弁だというならば、先の「人間革命」の記述も同じく詭弁となる。
 つまり学会の「師弟不ニ不可欠論」は、典型的なすり替え論であり、論理的にも全くナンセンスな代物といってよいだろう。だが小説「人間革命」は、師弟不ニの不可欠を説き、師弟不二の何たるかを山本伸一の姿を通して書き綴っている。

 「師弟の道を歩むのはやさしく、師弟不ニの道を貫くことの困難さがここにある。ただかろうじて、山本伸一だけが違っていた。彼は関西方面の最高責任者となったとき、戸田の膝下にあっての久しい厳しい薫陶から、戸田の言われるまでもなく、ひとり多くの辛労に堪えながら、彼は作戦を立てた。
 その彼の作戦の根本は、戸田の指針と全く同一であった。不ニであった。彼には戸田の指導を理解しようなどという努力はすでに不必要であった」(「一念」)
 「師弟不二の道は、一念における荘厳な不ニにある……不ニとは合一ということである」(「一念」)

 師弟不ニというものは、師弟の道と全く違うものであること、それを成し得た者は、多くの弟子の中で唯一「山本伸一」一人であったこと、そしてそれはまさしく次元は異なれども、大聖人と日興上人の関係如きものであり、戸田先生と山本伸一青年における師弟不ニの道こそが、今日の学会の発展・広布の進展の原動力となっているというのことが、順々と書き綴られている。
[続きは後日]

324 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/08/16(土) 02:08
SGIさん書き込みご苦労様。
SGIさんは学会の元職員なの?で、いまは法華講?まさかまだ職員じゃないでしょう。
いろんなこと良く知ってますね。本でも出したら売れるんじゃないの。
いまなら民主党と妙観講がたくさん買ってくれるかも知れまへんなあ。
オツコツさんの情報元だったりして。

これだけの書き込みをするのって、すごい大変でしょう?
もしかしたらこれが職業なの?
単純な疑問でした。

326 名前: SGI 投稿日: 2003/08/16(土) 09:57
>>324 「名無しさん」さん
 私の過去のレスを丹念に読み込めば、私が何者かはおよその見当がつきます。
 基本的には公開された情報をご紹介しているのですが、それでも時折、属性や素性が顔を出しております。
 それらを結びつければ、貴方の疑問は晴れるでしょう。

327 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/08/16(土) 12:03
>私が何者かはおよその見当がつきます。
もったいぶるところがいやらしいな。偉そうにしたいんだろうな。哀れだな。

328 名前: Leo 投稿日: 2003/08/16(土) 13:02
>327
私はずっとSGIさんの書き込みを拝見していますが、「偉そうにしたい」という姿勢はないように思います。

329 名前: 愚鈍凡夫 投稿日: 2003/08/16(土) 21:16
>>328
小生も同感です。
SGIさんの書込みは、元学会員として言われてみれば確かにそうだよなぁと思います。
レスを楽しみにしていますので、続けて下さい。

330 名前: みれい 投稿日: 2003/08/16(土) 22:14
同じくです。

331 名前: SGI 投稿日: 2003/08/18(月) 00:14
Leoさん、愚鈍凡夫さん、みれいさん、ありがとうございます。
「レスを楽しみにしていますので、続けて下さい…」なんて、恐縮です。
いつも趣の異なる長文のレスを書き込んでおり、皆さんのご不興を買っているのではないか、とビクビクもんなんですよ。救われました、はい。おおきに。

332 名前: SGI 投稿日: 2003/08/18(月) 00:15
>>322>>323 自己レスの続き
 ということで、実は「師弟の道」と「師弟不ニの道」では境涯が違うのだ。

 「広布の実践における師弟の関係を、単なる師弟の道ととるか、師弟不二の道ととるかが、はじめてあらわにされたと見なければならない。師の意図するところが、現実にあらわれるか、あらわれないかは、弟子の実践の姿を見れば容易に判断のつくことである。師の意図が脈動となって弟子の五体をめぐり、それが自発能動の実践の姿をとるとき、師弟の連結は、はじめて師弟不二の道をまっとうすることが辛うじてできるといわなければならない」(第10巻「脈動」)

 「師の考えるところと、弟子が懸命に考えることとが冥合するとき、信仰の血脈は偉大なる脈動となって迸る。師の意図を教条的に追従することは、弟子にとってきわめて容易なことだ。師の意図からその根源にまで迫って、その同じ根源を師とともに頒かちあう弟子の一念は、まことに稀だといわなければならない。しかし、この稀なる一念の獲得にこそ、微にして妙なる師弟不ニの道の一切がかかっているのである」(同)

 だから「師弟の道を歩むのはやさしく、師弟不ニの道を貫くことの困難さがここにある」(「一念」)と断定し、かつ、学会においては「師弟の道」が信心の根幹であるが、中でも「師弟不ニの道」は一段と高き崇高の姿として位置づけられ、それを見事に体現しているのが“山本伸一”ただ一人であると描くことで、名誉会長が“特別の人”として宣揚されている。

 そして、戸田=山本の師弟関係が、池田=会員の師弟関係に置き換えられた時、名誉会長を“人生の師”と仰ぐ会員は、「師弟の道」から「師弟不ニの道」をめざし、根源において師との一念の合一を得るべく努力をしなければならない、という信仰実践に励むことになる。

 つまり、これが「先生の意を体する」ということだ。
 名誉会長の意図を察し、手際よく段取りを組み結果を出すことが求められ、万が一何かあれば自らが泥をかぶって“先生”を守ることが、池田門下生としての“弟子の道”にほかならない。
[この稿、続く]

336 名前: SGI 投稿日: 2003/08/18(月) 22:35
[続き] >>332 自己レスの続き
 
 大聖人の仏法は、三大秘法の御本尊への帰命・境智冥合の信仰実践である。その仏道修行を強め深めていく縁の一つとして、学会の「師弟の道」があったのであり、学会の「師弟の道」や「師弟不ニ」が目的でないことはいうまでもない。
 
 ところが、「師弟の道」と「師弟不ニ」が全く違うもので、「師弟不ニ」は特別のハイレベルの信心境涯に達した弟子のみが実践可能であるということになるならば、そもそも「師弟不ニ」というのは、過程なのか結果なのか、手段なのか目的なのか、因・縁なのか果・報なのか、よくわからない奇妙なものになってしまう。
 また、特別の人間のみが可能で、普通の凡人には実践・到達しがたいものならば、一切衆生救済の大乗法門たる大聖人の仏法の門戸を狭めるという根本的矛盾を生ずることになり、大聖人の仏法の在り方に反することになってしまう。

 さらに、億劫の辛労を尽くして精進すべきは御本尊への信心であり、御本尊・大聖人の御一念と境智冥合しぬくために、全魂を込めての努力・修行を貫いていくところが本筋のはずである。そこへ導き、それを支援していくのが、学会組織の本来の存在理由であり“師”の存在ではなかろうか。

 しかるに、その“師”の一念に合一することを至上とし、そのために「強信にして困難な信仰作業を必要とする」と説くのでは、目的と手段が入れ替わり、まさに本末転倒ということになる。
 果たして弟子にこのようなことを要求する“師”が、正信の師であろうか。少なくとも御本尊を無上と仰ぐ信徒の中にはいないはずだ。断じているはずがない。

 もしいるとすれば、その人は大聖人の仏法の筋目を違えた、破仏法の増上慢の師というべきであろう。正信の師ならば、戸田先生がそうであったように、かかる弟子の迷妄を打ち砕き、信仰姿勢の正方向転換を厳しく指導するに違いない。
 あくまでも「依人不依法」だ。御本尊と自分の間において、途中の論師人師の言葉に従うことも、ましてや途中の論師人師の一念に合一するなんてことは、厳に慎むべき信仰態度である。

337 名前: SGI 投稿日: 2003/08/18(月) 23:35
>>336訂正
 「依人不依法」 → 「依法不依人」(法に依って人に依らざれ)
 これは恥ずかしい。意味が全く逆になってしまう。赤面、赤面。

338 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/19(火) 04:27
>>322SGIさん
>福島源次郎著『蘇生への選択』
....
この本はよかった。
私もSGIさんに倣って近く、同書の復習分析をしてみたいと思う。
著者は、北条氏、秋谷氏に次ぐ#3の側近とされた人物だ。
何故、そんな人物が反逆退転したなどと揶揄されるに至ったのか、よく考えることは、創価学会に10年以上居る者なら、当然だろうと思う。
池田創価学会の三謀略体質の大特徴は、
1 臭いものには蓋
2 時が過ぎてしまえばこちらのもの。自分達に都合の悪い事は、水に流す。
3 なりふり構わずに、「死人に口無し」を利用。
とてもじゃないが、正常な人間のやることとは思えない。
池田先生は、屡、共産中国に胡麻を摩るのに、
「日本は中国に恩があったのに拘わらずそれを踏みにじったばかりでなく、中国人を虐待した」
と反省(日本人全体に代わって)している素振りを見せる。
もしそうなら、次のことも真剣に考えてみては如何か?
「「創価学会は日蓮正宗の代々の猊下、昼夜を違わずに働いた反逆学会幹部に恩があったのに拘わらず、それを踏みにじったばかりでなく、その猊下の流れを汲む僧侶や反逆した幹部を虐待した」
と反省すべきだ。

341 名前: SGI 投稿日: 2003/08/22(金) 00:59
>>336->>337 自己レスの続き]

 さて、意外なことに「師弟不二」なる語は、御書にはない。
 また福島源次郎氏によれば、戸田先生の指導(『全集』等)にもないらしい。どうも「師弟不二」は、第三代会長就任前後から名誉会長によって濫用され、会内に認知・定着した語のようだ。造語ではないにしても、名誉会長の・名誉会長による・名誉会長のための語であることは間違いない。

 それでも当初の頃は、「御本尊を疑わず、生涯離さないのが師弟不二だ」(『指導メモ』S41年6月発刊)「広宣流布の前進に立つその信心が、大聖人と真実の師弟不二となる」(同)といった具合に、師=大聖人または御本尊という仏道の基本をおさえていた。
 しかし、『人間革命』第10巻では明らかに違う。「脈動」の章では、一応日蓮大聖人と日興上人との血脈付法・唯我与我の御境地における師弟相対のお姿に言及した後、「次元は異なれど」と断りつつも、先のレスのように、これに類するかごとき至高・至難の道として「師弟不二の道」を説き描いている。

 『人間革命』第10巻の執筆は、昭和52年秋。そう、今日のSGI路線につながる「五十二年路線」が最高潮に達していた時だ。御本尊摸刻や教義の新解釈、化儀の改変など、「創価仏法」が叫ばれ「師への帰命」が強調されていた。
 どこかに書き込んだ、例の『弟子分帳』も、この時期だ。「弟子証」は、師=名誉会長からの授記だった。名誉会長は「いかに御本尊を受持していても、師匠(=名誉会長のこと)との血脈を切ったならば全くの無益だ」と日頃から語っており、あくまでも「師弟の道」あるいは「師弟不ニ」が大事なのだ、と説く。

 本来、仏と衆生の関係において、師=御本仏に対する師弟相対の信心に立つのが基本なのに、「帰命」や「授記」が示すように、いつの間にか師=名誉会長(=仏)にすり替わり、名誉会長に呼吸を合わせ・仕え・従うのが仏道になっている。
 御書にない「師弟不ニ」なる語を用いて、あたかも仏説のごとく装いで、その時折りにおける自分の感覚と思念と都合で、自己流の「師弟の道」を説き続けてきたといえまいか。学会内に流通している師弟論のほとんどは、名誉会長の邪見に満ちた我流の教えであることを知らねばならない。

377 名前: SGI 投稿日: 2003/08/24(日) 23:25
>>341 自己レスの続き]
 御書にない「師弟不ニ」なる語を多用し、“師匠・池田大作”に仕えることが最高の人生である(>>332)との手前勝手な論理を説き続け、この“師弟の道”を学会の根本理念・教義にまで押し上げた(>>322)のは、小説『人間革命』の功績だ。

 「師への帰命」論は、小説『人間革命』第3巻「結実」の章に基づく。
 「この若き革命家の「妙法への帰命」という理念は、具体的実践でいうならば、稀有の師への帰命、すなわち「戸田城聖への帰命」でなければならぬことを、彼は知ったのである」。
 
 この記述を根拠に、下記のような指導が、会内で次々に展開された。

 「妙法広布の大願に身命を削る戸田前会長と生死を共にしていくとの、生命の奥底からの深く厳しい決意にたった実践。これが山本伸一青年の『革命は死なり』という意味であった」(『聖教』S49.11.8付・『小説「人間革命」第3巻に学ぶ』から)
 「“師弟血脈”の契りは後世、広宣流布実現の時どのように歴史家は評価するであろう。日蓮大聖哲の宇宙最極の法理を、この世に表現せしめた大革命の源流にこの師弟のきずなを見落とすことがあればそれは画竜点睛を欠くことになる」(『広布の走者 創価学会学生部史』第三文明社刊)

 「今、我々が『人間革命』を学ぶ意義も、この一点にあるといえよう。師が身をもって実践した真実の軌跡をとどめたこの一書に、我々の行動の原理を求め、そこに学んだ精神を自身の原点として実践に移す、その往復作業の中に妙法への帰命、即具体的実践としての“師への帰命”の展開があり、自身の人間革命もまた一歩一歩進められるのである」(『大白蓮華』S50年5月号)
 「まさしく、現代における“人”への帰命とは師匠への帰命であり、池田会長への帰命となる。また、池田会長が大聖人の御書を寸分違わず、身に移し実践されていることから考えても、必然的にそうなるのである」(『ひのくに』第10号)

 まさに「池田本仏論」の展開だ。当然のことながら、宗門から厳しく指弾されることになった。
 学会は「池田本仏論」なるものは存在していなし、これらの指導は全て教義逸脱・違背であり、誤りであったとして、公式に宗門に謝罪し、会員への周知を約束した。
 にもかかわらず、“師弟の道”は学会の根本理念・教義であり続けている。これが、今般の宗門vs学会抗争の背景にある教義上の問題点でもある。

 ちなみに上記の第3巻「結実」の章は、「五十二年路線」での挫折で、次のように書き改められている。
 「この若き革命家の「妙法への帰命」という理念は、具体的実践でいうならば、稀有の師と一体となっての「妙法への帰命」であることを、彼は知ったのである」。

378 名前: SGI 投稿日: 2003/08/24(日) 23:33
>>375
 創価高校6期生。「金時計」受賞の久米正法氏のことですね。現在、法華講に所属。
 楽しみです、ワクワク。

  • 法介
  • URL
  • 2016/10/15 (Sat) 09:20:19
 
Re: 2003年の投稿記事
379 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/24(日) 23:56
続2
『私は、この人と一緒に死ぬ覚悟でいるんです』(前進より)
こう言われて奮い立たない人間はいない。
正確な引用は、後でするが、池田先生には、こうした「人の命(自分のもか?)」を軽く扱う言動が実に多い。
つくずく、とんでもない男だ。
先に挙げた北条氏への(激励?)は、空々しく、実行しなかったのは、言うまでもない。
それどころか、北条氏の葬儀の時(真夏)、遅れて葬儀に到着した挙げ句、
「暑い時に死ぬのは止めようよ」と汗を拭きながら入ってきたという。
青年部時代、共に闘った竜年光氏は、その場に居合わせた。さすがに腹に据えかね、後に当時創価学会理事長の森田氏に抗議した。
すると、「あれはジョークだよ。あの場の雰囲気を和らげるためだよ」と言ったそうだ。
なる程、池田先生は、思い遣り深い!(皮肉)

380 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/25(月) 05:24
>>377 SGI さん
>「この若き革命家の「妙法への帰命」という理念は、具体的実践でいうならば、稀有の師と一体となっての「妙法への帰命」であることを、彼は知ったのである」。
----
私が興味あるのは、果たして今回の宗創戦争の結果、再「書き改め」が行われるだろうか?ということだ。
池田先生流師弟論の特徴は、一言で言うなら「牽強付会(こじつけ0」に尽きる。
すなわち、自ら露骨には、「自分に仕えよ!」とは、決して言わない。
ただ、歴史上、特に「釈尊と阿難」とか、「日蓮大聖人と日興上人」を引き合いに出して、「あの偉大な人物も師弟の関係があったればこそ、偉大な業が成し遂げられた」
さらに、自分も偉大な仕事を成し遂げつつあるーーとは、露骨には言わないが、明らかな形で暗示する。
その自分は、偉大な戸田先生に仕えたからだ。==そこまでは、わかるとしても、次の段階で飛躍する。すなわち、
だからこそ。全創価学会員は、自分を人生の師と仰ぎ、随順しなければならない。
個々の無関係の例を強引に関連ずけて、結論を導くやり方は池田先生の十八番(これについても書き込む)。
一度も会ったことさえない人物を自分の師と仰ぐことの気味の悪さは、あの文鮮明率いる統一教会信者が、彼を「お父様」と呼ぶのと同程度か超えている。
因に。釈尊の有名な最後の言葉は、「自灯明、法灯明」であり、師弟とは何の関係もない。
この信仰者としての
「孤高」の態度は、仏法者が受け継いでいく。
抑、日蓮大聖人が、もし師弟の関係を絶対的としていれば、決して「自分独自の悟り」として、立宗宣言などしていなかったであろう。

381 名前: SGI 投稿日: 2003/08/25(月) 21:07
>>376>>379 に関連して

 56年7月北条会長が急逝しました。この北条さん程「先生」に真心で仕え忠誠を尽くした人を知りません。清廉の人・私心のない人・誠実な人格者でした。熱血の人であり、「先生」を守るという一点に全てを賭け、泥をかぶって「先生」に献身した人です。私たちは、弟子の鏡として尊敬してきました。

 稀にみる頑健な体と医師から折紙がつくほどの人が急死したのです。心身共に疲れ果てていったのだと思います。その数時間前まで終日「先生」と行動を共にしていたのですから、特にその日は疲労の極みにあったのでしょう。大忠臣の体の具合、それも側にいて判らないほど配慮ができない「先生」であったのです。

 この逝去の際、大勢の幹部の前での「こんな暑い時に死ぬのは皆が迷惑する」云々の暴言は周知のとおりです。たとえ冗談でも言うべきことではありません。これを聞いて怒りを覚えた人は私だけではありません。北条さんの姿をよく知る良識の人なら、とても許せない暴言です。

 北条さんの会長就任の時もそうでしたが、逝去の時も、北条さんの人柄と遺徳を偲ぶ追悼特集は、『聖教』紙上にとうとう見られませんでした。聞けばいずれも「先生」から「やる必要はない」という強い指示があったとのことです。
 たとえどうであろうと会長という立場の人です。しかも誠実に生き抜いた、稀にみる人格者の北条さんを宣揚するのは当然のことです。命令してでも特集記事を載せるべきであります。
 でも「先生」はさせませんでした。これに対する百万言の言い訳も無用です。北条さんの宣揚をしなかったという事実――これだけで「先生」の人柄はおよそ察せられます。そして「私が一歩引いて北条に任せたが、結局学会を支えきれずに死んだ」というこの「先生」の批評はどう解釈すればよいのでしょう。
(以上、福島源次郎著『蘇生への選択』から)

 「ところが、池田大作はその北条さんが亡くなると、その通夜と本葬で集まった1億5000万円の香典、東京の戸甲記念講堂で行われた本部葬、ならびに全国の会館で併行された葬儀で集まった約20億円の香典のほとんどを遺族の手に渡さず、学会本部の金庫へ入れた。」
 「一家の柱を失った遺族は長年往み慣れた聖教新聞社前の和風二階建ての家から即刻立ち退きを命じられた。池田大作がそう命じたのである。北条未亡人はやむなく遺産をはたいて都心から離れた狭い一軒家に移り住んだ。」(藤原行正著『池田大作の素顔』から)

 宣徳院浩徳日基大居士(北条浩前会長) 合掌。

382 名前: SGI 投稿日: 2003/08/25(月) 22:34
>>380 yuriko さんへ。
>私が興味あるのは、…再「書き改め」が行われるだろうか?

 おそらく再「書き改め」はないと思います。というのは、小説『人間革命』は、事実を歪曲・捏造し、学会なかんづく名誉会長の無謬性・正統性を歴史的な定説として残すことと、執筆発表時点の指導原理を示すことが目的です。
 したがって、先のレスで記したように“師弟の道”は、もうしっかりと学会の根本理念・教義として定着し、新会則にも謳われているのですから、再改訂の必要性はないと思います。もし改訂するとしたら、もっともっと名誉会長を宣揚するときでしょう。
 
>池田先生流師弟論の特徴は、一言で言うなら「牽強付会」に尽きる。

 同意。私のレスも、その趣旨で書き込んでおります。

>歴史上、特に「釈尊と阿難」とか「日蓮大聖人と日興上人」を引き合いに出して
>自分も偉大な仕事を成し遂げつつある
 
 ソクラテスとプラトンも、頻繁に登場しますね。
 「ガンジー・キング・池田」キャンペーンなんかも、そう。
 スピーチでも「私は勝った」「厳然と闘った」「正義を示した」「皆さんを代表して勲章を受けた」といった発言も、ここ数年とみに目立つようになりました。

>露骨には言わないが、明らかな形で暗示する。
>全創価学会員は、自分を人生の師と仰ぎ、随順しなければならない。

 意を汲み、意を体することが弟子の務めです。業績は師匠に、責任は弟子が取るのも、「先生流師弟論」の具体的な姿です。
 その結果が、今日の池田創価学会の現実となっているのです。

 「お父様」だろうが「将軍様」だろうが「先生」だろうが、全て同根ですね、きっと。
 しかも名誉会長の場合、世界広布の切り開く先駆の指導者=〔主〕であり、“人間”を大切にし慈しみ勇気と希望を与える師匠=〔師〕であり、学園や大学・未来部の会合では「お父さん お帰りなさい」=〔親〕と敬愛の思いを表します。「1000年に1人の偉大な人物」なのですから、批判しようものなら、「不知恩」「極悪」「一せん提」とののしり、凄まじい迫害を招く場合があります。
 狂ったドグマと非常識な体質に染まり、利権を享受する者にとっては「地上の楽園」かもしれませんが、同調できぬ者にとっては迷惑至極の存在でしかないのです。

383 名前: SGI 投稿日: 2003/08/25(月) 22:59
>>381 訂正

 宣徳院浩徳日基大居士 → 宣正院浩徳日基大居士
              昭和56年7月18日 58歳 寂
              俗名:北条 浩 (創価学会第4代会長)


386 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/26(火) 06:36
>>379
資料編
「池田先生が私を横において、何人かの人と話をされたときにこういわれた。『私はこの人といっしょに死ぬ決心をしているんです。』と。その一言はまさに私の肺腑(はいふ)をえぐる一言であった。胸の中からこみ上げてくるあついあついものがあった。私は皆の手前、あふれそうになる涙を見られまいとして、ジッと窓の方を向いたままで先生の次の言葉を聞いていた」
(前進昭和35年6月号)

387 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/26(火) 06:37

前進という雑誌は、主に地区部長以上の学会幹部に販売されたもの。
SGIさんに詳しく解説をして頂きたい。
この雑誌には、長く「会長本仏論」大っぴらに語られていた。当時を振り返れば(私は、誕生してないが)、会長本仏論は、一般会員の目を巧みに欺き乍ら、着々と創価学会の中心教義にあっていった。そこで、この雑誌「前進」の果たした役割はとてつもなく大きい。
ところで、上の故北条会長の回想でも語られているよに、池田先生の虚言癖、大言壮語に純粋な人間は、うぐに騙されてしまう。
世の中には、嘘をつくことを何とも思っていない人間は少なからず存在しているようで、池田大作は、その典型のようだ。
これは、別スレッドMCで、改めて述べたいのだが、心理学エッセイ「嘘を平気でつける人達」には、詳しく述べられている。
私も出来うる限り正直な人生を歩みたいとは思う。
それでも、一時しのぎで嘘をついてしまったことは何度もある。それだけに、他愛のない嘘であれば、できるだけ寛容であらねばならないと思う。
しかし、池田大作に関しては、「他愛のない嘘」の範囲は完全に超えていると思う。
この男のやって来たことは、「詐欺」以外のなにものでもない。
特に純粋な人を平気で騙すやり方には、腹に据えかねる。
だから、言いたい!
「池田先生!
これ以上、私達を失望させないで下さい!お願いです!北条氏との約束を果たして下さい!」

388 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/26(火) 07:34
>>380
誤解のないように記しておくが、私は、日蓮正宗の「血脈相承」や
「師弟相対」で法門を学ぶことの重要さまで否定しているのではない。
私が問題としているのは、池田先生が勝手に日蓮正宗の根本教義「血脈相承」を盗んで、自分の都合のいいように作り替えている点だ。
米国創価学会の会合でのことだ。
ある会員が「在家の者同士での師弟の契りの重要性について、日蓮大聖人は、何と仰っているのですか?」
実にいい質問だrと思った。
無論、出席していた幹部は何も答えられなかったのは言うまでもない。
そう、日蓮大聖人は在家同士の師弟の契りについては何も言=ってない。
戸田先生すら、仏法上の師弟とは、あくまでも仏と衆生の関係として、今世に於ては、猊下を師と仰いで、信者は在家の立場で信仰実践していくことを指導している。
(福島源次郎著「蘇生への選択」)
池田先生が第三代会長に就任して以来、牽強付会的に、仏法の師弟の関係を在家の身分の範疇にまで拡大解釈した。
もっとも、池田本人は、本気で自分を「日蓮大聖人の再誕か、それを超える存在」とみているようだ。
私も「まさか」とは思ったのだが、本人は本気のようだ。
竜年光氏は、それを指して「まさかの『さか』を超えてしまった」と表現していた。
言い得て妙である。


393 名前: SGI 投稿日: 2003/08/26(火) 22:39
>>387
 『前進』ですか?便利な小冊子でした。手帳サイズで約60ページ程、会長や幹部の指導、その月の活動方針や活動ポイント、体験談、座談会の拝読御書の要点など、幹部として必要な情報がコンパクトにまとめられておりました。会員・部員指導のタネ本です。月刊で、1部たしか50円位だったと思う。「五十二年路線」の挫折で、タイトルを『創価学会研修シリーズ』と変えておりますので、ご存知の方は容易にご想像できるかと思います。

 創刊の時期が判りません。昭和40年前後には、確かに発刊されていました。我が家は拠点で、毎日毎晩会合があり会員が出入りしており、毎月『前進』を大人たちが小銭を受け渡しながら捌いていたのを憶えております。父や母は、色鉛筆で線を引いたり、書き込んだりして、活動バックに入れ、持ち歩いておりました。おそらく全国各地で、数多くの幹部の方がそのようにして活用していたのでしょう。

 今日のような情報技術がない時代にあって、巨大組織を一定の方向へ引っ張っていくには、『前進』のような幹部用テキストは極めて重要なツールであったにちがいありません。本部幹部・専従職員も少なかった。その意味で、その時その時の学会本部の会員に対する指導方針・組織の方向性を最も直裁的に示すものであろう。
 だからこそ、「池田本仏論」につながる名誉会長の“本音”も不用意に掲載されており、口コミのタネ本でもあったのです。資料的な価値も高い。でも、使い捨ての消耗品感覚だったためか、バックナンバーを保存保管している人は私の周辺にはいないのです。まことに残念です。

◎『前進』会長指導から
 「私を離れて、いくら戦ってもダメだ。私と境智冥合していなければ、異体同心とはいえない」(40年6月号)
 「私は何も言わなくてもみな見えているよ。とても敏感なんだ」(41年1月号)
 「私は言ってあげて、罪業を切ってあげているのだ」(同)
 「私から幹部の任命を受ける事は、記別を受ける事」(42年2月号)
 「私を中心にして御本尊を信ずる事によってこそ(中略)幸福境涯を確立することが出来るのです」(同)
 「私の話は一つの儀式です。記録をとっておくように」(42年8月号)
 「私には全部わかっている。又、本部から、いつも会えないから、電波を発信しているのだけれども、いくら発信しても受信機が壊れていては何もならない」(45年5月号)
 
 「きょうは七月四日、池田先生が三十二年参議院大阪地方区補選にかかる選挙違反容疑で逮捕された、忘れることのできない日です」(43年7月号)⇒参照 >>15「7月3日」のウソ

404 名前: SGI 投稿日: 2003/08/27(水) 22:02
 こうへいさん、初めまして。
 貴兄が提議された本尊義や、万教一致論・万教同根論に関しては、「創価学会(SGI)は世界宗教をめざす」スレにて、是非考えたいテーマです。いずれ機会があれば、私なりの考えをまとめながらレスする所存です。本スレでは、下記の事柄を書き込んでおります。

◎『人間革命』批判
 ◆総論 =①青年部クーデター >>13 ②本命・石田次男 >>14 ③大阪事件 >>15 ④“人生の師” >>16 ⑤池田神格化 >>251-252 ⑥歴史の捏造 >>296-297 ⑦資料「わが闘争」 >>162 >>165-166 ⑤途中目次 >>167
 ◆師弟神話 =①入信神話 >>30 >>32 >>33 >>46 ②年齢神話・編集者神話 >>47 ③竜氏手記のこと >>71 ④気配り上手 >>74 ⑤池田太作は折伏が苦手 >>75 ⑥まとめ >>79 ⑦法華経講義 >>90-91
 ◆師敵対・亡恩の徒 =①「指導録」隠し >>161 >>190 >>205 ②遺品を奪う >>168 ③27回忌法要 >>169
 ◆「師弟不二」論 =①原点・求道 >>322 ②すり替え論理 >>323 ③弟子の道 >>332 ④仏法違背 >>336-337 ⑤師弟論は我見 >>341 ⑥会長帰命論 >>377 ⑦北条前会長の急逝 >>381 >>383 ⑧地上の楽園 >>382 ⑨小冊子『前進』 >>393 →続行中。

◎学会秘史
 ◆青年部クーデター =①参謀室長就任 >>106 ②総務就任 >>107 ③主要ポスト制圧 >>108 ④勝てば官軍 >>109 ⑤会長就任 >>111 ⑥反旗・顕徳会 >>112 ⑦会長終身規定 >>261 >>263
 ◆池田・秋谷40年 =①学会テクノクラート >>116 ②秋谷栄之助 >>117 ③戸田先生の想い >>120 ④戸田会長利用 >>123 ⑤「私を守れ」 >>124-125 ⑥主導権争い >>129-131
 ◆ポスト池田 =①世襲問題 >>132 ②本部の人事 >>133 >>310 ③ウルトラマン世代 >>134 ④本部職員は家業 >>135 ⑤スターリン批判 >>311
 ◆後継者指名 =①もし「石田体制」なら >>171 >>174-176 ②後継指名なし >>182-183 ③遺言の捏造 >>186 ④大阪事件 >>187

436 名前: SGI 投稿日: 2003/08/30(土) 10:46
あっという間にレスが進んでしまう…。随分前の続きですが。

[>>377 自己レスの続き]
 学会の“師弟の道”の在り方が仏法違背である、と宗門より厳しく指摘され、学会は昭和53年6月30日『聖教新聞』で、教義逸脱と誤りを認め“師弟の道”の訂正・廃棄を表明した。これが、いわゆる『6.30』と呼ばれるものだ。
 ⇒参照HP http://norimaki.faithweb.com/gakuindex.htm 
 そして同年11月には、総本山にて、全国教師会と共に、2千名が参加した記念登山代表幹部会-いわゆる『11.7お詫び登山』-が開催され、「五十二年路線」を謝罪し、学会が留意すべき教学問題が確認された(発表者:辻武寿副会長)。その中に次の事項がある。

 「第一に、戒壇の御本尊根本の信心に立ち、総本山大石寺こそ、信仰の根本道場であることを、ふたたび原点に戻って確認したいのであります。戒壇の大御本尊を離れて、われわれの信仰はありません。」
 「不用意にご謹刻申し上げた御本尊については、重ねて猊下のご指南をうけ、奉安殿にご奉納申し上げました。今後、御本尊に関しては、こうしたことも含めて、お取り扱い、手続きなどは、宗風を重んじ、一段と厳格に臨んでまいりたいと思います。」

 「第二には、唯授一人、血脈付法の猊下のご指南に従い、正宗の法義を尊重してまいります。」

 「第三に、学会員の心情には、長い歴史のなかで、しぜんに会長への敬愛の念が培われてきましたが、また、それは当然であるとしても、その心情を表わすのに、行き過ぎた表現は避けなければなりません。
 『法華初心成仏抄』の中に
 『よき火打と、よき石のかどと、よきほくちと此の三つ寄り合いて火を用いるなり、祈りも又是の如し、よき師と・よき檀那と・よき法と此の三つ寄り合いて祈を成就し国土の大難も払うべき者なり』とあります。
 この御文の中に、よき法とは、言うまでもなく、末法の法華経たる三大秘法の大仏法であります。よき師とは、末法の御本仏・日蓮大聖人であられ、また代々の血脈付法の御法主上人猊下であると拝するものであります。
 私ども創価学会は、よき檀那の立場でなくてはなりません。したがって、今日において、学会で師弟という場合、よき檀那の中における指導性の問題であり、私どもにとっては、代々の会長は、折伏・弘通の師であり、現実社会における人生の師であることを銘記すべきであります」

 この発表は、仏法上における根本の師は、あくまでも日蓮大聖人であり、また血脈付法の御法主上人猊下であるということ、そして学会における師とは「よき檀那」の中における存在にすぎないことを、宗内の僧俗代表の正式の会合で言明し、確認し、その実践を誓ったものである。
[続く]

437 名前: SGI 投稿日: 2003/08/30(土) 10:47
[続き]

 辻武寿副会長の話に出てきた『法華初心成仏抄』の御文の続きは、
 「吉(よき)檀那とは貴人にもよらず・賎人をもにくまず・上にもよらず・下をもいやしまず・一切・人をば用いずして一切経の中に法華経を持たん人をば一切の人の中に吉人なりと仏は説給へり」

 これらの御文を正確に素直に拝すれば、祈りは「よき師」と「よき法」と「よき檀那」の3つが寄り合いて成就するのであり、信者一人ひとりが「よき檀那」でなくてはならず、またなるように努めるべきことを御指南されている。
 決して、1人の「よき檀那」が存在し、その人に師事し、その人の下で信心修行を励まねば祈りは叶わない、とは仰せになっていない。

 >>388 yurikoさんのレスにもありましたが、そもそも仏法の受持・修行において、「よき檀那」(在家)の中で“師弟の道(師弟不二とか師弟相対)”の必要性、あるいはその在り方を説かれた御文・御指南は、御書全編を拝しても一文一句たりとも出てこない。ましてや「(在家の)師への帰命」なる概念は、大聖人の仏法には存在しないのである。

 帰命の対象として、御本尊=大聖人以外のものにおくことは、いかように立て分け、いかなる意味合いを持たせようとも、大聖人仏法の信仰に立てば絶対に許されるものではなく、完全な誤りである。
 あくまでも学会組織における“師弟の道”は、「よき檀那」間の人間関係にすぎず、法門・教義・指導原理にはならないし、また絶対にしてはならないものだ。


439 名前: SGI 投稿日: 2003/09/02(火) 00:27
[>>437 自己レスの続き]

 では、御法門の外にある在家(檀那)集団における“師”とは、いかなる存在だろうか。
 日淳上人等のご歴代上人のご指南を踏まえれば、「学会の師」は戸田先生に尽きるといわざるをえない。

 戦後、宗門は衰亡し学会は壊滅している状況下で、獄中の尊い信仰体験(戸田先生は「悟達」なんて増上慢の表現を全くしていない)に基づく大確信をもって“一人立ち”、学会を再建し、折伏弘教を進め、宗門外護の誠を尽くし、今日の広布展開の礎を築かれた第二代会長・戸田城聖先生こそ、在家檀那中の師であろう。
 もし学会の中で“師弟の道”が説かれることが許されるならば、それは在家信徒としての信仰の在り方・進め方を示し教えて下さった戸田先生に対するものでなければならない。

 名誉会長の大きな誤りは、自らの野望と慢心で、この“師弟の道”を自己の立場に延長させ、戸田先生に替わって自らが“師”となったことだ。戸田門下生のみならず牧口門下生までをも全て自らの弟子となし、不埒で不遜で不躾で身勝手な独自の師弟論を強いたところにある。⇒ >>251参照

 クーデターを正当化させるために、名誉会長を絶対的な「学会の師」に祭り上げ宣揚していったことによって、次第に学会内では名誉会長への姿勢の如何で信心の正邪・厚薄が評価されるようになり、「池田大作」が大聖人に比肩するがごとき絶対的な師弟関係を作り上げていったのである。⇒ >>404 ≪INDEX≫参照
 
 「五十二年路線」の挫折により「人生の師」と称されるようになったが、実質は何も変わらなかった。
 実態は、これまで書き込んできたように、また皆さんが体験・実感されるように、“稀有の師=池田大作への帰命”にほかならない。
 大聖人の仏法、正宗の教義、戸田先生の指導等を、全て自己に都合よく牽強付会し、我見我流の邪な師弟論を展開・定着させたことが、今日の学会の数多くの過ちと誤り、諸悪の言動や在り様を生み出している根源といわざるをえない。

 池田創価学会が、勝つためには手段を選ばず、状況に応じ言動をコロコロと変え、言っている事とやっている事が全く違っていても平然としており、都合の悪いことは事実を曲げ、論理をすり替え、圧倒的な情報量で糊塗し、正当性と無謬性を主張していることはご存知の通りだ。
 これは、池田大作名誉会長の不誠実な心根・人間性・行動様式が反映しているもの。そして、名誉会長を「人生の師」として師事している多くの幹部や会員が、この名誉会長の不誠実な心根・人間性・行動様式に感化されているからだ。
 以前、学会では「出でよ!10万の池田大作」という指針が打ち出されたことがあった。小説『人間革命』を人生のテキストに仰ぎ、創価組織の中で育ち、不埒で不遜で不躾で身勝手な師弟論を学んだ“ミニ池田大作”が、至る所で不誠実で非常識な言動を繰り返すのも当然のことであろう。


469 名前: 創価学会草の根研究者 投稿日: 2003/09/04(木) 15:16
SGIさん
>>15の大阪事件の池田渉外部長(当時)逮捕ですが、当時の新聞各紙(9月4日夕刊)では
9月3日夜逮捕となっております。しかし、日本経済新聞のみ逮捕場所を「自宅」と断定
して報道しているので、聖教新聞の誤報は深夜池田氏が自宅で逮捕されたため、状況が
つかめず、移送拘置された4日を逮捕日として報道したという所ではないでしょうか?
(当時の創価学会は戸田会長の指揮の下、新聞不買運動で日刊紙に圧力をかけていますが、
日経は購読層に学会員が少ないため圧力をかけられず、逮捕場所まで出せたと考えられます)

もちろん、これだと自ら大阪に出頭して逮捕されたという「人間革命のお話」は真っ赤
な嘘になります(私は創価学会が「7月4日説=デマ」批判をするのは「池田氏が自宅で
逮捕されたという不名誉な事実を隠したい」というのがより真相に近いと見ています。)

※補足:逮捕周りの状況を書き換えるため、11巻の「夕張」では戸田版人間革命の刊行日
を6月にしてあるというとんでもない事実歪曲をやってます(その次の「大阪」では7月3日
に戻していますがこの失態、現在の文庫版でもしっかり残っているので噴飯物です)。

470 名前: SGI 投稿日: 2003/09/04(木) 22:38
>>469 「創価学会草の根研究者」さんへ。
 「7月3日」に関する情報のご提示、誠にありがとうございます。深謝。
 3日と4日にこだわっておりましたが、ポイントは「自宅逮捕」だったのですね。目からウロコです。補足情報も興味深く拝見しました。

 そうですか、『日経』も報道していたのですか。知りませんでした。結構、社会的な大事件だったことが推察されます。であれば、小泉隆理事長(当時)の逮捕は、どうような状況だったのでしょうか。先に教団№2が身柄を拘束され、続いて実行部隊の最高責任者が逮捕されたのですから、やはり相当な社会的な関心を呼んだのでしょうね。ご存知でしたら是非ご教示下さい。

 それにしても、いわゆる「学会本」は数多くあるのですが、告発・暴露本だったり、一方的な翼賛・批判本だったり、粗略な論考や表面的な考察が目立ったりで、なかなかきちんとした創価学会に関する研究書といいますか論評、考察本に出会わず、歯がゆい思いを抱いております。
 学会ウォッチャーは存しても、学会研究をライフワークとする方はそんなにいないようです。「創価学会草の根研究者」さんのような方々が情報を提供されることは、大変心強くありがたい存在です。是非これからも貴重な情報のご提供をお願います。よろしくお願い申し上げます。


471 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/05(金) 04:20
>>69 創価学会草の根研究者さん
>>15の大阪事件の池田渉外部長(当時)逮捕ですが、当時の新聞各紙(9(7)月4日夕刊)では
9(7)月3日夜逮捕
,,,,,,,(・_・) ふむふむ。
何か、池田先生らしい、小賢しさだね?
かつて、池田インタビューで、「入信したての頃は辞めることばかりを考えていた。なぜなら、戦争中創価学会は、全部の宗教に反対して、幹部が牢屋に入れられたから。」(趣旨)と、同じ文脈で、公権力からの圧力を、ひたすら恐れていた。
これは本人が、今になってさかんに吹聴しているような「法難」を名誉と思う意ような潔さは、微塵もない。
池田(先生)の本質は、臆病と卑怯に尽きる。
近年、池田先生は、マンデラ南アフリカ大統領と会談した際、マンデラ氏の27年間にも及ぶ「獄中生活」と自分のたった2週間の勾留を単純に比較した上で、「自分も権力と闘った英雄」を演出したが、実際は、公権力をひたすら恐れる俗物でしかなかった。
公明党議員を走狗として、国会喚問をひたすら恐れたのも、それを考えれば、今さら乍ら納得がいく。

472 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/05(金) 04:56

もし、大阪事件での逮捕が、本当に法難と思うのだったら、もっと堂々と事実をありの儘に公開していればよかった。
それが、できなかったのは、「後ろめたさ」があったからに違い無い。
その「後ろめたさ」「とは、第一に、検事の追求にあって、勾留満期(たった2週間!)を待たずに、「ペラペラ」と自供してしまったことと、
妻や子供達の目の前で、手錠をかけられるという不名誉を隠し通したかったからに他ならない。
池田先生は、「自分だけ助かりたい」という卑怯な動機から自供したお陰で、創価学会運動員の大量逮捕という重大事件に発展してしまった。
それを創価学会は、「除名」という御得意な方法で、切り捨て、「臭いものには蓋」をした。
本人の有罪判決も、「自供」という有力な証拠があるう以上、確実と思われたのだが、石田次男氏の活躍によって事無きをえた。
(石田氏は、無論池田の為に働いたのではなく、戸田先生に塁が及ぶのを未然に防いだだけ。)
池田は、「自供」という証拠の為に、4年間もの長い法廷闘争を強いられた。
(同時に逮捕された小泉氏は、自供は勿論せず、僅か一年の裁判だった)
この裁判費用もバカにならなかった筈。
弁護人も当時は、外部から(戸田先生の人脈を利用)の応援を恃んだ。
今のお金でいえば、少なくとも一億円はかかかったのではあるまいか?
平成元年には、一億七千万円入りの古金庫を捨てた創価学会にとって、その額は、はした金に過ぎないだろう。
極貧層の集まりといわれる創価学会員にとっては、その額は見過ごしには出来ない。
一兆円という個人資産を持つ池田先生は、その何分の一かでも、創価学会に返還する義務があるのではないか?


524 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/15(月) 16:31
SGIさん
このような匿名性の高い掲示板で、あまり素性が明らかになりそうなことをお聞きするべきでないのでしょうが、敢えて。
SGIさんは、言論出版妨害事件が発生した時は、何処にいらっしゃいました?
事件の概要とかを知りうる(直接でなくとも)立場にいらっしゃいましたか?
もし、そうなら、池田先生が病気を装おうとして、箱根の研修所で、風呂に何度も入っては、体温計を計っては、「唸されていた」というのは本当の話ですか?
新人間革命では、未来部の代表が池田先生の囲んで、懇談会が開かれたとだけ掲載されとりましたが、その時、池田先生は子供達に「仇を取れ!」(池田大作の素顔)と指導?していたのは本当ですか?
いずれにしても、池田大作という男ーーとんでもない奴だと思うのですが、如何でしょうか?


577 名前: SGI 投稿日: 2003/09/19(金) 23:53
やや前のレスへの回答で、これでは横レスになってしまいますが、
>>524 yuriko さんへ。

>言論出版妨害事件が発生した時は、何処にいらっしゃいました?
――ごめんね、この件はノーコメント。
>事件の概要とかを知りうる(直接でなくとも)立場にいらっしゃいましたか?
――間接的には知り得た、かな?
>池田先生が病気を装おうとして、箱根の研修所で、風呂に何度も入っては、体温計を計っては、「唸されていた」というのは本当の話ですか?
――箱根にお隠れになっていたのは本当です。微熱が続き、体調が極めておもわしくない中、それでも先生は、学会を守るために最高指導者として病態を顧みず次々と手を打っていると聞かされておりました。
>池田先生は子供達に「仇を取れ!」(池田大作の素顔)と指導?していたのは本当ですか?
――本当です。この懇談会だけではありません。私も名誉会長から直接同様の指導・指針?を受けました。上記のような話を聞かされているだけに、友人や知人の中には今でも、この時の「仇を取れ!」を人生の目標・糧・支えにしている者がいます。
>池田大作という男ーーとんでもない奴だと思うのですが、如何でしょうか?
―― 一言では語れません。私の様々なレスから推察してください。

586 名前: SGI 投稿日: 2003/09/22(月) 19:41
 小説「人間革命」は、過去の事実を糊塗し、歴史を塗り替える意図があることは、このスレッドにおいて度々論及されてきた。
 それでも、執筆時から過去を振り返り、事実の隠蔽や歪曲・すり替え・糊塗を重ねても、執筆時からの時の経過の中で今度は現時点から眺めてみると、いろいろと今日の池田創価学会SGIとの齟齬を発見して、なかなか興味深いものがある。
 
例えば、
 「かつての謬説、妄説、疑難等を、あますところなく白日の下に曝して、宗史、宗義、化儀等に至るまで、富士大石寺がいかに正流であり、嫡流であるかを鮮明にしたのであった。
 将来にわたって、どんな小賢しい言いがかりも、この全集(注『富士宗学全集』のこと)を前にしては一指も、ふれることが出来ない。それほど見事な周到さをもって、膨大な百三十四巻を結実している」(②-P79)
 「大聖人の仏法以外は、ことごとく誤った宗教、誤った教理というよりほかにないのであります。この一事が問題なのです。しかも大聖人の仏法が、正しく強く七百年間護られてきたのは、富士大石寺であり、日蓮正宗なのであります」(⑧-P239)
 
あるいはこんな記述もある。
 「或る人は利口気にいう。布教に、ラジオを使うべきだ、テレビを使用すべきだ――と。何と、浅墓な言であろうか。俗にいう、PRなど、学会には、絶対に必要ないのだ。それこそ、多くの新興宗教の取るべき、悪質な企業宗教の手段にほかならない。正法は、断じて法を下げるような方法は取らない。取る必要がないのである」(②-P117)

 「戸田は、金銭に対しては、あらゆる不純を否定して、異常なまでの潔癖な姿勢を堅持した。…彼は、その必要が生ずると、いつも学会員に、その内容のすべてを提示して、必要経費を確保した。まず計画があり、それを遂行するために使用する資金が募られた。金があって、それから計画を立てるのではない。彼は、いつも事をなすにあたって、大胆に金を使ったが、金に仕えることは一度もなかったのである」(⑥-P282)

 「仮に、その御僧侶が浄財を、とんでもないことに使ったとしても、われわれの関知するところではない。その方に、大聖人のお叱りあるのは必定です。御供養はかくあるべきものと、戸田は思うのです」(③-P206)

 「御本尊に関しては、厳密にいうと、唯授一人と申しまして、ただ一人にしかわからぬことなのです」(⑦-P112)
と、いった具合だ。

587 名前: SGI 投稿日: 2003/09/23(火) 00:23
小説「人間革命」とは別に、名誉会長の指導・スピーチも破綻している。
現下の論調と全く一貫しておらず、言動不一致きわまりない。
名誉会長においては、「絶対」とか「断じて」「一切」「……ねばならない」といった言葉が、いかに軽いものであるかよく判ろうというものである。小泉首相の“公約”の比ではない。宗教の指導者が語る言葉が、こんなに軽々しいものであっていいのだろうか。

◆池田大作著『広布と人生を語る』から〔1〕

「第六十七世御法主日顕上人猊下に、この絶対なる血脈は、厳然と承継されているのである。だれ人がいかなる非難をいたそうが、これは侵しがたき、明確なる事実なのである」(②-P123)

「昨今、こともあろうに、唯授一人血脈付法を否定せんとする一部の輩の策謀がみられることは、御開山上人の厳格・正常な正法護持の御精神に照らして、断じてあるまじき所業であります」(③-P72)

「日蓮正宗の根本たる御法主上人を訴えたという、この一事だけで、もはや一切が崩れさったことを物語っている」(③-P212)

「現在も、日達上人御遷化の後、御当代御法主上人を非難している徒がいる。私は命を賭して猊下をお護り申し上げる決心である。彼らは、以前には、総本山が根本であると私どもを叱咤しておきながら、いまは手の平を返して、みずからがその根本を破壊しているのである。言語道断もはなはだしい」(③-P143)

「仏法の師であられる御法主上人猊下に師敵対する僧俗が出たことは、まことに悲しむべきことである。これは恐ろしき謗法であり、真の日蓮大聖人の仏法を信解していない証左なのである。血脈付法の御法主上人を離れて、正宗の仏法はありえないのである」(③-P294)

「絶対に御法主上人猊下に随順すべきである。…これが真実の信心であるからだ。
 それを、増上慢と権威とエゴと野望のために踏みにじっていく僧俗は、まったく信心の二字のなき徒輩であり、もはやそれは、日蓮大聖人の『広宣流布をせよ』との御遺誡に反した邪信の徒と断ずるほかないのである。皆さまは絶対に、それらを恐れたり、また、騙されたり撹乱(かくらん)されてはならない」(②-P37)

588 名前: SGI 投稿日: 2003/09/23(火) 00:25
[>>587 続き]
◆池田大作著『広布と人生を語る』から〔2〕

「御本尊を御認めあそばすのは、御法主上人御一人であられる。われわれは、令法久住のための信心を根幹として、広宣流布に邁進しているのである。しかし、いくら広宣流布といっても、御本尊の御認めがなければできない。われわれは、あくまでも総本山根本、御法主上人厳護の信心で進んでまいりたい」(③-P256)

「日蓮宗身延派にあっても、南無妙法蓮華経の題目を唱えている。御書もある。経文も、法華経の方便品、寿量品等を読経している。また、もと正宗の僧侶であった『正信会』も、御法主上人の認められた御本尊を拝しているし、読む経文も唱える題目も、われわれと同じである。外見から見ればわれわれと同じように見えるが、それらには唯授一人・法水写瓶の血脈がない。法水写瓶の血脈相承にのっとった信心でなければ、いかなる御本尊を持つとも無益であり、功徳はないのである」(⑧-P228)

「三大秘法の御本尊は、総本山富士大石寺に厳然とましまし、七百年の伝統を経て、いま、第六十七世御法主日顕上人に付属されている。その御本尊を書写されるのは、御法主上人猊下御一人であらせられ、それがいま、皆さま方が信受したてまつる御本尊なのである」(①-P185)

「かりに御本尊も、一見すればたしかに物体であり、なくなる場合もあるようにみえるが、代々の御法主上人が、かならず御本尊の御図顕をなさってくださる。絶対の法が残されるのである」(④-P216)

「富士の清流は七百年の苦難の歴史にもいささかも穢されることなく、総本山御歴代の御法主上人により一器から一器へと法水瀉瓶されてきたのでございます」(③-P72)

「以来七百星霜、法灯は連綿として謗法厳誡の御掟を貫き、一点の濁りもなく唯授一人の血脈法水は、嫡々の御歴代御法主上人によって伝持せられてまいりました」(⑥-P12)

「南無妙法蓮華経の大法は、第三祖日目上人、御歴代の御法主上人へと受け継がれ、現在では御当代御法主日顕上人猊下に御相承なされている。本門戒壇の大御本尊を信じ、仏祖三宝尊への報恩感謝が、信心の根本なのである」(⑥-P199)

「信心とは、本門戒壇の大御本尊を信ずることである。総本山を中心とすることが根本であり、御法主上人猊下御一人が仏法の師でいらっしゃるのだ」(③-P98)

589 名前: SGI 投稿日: 2003/09/26(金) 00:15
[>>588 続き]
◆池田大作著『広布と人生を語る』から〔3〕

「日蓮正宗における根本は、唯授一人の血脈である。その血脈相承の御法主上人に随順しゆくことこそ、僧俗の正しいあり方である。この一点を誤れば、すべてが狂ってくる。
 創価学会は御歴代の御法主上人に随順してきたがゆえに、永遠に栄えていくことはまちがいないと確信する」(③-P32)

「日蓮大聖人の仏法の教義は、あくまで御法主上人猊下の御指南こそ根本なのである」(③-P117)

「ゆえに日顕上人猊下の御指南を仰ぐべきなのである。この一貫した仏法の正しき流れをいささかなりともたがえてはならない」(③-P249)

「総本山が日蓮正宗の根本道場であり、御歴代の御法主上人が仏法の師であられることは当然である」(④-P286)

「常に、生涯にわたって、わが愛する同志とともに、仏法の師であられる御法主日顕上人猊下の御許に、力強き前進をしたいと念じている」(①-P49)

「日蓮大聖人の御書を拝するにあたっては、あくまでも御法主日顕上人猊下の御説法を中心として、よくよく拝していかなければならない。唱題し、布教に励み、さらに教学を学び、日蓮正宗の教義がいかにすばらしいものであるかを体得していただきたいのである」(①-P118)

「日蓮正宗の伝統教義を厳格に守り、われわれ学会の使命である広布の大精神を継承していくことの重要さ、大切さはとうぜんの理といってよい」(②-P155)

「まず第一に、日蓮正宗の伝統法義をあくまでも信心の基本としていかなければならない」(③-P112)

「これからも日蓮正宗の伝統法義を確実にふまえながら、一歩一歩、着実なご発展をお願いしたい」(③-P251)

590 名前: SGI 投稿日: 2003/09/26(金) 00:16
[>>589 続き]
◆池田大作著『広布と人生を語る』から〔4〕

「昨日『総本山根本、御法主上人厳護』のSGI決議をした。これは重要な決議である。その信仰の根本をふまえながら、世界広布と世界平和に前進したいものである」(①-P125)

「創価学会の組織は、広布、信心、庶民のための組織である。また、総本山外護のための組織であり、大法弘通のための組織であることを忘れてはならない」(③-P112)

「この代々の御法主上人猊下に御奉公していく信心が、創価学会の根本精神なのである」(③-P151)

「社会はますます複雑になっていくであろう。その動向に対処するために、学会も多様性を要請される場合がある。しかし、ただ、次の点だけは不動の路線であることを忘れてはならない。それは、
 一、三大秘法の大御本尊がいっさいの根本であると拝していくことだ。
 二、御法主上人の御もとに日蓮正宗の伝統法義を確実に体していくことだ。
 三、それを基調として、学会は、広宣流布を展開していくのである。
すなわち、『信』と『行』と『学』を深め、広げていくのである。
 この大原則を離れて、大聖人の仏法はありえないし、いかに内外ともに複雑性をもつ時代になろうとも、この軌道のうえを進んでいけばまちがいないのである。ここにその大原則を確かにふまえた学会活動の重要性が、明確となるのである」(③-P271)

「この反逆の図式について、日蓮正宗の大学匠であられた堀日亨上人は、こう述べておられる。
 『(本師の滅後になると)ややもすれば、なにかの感情で事を宗義に托して、自分は何某(だれ)の弟子でない信者でない、忝(かたじ)けなくも宗祖大聖人の御弟子であると云ふ、反逆児とも云はるべき者が出現する」と。
 すなわち五老僧たちは、“自分は日興上人の弟子などではない。大聖人の弟子である”とし、日興上人に信順できなかった。さらに迫害を恐れ『天台沙門』とさえ名乗った。その根底は、日興上人と対等であるなどという傲(おご)りであり、嫉妬であり、保身に堕した卑しい感情であった。日亨上人は、反逆の徒は常に、こうした感情を言葉たくみに正当化していくものであると御教示されているわけである」(⑩-P80)

591 名前: SGI 投稿日: 2003/09/26(金) 00:39
[>>586-590 続き]

先に提示した『広布と人生を語る』や破門前(特に会長時代)の指導と昨今のスピーチの、どちらが正しく、どちらが大謗法なのか、学会は明確に説明すべきだろう。ついでに名誉会長の指導・スピーチの“有効期限・賞味期限”も公表してほしいものだ。
とても同一人物と思えない変節ぶりである。自語相違もはなはだしい。これを一般に“ウソ八百”というのではないか。

◆池田会長の指導

「ここで『僧宝』とは、今日においては日興上人よりの唯授一人の法脈を受けられた御法主上人猊下であられる。また、御僧侶は全部猊下の弟子である。法類である。ゆえに、いかなる理由があるにせよ、我々はご僧侶を大切にしなければならない」(『聖教新聞』S54年2月26日付)

「御法主上人猊下様は遣使還告で、日蓮大聖人様と拝し奉るのです。このことは信心のうえからはっきりしたものです」(『巻頭言・講義集』③-P184)

「御法主上人猊下こそ経文に説かれている遣使還告のお立場、すなわち大聖人様と拝してお仕え申し上げていくことでありました。これが唯一の学会精神であります」(『会長講演集』④-P145)

「遣使還告であられる御法主上人猊下は、日蓮大聖人様であります」(『会長講演集』⑩-P43)

「日蓮正宗においては、また学会の指導は、五座三座というが、自分は三座二座でいいではないかなどというのは懈怠です」(『会長講演集』⑥-P219)

「大東亜戦争の最中には他の宗教、他の教団は、ぜんぶといっていいくらい軍部と結託をしました。その時に日蓮正宗だけは、単独でがんばりきった宗団です」(『会長講演集』②-P143)

「大聖人の御正意を拝するためには、御相伝による深義によらなければならないのである」(御書講義録『生死一大事血脈抄』P59)

「百六箇条の口伝はもとより、代々の法主上人が記述された箇処も、すべて日蓮大聖人の金口として拝していきたいと考えております」(『百六箇抄講義』)

「御本尊様は日蓮大聖人の生身と拝することです。その信心でなければなりません。…御本尊を“物”と扱うようになった場合は罰をうけます。学会精神に反します。信心ではありません」(『大白蓮華』S39年8月号)

「われらは政党ではない。ゆえに、けっして、衆議院にその駒を進めるものではない。参議院並びに、地方議会等、その本質にかんがみて、政党色があってはならない分野に、人材を送るものである」(『大白蓮華』昭和36年6月号・巻頭言)


597 名前: SGI 投稿日: 2003/10/06(月) 21:38
>>586-591 続き]
下記の引用も、いまだに学会の基本・原則・原点は変わっていないと言い張るあなたに贈ります。
名誉会長は「戸田先生は私の師匠だ」と語っております。名誉会長は下記の師匠の指導をどう受け止めているのでしょうか。

◆戸田先生の指導〔1〕

「なかには先生などとよばれて、さも偉そうな顔をしているものもいるが、もってのほかといわざるをえない。ことに、自分の指導しているものにたいして、威張り散らしたり、押さえつけたりすることは、絶対に禁物である。
 ただ、この世に生まれて、一言にても法を説けることを御本尊に感謝して、慎み深くあらねばならなぬ」(『戸田城聖全集』①-P97)

「いうまでもなく日蓮正宗だけが大聖人より嫡々相伝の家であって、いかに日蓮宗を名のるとも、日蓮正宗以外は、大聖人の相伝の宗ではなく、不相伝家と称する宗で、大聖人の極理を知らないがゆえである」(『戸田城聖全集』③-P161)

「先代牧口先生当時から、学会は猊座のことには、いっさい関知せぬ大精神で通してきたし、今後も、この精神で一貫する。これを破る者は、たとえ大幹部といえでも即座に除名する。信者の精神はそうでなければならない」(『戸田城聖全集』③-P235)

「仏法のうえより誤りがあれば、地区部長といえでも除名する。部長のおかす罪は、もっとも重くみる。組織を重んずるかぎりには、厳罰をもってあたる」(『戸田城聖全集』④-P44)

「いいか、もう一度いいます。折伏することと、お寺へ尽くすことと、御本山への御奉公は、あたりまえのことなのです。それをしたからって、なにもえらいのではないのです」(『戸田城聖全集』④-P237)

「信者は、ただ真心をもって、御本尊様へのご奉公を、いちずにつとめなければならない。われわれ、御本仏大聖人様に、お目通りできなかったその悲しみを、お山のご奉公にかえるのでなければ、真のご奉公とはいえないと信ずるのである」(『戸田城聖全集』①-P65)

「学会は、宗務院の行政には従うのが鉄則であり、今後もただご奉公を尽くしていくばかりである」(『戸田城聖全集』③-P499)

「『一聖』とは、七百年にわたる歴史をもつ日蓮正宗富士大石寺であり、『万宗』とは、それ以外の一切の邪宗・邪義である」(『戸田城聖全集』⑤-P120)

598 名前: SGI 投稿日: 2003/10/06(月) 21:40
[>>597 続き]
◆戸田先生の指導〔2〕

「血脈相承といって、われわれの御法主上人に、法水の容器は違うが、その内容は一滴ももらさずに伝えてきているのです。だから御法主上人だけが、御本尊様をしたためることができる方なのです」(『戸田城聖全集』②-P37)

「どなたが新しく猊座に登られようとも、学会会長として、わたしは水谷猊下にお仕えしてきたのと、いささかも変わりない。新猊下を大聖人としてお仕え申しあげ、広布への大折伏にまっすぐ進んでいくだけである」(『戸田城聖全集』③-P236)

「御法主上人は唯授一人、六四代のあいだを、私どもに、もったいなくも師匠として大聖人様そのままの御内証を伝えておられるのです。ですから、御法主上人猊下をとおして大御本尊様を拝しますれば、かならず功徳がでてくる」(『戸田城聖全集』④-P399)

「法水瀉瓶というのは、ここに二つの茶碗が、どんな形に変わっても、このなかの水を瀉(うつ)せば中の水は変わりないのであります。ですから、代々の御法主上人は、お人によって、いろいろとお姿は違うのでありますが、日蓮大聖人の法水が、そのまま変わりなく移されているのであります」(『戸田城聖全集』⑤-P439)

「この教団こそ日本の宝であり、仏のおおせの僧宝であると、万人の尊敬すべきところで、まことにまずらしい教団である。日蓮正宗の僧侶の教団こそ、これである」(『戸田城聖全集』①-P43)

「われわれは、日蓮正宗の兵隊である」(『戸田城聖全集』④-P25)

「弟子檀那と申しまして、御僧侶方が将校でありますれば、われわれは兵隊であります」(『戸田城聖全集』④-P238)

「末法に大利益ある本仏の宗教を護持・弘通する僧侶は、大集経の意のごとく尊崇・保護しなければならぬ」(『戸田城聖全集』⑤-P192)

「ご法主猊下だけが、御本尊様をしたためることができる仏様なのです」(『戸田城聖先生質問会集』P30)

「日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしようもない。だから、仏立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから、力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。魔性の力が入っている」(『大白蓮華』S34年7月号)

599 名前: SGI 投稿日: 2003/10/06(月) 21:41
[>>598 続き]
◆戸田先生の指導〔3〕

「御僧侶に対する供養は、仏に対する真心を現すものであり、御僧侶は、大聖人に代わって、これをお納めになるのであって、供養は、純真なものでなくてはならない」(『戸田城聖全集』①-P62)

「お山に金を供養して、坊さんがどのように使っても、使ったほうの罪で、出したほうの罪ではないのです」(『戸田城聖全集』④-P485)

「お布施をすることは、坊さんを喜ばすためにするのではない。それは、御供養をして、罪障を消していただくためにするのである」(『戸田城聖全集』④-P502)

「富士に来て 大石寺の 鐘を聞き 仏の慈悲は 身に染みにけり」(『戸田城聖全集』①-P453)

「各家庭の御本尊は大御本尊の血肉をわけた分身であり、功徳には変わりがありません。総本山の大御本尊にお会いするのは、親元に帰りたいといった気持ちで、なつかしがってくるようでなければなりません」(『戸田城聖全集』②-P27)

「なんといっても、御本山に登り、親しく大御本尊様を拝まなくては、本物の信心にはなれない。こんなありがたい御本尊様を、わずかな御開扉御供養で拝むことのできるのは、当本山であればこそであり、まことにもったいないことである」(『戸田城聖全集』③-P490)

「暴力や戦争を否定して、真に文化的な平和な楽園を建設するための根本的思想、哲学を持つ宗教が、富士山麓に厳然と存在していることを主張するものである」(『戸田城聖全集』①-P22)

「創価学会党というものができて、そこで広宣流布するのではなかろうかと考えるかもしれませんが、けっして政治のための政治ではありません。一党一派に偏するものではありません。…その人の主義、政党には、私は干渉しない。胸の奥底に広宣流布をしまっておけば、何党でもさしつかえない」(『戸田城聖全集』④-P271)

「文化活動というものは、広宣流布の大構想からみれば、それは子供のオモチャのようなものである。…それが広宣流布のための本格的な闘争であると思ったら大まちがいです」(『戸田城聖全集』④-P275)
  • 法介
  • URL
  • 2016/10/15 (Sat) 09:42:11
 
Re: 2003年の投稿記事
609 名前: yuriko 投稿日: 2003/11/15(土) 07:01
最近の妙教で、原島崇氏は、池田先生は、丑寅勤行には、一度も参加したことがないことを明らかにしている。
丑寅勤行は、日蓮正宗法主が毎朝、欠かさずに、広宣流布と世界平和を祈念している宗内最重要行事の内の一つだ。
(猊下が法務の為に、本山にいらっしゃらない場合を除いて)
私達信者は、本山に居る間は、出来うる限り参加したいものだ。
それが!
池田大作は、法華講総講頭という重要な立場に居乍ら、一度も丑寅勤行に参加したことがなかったとは!
まさに、この男の人格とは、面従腹背の偽善者そのものだったのだ!
学会員の皆さんは、「しまった!騙された!」となる前に、
もう一度、素直な気持ちになって、本門の戒壇の大御本尊の御前に帰ってきては如何でしょうか?
´ρ`)σ そこの君!法華講は君を待っている♪.


616 名前: SGI 投稿日: 2003/11/18(火) 00:32
>>609
>池田先生は、丑寅勤行には、一度も参加したことがないそうだ
―― そういえば、その通りかもしれない。
 私自身の経験・見聞からも、一度も丑寅勤行に参加する名誉会長の姿を見たこともない。
 先代の日達上人の時は学会の要望を受け容れられて午前0時に、御当代日顕上人猊下が御登座以降は再び午前2時から粛々と執り行われている御開山以来の丑寅勤行に、総本山大石寺に御登山参詣した者はたいてい参加を望むものですが、名誉会長は登山し御開扉あるいはお目通りをしてもすぐにお山を後にしてしまいます(昔は雪山坊で指揮していたこともありましたが)。
 それに名誉会長の指示を受け、学会では丑寅勤行の参加者を制限しておりましたし、そもそも総本山への登山自体いわゆる「五十二年路線」以降(お手打ちになってからも)、夏期講習会や本山での会合を開催することも減ったりなくなったり、団体登山も以前に比べれば熱心に取り組まず啓蒙や勧誘することが極めて少なくなっておりました。

617 名前: yuriko 投稿日: 2003/11/18(火) 02:20
\(^O^)/SGIさん待ってたよ~ん!
以前、私は、山崎正友氏とは、どの程度親しかったか聞きましたよね?
そしたら、山崎氏とは、「ライン」の違いから、あまり接触する機会が無かった旨を書いてましたね。
私は、個人的には、山崎氏の学会貢献は大変重要なものだと思っています。
何故なら、彼によって、(秋谷氏の事務系は別として)創価学会は、組織として磐石になったと思うからです。
それにしても、SGIさんが、ずっと解説して下さったように、原島氏を中心とする創価学会教学部「創価仏法教学部」による、教理体系構築も重要だったのではないか?と思います。
あまり、「きわどい」質問はしたくないのですが、
SGIさんは、そんな教学部とどのように拘わっていらしたのか、教えて頂けないでしょうか?
原島氏の(差し支えのない範囲で)人物評価は?彼の貢献度は?
伝説の教学室長の桐山氏は?ーー私は、彼が書いた英文「fundamaental of Buddhism」を未だに愛用
しています。

618 名前: yuriko 投稿日: 2003/11/18(火) 05:34
>>616 SGIさん
>(昔は雪山坊で指揮していたこともありましたが)。
一体、何時頃から。池田(先生)の信心は狂ってしまったのでしょうか?
私は、てっきり、池田(先生)は、戸田先生に倣って、本山に居る時は、常に雪山坊に投宿して、指揮?を執っているものとばかり思っていました。
それが、ちょっと、可笑しいと感じ始めたのは、創価学会本部の方針として、創価大学でも夏期講習会が催されるようになってからです。
その時思ったのは、
「果たして、本門の大御本尊様に御目通りしないで、夏期講習会を開く意義などあるのだろうか?」ということでした。
あれは、昭和51~2年当たりだったでしょうか?
SGIさんは、そうした池田(先生)の行動を指して、『師敵対」とまで、言ってましたよね?
本当は、何時から池田(先生)は、狂ってしまったのでしょうか?(池田自身や他の戸田先生の直弟子達は)「戸田先生に申し訳ない」などとは、思わなかったのでしょyか?
池田(先生)は、戸田先生の一番弟子であった石田氏を憤死させ、自分を直接面倒見てくれた、先輩幹部の竜年光氏と反目しあう姿は、正に「師敵対」としかいいようがありません。
創価学会を実質的に0から再出発させ、75万世帯ーー実質的には、300万世帯までした戸田先生。
やはり、創価学会は、永久に戸田創価学会であるべきではないのでしょうか?ーーすなわち、創価学会の存在意義は、宗門外護であり、本門の大御本尊様を信仰の中心にするべきではないでしょうか?
~~~~~~~
竜氏は、戸田先生の思い出として、
「立っている電柱、一本一本が御本尊に見えるんだよ」と、顔をほころばせながら言っていたそうです。
この御本尊とは、無論、正宗に伝わった「板御本尊」のことだったと思います。
やはり、戸田先生の信心は本物だったんだな~と思います。

619 名前: SGI 投稿日: 2003/11/18(火) 23:51
>>617-618 yurikoさんへ
>教学部とどのように拘わっていらしたのか、教えて頂けないでしょうか?
―― 私は“秘すべし教学”を受講する立場であって、教理体系構築に直接関わる立場になったことはありません。

>原島氏の(差し支えのない範囲で)人物評価は?彼の貢献度は?
―― 私の印象では、原島氏はとても真面目な方です。学会2世・学会っ子のパイオニア的な存在で、純粋培養の一途さが際立っておりました。ウソをつくことができない人で、また責任感が強く、自分の領分のことは精一杯尽くそうとの心構えに満ちておりました。ですから、学会SGI思想構築への道しるべを開いた貢献度は大変なものがあろうかと思います。現在の氏にとっては痛恨の極みでしょうが。

>伝説の教学室長の桐山氏は?
―― 桐山泰次氏は、原島氏の造反後、教学部長に任じられましたが、早々に教学研究室長に転じられております。原島氏と共に名誉会長の著作物を代行していたグループや新教学の理論構築を図っていたメンバーは、一部の人間を除きほとんどが教学研究室等の閑職に追いやられております。
 野崎至亮氏などは陰ながら「池田批判」を広言(変な表現だな)しており、原島氏の資料持ち出しを手伝ったとも伝えられております。一体彼らは今何をしているのだろうか。

 原島氏は造反後相当の辛酸を舐め、その尊い体験を通して正宗信仰に原点回帰することができたのでしょう。しかしながら、桐村氏や野崎氏あるいは松島淑氏らは、おそらく現況の学会の在り様が狂っていることは肯定しても、正宗の伝統教学自体は時代遅れで現代に相応しく再生させなければならないと考えているのかもしれません。
 川田洋一氏は完璧に正宗教学否定者で、学会の新教学・SGI思想により正宗の伝統教学を再生どころか超克をめざしており、こうした再生・超克の脈絡が今日の学会教学部や松戸行雄氏や中野毅氏、小林正博氏らの学術部員の論調につながっているのだと思います。

>一体、何時頃から。池田(先生)の信心は狂ってしまったのでしょうか?
―― さあ、いつ頃からでしょうか。それを探ってみようと、本スレッドで『人間革命』の検証を通じて考えてみました。石田次男氏は「大阪事件」の拘置所で退転したのだと指摘しておりますし、竜年光氏は最初から信心がなかったのだと批評しております。おそらく、そうなんでしょうね。

>他の戸田先生の直弟子達は「戸田先生に申し訳ない」などとは、思わなかったのでしょyか?
―― 今なお学会で禄をはべる長老たちにはないのかもしれません。情けないことです。
 名誉会長の第三代会長就任における“青年部クーデター”には大変な枉惑が潜んでいるのでしょう。

>創価学会は、永久に戸田創価学会であるべきではないのでしょうか?
―― その通りだと思います。でも、破門となった現在では詮なきことです。もう在家信徒団体のみの組織は御宗門は認めないでしょうね。新たな僧俗一致・和合の教団を築くしかありません。
 「祖道の恢復」です。それには御僧侶方の一層の奮起・自覚・指導性を望みます。


627 名前: SGI 投稿日: 2003/12/02(火) 23:50
別スレ「マインドコントロールについて」で、学会の政界進出・公明党問題が話題となっておりますが、こちらで少々記してみたいと存じます。

 政界進出に関する戸田先生の意図や目的については差し控えさせていただきますが、戸田先生は下記の指導を残されております。
 >>599 >「創価学会党というものができて、そこで広宣流布するのではなかろうかと考えるかもしれませんが、けっして政治のための政治ではありません。一党一派に偏するものではありません。…その人の主義、政党には、私は干渉しない。胸の奥底に広宣流布をしまっておけば、何党でもさしつかえない」(『戸田城聖全集』④-P271)
 あるいは「衆議院には候補者を立てない」(『週刊朝日』昭和31年7月29日号)、「わしの力あるかぎりは、断じて政党などやらんぞ」(『総合』昭和32年7月7日号)と、つまり公明党のような政党の結成は明確に否定しております。

 この指導を受けて、名誉会長も第三代会長就任後しばらくは
 「創価学会は衆議院には出ません。なぜかならば、あくまでも宗教団体ですから」(昭和36年6月10日)とか >>591 >「われらは政党ではない。ゆえに、けっして、衆議院にその駒を進めるものではない。参議院並びに、地方議会等、その本質にかんがみて、政党色があってはならない分野に、人材を送るものである」(『大白蓮華』昭和36年6月号・巻頭言)と、戸田会長時代の方針を踏襲していたのです。

 ところが突然、 昭和39年5月本部総会にて、「公明政治連盟を一歩前進させたい。すなわち、公明政治連盟をば、皆様方の賛成があるならば、王仏冥合達成のために、また時代の要求、民衆の要望にこたえて、政党にするもよし、衆議院に出すもよし、このようにしたいと思いますけれども、いかがでございましょうか。(中略)恩師戸田先生も、時きたらば衆議院へ出よ、とのご遺訓があったのです」と発表。

 かくのごとく、いとも簡単に前言をひるがえし、政党結成・衆議院進出を決定します。しかも、何千人の聴衆を前に本部総会という会において最も重大な会合での「会長講演」の中で提案という形を取り、かつ、恩師・戸田先生の“ご遺訓”の捏造または訓戒を反故にしております。つまり、公明党の結成・衆議院進出は、師敵対行為なのです。

628 名前: SGI 投稿日: 2003/12/02(火) 23:51
 政党を結成し衆議院に進出したことで、学会にとっては計り知れない十字架を背負い、今日の無様な在り様に堕する機縁になったのではないでしょうか。それはともかく、名誉会長にとっては多くのメリット・果実を与えたことは間違いないでしょう。
 もともと選挙活動での活躍ぶりで幹部としての地固めをし階段を駆け上がり会長のイスを得たのですから、名誉会長にとっては、選挙は己れの存在意義を示し、会内での出世手段であり、権力維持の装置なのです。⇒ >>107 >>111 >>117 などを参照。選挙がなければ、名誉会長は“ただのおっさん(じいさん)”でしかありません。

 さて、公明党が結成されても――先の本部総会では「本日より政治分野においては、公政連はあくまでも自由奔放に戦いを展開してもらいたい。一方、創価学会は純粋なる宗教団体として、政治部を廃止し、本来の使命である宗教活動、折伏に邁進したい」と述べているにもかかわらず――公明党の議員は、全員学会の要職を兼務しておりました。
 それが「言論出版問題」で世間に謝罪し政教分離を約束した事で、表向きは議員は学会の要職を離れることなったのですが、これが、竜年光・元都議や大橋敏雄・元代議士の告発本でも明らかのように、単なるポーズでしかなく、今も昔も公明党はあくまでも“池田私党”でしかありません。

 公明党は、名誉会長を護るために存在します(党だけではありませんが)。したがって、公明党の国会議員は何よりも名誉会長への忠誠心が問われます(何も議員だけのことではありません)。
 議員になるか否かは、名誉会長の胸三寸です。名誉会長の“鶴の一言”で、突然議員にならざるをえない(辞めなければならない)ことは、けっして珍しいことではありません。それ故に、表向きの候補者推薦の手続きは存しますが、本当の人選基準は名誉会長の“御心”次第です。

 そこで左遷人事として、あるいは報償・論功として、時には忠誠心の審判として、さらには権力維持のために人選が決定していきます。その格好の事例が、太田昭宏・元総合青年部長・現衆議院議員ではないでしょうか。


 独白:職場で部下の退職と入院が重なり、てんやわんやの対応に追いまくられております。毎晩10時11時の帰宅や休日出勤が続き、明日からは出張です。疲労感が背中に張りつき、年末業務を前にして、ますますイラづいている今日この頃です。久々にレスしてみました。少しはストレスの解消になったのかな。


643 名前: SGI 投稿日: 2003/12/13(土) 22:00
 今日、埼玉のゴミ処理場での大量紙幣(約3000万円)発見のニュースが報じられていますが、
 中西治雄氏といえば、何といっても平成元年6月の「古金庫事件」でしょう。
 横浜のゴミ処理場に捨てられていた古金庫から1億7千万円の現金がみつかり、やがて古金庫が聖教新聞社地下倉庫から運び込まれていたことが判明すると、中西氏が「私がサイドビジネス(総本山での売店事業および金杯販売)で稼いだ金だ」と名乗り出た事件です。中西氏はこの事件で形式上は懲戒解雇になっております。ご記憶の方もおりましょう。

 さて、中西氏は『人間革命』第7巻に「中道秋雄」で登場しております。
 詳しくは下記のHPをご覧下さい。
http://www.toride.org/17zikn1.html 『自由の砦』(平成9年9月10日号)
http://www.toride.org/17zikn2.html 『自由の砦』(平成9年10月10日号) 

 上記『自由の砦』でも指摘していることですが、学会の「調査報告書」は余りにも矛盾点・不可解なことが多すぎます。明らかに偽証です。
 実は、この「古金庫事件」が起きる数ヶ月前に、本部幹部・職員の間では「中西さんが本山売店の営業権を億単位で与えられ、口封じを約束させられた」との噂が流れておりました。あの「古金庫事件」は仕組まれたものではないかとの疑惑が当時囁かれていたことを思い出します。

 中西氏と名誉会長の関係は、戸田先生の事業である「東京建設信用金庫」や「大蔵商事」の営業活動を通じて知り合い、職場の上司・部下の関係から始まっております。
 名誉会長が三代会長に就任した後は、初代・第一庶務室長を務め、また名誉会長のご母堂・イチさんが亡くなった時には葬儀の総責任者を務めました。まさに名誉会長の秘書であり、金庫番であり、池田家の執事だったのです。誰よりも名誉会長のウラも表も知り尽くした人間です。

 それだけに絶対に敵に回せない存在です。“飼い殺し”にするしかありません。中西さんには娘さんが3人おり、いずれも学会に絡めとられておりますし、江戸川区に新築した自宅も「老後を保障するという名目で学会の金で建てた」と聞いたことがありますので、造反はせず、半ば幽閉状態を甘受しながら余生を過ごしているのでしょう。

 名誉会長は「中西は私から逃げようとして罰を受ける。頭がまた禿げて、顔がはれるよ」と評しておりました。


659 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/12/20(土) 06:40
SGIさま
中西さんの件も含め、いわゆる反権力のジャーナリスト(本多勝一とか鎌田慧)
たちはどうして中西さんを取材し事実を明らかにしないのでしょうか。
証拠となるような事実は残っていないのでしょうか。
池田先生がなくなったとき初めていろんな人が事実を語りだすのでしょうか。
たとえば、細谷元東京長などもどこに行ってしまったんでしょう。
池田先生が亡くなるまではみんなダンマリなんですかね。


661 名前: SGI 投稿日: 2003/12/21(日) 00:36
>>659 「名無しさん」さん
>中西さんを取材し事実を明らかにしないのでしょうか。
―― 本多勝一氏は自身のテーマが違うので直接的には関わっていないと思いますが、
 鎌田慧氏については以前アプローチがあったことを聞き及んでいます。
 本多氏や鎌田氏だけではなくジャーナリストにとって、「創価学会」は格好のテーマになるはずです。常に取材やアプローチは試みていると思います。でも、マスコミには厳然と“鶴のタブー”が存します。タブーに触れた時のリスクを考えれば、評論を発表することを差し控えるのでしょう。
 
>池田先生がなくなったとき初めていろんな人が事実を語りだすのでしょうか。
>池田先生が亡くなるまではみんなダンマリなんですかね。
―― おそらく、そうだと思います。

 学会には、ご承知のように造反しにくい、あるいは分派活動ができない仕組みがあります。
 それに、以前 Leoさんのご指摘にもあったように、本部幹部・職員には「組織(学会)絶対」の感覚があります。「戸田の命よりも大事な学会」のフレーズに基づく「仏意仏勅の学会組織を破壊させてはならない」というテーゼが骨の髄まで染み込んでいるのです。

 したがって、名誉会長のことは否定できても、組織破壊へとつながる行動には踏み込むことができません。自制心が働くのです。そして今、名誉会長批判を公表すれば、巨大組織が総力を挙げて徹底的な人身攻撃を繰る広げるのですから、結局静かに遁世するしかないということになってしまうのでしょう。

 名誉会長の死=“Xデー”を迎えた時、学会内部で「スターリン批判」が始まるのか、それとも「毛沢東路線」をさほどの混乱(天安門事件はありましたが)もなく“改革・解放”へと変更させた「鄧小平路線」が実現できるのか。あるいは名実共に「池田教」の確立ができるのか――今、本部内では主導権争いが続いております。
 「スターリン批判」の展開になれば、凄まじいものが次から次へと出てくるでしょう。
 でも、学会・SGIの想像を絶するような巨額資産を前にすれば、そんな愚かな選択はまずないと思うのですが…。分かりません。

 ところで本スレでは、「池田創価学会40年の歴史」は「池田=秋谷の40年」であることを記してきました。
 ⇒参照 >>116-117 >>120 >>123-125 >>129-135 その他のレス目次は >>404
 その中で、「ポスト池田」は、実は「ポスト秋谷」が課題であることを触れたのですが、現下において次代の学会執行部に関する不鮮明さは、昭和54年の“無血革命”に由来するのです。
 そして、この“無血革命”の延長線に、太田昭宏氏のことがあります。太田氏を学会執行部から追い出し公明党に送り込んだことに、「ポスト池田=秋谷」の混迷さを招いていると、私は捉えております。


664 名前: SGI 投稿日: 2003/12/22(月) 00:05

 カリスマ性といえば、名誉会長の後継者と目された幹部として、故・福島源次郎副会長と太田昭宏・元総合青年部長・現衆議院議員がいます。共に、リーダーとしての度量や器量に富んだ方で、多くの会員が心を寄せていました。

 その2人の人生を大きく変えたのが、昭和54年の“無血革命”=池田会長の勇退・総講頭辞任です。
 この会長勇退・総講頭辞任は、御本尊模刻に象徴される大謗法路線の「五十二年路線」の責任を取るものでした。福島氏は、この「五十二年路線」の終結に連座する形で副会長を辞任。直接の理由は54年3月の“大牟田発言”でしたが、この“大牟田発言”は捏造でした。つまり、福島氏の失脚は仕組まれたものなのです。

 「五十二年路線」終結への実質的な指揮官は、原田稔・現副理事長。当時彼は、池田会長(第一庶務)と理事長室(宗教法人責任役員会)と学会執行部の間の連絡調整を担っておりました〈現在この役割は、正木正明副会長が本部役員室長のポスト名で担っております〉。
 原田氏らが、名誉会長や北条前会長、秋谷会長らの意向を受けながら、宗門との“お手打ち”を進めると共に、池田会長の名誉会長への移行(無責任体制の確立)、秋谷ラインの強化、後継ライバルの追い落としを図ったのです。
 
 「五十二年路線」そのものは挫折に終わりましたが、宗門との“お手打ち”は成功し、かつ正信会僧侶の宗門追い出しや山崎正友・元顧問弁護士、原島嵩・元教学部長の除名処分、さらに名誉会長の次男・城久氏への後継路線をスタートさせることができました。
 そして、城久氏への後継路線を進めていくにつれ、太田氏の存在が、名誉会長サイドにとっても秋谷会長ラインにとっても目障りとなり、太田氏の議員転出が企てられていったのです。

665 名前: フレッツ 投稿日: 2003/12/22(月) 01:50
SGI さん

すさまじい政治力学が存在しているのですね。こういうことは、身近にいらっしゃったであろう、SGI さんしか知り得ません。
知っていらっしゃることを全部お願いしたいくらいです。
どこかのサイトで、現在は既に池田氏は人寄せパンダ化し、実権は秋谷氏を中心とするグループが掌握しているのでは?という話を見ましたが、
ありそうな話だと思います。
ところで52年頃の池田氏が箱根?に隠れていた時などに本部を仕切っていたのは原田氏ということでしょうか。

蘭さん

はい、私も SGI さんの話は説得力があると思っています。
学会員の思考方法の情けなさについて意見しました。

666 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/12/24(水) 13:54
SGIさん 
古川利明というジャーナリストが学会をいろいろ批判して
いますが、元新聞記者の癖に取材しているようでそれほど
取材していないんですね。それは佐高信も同様です。
ほとんどの文章が憶測でしかない。

憶測や宗門サイドの意見ばかり取り上げるので、結局何の決め手にもならない。
我々学会員が驚くような事実が出てこない。乙骨氏と似たり寄ったりなんです。
むしろSGIさんの書き込みのほうがオッという新しい情報がありますよ。
SGIさんがうそを書いているとは思いませんが、
所詮私らではSGIさんの言葉が事実かどうかの確認など
できないわけで、最後はどっちを信じるかということに行き着くのでしょう。
SGIさん 一度実名で本などお出しになったらいかがですか。
yurikoさんと私はきっと買いますよ。楽しみにしています。

667 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/12/24(水) 14:24
SGIさん 続きです。
SGIさんがいろんな経緯があって学会を去り宗門に行ったというのは、
信念に基づいてのことでしょうから私は尊重します。創価仏法の原理で言えば
私のような考えは慈悲がない行為なのかもしれませんが、
宗教の選択は誰しも認められた権利ですから、どうしようもない。
私の経験でいえば大概の学会員の友人も私と同程度の考えですよ。
首に縄を引っ掛けてでもなんていう大慈悲の持ち主はお目にかかった
ことありませんです。

私がいつも釈然としないのは、
末端会員はともかく、学会を去って行った元幹部の方たちは、
自分が折伏した人やあるいは自分の部員さんだった人に対して、
学会を去る決意を彼らに説明しているのかということです。
あまりしていないのではないか。

というのは、責任者であれば座談会に出ようとか折伏しようとか、
公布基金しましょうとか、ずいぶん会員に対して働きかけてきた
わけでしょう。働きかけていたにもかかわらず、黙っていつの間にか
学会を去ってしまうというのはある意味無責任だと思うのです。
特に若い世代。学生部とか男子部時代なんていうのは
結構無理に部員さんを活動に引張り回しているはずなんですね。
今まで引っ張っていたのに説明も無くいなくなってしまう。
去ってゆく時にいろいろ心無いようなことを言う輩もいるでしょうから、
つらいのも分かりますが、置手紙くらいはして頂きたいものです。
この件についてSGIさんはどのようにお考えですか。
名無しのままでいることは少しわけがるものですからお許しください。

668 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/12/24(水) 14:49
>>664
SGIさん 私も当時学生部だったので、太田昭宏さんが彗星のごとく青年部長に
就任されて瞬く間に学会員の気持ちを掴んだのを記憶しています。
池田先生が勇退された数年後で、山崎氏・原島氏という大幹部が離反したときですね。
溝口男子部長という方も居られましたが、山崎元顧問弁護士と
マージャンばかりしていたので左遷されたという噂が流れていました。
でもそのときから、太田さんは将来は公明党に戻る方で、
いまこの難局のときに学会で指揮を取っているピンチヒッターだ
という風にきいてましたよ。公明党は太田さん。
そして、学会のほうは浅見さんが将来会長になる。
そのように聞いておりました。
浅見さんもねえ。学生部長・男子部長・青年部長というときは、
輝いて見えたものですが・・・・。

669 名前: Leo 投稿日: 2003/12/25(木) 02:29
名無しさん。

(気になったので横レスさせて頂きます...)

以前の書き込みでSGIさんは学会を追われたということをいわれていました。
ですので、去るときに説明して行くとか去るのは無責任とかは問えない
のではないかと思います...

670 名前: 名無しさん2号 投稿日: 2003/12/25(木) 13:45
聖教新聞というジャーナリズムに名を借りた会報が宗門や
脱会者をいろいろ批判していますが、新聞の癖に取材しているようで
それほど取材していないんですね。それは創価新報も同様です。
ほとんどの文章が憶測でしかない。

671 名前: SGI 投稿日: 2003/12/25(木) 23:34
>>665 フレッツさん
>知っていらっしゃることを全部お願いしたいくらいです。
―― そんなことをしたら、この世から消えているかもしれません。
>本部を仕切っていたのは原田氏ということでしょうか。
―― 仕切っているのは、秋谷会長です。原田氏は単なる“事務屋”です。
 また、名誉会長が箱根に逃げ隠れていたのは「言論問題」の時です。私の印象では、「五十二年路線」の時は、名誉会長はどちらかというと“強気”だったように記憶しています。
 名誉会長が逃げ隠れるのは、たいてい世間的に「池田問題」が噴出しマスコミなどが騒ぐ――例えば『月刊ペン』事件や国会喚問などが取り沙汰された時などで、80年代は海外に長期滞在しておりました。

 「五十二年路線」の収束=“お手打ち”へ向けて宗門との折衝役が、山崎氏、原島氏、原田氏、野崎勲氏でした。このうち山崎・原島の両氏は、日達上人のご威徳に触れ「ミイラ取りがミイラ」になってしまったのです。
 また野崎氏は、学会組織では男子部長として「池田本仏論」の浸透を図っていた当事者の1人でしたので、宗門サイド(活動家僧侶)への説得力を持ち得ず、昭和54年の終局場面での取りまとめは原田氏ということです。でも、シナリオを書いたのは秋谷会長だと推測しております。

 原田氏は、抜群の記憶力の持ち主です。名誉会長の“伝説・神話作り”にはなくてはならない人でした。名誉会長が出席する会合や記念写真撮影会等では、あらかじめ事前に参加する会員の名簿やプロフィール、エピソードがまとめらます。その報告内容を原田氏が頭に入れ、名誉会長に影のように付添い、耳打ちしながら“1人の会員をも大切にする、何でも知っている池田センセー”を演出しておりました。
 また、接遇(名誉会長への貢物を捌くセンター)では、名誉会長の指示が次から次へと気ままに出されますが、その1つ1つをメモを取らず、きちんと確実に処理できるのは原田氏しかおりませんでした。つまり、原田稔・現副理事長は優秀な典型的な創価官僚なのです。

 原田氏の職員としてのスタートは「聖教」の記者。小説「人間革命」を担当(執筆ではなく原稿の収受)した時、名誉会長の目に止まり、第一庶務室長の抜擢され、本部幹部・職員として主流に入り、本部事務局の事務総長へと登りつめました。
 長く事務総長として絶大なる決裁権を持つため、彼の決裁がなければ業者を指名することができません。だから業者の攻勢も凄まじく、まともに自宅に帰っていないとか。赤坂に“彼女”がいるらしいとの噂を聞いたことがあります。

 この原田氏の“おいしい生活”を真似て、学会会館に自動販売機の設置をめぐりリベートを着服したのが浅見茂副会長で、彼はリベート問題が明るみに出てしまい(『慧妙』等でご存知の方も多いでしょう)左遷となった、というのがもっぱらの噂です。
 この件が明るみに出た時、本部は会内に「綱紀粛正」の通達を発しております。
 浅見氏は「頭の中まで筋肉」と称され、「間違って男子部長になった」と評される程で、無内容な空威張りだけが得意のゴマスリ男だったため、誰も庇う者がいなく、やむなく信濃町を後にしたのです。珍しく身から出た錆で出世を閉ざした本部中枢幹部となりました。


「名無しさん」さんへの返レスは、また今度。ごめんなさい。


676 名前: SGI 投稿日: 2003/12/27(土) 00:14
「名無しさん」さん

>>666
 古川利明氏の3部作=『システム』『シンジケート』『カルト』は、ここ10数年の“学会情報”をまとめた・集大成したという意味では力作でしょう。
 けど、「名無しさん」さんがご指摘のように、“二番煎じ”の観は否めません。おそらく勝れたディープ・スロートを掴んでいないのだと思います。やはり故・内藤国雄氏や段勲氏の方が一日の長がありますね。
 また、それだけ最近の学会内部での「管理」が厳しいのかもしれません。私ですら、学会時代の友人や知人との接触がままにならない程ですから。本部幹部・職員にとって、外部者や、ましてや敵対者に会う・話すということは、ほとんど自殺行為に近いものがありますからね。

>最後はどっちを信じるかということに行き着くのでしょう。
―― そうですね、その通りだと思います。
 だからこそ、より広く・多くの情報収集と妥当性の検証・検討が欠かせません。
>一度実名で本などお出しになったらいかがですか。
―― そんなことをしたら、生活が破壊します。
 段勲氏や乙骨正夫氏は、そうした言語を絶するような凄まじい学会サイドの“プレッシャー(迫害)”の中で活躍されているのです。この度の『週刊新潮』連載「新・創価学会を斬る」の山田直樹氏も、もう二度と平穏な生活には戻れないでしょう。大変な覚悟の上のことだと拝察します。
 なお「新・創価学会を斬る」も、古川氏と同様“二番煎じ”のレポートに終わってしまいました。ちょっぴり残念。

>>667
>今まで引っ張っていたのに説明も無くいなくなってしまう。
>置手紙くらいはして頂きたいものです。
―― 全員が、とは申せませんが、多くの方々が個人的には懸命にそうした行動を取っております。
 でも“点”は“線”にならず“線”は“面”に広がらないのです。局所に限られてしまうのです。それだけ本部機構の対応・対処が凄まじいのです。
 円満退職であっても、退職前後しばらくの間は行動の一切が監視下に置かれ、会話や通信の自由が奪われることがあります。造反・敵対、あるいは不本意退職者であれば、それに口コミを使っての人身攻撃を付加し、信じられないような“人格破壊者”に仕立てられますし、様々な場面で迫害や嫌がらせを受け、そうした事への対応に追われ、かつての友人知人・後輩への接触はできません。それでも中には、今般の「宗創戦争」が起こった頃は、共同で手記を出版した職員や議員がいました。


677 名前: 蘭 投稿日: 2003/12/27(土) 00:18

SGIさん、こんばんは。
森重さんのお子様って現在どうしているのでしょうか。


678 名前: 蘭 投稿日: 2003/12/27(土) 00:19

もしかして、そういう存在は、やっぱりいないのかしら。

679 名前: SGI 投稿日: 2003/12/27(土) 00:39
>>677-678 蘭さん、こんばんは。
今すぐには確認できませんが、
昔名誉会長も在職していた大蔵商事の後身会社(商号を思い出せない)が森重さんのマイカンパニーになり、学会関係の物件等の保険代理業を営んでおり、その会社の役員に就任している、と認識しております。
たしかそうだったと聞いたことがあるのですが、不確実情報として受け止めてください。

680 名前: 蘭 投稿日: 2003/12/27(土) 00:57

SGIさん

返事をありがとうございます。教えていただいて、ありがとうでした。

それでSGIさんは、学会は除名にはなっていないんですよね?確か。
違っていたら、すいません。それで今は寺院に通う日々なのでしょうか。
それで学会と宗門両方見られていると思うのですが、宗門が偽本尊と言ってる
学会の本尊を拝んで「不幸せになりました」って言って、宗門に行かれている方
は結構いるという感じをお持ちですか?宗門の方に聞くと「いっぱいいますよー」
って聞くのですが(笑)どうも昔からの人間関係で信用できない方なので
それで聞いてみたいと思いました。

それと、たくさん読ませて頂いて、結果的に「現象面」で、池田先生の
意思が通ったという事実。それをもって「勝った」とするなら、やっぱり
どう考えても「題目を徹底的にあげてるから」だと思ってしまいます。
なんだか読んでてそう思いました。魑魅魍魎の頭のいい本部職員達の中で、
あれだけの位置を維持できる題目の一念みたいなものを感じてしまいました。
(ちなみに私は一応、気持ちの上ではバリです・・爆)

それと、以下のサイトはご存知でしょうか? 私は原告ご夫婦を知ってますが
SGIさんは、どう思われますでしょうか。

http://www.bea.hi-ho.ne.jp/jinken/


686 名前: フレッツ 投稿日: 2003/12/29(月) 12:10
蘭さん

カミナリが恐くて題目あげたことはあったでしょうが、大蔵商事でお金を持ち始めてからは、
ほとんどないんじゃないでしょうか。
あまりに信心がないことを夫人が戸田先生に相談したぐらいですから。
それに、うまい手段を選べば、今の地位を確保することは可能でしょう。
我々学会員は、いい事があると題目の福運と考えますが、神のお陰と考える人もいます。
どちらが正しいかは分かりませんよね。
私は池田氏の「成功」は、経済力を用いた制圧によるものと思います。
学会は社会に対して同じことをやっていますよね。

687 名前: 蘭 投稿日: 2003/12/29(月) 22:16

フレッツさんさ。。。

カミナリ云々というのは、入会のときとこと言ってんだろうけど、その当時や
大蔵にいたときのこと言ってんじゃないのよ。第一、私はそれを書物で
知ったんじゃなくて、石田次男とか、それこそ戸田先生の奥様から聞いて
そう実感したんだからさ。もっとちゃんと物事勉強して言ってよ。


688 名前: 蘭 投稿日: 2003/12/29(月) 22:18

それと戸田先生の奥様が、なんでそう戸田先生にいったのか、それくらいの
ことも把握しないで言っても、なんだか説得性ないんだよね。その背景も
ちゃんと知った上で言ってくんないと、なんだかコピペ相手にしているみたい
じゃないの(笑)。

もうちと、SGIさんまでとは言わなくても事情を知った上で書き込みした
ほうがいいと思うなあ。いちいち説明しなきゃなんないのは、しんどいっすよ。

689 名前: フレッツ 投稿日: 2003/12/30(火) 02:26
蘭さん

了解です。失礼しました。
私は、今となっては、SGI さんや yuriko さんが知ってること等で知るしかないですが、
少なくとも、みなさんの話からは蘭さんとは違う印象を持ちます。
戸田先生夫人と交流があったとは。。。蘭さんはかなり本部に近い方でしょか?
蘭さんの知っていることもお聞かせください。時間のあるときで結構です。

それから、池田氏が今の地位にいることと彼の過去の信仰とが結び付く根拠が
私には分かりません。
フセインが最近まであの地位にいたことととの違いが分からないのです。
金日正が二世にもかかわらずあの地位にいることができることとの違いが分かりません。
違いが分からないので、なおさら蘭さんと違う印象を持ってしまうのでしょうね。

690 名前: SGI 投稿日: 2003/12/30(火) 02:41
>>639 の続き、太田昭宏氏のこと。

 最近のことは判りませんが、以前は本部に就職すると、あらかじめ配属先が決まっていたとしても、とりあえず全員で1~2ヶ月位の新人研修を受けます。全体研修を終えた後、配属先が通知されますが、この場合配属先は、本部・聖教のみならず大学・学園、党、民音、潮、第三文明などの外郭・関連会社等すべてが対象となります。

 太田氏は、京大大学院から公明党機関紙局へ配属となりました。その後「公明新聞」記者としての仕事ぶりや在京での活動ぶりが高く評価され、男子部中枢幹部として頭角を現し、本部に転属。そして男子部長、青年部長、総合青年部長へとエリートコースを駆け上がっていきました。
 青年部長時代には、定数2議席だった参議院神奈川選挙区や東京都議八王子選挙区で奇跡の当選を果たしたり、埼玉・所沢の西部ライオンズ球場での「雨の文化祭」を指揮したりの数々の偉業をなし、「不可能を可能にする男」とか「不敗伝説」を作り、圧倒的な存在感とカリスマ性を生み出しました。

 会の内外でファンが多く、会内では全国各地から招来が望まれ、太田氏が出席する会合には青年男女部員だけではなく、壮年・婦人部でも参加を希望する人が多かった。野村克也夫妻らとの交流も深く、夫人の沙千代(サッチー)さんを公明党系の新進党候補として立候補へ説得したのも、太田氏でした(今となっては、隠しておきたい事実かもしれません)。いずれにせよ、学会の中枢幹部では数少ない対外折衝(社会的に通用するという意)ができる人でした。

 城久氏が急逝し後継路線が混沌とした時、こうした太田氏の存在が、>>664にも記しましたが、とても目障りなものとなったのでしょう。どこともなく「太田はいずれ公明党に戻す。党にとって必要不可欠な人材だ」との噂が流れ、いつの間にか太田氏の議員転進が既成事実となっていきました。
 そして、衆議院選挙の立候補予定者が発表された時、太田氏は竹入さんの後継者として旧東京10区から立つはずが、なんと最も当選が難しい最大激戦区の旧東京8区に回されていたのです。東京10区は全く無名の新人で弁護士の山口那津男氏でした。

 この時ある会合で、名誉会長は「太田は苦労が足りない。もっと汗をかいてみろ。あえて東京8区で挑戦させる。獅子がわが子を谷に落とすようなものだ」あるいは「たれ目の人間は裏切る。信用できない」とも語っていました。この発言を聞いて、多くの者が「ああ、太田さんは先生に嫌われているんだ。太田さんに組すると、とばっちりが来るな」と受け止めたのです。

691 名前: SGI 投稿日: 2003/12/30(火) 02:44
>>680 蘭さん
>学会は除名にはなっていないんですよね?確か。
―― へぇ~、除名になると、通知書が来るんだ。知らなかった。
 私の場合、人づてに聞くところによると、ある会合で数名の方と共に名前が読み上げられ、「先生に背き、同志を裏切った者として、永久にその断罪を追及していく。今後は一切交流・接触してはならない」との決議がされたそうです。これは除名ではないのでしょうかね。
 そういえば、この決議があった年から、私から年賀状を出しても全く返事が来ません。今年も年賀状を書きながら、そんなことを思い出しました。

>宗門の方に聞くと「いっぱいいますよー」って聞くのですが
―― 私が所属する寺院では、今年の御本尊下付は三桁(100世帯)には達しませんでしたが、その3分の2は脱会者です。このうち半数以上の方が「学会のニセ本尊を拝んでろくな事がなかった」と語っております。体験ですので、その人にとっては真実でも、それを客観的に証明することは難しい事柄です。学会では、その反対のことを喧伝しているわけですから。

>以下のサイトはご存知でしょうか? 
―― 知りませんでした。拝見させていただきました。
 これも、>>684 の「名無しさん」さんに知っていただきたい、学会の真実の1つの姿です。
 継続的に長期にわたって人身(人格)攻撃する在り様は、聖教新聞の座談会からでも容易に想像できることだと思います。
 蘭さんは、原告のご夫婦をご存知のようですから、果たして学会サイド語る人間像が本当なのか否か、教えていただければありがたいものです。
 
 それにしても、学会の病理は深刻な状態、ある意味では末期的な状況なのかなと考えてしまいました。結局のところ、本部が組織が認めない活動や運動は排除されるということなのですね。別スレで話題になっているイラク派兵反対の署名活動も、ガス抜きの段階であればお咎めがないのでしょうが、一人ひとりが自分の頭で考え行動するようになると、きっと活動停止の働きかけがあると推測します。

 30年ほど前、婦人部に主婦同盟という別組織が作られ、やはり本部のコントロールが利かなくなった時、主婦同盟の活動は潰され変質を余儀なくされました。言葉・指導とは裏腹に会員の“目覚め”を恐れるのが、信濃町本部中枢なのでしょう。名誉会長が最も望んでいないことを本部幹部は一番よく知っているのです。

692 名前: SGI 投稿日: 2003/12/30(火) 02:48
>>686 フレッツさん
私も、名誉会長の今日の境遇は信仰(御本尊)の力とは捉えておりません。


697 名前: SGI 投稿日: 2003/12/31(水) 17:55
>>674-675 「言論出版問題」に関連して

 今、学会内で宗門・法華講への対応・工作を目的とする「教宣部」あるいは「広宣部」なるセクションが組織されていますが、30数年前には、対マスコミを目的とする「言論部」なるものが同じように存在しておりました。

 この「言論部」なるセクションがやっていたことは、会内で比較的知的レベルが高く文章等が書ける人を集め、マスコミへの投書活動が中心でした。
 昭和30年代の「折伏大行進」で、社会の様々なところでいろいろと軋轢が生じ、それがマスコミによる「暴力宗教キャンペーン」につながったため、池田執行部にとってはマスコミ対策が重要課題に位置づけられ、組織を挙げて精力的に取り組まれたのです。

 本部では、マスコミ関係者へのプレゼント(付け届け)や招待旅行、シンパ作り、ランク分け・色分け等の懐柔策を展開。
 また、潮出版社からは総合雑誌『潮』や週刊誌『週刊言論』、子供向け雑誌『希望の友』『希望ライフ』、婦人向けの『婦人と暮らし』等を次々に創刊させ、学生部の機関誌だった『第三文明』も、出版社を立ち上げ一般雑誌として対社会へのチャンネルに加えていきました。
 さらに、「言論出版問題」でも明らかになったように、取次店・取次会社への関与や書籍出版の事前検閲などを試みるようになっておりました。 

 一方、組織では「言論部」―「教宣部」同様、非公式な暫定的なセクション―が主体となって、学会の素晴らしさを取り上げるよう要望したり、信仰による功徳の体験談を投稿したり、アンチ学会記事には抗議文や反対論を集中的に投書したりしておりました。
 こうした投書の嵐に、マスコミ各社はうんざり。学会に関わると、面倒なことになる・煩わしいことに巻き込まれるといった認識が生まれ、多くのマスコミ各社が、学会記事を取り上げる事を止めました。かろうじて出版社系の週刊誌だけが学会圧力に対抗していたのです。

 昭和40年代のマスコミ界では、“菊”“桜”“鶴”が「3大タブー」といわれ、すでに学会記事はメジャーメディアでは登場しなくなっていた。そうした鬱積した状況で「言論出版問題」が起こり、共産党が『赤旗』紙でキャンペーンを展開し、国会問題へと発展することで、一気に学会問題が再びマスコミ(メジャーメディア)の遡上にのぼり、池田執行部は窮することになったのです。
 これが、「言論出版問題」の背景であり、小説「人間革命」に描かれるような、会員の個人レベルでの義憤から生じた不幸な誤解に満ちた問題といった事柄では断じてありません。

698 名前: SGI 投稿日: 2003/12/31(水) 23:05
>>690 続き

 太田昭宏氏が名誉会長に疎まれたのは、太田氏が単なる「イエス・マン」でなかったからです。
 もちろん学会主流から議員への転出は後継者問題が最大の要因ですが、太田氏が時には自分の意思で動き物事を決め成就することが気に入らなかったのだと思います。
 
 以前にも書き込みましたが、本部幹部・職員に求められる能力は、名誉会長の「意を体する」ことです。小説「人間革命」に描かれるような、師の想いを受け止めその志を実現していく、ってことは単なる外向けの“看板”か、山本伸一=名誉会長の宣揚でしかありません。

 池田創価学会にあっては、常に1番は池田大作であって、2番も池田大作、3・4がなくて、最後も池田大作なのです。名誉会長を凌ぐようなことをすれば、必ず排斥させます。だから今、学会中枢を牛耳っている秋谷会長ら最高幹部は、絶対に“影”の存在であることにポジショニングします。それが生き残る途なのですから。「意を体する」ことに長けている事を示すのが、最も重要なのです。「意を体する」とは、名誉会長を宣揚することにほかなりません。

 ですから、自分の意思で物事を決めることは絶対に許されません。これは本部機構だけではなく、公明党、大学・学園その他でも同じです。その構図は当然ながら一般会員にも及びます。会員一人ひとりが自立し、自分の頭で考え、自己の意思を持ち、行動することを最も恐れているのが、名誉会長および学会中枢なのです。
 
 だからこそ、会員を休みなく会合、会合、活動、活動へと追い立て、社会面やテレビ欄も載っている「聖教新聞」と口コミで情報を遮断し、濃密な人間関係の世界に沈め、その一方では「人間王者」とか「勝利」「人間革命」「蘇生」「世界平和」といった幻想を与え、創価の世界でしか通用しない充実感を持たせているのでしょう。
 幻想でしかないので、なんら社会には寄与していないし、幻想を形のあるものに創造しようとすれば、それは必ず名誉会長の「意を体する」範疇におけるコントロール下に置かれなければならないのです。
 学会は組織体であり、1つの統一した運動体であることがまず前提としてあって、一人の「人間革命」を通しての「総体革命」をめざすということで、決して一人ひとりの「人間革命」のために学会組織が存在しているのではありません。

 今の学会は、名誉会長のために存在し、学会自身のために存在し、存在することが自己目的になっております。したがって、名誉会長にとって、あるいは学会自身にとってプラス・利することでなければ、それが名誉会長(学会指導)の具現化活動だとの動機であっても、コントロール下になければ必ず潰されるでしょう。それが現実なのだと思います。


700 名前: 蘭 投稿日: 2004/01/01(木) 04:00

SGIさん、あけましておめでとうございます。

先の質問ですが、私はその原告夫婦の人となりを信じていますし、また
学会で言われているような人物像ではないと思っています。原告の奥様は
今もその活動をしていますが、そういう姿は、ほんと尊敬できるものです。


704 名前: SGI 投稿日: 2004/01/03(土) 23:27
時折、こうしてINDEXしないと、何をレスがわからなくなってしまうので…。すみません。

◎『人間革命』批判
 ◆序論 = >>13-16 (①青年部クーデター>>13 ②本命・石田次男>>14 ③大阪事件>>15 ④“人生の師”>>16
 ◆総説 =①池田神格化 >>251-252 ②歴史の捏造 >>296-297 ③資料「わが闘争」 >>162 >>165-166 ④途中目次 >>167 >>404
 ◆師弟神話 =①入信神話 >>30 >>32-33 >>46 ②年齢神話・編集者神話 >>47 ③竜氏手記のこと >>71 ④気配り上手 >>74 ⑤池田太作は折伏が苦手 >>75 ⑥まとめ >>79 ⑦法華経講義 >>90-91 ⑧丑寅勤行に出ない >>616
 ◆師敵対・亡恩の徒 =①「指導録」隠し >>161 >>190 >>205 ②遺品を奪う >>168 ③27回忌法要 >>169
 ◆「師弟不二」論 =①原点・求道 >>322 ②すり替え論理 >>323 ③弟子の道 >>332 ④仏法違背 >>336-337 ⑤師弟論は我見 >>341 ⑥会長帰命論 >>377 ⑦北条前会長の急逝 >>381 >>383 ⑧地上の楽園 >>382 ⑨小冊子『前進』 >>393 ⑩「11.7お詫び登山」教学問題 >>436 ⑪よき檀那とは >>437 ⑫人生の師 >>439
 ◆大阪事件 = >>15 >>187 >>469-470
 ◆昔の指導 =①小説『人間革命』から >>586 ②『広布と人生を語る』から >>587-590 ③池田会長の指導 >>591 ④戸田会長の指導 >>597-599

◎学会秘史・実態
 ◆青年部クーデター = >>106-109 (①参謀室長就任>>106 ②総務就任>>107 ③主要ポスト制圧>>108 ④勝てば官軍>>109) ⑤会長就任 >>111-112 ⑦会長終身規定 >>261 >>263 ⑧公明党結成 >>627-628 ⑨言論出版問題 >>697
 ◆池田・秋谷40年 =①学会テクノクラート >>116 ②秋谷栄之助 >>117 ③戸田先生の想い >>120 ④戸田会長利用 >>123 ⑤「私を守れ」 >>124-125 ⑥主導権争い >>129-131
 ◆ポスト池田 = >>132-135 (①世襲問題 >>132 ②本部の人事 >>133 ③ウルトラマン世代 >>134 ④本部職員は家業 >>135) ⑤スターリン批判 >>302 >>311 >>661
 ◆後継者指名 =①もし「石田体制」なら >>171 >>174-176 ②後継指名なし >>182-183 ③遺言の捏造 >>186
 ◆学会の素顔 =①原島・桐村 >>619 ②中西治雄 >>643 ③原田稔 >>664 >>671 ④太田昭宏 >>690 >>698 ⑤茶化し貶め >>639 ⑥カリスマ性 >>663-664 ⑦人身攻撃 >>310 >>676 >>691

705 名前: SGI 投稿日: 2004/01/03(土) 23:28
後継問題について

 昨年5月、名誉会長の重体が伝えられたこともあり、少々「後継問題」に言及しております。⇒>>125 >>129-135 をご参照ください。

 後継問題を考える時、次の3つがポイントになるのではないでしょうか。
 ①名誉会長の心境
 ②奥様・香峯子夫人の思惑
 ③本部中枢の世代間確執

 ①の名誉会長の心境とは、>>134 に記したように、名誉会長が人生の終焉に当り、「同輩中の第一人者」(委任の君臨)から「超越した第一人者」(絶対的独裁者)をめざし、秋谷会長らと修復のきかない軋轢を生み出した時、かのスタリーン批判のように名誉会長批判が吹き荒れる可能性があります。

 ②奥様・香峯子夫人の思惑とは、かね夫人(本名)が「ポスト池田」について、どのような在り様を望むかです。特に「池田家」の相続人は誰なのか、です。
 現在の学会は「池田王国(池田王朝)」にほかなりません。相続すべきは、池田家・SGI・創価学会の3つ。この3つは、今のところ不即不離の関係になっております。本部中枢は池田家と学会の分離を図っているところですが、間に合わない時、池田家の相続問題が学会の後継者問題に跳ね返るということになります。
 そしてややこしいのは、嫁姑問題と孫の存在が絡んでいるということです。中でも、故次男・城久氏の妻:みさ子夫人との関係と、長男・博正氏の子息と城久氏の遺児(といっても、もう成人ですが)の存在が池田家の相続を複雑にしております。

 ③世代間確執は、「団塊の世代」と「ウルトラマン世代」の確執または結束にほかなりません。「ポスト池田」あるいは「ポスト秋谷」は、集団指導体制であることは間違いないのですが、どの世代(年代)が主導権を握るかにあります。この辺りの序列が明定されないと、おそらく学会は常に分裂・内紛の危機に曝されることになります。


714 名前: 会員β版 投稿日: 2004/01/07(水) 09:24
学会の現状に疑問を持つ一会員です。
ここに書かれていることは退会した人々によって著された出版物で読んだことも
ありますがそれを上回る具体的な事例が生々しく書かれており正直、驚いております。
 これが真実とすると池田氏は極悪人ではないかと感じますが私の周りのかなり
上位の幹部から一般の会員に至るまではこのような悪人は殆どおらず大変親切な方が
多いです。公明党の議員でも直接お会いし一緒に行動してみて大変善良な人々で
嫌な思いをしたことはありません。一般的に指導者がとんでもない人物であったならば
その所属する人々を多かれ少なかれその傾向を持つに至るのではないかと考えます。
このギャップはどこから生まれるのでしょうか。
このスレが池田氏や学会の欠点のみを強調するあまりそう印象を与えるのか、
それともこれが実像なのか正直半信半疑です。
確かに退会した人や邪魔な勢力に対しては常軌を逸した行動はとりますが
それを除けばそれほど会員のの行動はおかしなものではなく池田氏の5、6割は長所を
持った人でありそれ以外は当然欠点も併せ持った人と考えていただけにやや戸惑いながら
読ませて頂きました。
  • 法介
  • URL
  • 2016/10/15 (Sat) 10:23:11
 
Re: 2003年の投稿記事
716 名前: yuriko 投稿日: 2004/01/07(水) 15:35
>>714 会員β版さん
> 上位の幹部から一般の会員に至るまではこのような悪人は殆どおらず大変親切な方が
多いです。公明党の議員でも直接お会いし一緒に行動してみて大変善良な人々で
嫌な思いをしたことはありません。
。。。。
よい所に気がつきました。
だから厄介なのです。
もし、悪人が悪人みたいな顔形をして、そういう振る舞いをしていれば、容易に悪を見破ることができます。
ところが、現実は、極悪人に限って、「これ以上にない、善人の面構え」をしているものです。
宗教家の前歴を調べてみると、詐欺師だったり、高利貸だったりすることが多いそうです。
彼等は、言葉巧みにスリ寄って、(利子は、特別サービス、期間内に返済すれば、無利子とか)あまりに旨い話しで、金を貸したりします。
★絶対の法則
1 錬金術は存在しない。
無から有が生まれると主張するのは、高利貸と宗教家だけです!
その両方とも、非常に詐欺師に近い存在です!
そして、不思議なことに、古今最高の数の勲章の数を誇る、我等が名誉会長の創価学会と関わった原点こそ、高利貸しであり、又宗教だったのです。
何とも皮肉なことです。
戸田先生は、元々教育者だったのが、たまたま事業に関わることになり、高利貸しをするようになったに過ぎません。
やはり、戸田先生の中では、牧口先生という純粋な教育者が絶対的な師匠として存在していたに違いありません。
戸田先生は、自分の俗物的な部分を充分自覚しながら、牧口先生と自分の関係を純粋なものに保ちたかったに違いないのです。
それは、数々の戸田先生が書き遺したものから明らかです。
また、日顕上人自らも、戸田先生の純粋な信仰心を称えています。
息子の喬一氏によれば、戸田先生は、猊下に目通りするときは、伏せ拝の儘、身じろぎもしなかったそうで、喬一氏は、「猊下様って、こんなに偉いんだ」と感動していたそうだ。
これは、戸田先生が宗門の権威主義を盲目的に称えていたものではないと思う。
なぜなら、戸田先生と日亨上人が戯れている微笑ましい写真などを見ると、そこには、相互に信頼しきった「友情」みたいなものを感じる。
これは、日蓮大聖人と四条金吾殿との関係に由来する伝統だと思う。
すなわち、師弟、聖と俗,、出家と在家のけじめをつけつつ、相互の信頼があったと思う。
ところが、名誉会長の場合、陰では、猊下の悪口の言いたい放題だったのは、今更証明の必要すらない。
池田先生は、伏せ拝どころか、合掌礼をしている姿を、誰一人観た者はいない。
これは、元池田先生側近?のSGIさんが、証言してくれると思う。
>>池田氏は極悪人ではないかと感じます
。。。
池田先生を極悪人と決めつけるなんて不当っです。正しくありません。
それなりに、立派な所も多いのです。
人間、欠点もあれば、長所もあるものです。
自分達のことを棚に上げて、他人を厳しく批判するのは、みっともないし、不当です。
しかし、米国大統領が常に世界で最も批判される人物なのは、それだけ思い責任を担っているからで、
もし、名誉会長が生きながらの「永遠の指導者」と自ら名乗るなら、それだけの責任も伴うべきで、
「本当に池田先生って、そんなに偉いのか」を様々な角度から、精査されるのは、本人の為にもいいことではないでしょうか?
創価学会幹部や公明党議員の大部分が、素晴らしい人格なのも、当然、そうあるべきだと思います。
ただそれが、彼等の無謬性の証明には当然なりません。
私の友人にも本部職員や公明党議員が多いですが、私は、脱会した今も、彼等に対しては、盲目とも言える絶対的信頼を於いています。
これは、何があっても変わることはありません。
それが、友情というものです。
717 名前: yuriko 投稿日: 2004/01/07(水) 15:45

>池田氏は極悪人ではないかと感じます
。。。
池田先生を極悪人と決めつけるなんて不当っです。正しくありません。
それなりに、立派な所も多いのです。
人間、欠点もあれば、長所もあるものです。
自分達のことを棚に上げて、他人を厳しく批判するのは、みっともないし、不当です。
しかし、米国大統領が常に世界で最も批判される人物なのは、それだけ思い責任を担っているからで、
もし、名誉会長が生きながらの「永遠の指導者」と自ら名乗るなら、それだけの責任も伴うべきで、
「本当に池田先生って、そんなに偉いのか」を様々な角度から、精査されるのは、本人の為にもいいことではないでしょうか?
創価学会幹部や公明党議員の大部分が、素晴らしい人格なのも、当然、そうあるべきだと思います。
ただそれが、彼等の無謬性の証明には当然なりません。
私の友人にも本部職員や公明党議員が多いですが、私は、脱会した今も、彼等に対しては、盲目とも言える絶対的信頼を於いています。
これは、何があっても変わることはありません。
それが、友情というものです。
718 名前: 会員β版 投稿日: 2004/01/07(水) 23:04
>>716 yurikoさんへ
印象を書き込んだだけですがご丁寧にご返事頂きありがとうございます。
創価の会員は良い人もいますがちょっとついて行けない方もおります。
池田氏も欠点があるが概ね尊敬に値する人物ではないかと自分では
子供の頃からの習慣もありそう思っておりました。
しかし聖教の罵倒記事が延々と続きこの人は本当にまともな人なのだろうかと
いつしか疑問が生じました。>>715の方がご指摘のように退会者や対立する勢力、
かつての側近に対する冷酷なまでの扱いは彼の著書の中身とは異質のものです。
このあたりの矛盾する人格に対し疑問を持っていたところこのスレを偶然知り
様々な批判書の裏付けともなる証言を読み驚いております。
 特に戸田先生の遺産を巡っての醜い仕業が事実であるならばいくら長所があったとしても
とうてい尊敬に値するものではありません。私自身も欠点の多い人間ですがそのような
次元の話ではないように思います。
宗門から破門された頃、右翼の街宣車が本山を取り囲んだこと、それに学会が絡んでいたとの
状況証拠があること、日顕猊下の芸者遊びの写真を捏造したこと等々
一般の会員である私には真偽のほどが判定できないことが山ほどあります。
このレスが全部事実かどうか私には判断する材料は持ち合わせていませんが
今後は参考にさせていただくつもりです。
719 名前: yuriko 投稿日: 2004/01/08(木) 01:21
>>718 会員β版さん
>このレスが全部事実かどうか私には判断する材料は持ち合わせていません
。。。SGIさんも私も裏が取れないことは書いていません。
特に、SGIさんは、元本部職員。
幹部でもありました。
御本人が脱会するに当たって、どれだけ悩んだか、察するに余りあります。
同志を裏切ったのではないかという罪悪感もあるでしょうし、池田名誉会長への、親愛、恩義、尊敬の気持ちもあるでしょう。
それだけに、自分の過去と決着をつける為に、知っていることを話そうとしているのでしょう。
私達は池田創価学会の素晴らしい面も充分認識していて、誇りもあります。それだけに、向上してもらいたいとの一心です。
一部のアンチ勢力のような為にする批判は一つもありません。
ただ、池田創価学会の一大特徴は、酷く政治的という点であり、人心収斂術が根本にあるのです。
別の言葉で言い換えれば、「騙しのテクニック」です。
私達は、信仰の根本にあるのは、真心であるべきで、それに、池田創価学会が反しているのは明らかで、
それを糾したいと思ってるだけなのです。
720 名前: フレッツ 投稿日: 2004/01/09(金) 21:37
世襲に関する発言は、新聞そのものを見てませんが、
1961年(昭和36年)10/7の聖教新聞に載っているようですね。
他、大作全集にもあるとの情報も得ました。
-----------------
先日、ある学者がきて、「創価学会は世襲制度ではありませんね」という話が出ました。
封建制度の残骸のひとつに世襲制度という制度が現存しております。他の団体はいざ
知らず、宗教界にあって、教団の世界にあって世襲制度ということは、もっとも誤った、
いやしい姿であります。霊友会しかり、天理教も世襲制度であり、PL教団も、立正
佼成会も、全部世襲制度であります。代々の財産をそのままうまく受け継いで、金儲
けしようという、その縮図でもあるし、その一端だけをみても、彼らに真の仏法は、
宗教ではなく、〃邪教〃であると断言できる理由であると私は思うのであります。
日蓮正宗、創価学会は、永久に世襲制度ではありません。
721 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/01/09(金) 22:14
>>720

>日蓮正宗、創価学会は、永久に世襲制度ではありません。

でも、SGIは、永久に世襲制度ではありません と言っていません。
722 名前: yuriko 投稿日: 2004/01/10(土) 01:27
>>721
>SGIは、永久に世襲制度ではありません
。。。。
なるほど、
SGIは、創価学会ではない、ということですね。
考えられるのは、SGIの名目会長を将来、博正が務めるということですね。
しかし、SDIは、創価学会インターナショナルの略称であり、創価学会と法人の面でも、一体だと思います。
もしも、SDIという組織を通して、世襲が行われるとしたら、それは、創価学会の財産の私物化になると思いますね。
博正が、何らかの意味で、その実力を証明すれば、話は別だと思います。
先に、出版した博正の本は、その為のワンステップかも知れません。
現在でも、池田先生のスイ=チ、対談は、池田大作企画の代理によってなされているから、
池田メソッド(そんなものがあるとしたら)を使ったら、誰でもSGI会長を務めるのに、問題はないのでしょう。
723 名前: yuriko 投稿日: 2004/01/10(土) 07:55
>>722
訂正
>SGIは、永久に世襲制度ではありません

でも、SGIは、永久に世襲制度ではありません と言っていません。
724 名前: Leo 投稿日: 2004/01/10(土) 13:48
学会の言う「永久」とは雰囲気を盛り上げる修飾語のようなもので「いつまでも限りなく続く」
という意味はないのではないでしょうか(^^;

例)
「もとより日蓮正宗総本山を離れて、創価学会は、永久にありえないのであります。」
(池田大作「恩師の二十三回忌に思う」、『聖教新聞』昭和55年4月2日、p.1)
725 名前: 世界ノーベル平和賞 投稿日: 2004/01/10(土) 18:13
創価学会の「永久」は「池田先生の気が変わるまで」という意味だろ
726 名前: SGI 投稿日: 2004/01/11(日) 18:19
 ほんまに、ほんま。名誉会長の言葉・約束ほど“軽い”ものはありません。
 ことごとく全てといっていいほど、名誉会長の約束は反故になっております。自語相違もはなはだしい。首尾一貫なんて概念は持ち合わせていないのです。
 政党を作らない・衆議院に進出しない。正本堂御供養が最後・二度と会員から金品を集めない。宗教法人設立「三原則」を守る・御法主日顕上人を外護する。勲章はいらない。院政を敷かない……枚挙にいとわない。
 名誉会長が言う「永久に」とか「絶対に」とか「いささかも変わることがない」というのは、単なる枕詞にすぎないのでしょう。そもそも内容自体に厳しい歴史の審判に耐えるだけのものがあるのでしょうか。だいたい『池田大作全集』の刊行にしたって、池田家の財産を増やすだけのことで、学会には帰属しません。それでも会員の皆さんは、読みもしない『全集』を買い続けるのですから、本当にありがたい“お人好し”なのだと、つくづく思いますよ。
727 名前: SGI 投稿日: 2004/01/11(日) 18:20
>>707 >>712 フレッツさん
遅くなりました。フレッツさんも >>720 でご紹介されている続きは、次の通りです。

○『会長講演集 第五巻』(昭和37年1月29日初版発行)から

 先日、ある学者が来て「創価学会は世襲制度ではありませんね」と言う話が出ました。
 封建制の残骸の一つに世襲制度という制度が現存しております。他の団体はいざ知らず、宗教界にあって、教団の世界にあって、世襲制度ということは、もっとも誤った、いやしい姿であります。霊友会しかり、天理教も世襲制度であり、PL教団も、立正佼成会も、ぜんぶ世襲制度であります。
 代々の財産をそのままうまく受け継いで、金もうけをしようという、その縮図であるし、その一端だけをみても、彼らに真の仏法は、真の宗教は無く、「邪教である」と断言できると私は思うのです。

 日蓮正宗は、そして、創価学会は、永久に世襲制度ではありません。あくまでも、師弟の相対のうえにたって、最もすぐれた弟子が創価学会の代々を継いでいくということになっておりますから、そのつもりでおっていただきたいと思います。
 恩師戸田先生も「学会っ子は大好きだ。学会育ちは、ほんとうに自分は大事にしたい」このように講演集にも述べられております。「学会っ子に財産を譲ってあげよう」また「青年部に跡を継がせていこう」このように、つねづね申されておりました、そのご精神どおり、私もあくまでも、学会っ子のぜんぶ譲ります。また、青年部出身者が代々の会長を継いでいくということを、重ねてこの席上を借りて申し述べておくしだいであります。

 どうか、第四代も、第五代も、くどくど申し上げますけれども、青年部出身者のなか、青年部で活躍をした、学会っ子のなかから選んでいきますし、その選ばれた人は、第四代の会長ひとりであります。今度は、そのひとりの会長を中心に、戸田先生が中心で全学会人が鉄の団結をしたごとく、また、いま、私ごときものでありますけれども、私を中心に鉄の団結で広布に向かっているごとく、第四代、第五代の会長を中心に、諸君が鉄の団結をして全学会を大きく飛躍をさせていただきたいと思うのであります。


○央忠邦著『池田大作の軌跡』(昭和60年4月2日発刊)から 

 央  将来の学会の後継者に息子さんをするという週刊誌の記事を読んだことがあります。私は学会は世襲制はしないと以前から聞いていましたが、一体どうなんでしょう。
 池田  学会は永久に世襲制はとりません。これは初代、二代、そして三代の私を含めた不文律のようなものになっている。私から北條第四代会長へもそうでした。いわんや会則のもとでは絶対にありえないことです。念のために申し上げれば、長男は高等学校の教員、次男は大学の職員です。三男坊はまだ大学生です。いずれにせよ、まったく論拠のない推測記事でしょう。
 ※著者の央忠邦氏は、当時・朝日新聞記者。


 私自身も、直接名誉会長から「世襲否定発言」を聞いたことがあります。たしか昭和から平成に変わる頃(つまり天皇の代替わりに関連して)で、すでに学会では城久氏亡き後、博正氏を本命に世襲路線が既定路線になっていた時期だったので、そんな発言をしてもいいのかな、と危惧した記憶があります。
728 名前: SGI 投稿日: 2004/01/11(日) 18:25
以下のレスは、以前 Libraさんのサイトで書き込んだものを加筆訂正したものです。

 1)池田家が学会オーナー家となり、博正氏にしろ尊広氏にしろ、または城久氏の子息(貴久氏?)が世襲しても、その後継者は財産継承者にすぎず、新たな指導者にはならないのではないでしょうか。
 世襲が実現しても、池田家は学会SGIの象徴であって、集団指導体制が採用されるのだと思います。現に、名誉会長も秋谷会長も、次代の学会は集団指導体制だ、と明らかにしていたと存じます。そのために新会則で「永遠の指導者」と位置づけ、さらに会長職に師範会議や最高指導会議の意見に基づく御本尊の裁定や教義解釈権を付与したのでしょう。
 したがって、後継者の個人崇拝はないと判じますが、いかがでしょうか。

 2)池田創価学会では、天皇家のように池田家が象徴となり、その“国体”を守りながら、会長以下執行部が「池田先生は、こうおっしゃっていた」と詔旨しながら会を運営していくのでしょう。池田家の財産と学会の財産は不可分で、その継承者は名誉会長の血統でなければ、会が収まらないのではないでしょうか。
 池田家(名誉会長の栄誉・財産・血統・思想)を守るということで、執行部は「錦の御旗」を有し、会員の支持を得、会を統理することができる。それ故に、名誉会長にはもっともっと"箔"をつけて貰わなければならない。――これが、今の執行部の方針ではないかと思いますが、いかがでしょうか。

 3)内部造反や路線対立が生じた時、「錦の御旗」を所持しているほうが主導権を握ります。キリストと聖書があればいいというプロテスタントは分派分裂・諸派発生の歴史のようですが、大聖人と御書があれば血脈はいらないと正宗を切り捨てた学会ですので、「錦の御旗」がなければ、会を二分するような分裂騒動を招きかねません。それだけに、ポスト池田時代は「(第)三代会長の精神」を旗じるしに掲げざるをえないのではないでしょうか。

 4)平成14年の会則改正では、SGI(創価学会インターナショナル)に関して初めて明記されました。すなわち「この会は、この会と教義、目的を共通にする世界各国の団体からなる国際的機構として、創価学会インターナショナルを設置する。」(第77条)と。
 これは、SGIが創価学会の海外支部から、SGIが上位団体となり、学会がSGIの日本支部になる方向性を示すものですし、かつ、それでも学会がSGIをコントロールしていくことを表明しております。
 子息らのSGI会長就任ならば、世襲否定発言に抵触しません。財産と血統は池田家、思想と栄誉はSGI、統理と行動は学会、という三位一体が、「ポスト池田」=学会万代路線ではないでしょうか。
[続く]
729 名前: SGI 投稿日: 2004/01/11(日) 18:27
[続き]
 5)池田第三代会長の誕生は青年部のクーデターですが、戸田会長は生前「三代会長は青年部に譲る」と明言しており、その意味では“お墨付き”がありました。
 会の統理を握った池田会長以下青年部は、クーデター反対派と目される古参幹部らを議員や参議・顧問といった形で組織の第一線から外し、磐石な体制を築き、そして次々と「戸田先生の構想を実現するのだ」との名目で、新構想・新路線あるいは路線変更を打ち出していったのです。
 第一次宗創戦争は、宗門(正信覚醒運動)サイドからの反撃で、結局は内部分裂までには至りませ
んでした。本部内部でも改革派らしきグループは存在しましたが、幹部職員は「組織崩壊は避けなければならない」との自制が働きます。この思考回路は、今もしっかりと根付いており、それ故分裂を引き起こすような騒動は、そう簡単には起きないのではないかと捉えております。

 6)他教団のこと故、誤認識があればご容赦ください。
 立正佼成会の場合、庭野日敬氏が生前においてきちんと会の理念と具体的な方向性を示し、世襲し、逝去しているので、古参幹部は後継者・日鑛氏を守り立てる番頭役に徹することができたのではないでしょうか。
 霊友会の場合、継成氏が教団を先代より引き継ぎ、「いんなーとりっぷ」のキャンペーンを始めると共に、自身の法華経研究に基づき釈迦との連関を図る教義の再構築など、教団の現代化を推進している最中、先祖供養等の教団の伝統に固執する古参幹部により辞任に追い込まれたのではないでしょうか。
 つまり、佼成会は「真実顕現」とか「普門示現」と称しながら、上手に衣を替えていったが、霊友会・継成氏は"衣替え"に失敗した、と。

 7)学会の場合、名誉会長の“勅旨”―「錦の御旗」が有効である限り、佼成会・日鑛氏のように世襲後継者を宣揚する必要もなく、また執行部による路線変更があるとしても、“勅旨”の新解釈・発現ということで乗り切ることができる、と執行部は踏んでいるのではないでしょうか。池田会長時代のように。
 SGIがめざす世界宗教は、おそらくギリギリのところでは日蓮大聖人との連関を保つであろうが、脱・正宗を超えて「日蓮離れ」をするであろうと予測されます。しかし、「五十二年路線」挫折の反省に立って、極めて慎重に着実に、会員にさほどの違和感を与えることなく、コトを進めているだけに、正宗の信徒団体時代を胸に刻む50~70代の会員らの引退を待つ覚悟さえ秘めているのではないかと思います。
737 名前: SGI 投稿日: 2004/01/18(日) 00:23
>>728 訂正
 博正氏にしろ尊広氏にしろ、→ 博正氏にしろ尊弘氏にしろ、
738 名前: SGI 投稿日: 2004/01/18(日) 00:38
この裁判も、学会の「意に沿わない」行動は認めない、という体質の表れでしょうか。

創価大相手の訴訟で圧力
裁判したら“地獄に落ちる”
「サークルOB会 解散させられた」と27人

 創価大学(岡安博司代表者理事)の不当な圧力で人形劇団のサークルOB会が解散に追い込まれ、精神的打撃を受けた――と、同OB二十七人が二十五日、同大学を相手どり二千七百万円の損害賠償を求める民事訴訟を東京地裁八王子支部に起こしました。解散をめぐる当事者間の争いとは別に、原告が訴訟におよぼうとしたとたんに大学と創価学会側から訴訟をやめるようすさまじい圧力がかけられたことが問題になっています。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-12-26/15_01.html
739 名前: SGI 投稿日: 2004/01/18(日) 22:37
>>677-679 蘭さん、続きです。
>>685 愚鈍凡夫さん、ありがとうございます。

その後、判明した事実をお知らせします。

① 大蔵商事は、大道商事 → 日章 と商号を変えながら、愚鈍凡夫さんのご紹介通り学会外郭の関連会社として現在も存在している。⇒ >>685参照

② 大蔵商事は、戸田会長が営んでいた東京建設信用組合が破綻した後の、事業(高利貸し業)継続の会社。池田大作・現名誉会長は、実質経営者の戸田先生の愛人だった森重紀美子さんに取り入り、会社発足まもなく営業部長(昭和25年11月)に、翌年には取締役に就任。⇒ >>736 Leoさんご紹介の写真参照

③ 第三代会長に就任した名誉会長は、大蔵商事で部下だった中西治雄氏と星生務氏を引き連れて学会本部に乗り込む。星生務氏は学会本部会計を、中西治雄氏は聖教新聞等収益事業の会計と池田家の財産と裏金の管理を担当して、学会の金の流れを支配した。

④ 学会との関係を切り離された大蔵商事は、森重紀美子さんと、その甥である森重章氏が経営する会社となり、商号を大道商事に変更。しかし名誉会長ら辣腕営業部隊がいなくなったのだから、次第に営業不振に陥り多大な負債を抱えるようになる。

⑤ 森重紀美子さんの一人息子・光生氏は、和光商事という会社の社長。この会社は、聖教新聞社の用紙を一手に扱う会社で、すべての製紙会社がこの会社を通して創価学会関係の紙を納入する“利権会社”で、莫大な利益を保証されていた。
 生活が保証されている光生氏は、「銀座の帝王」と呼ばれるほどの豪遊に明け暮れ、財産を残さず、大道商事を助けることができず、結局大道商事の始末は学会本部に持ち込まれた。

⑥ 大道商事は、信じられないほどの巨額の負債をかかえ、その債権者の多くは学会員だった。また、名誉会長や中西氏らが開拓した出資先も多く残っていた。 そこでもし倒産すると、「古くからの債権者が騒ぎ出し、池田先生の名前も出て学会にも迷惑がかかる」ということで、再び学会丸抱えの会社となったのである。

⑦ まず商号を日章に変更。社長も社員も学会から派遣された。再建策の財源として正本堂御供養金が使われたという。続いて宗門に求め、正本堂や末寺の損害保険を代理し、手数料を稼ぐ。さらに学会施設も扱わせると共に、正本堂建立に伴う記念品やグッズ、本山売店での販売品等々の納入も 日章 経由で行うようになり、こうして学会の外郭関連会社の中核になったのである。

⑧ 現在 日章 は、社長は学会の古参幹部。取締役には、森重紀美子さんの一人息子、故・光生氏の妻・裕子さんが連ねており遺族の面倒をみているが、監査役に福島啓充弁護士(副会長)が就任し、常に監視下ある。このように 日章 の在り様は、学会に寄生しながら利権を貪る、名誉会長ら学会幹部のファミリー企業の象徴的な会社といわざるをえない。
740 名前: 蘭 投稿日: 2004/01/20(火) 03:02

ありがとうございました。
741 名前: SGI 投稿日: 2004/01/27(火) 00:08


 学会サイドでは、三類の強敵が学会を襲ったのだから学会こそが仏意仏勅の唯一の団体だ、と声高々にいう。すなわち「言論出版問題」が俗衆で、「正信会問題」が道門で、この度の「宗創抗争」が僣聖だというのだ。笑止。

 名誉会長に関する<神話>や<伝説>が全て虚飾に満ちたものであることを、本スレッドで書き込んできた。小説「人間革命」は、その虚飾の事柄を歴史的事実として学会正史に残すための1つの手段であることも指摘してきた。⇒ >>704 から参照下さい。
 同じ手法で「三類の強敵」出現論を展開し、また・さらに会員を欺き騙す。会員も信じたいが故に易々と無道理の言い分にしがみつく。無慙だと思う。

 「言論出版問題」は、度々yuriko さんがご提示しているように、あるいは >>697でご紹介したように、学会の体質から引き起こした反社会的な不法行為にすぎない。
そして、「正信会問題」は謗法路線の〔五十二年路線〕に根本的な原因があり、今般の抗争は先の〔五十二年路線〕の挫折と反省を踏まえて再び学会が仕掛けたものであることは、すでに別スレ「創価学会(SGI)は世界宗教をめざす」で記してきた。

 学会のプロパガンダ情報しか受け容れない会員は、何を語っても聞く耳を持たない。嬉々として改ざんされた歴史を生命に染み込ませていく。しかし、書店に行き次々と刊行されていく学会本を前にすると、名誉会長の神格化だけではなく、牧口会長や戸田先生の生涯や思想、法華経や大聖人の御法義への新解釈、日蓮正宗への論難など、幾多のメディアを活用して歴史を捩じ曲げ、世間的な通説にしていこうという学会の意図を憂う。
744 名前: Leo 投稿日: 2004/01/30(金) 00:25
SGIさん。

>>741
>学会サイドでは、三類の強敵が学会を襲ったのだから学会こそが仏意仏勅の唯一の団体だ、
>と声高々にいう。すなわち「言論出版問題」が俗衆で、「正信会問題」が道門で、この度の
>「宗創抗争」が僣聖だというのだ。笑止。

(すでにご存知かもしれませんが)創価では教学試験に「日顕宗を破す」なる出題があります。
そのような内容が試験に出れば会員はそれが真実と思ってしまうのではないでしょうか。

 例)【出題範囲】御書2編と「日顕宗を破す」。
 ttp://members.at.infoseek.co.jp/sgi_2001/page058.html

そもそも創宗問題というのは、創価の言論弾圧事件や盗聴事件や52年路線等が引き金で
あったと思います。

一方正宗の教学試験を調べてみましたが、「池田創価学会を破す」とか「創賊を破す」
のような出題はないようですね。

 (初級) 平成16年度版
 ttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Ango/1239/syokyu16onsei.htm

創価が「教学試験」で「日顕宗を破す」のような出題をするのはどう考えてもおかしいのでは
ないでしょうか。
745 名前: yuriko 投稿日: 2004/01/31(土) 10:21
>>664SGIさん
>この会長勇退・総講頭辞任は、御本尊模刻に象徴される大謗法路線の「五十二年路線」の責任を取るものでした。福島氏は、この「五十二年路線」の終結に連座する形で副会長を辞任。直接の理由は54年3月の“大牟田発言”でしたが、この“大牟田発言”は捏造でした。つまり、福島氏の失脚は仕組まれたものなのです。
。。。SGIさん、
ちょっと遡って、申し訳ないのですが。
福島氏の大牟田発言は捏造って、どういう意味なのですか?
できれば、解説して頂きたいのですが?
SGIさんは、世代的に故福島元副会長と親しかっただろうと思います。
どんな方でしたか?
確かに福島氏の発言の中には、「池田本仏論」と受け取れられかねない発言はありましたが、
曲解しない限りは、問題なかった筈だったと思います。
やはり、福島氏の一途な性格が災いしてしまったのでしょうか?
記録によれば、大牟田発言というのは、正宗僧侶に対する中傷だったからとされていますが、
もしそうなら、現在の創価学会の先駆を走っていたというだけで、現在の創価学会首脳は、福島氏を誉めこそすれ、貶すいわれはないと思います。
福島氏によれば、人間革命にハッキリと、「師への帰命」と書いてあったにも拘わらず、他の学会首脳達は、
「そんなのどこにあるんだ」と恍(とぼけ)けていたそうでうね。(蘇生への選択)
要するに、学会首脳といっても、腹の奥底では、池田名誉会長をバカにしているような気もするのですが、
SGIさんが、本部職員として、勤務していた時はどんな雰囲気だったぼでしょう。
原島氏や山崎氏を初めとする、造反直弟子達の証言を待つまでもなく、、学会本部職員は、本当には池田名誉会長のことを尊敬してないんじゃないですか?
例えば、本部職員同士が飲みに行ったるする時、名誉会長の滑稽な行動を肴に飲むということはありませんでしたか?
746 名前: SGI 投稿日: 2004/02/01(日) 18:13
>>744 Leoさん。
>そのような内容が試験に出れば会員はそれが真実と思ってしまうのではないでしょうか。
>「日顕宗を破す」のような出題をするのはどう考えてもおかしいのではないでしょうか。
―― ホンマに無慙です。滑稽すらあります。

>そもそも創宗問題というのは、創価の言論弾圧事件や盗聴事件や52年路線等が引き金であったと思います。
―― ですね。別スレ「創価学会(SGI)は世界宗教をめざす」に書き込んだ通りです。

>「池田創価学会を破す」とか「創賊を破す」のような出題はないようですね。
―― 過去のどの教学試験においても、ありません。ピュアでシンプルな正宗教学を学んでいます。
 学会破折に関しては、夏期講習会で取り上げられるか、『大白法』の連載程度です。
747 名前: SGI 投稿日: 2004/02/01(日) 18:14
>>745 yurikoさん。
>福島氏の大牟田発言は捏造って、どういう意味なのですか?
―― 「大牟田発言」をめぐる経緯は、『蘇生への選択』第1章にも記されているのかと存じますが(私が所有しているのは私家版なので)…。
 私は大牟田に臨座していたのでありませんが、福島副会長から直接お聞きしたところでは、真意(全体の趣旨)は僧俗和合を強く訴えるものであり、前年の「6.30」「11.7」へ至った経緯を説明する際に、多少の事実誤認や不適切な表現があり、その不適切部分の言葉尻や切り文だけで再構成された内容が問題視された、とのことです。

>福島氏の一途な性格が災いしてしまったのでしょうか?
―― ……です。
 福島氏ほど純粋に「師弟の道」を追い求めた最高幹部はいないのではないでしょうか。
 「ゴマスリ源次郎」「ゴマ源」と揶揄されるほど、池田センセーの熱烈な信者でした。言論出版問題の時も、名誉会長から「福島が1番真面目である。真剣だ」と手放しで褒められていたとか。
 北条前会長や秋谷会長らが「青年部クーデター」の同僚・共犯者であり、中西氏は執事・番頭として山崎正友氏は別働隊として側近中の側近になりますが、名誉会長の本当に意味での“直弟子”は原島氏と福島氏が双璧だと思います。

 野崎勲副会長は、名誉会長がセブンスターからマイルドセブンに煙草を替えると同じようにマイルドセブンに替えたり、1~2服軽く吸うだけの吸い方になると同じような吸い方に替えておりました。また名誉会長が、軽井沢や霧島の研修所などで、(おそらく太っていたからだ思うのですが)おなかをせり出しふんぞり返った姿勢で座り、右手でジェスチャーをつけながら語るを真似て、地方に行った時、青年部幹部を相手に同じような姿勢で「君は○○○だね」と断定的な口調で指導してたのですが、

 福島氏は、幹部会や指導会での話し振りや口調、トーンが名誉会長にそっくりでした。
 昨今の支離滅裂なスピーチからは想像もできないのですが、昭和40年代の若き名誉会長の指導や話ぶりは一角のものがありました。その名誉会長の姿を彷彿させる福島氏の指導や話し振りは、まるで名誉会長の分身のようで、多くの会員を魅了し、大いに鼓舞されていたのです。
 根っから心酔していたのだと思います。だから、師の一挙一動や思想を全身で受け止めようと、ストイックなまでに真剣でした。私たち後輩・次世代から接していても、時には息苦しくなる程でした。
 それになりよりも、最高首脳幹部の中では最も唱題行を積み重ねる人でした。時間を作っては、御本尊の前に端座しお題目を唱えておりました。本当に“唱題の人”でした。名誉会長以下多くの幹部がおざなりの勤行唱題で済ませる中、正宗信仰者としての矜持を保ち、一本ビッシっと筋の通った信仰姿勢は、本部では異色といえば異色でした。

>名誉会長の滑稽な行動を肴に飲むということはありませんでしたか?
―― ないことはないのですが、まずしません。
 というのは、どこに「壁に耳あり・障子に目あり」か分かりませんので、軽率な言動はしないよう自戒しております。密告が怖ろしい。
 それでも一時期、幹部職員らが麻雀を興じる時、リーチの際「ケンキョ(謙虚)」と言うのが流行ったことがあります。「私ほど謙虚な人間はいない」といった具合で“謙虚”は名誉会長の口癖ですので、図々しくもリーチする時は「ケンキョ」と言って上りを待つのです。
748 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/01(日) 18:50
>>747 SGIさんさん
>昨今の支離滅裂なスピーチからは想像もできない
。。。。\(^o^)/ SGIさん、レスありがとうございました。
文章から、何となく、信心の姿勢について、福島氏から多く学んだことが伺われます。
私家版「蘇生への選択」を貰ったそうですが、
福島元副会長が反逆退転(学会側の言い分)してからも、ある程度の付き合いがあったようですね。
本部職員の中には、名誉会長の一挙手一投足を真似ることが、師弟の道であると錯覚している人間がまだ多いのではないですか?
すると、昭和40年代に池田先生の姿を真似るのはいいとしても、最近の池田先生の真似をしたらどうなるのでしょうか?
それで失敗した幹部の話なんて聞きますか?
例えば、女性関係とかで。
749 名前: SGI 投稿日: 2004/02/01(日) 19:29
>>748 yurikoさん。
>それで失敗した幹部の話なんて聞きますか?例えば、女性関係とかで。
―― 真似たかどうかは分かりませんが、金・女(不倫)・酒(遊びも含めて)の不祥事はしょっちゅうでした。きっと今でも同じでしょう。
 「聖教」や「新報」で報じられる宗門ご僧侶の行状よりヒドイというのが印象です。
750 名前: さかなこ 投稿日: 2004/02/01(日) 19:31
>>SGIさん

どもこんにちは(・∀・)

福島さんや原島さんが反逆者のように言われるようになったのは
何故なんですか??
私が同中に参加するようになってからは既に反逆者の中に名前がずらーっと
入っていたので分からないのです。
っていうか若い人が次から次から来るのに昔の知らない人の名前を
読み上げられて絶対に許すなーって言われてもぽかーんって感じでした。
両親に聞いてもあんまり嫌がって教えてもらえなかったもので…
751 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/01(日) 20:00
>>750さかなこさん
>両親に聞いてもあんまり嫌がって教えてもらえなかった
。。。私はぎりぎり間に合ったかな?っていう感じです。
でも、SGIさんの世代って凄いですよね。
池田名誉会長のせいで、右往左往、名誉会長を弁護したつもりが、本人が勝手に前言を翻したり。
もし、こういう男が、裁判の原告席に座ったりしたら、弁護士の立つ瀬がないでしょうね。
何つったて、自分で勝手に、証言を変えるんですからね。
特に、54年の会長辞任のときなんか、
私は、何か口惜しかったけれども、池田先生の潔さに感動して、
「池田先生がどんな立場になろうと、池田先生は私の最高の誇りであり、師匠です」という旨の手紙を送ったのです。
それが、あれから30年以上たって、聖教紙上に「怨み節」を延々と書き殴る神経に、「ぞっとする」のです。
SGIさんに是非当時を。(個人的回顧でいいですから)振り返って頂けると、ありがたいのですが....
752 名前: SGI 投稿日: 2004/02/01(日) 20:21
>>750 さかなこさん
 謗法路線の〔五十二年路線〕を宗門サイドから指摘され、「ごめんなさい。もう二度としないから、許してください」と約束し、会長職も勇退したのに、内輪の会合では「ちくしょー、今に見ていろ。やり返すからな」「だいたいお前たちが私を守ることができなかったんだ」と、反省の姿勢どころか瞋恚(しんに)の情を燃やす名誉会長に、
 原島氏と福島氏はそれぞれの立場で師を想い弟子の道から「先生、間違っています。改めてください」と意見したところ、逆に「私に意見するとは、おこがましい」と反感を買い、排斥され幽閉されてしまったのです。そして軟禁状態になったお二人は、余りある時間を唱題と思索に費やし半生を振り返り、正宗信仰者の道を貫くことを選び(原島氏の場合は、正信会サイドでしたが)学会を去ったのです。
 そうした経緯を、結果的にはお二人とも著書として出版したことが、名誉会長や本部の脅威となり、大反逆者としてネガティブ・キャンペーンの展開へとなりました。
753 名前: さかなこ 投稿日: 2004/02/01(日) 21:13
yurikoさん>
私は間に合わなかった(笑)人でその後の話を学会内で聞いたので
全く?な面が多く本当に困りました。何ていっても反逆者がやたらと
多いし…(゚Д゚;)
親もきっとあんまり詳しい事情を知らなかったのかもしれないですね…
ただイケダセンセイを裏切ったとしか…言ってなかったので…。

SGIさん>
どもども。そういうわけだったのですね。あの勇退の話は美談として語られて
るので腑に落ちないながらもそういう話として知識にありました。
女子部の会合で、あの話を県の女子部長が意気揚揚と語りだし、「マスコミや
宗門の逆風が吹き荒れる中でのご勇退であったー(あがり調子)…そのとき誰が一体
先生を守れたのかー(上がり調子)先生ただお1人が嵐の先頭に立たれて
私達を守って下さったのだー(上がり調子)」って感じで話し始めると会場から
すすり泣きが…って感じで…。何だかもうあまりに「英雄物語」だったので
感動もなにも、ぽかーんって感じでした。そんな昔の話されて守ってくださった
って言われても…って(゚Д゚;)
754 名前: 池田太作の妹 投稿日: 2004/02/02(月) 00:26
「随筆・人間革命」より
嵐の4.24

一九七九年
(昭和五十四年)の四月二十四日

この日、私は、十九年間にわたって務めた、創価学会第三代会長を退き、名誉会長となった。全国の、いや、全世界の同志は・その発表に、愕然として声をのんだ。
その背後には、悪辣なる宗門の権力があり、その宗門と結託した反逆の退転者たちの、ありとあらゆる学会攻撃があった。
なかんずく、私を破壊させようとした、言語に絶する謀略と弾圧であった。
正義から転落した、その敗北者たちは、今でも、その逆恨みをはらさんと、卑劣な策略を続けている。
これは、こ存じの通りである。
御聖訓には、随所に説かれている。
「法華経の行者は諸々の無智の人のために必ず悪口罵詈等の迫害を受ける」と(趣旨、御書一四〇?等)。
広宣流布の闘争のゆえに、悪口罵詈されるのが、真の法華経の行者といえるのである。
さらに「佐渡御書」には、「賢人・聖人は罵詈して試みるものである」(通解、同九五八
「賢聖は罵竃して試みるなるべし」真実の信仰者は、罵詈され讒言され・嘲笑されて・初めてわかる。
755 名前: 池田太作の妹 投稿日: 2004/02/02(月) 00:30

畜生のごとき坊主らの暴圧による、わが友だちの苦悩を、悲鳴を、激怒の声を聞くたびに、私の心は血の涙に濡れた。
心痛に、夜も眠れなかった。私は、けなげな創価の同志を守るため、一心不乱に、僧俗の和台の道を探り続けた。
しかし、後に退転した、ある最高幹部の不用意な発言から、その努力が、いっさい水泡に帰しかねない状況になってしまったのである。
それは、最初から、学会破壊を狙っていた仮面の陰謀家ともの好餌となった。坊主らは、狂ったように「責任をとれ」と騒ぎ立てた。私は苦悩した。
これ以上、学会員が苦しみ、坊主に苛められることだけは、防がねばならない。
戸田先生が「命よりも大事な組織」といわれた学会である。
民衆の幸福のため・広宣流布のため、世界の平和のための、仏意仏勅の組織である。私の心中では、一身に泥をかぶり、会長を辞める気持ちで固まっていった、いずれ後進に道を譲ることは、何年も前から考えてきたことであった。
756 名前: 池田太作の妹 投稿日: 2004/02/02(月) 00:33
続3
ある日、最高幹部たちに、私は聞いた。
「私が辞めれば、事態は収まるんだな」沈痛な空気が流れたo
やがて、誰かが口を開いた。
「時の流れは逆らえません」沈黙が凍りついたo
わが胸に、痛みが走った。たとえ皆が反対しても、自分が頭を下げて混乱が収まるのなら、それでいい。
実際、私の会長辞任は、避けられないことかもしれない。
また、激しい攻防戦のなかで、皆が神経をすり減らして、必死に戦ってきたこともわかっている。
しかし、時流とはなんだ!問題は、その奥底の微妙な一念ではないか。
そこには、学会を死守しようという闘魂も、いかなる時代になっても、私とともに戦おうという気概も感じられなかった。
宗門は、学会の宗教法人を解散させるという魂胆をもって・戦いを挑んできた。それを推進したのは、あの悪名高き弁護士たちである。
それを知ってか知らずか、幹部たちは、宗門と退転・反逆者の策略に、完全に虜になってしまったのであるo情けなく、また、私はあきれ果てた。
戸田は遺言された。「第三代会長を守れ!絶対に一生涯守れ!そうすれば必ず広宣流布できる」と。この恩師の精神を・学会幹部は忘れてしまったのか。
757 名前: 池田太作の妹 投稿日: 2004/02/02(月) 00:37
続4
なんと哀れな敗北者の姿よ。ただ状況に押し流されてしまうのなら、一体、学会精神は、どこにあるのか!
そんな渦中の、四月十二日、私は、中国の周恩来総理の夫人でである?穎超女史と、迎賓館でお会いした。
その別れ灘に・私は、会長を辞める意向をお伝えした。
「いけません!」真剣な顔で言われた。「まだまだ若すぎます何より、あなたには人民の支持があります。人民の支持のあるかぎり、やめてはいけません。一歩も引いてはいけません!」生死の境を越え、断崖絶壁を歩み抜いてこられた方の、毅然たる言葉であった。

やがて、暗き四月二十四日を迎えた。火曜日であった。
全国の代表幹部が、元気に、新宿文化会館に集って来た。
しかし、新たな"七つの鐘"を打ち鳴らす再出発となるべき、
意義ある会合は、私の「会長勇退」と、新会長の誕生の発表の
場となってしまったのである。大半の幹部にとって、まったく寝耳に水の衝撃であった。私は途中から会場に入った。
758 名前: 池田太作の妹 投稿日: 2004/02/02(月) 00:41
続5
「先生、辞めないでください!」「先生、また会長になっ
てください!」「多くの同志が、先生をお待ちしております!」などの声があがった。皆、不安な顔であった。
「あんなに暗く、希望のない会合はなかった」と、後に、当時の参加者は、皆、怒り狂って
私は、厳然として言った。私は何も変わらない。恐れるな!私は戸田先生の直弟子である!正義は必ず勝つ」と。

あまりにも
  悔しきこの日を
    忘れまじ
  夕闇せまりて
    一人歩むを


これは、四月二十四日に記された日記帳の一首である。

わが家に帰り、妻に、会長を辞めたことを伝えると、妻は、何も聞かずに「ああ、そうですか……。こ苦労様でした」と、
いつもと変わらず、微笑みながら、迎えてくれた。
759 名前: Leo 投稿日: 2004/02/02(月) 01:20
池田太作の妹さん。よい資料を提示されたと思います。

>この日、私は、十九年間にわたって務めた、創価学会第三代会長を退き、名誉会長となった。
>全国の、いや、全世界の同志は・その発表に、愕然として声をのんだ。
>その背後には、悪辣なる宗門の権力があり、その宗門と結託した反逆の退転者たちの、
>ありとあらゆる学会攻撃があった。なかんずく、私を破壊させようとした、言語に絶する謀略と
>弾圧であった。

歴史にもしは禁物ですが、言論弾圧事件、盗聴事件など、52年路線とその後の対応などが
なかったら「学会攻撃」のやりようがなかったのではないでしょうか。
戸田第二代会長は「狸祭り事件」で「総講頭罷免」「登山停止」になったそうですが後には
許されています。第二代会長と第三代会長の差は宗門と和解するのか(信仰を重んじるのか)
徹底抗戦するのか(闘争を重んじるのか)という違いがありますね。

また、第二代会長と第三代会長の大きな違いは、第二代会長が終生日蓮正宗の信者であったが
第三代会長は日蓮正宗の信者でなくなった(池田教ともよばれる)ということですね。

なにはともあれ、学会の示す見解は会員のある種主体的自我を清める作用があるにせよ
(多くの会員を安心・納得させるのには十分であるにせよ)、誰をも納得させるには(その
必要もないかもしれないが)不十分でありましょう。
760 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/02(月) 08:31
>>759Leoさん
>誰をも納得させるには(その必要もないかもしれないが)不十分でありましょう。
。。。。
要するに、池田大作という人は、人に弱味を握られたくないのですよ。
兎も角、ちょっとでも反省したら、負けを認めることになると思い込んでるんですよ。
しかし、仏教、否宗教で、最も重要なのが、己の卑小さを知り、謙虚になることです。
とすれば、「大いなる希望」が信条の池田先生にとっては、あまり仏教は向いてないのだと思います。
元はといえば、戸田先生の「俗物ぶり」が創価学会を事業として捉え、大発展した要因だと思います。
ところが、戸田先生の場合、「dぴsひょうもない俗物」ではあったが、信仰者としての絶対的純粋さがありました。
別の言葉で言い替えれば、「たまたま頭のいいビジネスマンが、信仰を持った。結果、宗教事業が成功した」だったのです。
それが、池田先生の場合、
「頭のいいビジネスマンが、意図的に信仰を利用して、成功した」だったのです。
池田大作という人物は、やはり戸田先生が作り上げたのでしょうが、想像を超えて奇怪な人物だったのですね。
実際は、藤原広正氏が言うように日蓮大聖人の再誕どころか、「物怪」だったのですね。
761 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/03(火) 01:52
>>760 訂正

戸田先生の場合、「dぴsひょうもない俗物」ではあったが、信仰者としての絶対的純粋さがありました。

戸田先生の場合、「どうしようもない俗物」ではあったが、信仰者としての絶対的純粋さがありました。

藤原広正氏

藤原行正氏
762 名前: YURIKO 投稿日: 2004/02/03(火) 02:40
私がこの「人間革命批判」を立ち上げたのは、ある重要な意味が込められている。
●池田創価学会は、歴史が古くなればなる程、真実の顔が見えてくる。
xxxxxx池田憤版本に書いてあるように、真実の歴史は容易に歪められ、嘘の事実が恰も真実であるかのように記録されることがある。
オーウエン「1984」では、世界は、三つの巨大国家に分割され、お互いに絶えず争い事を繰り返している。
極端に全体主義国家になった「オセアニア」では、歴史管理局が設けられ、過去の歴史事実を自在に歪めたり、糊塗したりしている。
最高指導者「ビッグブラザー」の本当の姿は誰も見たことはない。
このように、全体主義体制にとっては、歴史の歪曲は常套手段なのである。
池田創価学会が反民主的組織であるのは、本質的なのである。
一私的で、ローカルな宗教団体で止まっている内なら、誰も気にする必要hじゃない。
創価学会を脱会した人は、累計で1000万人を超えているそうだが、「もし嫌なら、辞めれば」いいのである。
しかし!問題は、そういう本質的に反民主的な団体が、公共に影響有る政党と一体不二の関係にあるというのが問題なのである。
>>753-758の資料は、池田創価学会の歴史そのものを語るだけで、その問題点が浮かび上がっているという皮肉な結果になっている。
すなわち、
池田創価学会は「自分達ほど純粋に世界平和と社会の発展を願い、その具体的行動を実行している者達はいない。」「自分達ほど善意に満ちている人々はいない」「それなのに、世間の人達は私達を虐める。おりわけ、権威主義に凝り固まった宗門は酷い」「宗門は極悪である」と決めつけ、世間を説得しようとしている。
宗門の体制に問題なしとはしない。
しかし、どんな定義に照らしても、極悪だろうか?そう、世間を錯覚させているのが、池田創価学会なのである。
そういう憤版的、偽善的体質は、その歴史を遡れば、遡る程、(無節操に方針を変えたり、事実を歪曲、摺り替え、糊塗することで)過去からの変遷が明らか明らかになってくる。
真実の小説人間革命こそが、創価学会への最も強烈な批判材料なのである。
763 名前: SGI 投稿日: 2004/02/15(日) 23:02
>>762
 でも、学会は歴史の書替えは可能だと捉えているのだろう。
 書替えは過表現だとしても、都合のいい「定説」を残し、歴史的事実の常識化はできると踏んでいるに違いない。現に、戦前の創価学会は戦争反対を貫き弾圧され、指導者が牢獄に入り初代会長は獄死した、というのが定説化している。
764 名前: Leo 投稿日: 2004/02/16(月) 00:48
GIさん。>>763

>書替えは過表現だとしても、都合のいい「定説」を残し、歴史的事実の常識化はできると踏んでいるに
>違いない。現に、戦前の創価学会は戦争反対を貫き弾圧され、指導者が牢獄に入り初代会長は獄死した、
>というのが定説化している。

「戦争反対を貫き弾圧され」のではなく、直人さんの資料にソースがありますが、日本が日蓮正宗へ帰依し
ないと勝てないという主張だったのですね(全く反戦ではない)。

「『神札を拝んではあいならん。神さまなんか拝んでも、日本の国は勝てないぞ!』という学会
 の持論が問題となって、牢へ入りました。」
(『講演集』下巻、p41、1956年)

・戦時下における創価学会について
ttp://www.sincere.ne.jp/~naohito/index.html
(『直人さんのほろよい談所』)
765 名前: Leo 投稿日: 2004/02/16(月) 00:49
GIさん。>>763 → SGIさん。>>763
766 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/16(月) 23:18
>>763SGIさん
>書替えは過表現

果たして、そうでしょうか?
どなたか、石田次男氏著述の、「内外一致...」からの引用を望んでいらっしゃったのですが、書き込んでいませんでした。
それは、所謂大阪事件での石田氏の果たした役割の完全な省略と、自身の完全無罪が証明されたというものです。
これらに関しては、本腰を入れて、きちんと書かなくてと思っています。
★何と言っても、池田大作(先生)は、完全な罪を認める自供をしているのです。
それが、どういうわけか無罪判決になってしまったのです。
池田創価学会流の「事実無根」は、全く逆を意味することがあることは、言論出版妨害事件でとっくに証明されています。
言論出版妨害事件では、当事者の公明党側の委員長。書記長、都議会議員、と全員が陰険で反社会的政治工作があったことを認めているのに拘わらず。池田創価学会の手にかかると、「正義への迫害」と全く逆の事実が堂々と語られてしまっているのです。
また、月刊ペン事件に於ても、創価学会側のスパイが隈部被告側に忍び込み、弱味を握ったことで、学会側優利の裁判結果になったことは、そのスパイ自身の告白で明らかになっている。
これらは、創価学会が黒を白といい、白を黒と言ってきたことを証明なのです。
特に、大阪事件では、正義の闘いどころか、本来なら創価学会の(真の?)姿が白日の下に曝され、創価学会=犯罪集団という(正しい?)印象を歴史に刻印する筈だったのです。
それが、今では、堂々と「権力への正義の闘い」と公然と歴史の書き換えを行っているのです。
大阪事件こそ池田創価学会の明暗を分けたものと言えます。
その事実関係をもっと深く検討する必要があります。
767 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/16(月) 23:30
訂正>>766
>自身の完全無罪が証明されたというものです。

池田大作の完全無罪が捏造されたというものです。
768 名前: 故石田次男 投稿日: 2004/02/17(火) 07:39
.....
この事件で『戸田先生を引っ張る』と言った地検が戸田先生を引っ張らなかったのは何故か?少なく共、事情聴取は有っても不思議は無さそうだが、それも無かったのは、決して池田の言うように『自分(池田)が泥を被った』からではない。このことは今明らかにして置く必要がある。戸田先生に迄
地検の手が伸びなかったのは、事件を担当した清原次席検事(地検ナンバー2)が断念したからに過ぎない。昔のことで、もう迷惑が及ばないことも無いであろうから真相を明らかにしておく。
769 名前: 故石田次男 投稿日: 2004/02/17(火) 07:43
続1
敗戦の昭和20年夏、清原氏は満州(今の中国東北部)に居て、真正面からソ連軍に追い回された。
文字通り命からがら逃げ回った。その時、椎名晴雄ーー今は故人ーーという人に命を助けられた。清原氏は椎名氏を<生涯の命の恩人>として重く買った。二人共何とか帰国丈は果たし、それぞれの道を歩み、昭和32年当時、清原氏は大阪で検事を務め、電源開発員である椎名氏ーー第四代小岩支部長ーーは東京で学会の小岩支部幹事をしていた。この時の小岩支部長は私(石田)であった。
770 名前
  • 法介
  • URL
  • 2016/10/29 (Sat) 19:42:08
 
Re: 2003年の投稿記事
770 名前: 故石田次男 投稿日: 2004/02/17(火) 07:47
続2
椎名氏は大阪事件の時、清原氏との関係を戸田先生に話し、清原氏へ<石田紹介状>という名目の親書を認め、石田がそれを持参して(13日頃)地検へ清原氏を訪問した。
『清原氏に弁護士を紹介して下さるよう申し入れよ』と戸田先生に言われた通り、このことだけ30分位粘って言い張った。
この日から二日後、まず田代富士男(後の砂利船汚職参議院議員)氏が釈放され、次いで池田も拘置所から出て来た。
771 名前: 故石田次男 投稿日: 2004/02/17(火) 07:51
続3
有体に言えば、清原氏は椎名氏の親書ーー内容は違法な懇願であるーーに依って、満州での命の恩に報いたのである。大阪事件の捜査段階が、急みバタバタと絞めくくられたのはこのせいであった。
戸田先生に地検の手が伸びなかったのもこの為であった。
清原検事が一切合財目を瞑って幕を引いてくれたからであった。
従って、断じて、池田が一一切合財を被ったからではない。
池田は、当時、誰からもこの事情が漏れる気遣いが無いことを良い事に、万事、自分の功績にして、学会員を総騙しにした丈だ。
772 名前: 故石田次男 投稿日: 2004/02/17(火) 07:55
続4
この裁判の為に自民党元代議士である大瀧弁護士を核にした強力弁護団を結成して当てたが、池田が三代会長に成らないとこの弁護団が崩壊する。
少なくとも無実化する。<総務>就任(昭和33年6月)を急いだのも理由は同じだ。と言うのは、大瀧弁護士は戸田先生の旧友でしかなく、池田を厄介視していた人物だから。
又、学会側の各種証人も、違反は承知の上だし、池田の学会内での立場が弱まれば、親身で裁判に臨む気が薄れてしまうし、戸田先生亡き後は学会本部としても本腰を入れてバックアップはしなくなるだろう。
続5
773 名前: 故石田次男 投稿日: 2004/02/17(火) 07:59
続5
これは、誰にも充分予測される所であって、有罪当然を承知の池田としては、まず会長に成らないと裁判で無罪を勝ち取ることも難しく成る。非に非が重なって転落の詩集に成ってしまう。
この選挙違反が有罪であれば学会内での池田株は暴落する。無罪ならば<法難だった> という箔が着く。有罪無罪の落差は余りにも大きい...と見た池田は、事件から来る学会内での失脚を恐れて、拘置所入りは以前から心に有った会長就任意志を事件後に決定的に固めてしまった。
774 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/17(火) 08:31
池田創価学会の皆さん!
★「老子」に有名な「天網恢々(かいかい)疎にして漏らさず」という言葉を知っていますか?
仏教では、因果供持。
誰も見てないと思っても、必ず誰かが悪事を見ているのです。
池田創価学会は、「時が過ぎればこちらのもの」
「誰も見ていない」
とばかりに、散々悪事を重ねてきました。
しかし、いつも誰かが彼等の悪事を見ていたことを忘れてはなりません。
元公明党都議会議員で、元創価学会青年部第七部隊長で、池田先生の弟分だった藤原行正氏によると、若い頃の池田先生の口癖は、「嘘も百編言えば本当に」だったそうです。
在家とはいえ、仏教系の新興宗教の青年幹部が、反倫理的な言動を公然としていたとは、俄には信じ難いのですが、その後の池田先生の行動パターンを観察すれば、「奈留程」と思わせてしまいます。
★(原文は天網恢々 疎而不失)」と云う言葉があります。これは天は大きな網を張っていて、その網は恢々、すなわちいかにも目があらいように見えるけれども、何事に関しても見落としと云うことは無いのだというほどの意味なのですが、実は罪を法的であるとか宗教的であるとか分けるからこそ、法の網の目をくぐる等という所行が出てくるのかも知れません。
775 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/17(火) 08:55
訂正>>774
仏教では、因果供持

因果倶時(いんがぐじ)
776 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/19(木) 06:56
昨年の聖教新聞を見ていて、面白い発見をした。
5月19日は、創価学会の常住御本尊が書写されて52周年の記念日だったそうだ。
記事には、『昭和26年5月、戸田第2代会長は、会長就任後真っ先に、創価学会常住御本尊を発願。広布の誓願と団結の中心として、学会本部に御安置した。』
とある。
そこで意図的に省略されてるのは、『日蓮正宗63世日亨上人に願い出て、御本尊が下付された』という部分だ。
たとえ、どんなに池田創価学会が中から日蓮正宗色を無くそうとしても、それは無理。
創価学会の歴史をどう塗り替えようにも、現在の民主主義が行き渡り、民衆が賢くなった日本で、民衆を騙し続けることはできない。
池田先生が、好んで用いる「権力に対して民衆が闘う」というスローガンは、自身が悪しき権力の権化となっている今、皮肉以外の何ものでもない。
777 名前: 直人 投稿日: 2004/02/19(木) 08:02
>『日蓮正宗63世日亨上人に願い出て、御本尊が下付された』

日亨師は五十九世。
日亨師以降の歴代は《亨→開→隆→恭→満→昇→淳→達→顕》
そして、創価学会本部に安置されている「大法弘通慈折広宣流布大願成就」と記され
ている本尊であれば、それは六十四世・日昇師。
778 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/19(木) 08:50
>>777ROCKさん

間を入れずに訂正して来るとは!
「壁に耳あり、障子に目あり。インターネットにROCKあり!」
779 名前: ときどきROM 投稿日: 2004/02/21(土) 11:25
新・人間革命  創価大学 七十八 (2702)

一九七三年(昭和四十八年)十月二十六日、三度目の「創大祭」が巡ってきた。
 山本伸一は、その前日の夕刻に、創価大学を訪問した。
 ロビーでは、学生たちが、展示の設営作業に追われていた。
 そこに、創立者が姿を現したのだ。皆の驚きは大きかった。
 伸一を見ると、作業をしていた学生たちが集まってきた。
「いやー、突然、来てしまってすいません。
 本来ならば、明日、伺うべきでしょうが、明日になれば、全部、できあがってしまい、諸君の労作業を見ることができなくなってしまう。
 私は、苦労して、懸命に働いている諸君を、見守っていたいんです。
 また、その方が、大事であるし、意味があると思って、おじゃまかもしれませんが、一足早くまいりました」
〝学生と苦労を分かち合いたい。みんなの苦労に報いたい″というのが伸一の真情であった。「さあ、作業を続けてください」
 こう言うと伸一は、傍らにあったペンキを塗るための刷毛を手にした。そして、学生たちの設営作業を、手伝い始めたのである。
 人の苦労を知ってこそ、人の心を知ることができる。そこから、人間の触発が始まる。
 彼は、この日、構内を回って、作業に精を出す学生たちを励まし続け、大学に一泊した。
 翌日も、朝からフル回転であった。
 午前中、七月に他界した教員の功績を後世にとどめるために、大学内にその教員の名を冠した杉を植樹した。
 続いて、図書館を視察し、洋書二千冊と寄付金を贈呈。さらに、図書館の職員らと懇談し、記念のカメラに納まるなど、激励を重ねた。
 その後、伸一は、中央体育館での祝賀会に向かった。
 これは、開学三年目を迎えた創価大学の教育の成果を見てもらおうと、各企業の代表や報道関係者ら約七百人を、「創大祭」に招待して行われた祝賀会であった。
 伸一が体育館に入ると、既に歓談が始まっていた。彼は、来賓のなかに飛び込むように、一人ひとりに声をかけ、名刺を交換し、丁重にあいさつを交わしていった。

 山本伸一は、名刺を交換するたびに、こう言って、深々と頭を下げた。
「私が山本でございます。大変にお世話になっております。
 来年は、一期生の就職活動が始まります。初めてのことですので、ご指導、ご尽力を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます」
 ほとんどの人が、伸一と直接、言葉を交わすのは初めてであった。
 皆、伸一の丁重さに恐縮し、何度も頭を下げる来賓もいた。
 彼は必死であった。
〝伝統のある他大学に進学していれば、就職も有利であり、多くの学生が、希望通りの企業に就職できるにちがいない。
 それを、あえて、苦労を承知で、私の創立した新設校の創価大学に来てくれたのだ。
 だから、自分が直接、各企業の代表と会い、誠心誠意、創大生のことをお願いしよう。
それが創立者である私の義務だ″
 伸一は、そう深く心に決めていたのである。
780 名前: ときどきROM 投稿日: 2004/02/21(土) 11:26
 会場は、立食パーティーの形式をとっており、料理をのせたテーブルのほか、壁に沿って、学生の模擬店が並んでいた。
 伸一は、そのなかを右へ左へと歩き回った。
〝七百人の来賓全員とお会いしよう″と、彼は決意していた。
 動き、語る伸一の顔には、いつの間にか、汗が噴き出していた。
〝そこまでやるのか″と、人は思うかもしれない。しかし、その行動なくして〝開道″はない。道を開くには、まず自らの意識を開くことだ。
 彼は、ある来賓には、こう尋ねた。
「『創大祭』をご覧になった、率直な感想はいかがですか」
 来賓は語った。
「今、どの大学も、学園祭は、面白ければなんでもよいという風潮が強くなっています。
 しかし、『創大祭』は違いました。真面目に研究や調査に取り組み、自分たちの主張を真正面からぶつけている企画が実に多い。また、社会正義に燃える、学生らしい心意気があふれています。
 卒業生が社会に出るのが楽しみです」
「ありがたいお話です。光栄です。学生たちに伝えます。
 創大生は、私の命なんです。皆、純粋ですし、限りない可能性をもっています。今後とも、お力添えください」
山本伸一は、来賓と精力的に言葉を交わし、名刺交換していった。
 伸一の汗は、スーツの襟にまで滲んでいた。
 彼の後ろには、「創大祭」の実行委員長である押山和人という学生がついて歩いていた。
 押山も一期生で、来春には四年になる。だが、卒業後の進路について、まだ、真剣に考えてはいなかった。
 就職活動をするにしても、先輩もいないために、よく状況がつかめず、まだ先のことのように感じていたのである。
 しかし、創立者の姿を見て、押山は目の覚める思いがした。
〝先生は、本気になって、ぼくたちの将来に心を砕き、就職の問題も学生自身よりも真剣に考えて、手を打ってくださっているんだ。
 よく、『諸君のために道を開く』と、先生は言われるが、今、まさに、体を張って道を開いてくださっている!″
 押山は、創立者の姿を生命に焼き付ける思いで見ていた。彼の胸には熱いものが込み上げ、太い眉の下の大きな目が、何度も曇った。
 この日、伸一は、体育館に集った、ほとんどの来賓とあいさつを交わしたのであった。
 さらに、このあと、彼は「創大祭」を記念して行われた、卓球大会やテニス大会にも、相次いで出場した。
 伸一は、疲れ果てていた。しかし、そんな素振りは全く見せずに、学生と対戦した。
 夕方からは、教授の有志の招待を受け、構内の合掌造りの「万葉の家」で、食事をともにしたのである。
 最初に、教授の代表があいさつに立った。
 この教授は、感無量の面持ちで語った。
「私は、本日、創立者の姿を拝見し、心の底から感動いたしました。
 山本先生は、全来賓と会われ、時に、深く、深く頭を下げておられた。
 学生の未来を開くために、すべてを捧げるご決意が、痛いほど伝わってまいりました。
 私は反省しました。その慈愛が自分にはあったのか、と。
 先生は、身をもって教師の精神を教え、創価大学の建学の精神を体現してくださった……」
 真の共感は、行動のなかに生まれる。
781 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/21(土) 14:55
>>780-779ときどきROMさんへ
。。。一体、どういうつもりで、新人間革命をそのまま書き込んだのか、wかりません。
資料としてなら、他のHPでも見れると思うのですが。
私が購読しているダイジェスト版の聖教新聞にも、ちゃんと人間革命は掲載されていますし。
このスレタイは、「人間革命批判」ですので、もし、私にこの資料を批判しろというんでしたら、そのように受け止めらせて頂きます。
何はともあれ、御苦労様でした。
782 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/21(土) 15:31
>>779-780
それでは、早速、批判させて頂きます。
●もしも、この新人間革命が池田大作=山本伸一本人が執筆したとすれば、池田大作(先生)は、正しく狂人と断定してよいでしょう。
理由1 例え、自伝小説としても、一般紙に並ぶ、発行部数を誇る機関紙に、こうまで手放しで、自分を誉め称える行為は異様である。
それも、ただ単なる回顧録というんじゃなくて、わざとらしく、他人の口を借りて自分を「褒めちぎる」神経は異常である。
この山本伸一というのは、物語りの中でも、学者でもないし、何か特別な研究論文を発表したというんでもない。
一体、何らかの思想=教育構想があって、創価大学を創立したのでもない。
○ただ、世間的慣習に従って、宗教で生業をたてている、というだけで、回りから「先生」と呼ばれてるだけだ。
○創価大学とて、本人が事業で成功して、その資金の一部でも寄付したというんではない。
○池田(先生)が得意とする「人のふんどしで相撲を取る」といった手法で、自分は、何もやってないのに拘わらず、「創立者」としての「手柄」だけは、自分のものにしたのである。
○更に、「嘘も百辺言えば本当に」という手法をここでも利用して、「創価大学創立に最も功績があったのは、自分である」というのを繰り返し、吹聴したのである。
○もしも、牧口先生や戸田先生といった、実際の教育者だった人達の功績を称えて、大学を創立したというのなら、創立者の名前は、両方の名前を冠すればよいことだ。
★本当に実力と人徳がある人間であれば、本人が何もしなくとも、自然に回りの人間がその功績を顕彰したいと申し出されるものだ。
(世界的指揮者小沢セイジ氏など)
○どう控え目にみても、池田(先生)は、自分のことを誉め過ぎている。
*結論 新人間革命もまたゴーストライーターの手によるものだろう。
783 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/23(月) 17:36

この池田先生の自己陶酔癖は、もっと詳しく検討する必要」がある。
『蘇生の選択by福島源次郎』
福島氏の略歴
○昭和31年 東京大学経済学部卒業 富士電気入社 日蓮正宗入信
○昭和35年 創価学会入会
○昭和36年 学会本部職員
●聖教新聞編集総局長●編集主幹●専務理事●創価学会男子部長●青年部長●文化本部長
○昭和47年創価学会吹副会長
○昭和54年 一切の役職を辞任
784 名前: ペガサス 投稿日: 2004/02/23(月) 21:33
>●もしも、この新人間革命が池田大作=山本伸一本人が執筆したとすれば、池田大作(先生)は、正しく狂人と断定してよいでしょう。
理由1 例え、自伝小説としても、一般紙に並ぶ、発行部数を誇る機関紙に、こうまで手放しで、自分を誉め称える行為は異様である。

その点は、同意ですね。
こちらのどなたでもいいのですが、
仮に自叙伝を出すとして、自身を限りなく美化する文章をみとめるだろうか?

私の知ってる限りにおいて、ゆういつ、それなりに感動したのは大阪事件で
検察庁でしたか呼ばれ、そのときの心情。
「幾重にも続く山々に出来うるならば隠れたいと思った」ーだいたいの趣旨。

そういった普通の心情にむしろ共感は覚えるのだが、
すべてを正当化し、逆に美化しようとする流れには嫌悪感をおぼえてしまいます。
785 名前: Leo 投稿日: 2004/02/24(火) 02:09
前の小説人間革命第一巻の冒頭 --

「戦争ほど、残酷なものはない。
 戦争ほど、悲惨なものはない。
 だが、その戦争はまだ、つづいていた。
 愚かな指導者たちに、ひきいられた国民もまた、まことにあわれである。」

「ばかげたことを、いつまでやっているんだ!」

-- 創宗戦争も同様。
786 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/24(火) 02:41
>>783
SGIさんが、既に述べているように、福島氏は、太田氏と並んで、池田名誉会長の後継者とみられるくらいに、側近中の側近。
池田の指導を一字一句漏らさずに、手帳にメモしてると言われていた。それだけに、そのメモの信憑性は高い。
そこに記されていた言行録は狂態というのに相応しい。
今、それが池田創価学会の真実を知るのに大きな手助けとなっている。
787 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/24(火) 02:55
福島源次郎の息子さんの実名入りの手記が、妙教に掲載されたことがある。
また、創価大学山岳部に属する現役学生3人のリレー体験談がこれもなた実名入りで掲載された。
彼等は、福島元創価学会副会長と直接会って、池田名誉会長や創価学会の真実の姿を知る。
福島源次郎氏のような人材を失ったことが、どれだけ法華講にとって痛手だったかしれない。
冥福を心から祈りたい。
福島氏「蘇生の選択」で、一番興味深かったのは、日頃から福島副会長に、池田先生は、「自分を守れ!」+「自分の家族を守れ!」と指示していたという。
「自分を守れ!」というのは、もう、うんざりすくくらいに皆さんは聞いているだろうから、説明の要がないと思う。
創友同窓の集いなどで、「師匠を護るのが弟子の務め」だとか「師匠の教えを実現していくのが弟子の義務」なおと、言われると、
「そうだ!」と条件反射的に反応してしまう。
しかし、もし、「池田先生の家族を守れ!」となると、
えっ?」となってしまう。
恐らく、池田先生は、福島氏にあまりに心を許し過ぎて、つい、本音が出てしまったのだろう。
池田創価学会の本質ーーそれは、池田大作並びに池田家による創価学会の私物化以外の何物でもない。
788 名前: Leo 投稿日: 2004/02/24(火) 02:59
んー。
福島氏に傘をさしかけている池田氏の写真を持っている人がいるとか、
福島氏が辞めるときに池田氏が俺も辞めるよといったとか。
相当頼りにしていたようですね。

近年では福島氏と同じ大学出身の大幹部はかなりしごかれたとのこと。
(退転しないように)
本幹衛星中継の前座部分で人間が壊れるのではないか?と思えるほど
仏敵攻撃スピーチをやらされていた。
789 名前: Leo 投稿日: 2004/02/24(火) 03:10
蘇生講をやったり、第二創価学会をつくるといわれた勢いのあった、
福島氏ですが、どこまで実現できておられましたか、また誰かが
引き継いでいますか。

福島氏と石田氏の関係はどうでしょうか。
(福島氏は石田氏を師匠にしたのでしょうか)

ある方の石田氏は印度六派哲学と六師外道の区別がついていない
との指摘がありました。
790 名前: 世界ノーベル平和賞 投稿日: 2004/02/24(火) 22:04
795 名前:氏名黙秘 投稿日:04/02/24 13:10 ID:???
私が昔読んだ昭和30年代に出版された「日本精神(忘れた)序説」っていうねずみ色の表紙の本には

「2代戸田は【末端で働く学会員こそが一番えらい。それをまとめる支部長、それを終局的にまとめる
会長といえども、学会員を支援する為に居るのであって、末端の学会員を大切にしなければならない】
と述べていた。
ところが第3代池田になると、これが【そのえらい学会員をまとめている支部長こそが一番えらい】というように
すり替えが発生しているようである」

って書いてありますた。あまりにも衝撃的だったので未だに覚えてます。
その後のデーサク先生の行動を見ると「・・・だから俺様こそが一番えらい」といいたかったみたいです。
なんてったって「創価学会インタナショナル(SGI)会長」ですもんね。
791 名前: SGI 投稿日: 2004/02/25(水) 00:53
>>789
>蘇生講をやったり、第二創価学会をつくるといわれた勢いのあった、福島氏ですが、どこまで実現できておられましたか、また誰かが引き継いでいますか。
―― おそらく、ご本人は第2創価学会をつくる意思はなかったと思います。
 蘇生講は、福島氏の存命中に解散しており、誰も引き継いでいないと存じます。

>福島氏と石田氏の関係はどうでしょうか。(福島氏は石田氏を師匠にしたのでしょうか)
―― 師匠にしておりません。
 福島氏が学会の要職を駆け上がっていく時には、すでに石田氏は“過去の人”です。当時から「石田氏はアル中」とのデマが流されており、名誉会長の第三代会長就任後に幹部になった人は、ほとんど石田氏とは接点がありません。福島氏は会長就任後の幹部です。
 副会長の辞任後、福島氏が自身の教学の「見直し作業」の過程で、石田氏を訪ね、教学上の論点をいくつか教授を受けた次第です。

>ある方の石田氏は印度六派哲学と六師外道の区別がついていないとの指摘がありました。
―― その通りでしょう。
 特段きちんと区別をつけようとの想いもなかったのだと思います。釈尊の教え以外は「外道」との観点に立ち、釈尊が否定した六師外道義は、詮ずるところ、仏法(内道)以外のすべての教え・思想・宗教・哲学を指すとし、その“対告衆”として六師外道義だったと捉えているのであり、その意味で印度六派哲学も六師外道も、いずれも「外道」ということで十把一絡げだったのでしょう。
792 名前: みかん 投稿日: 2004/02/25(水) 01:30
> 特段きちんと区別をつけようとの想いもなかったのだと思います。

それは違うと思いますよ。
『現代諸学と仏法』『内外一致の妙法』を読まれたら判りますが、
あれだけ衒学的に、諸学問、諸哲学を論理的に理解しようと
した人が、そんないい加減な態度であったとは思われません。

石田氏が六師外道義と六派哲学の区別が付いていたかいなかった
か、インド学の専門家でない私には判りませんが、
石田氏の学問的な真摯な態度はきちんと評価すべきだと思います。

それが、頭打ちになっちゃってるのが石田氏の限界だと
思いますけどね。所詮理系の人で、人文学には向いていない
と私には思われます。
793 名前: Leo 投稿日: 2004/02/26(木) 01:31
SGIさん。 >>791 みかんさん。 >>792

解説ありがとうございます。
福島氏も石田氏も限界があったということですね。
794 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/26(木) 04:44
福島源次郎元創価学会副会長が書いた「蘇生の選択」を何年ぶりかで読み返してみた。
「まえがき」で述べてある通り、この書は、本人の30年以上の信心の全てをかけて、書き綴られたものだ。
さすがに、すごい。
もっと、この書を読み込み、人にも勧めていかなくてはならない。
福島氏が亡くなって、益々、この書の価値が増したと言ってもいい。
やはり、創価学会の最高幹部の中では、池田名誉会長との師弟の道を、この人程、徹底的に追求した人はいない。
それなのに、何故、創価学会幹部は、そこ(福島氏の挫折も含めて)から、何も学ばないのか不思議mでしょうがない。
氏は、はっきりと、池田名誉会長は偽物だと断定したのである!
「悪鬼入其身」だとか、「狂人」と片付けるには、氏の分析は、あまりに鋭過ぎ、生々し過ぎる。
これから、少しづつ、その内容を見ていきたいと思う。
何と言っても、このスレタイの人間革命批判に相応しく、福島氏こそ、池田版人間革命を正面から批判したのである。
795 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/26(木) 05:13
続1
池田発言「私には戸田先生しかいない。それが私の一切である。戸田先生の『心』をこの世で実現していく、それが私の使命であり、栄誉であると思っている。それ以外の私自身のことや一家一続のことなど、全く眼中にない」
福島元副会長「名誉会長は、学会本部長に就任した私に、こう告げたのであります。
『君の就任のはなむけとして、ひとつ言っておこう。君のこれからの重要な仕事は、私の家族のことまで常に心に掛け、将来にわたって面倒をみていくことだ。この点がまだ君に欠けている。中西を見習うのだよ』(昭和51年12ー8)」
********************************
前に書いたが、福島氏は、「如是我聞」と称して、名誉会長の発言を一字一句漏らさずに、書き留めているので有名だった。
皆(学会員であれば)、福島氏に理想的「弟子」の姿を見て、
「弟子たるもの、ああでなくてはならない」と決意していた。
それだけに、尚更、彼が記したメモの信憑性は高い。
奥様は、健在なのだろうか?
御子息の手記では、御他界されたと記憶しているが、記憶違いなら心から、お詫びしたい。
奥様が御存命であるなら、是非、その手記を「酔いところも、悪い所も含めて」公開して頂けないだろうかあ?
さもなければ、御子息にその仕事をお願いできないものだろうか?
796 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/26(木) 07:27
>>787
私は、残念ながら、福島氏と直接会って話しをしたことがない。
それだけに、本当は(会合で見かけたような姿ではなく)どんな方だったのか興味がある。
是非、SGIさんにお願いしたい。
よい評価ばかり聞いていたのは確かだが、悪い評価も聞いたことがある。(所謂反逆前に)
悪口はいいにくいでしょうが、SGIさんに是非、福島元副会長の思い出を語って頂きたいと思います。
我が身を振り返ってみても、人間の欠点をあげつらってばかりいても、意味がない。
そういうことばかりしていると、その人自身の信用がなくなる。
それだけに、このスレッドで、池田先生のことを批判するのも心苦しい。
しかし、自ら、生き乍らにして、「永遠の’指導者」の資格を得、世界中の何百という会館に自分の名前を冠し、写真家としての素養のあるなしは、別として、相当規模の武美術館に作品を展示している。
その上、個人資産が1兆円となれば、完全なあ公人といっていい。その規模が大きいだけ、責任も重い筈だ。
大体、現代世界、洋の東西を問わず、スキャンダルに塗れて、世間の人を驚かせる行動を取るのは、宗教家である。
そういった風潮に乗って、日顕上人のことも、「無い事、無い事」であるにも拘わらず、スキャンダルを絞り出すように捏造しているのだろう。
そうなれば、日本最大の似非宗教団体のトップとして君臨してきた池田名誉会長の人格を精査するのは、当然なのである。
やはり、池田名誉会長の人格を一言で言えば、「無責任人間」といえると思う。
昭和30年代、植木ひとしの「天下の無責任男」という実に下らない映画があったが、どういうわけか、その映画の主人公に最も相応しい男こそ池田大作のような気がしてならない。
●戸田先生の元、共に広宣流布をしていこうと誓いあった、先輩(竜年光氏)、後輩(藤原行正氏)、兄弟子)石田次男氏)、自分の弟子一号(原島崇氏)に反逆され、自分を本仏とまで崇めた直弟子(福島源次郎氏)に背かれ、創価学会の組織を構造的に現代化した功績のあった顧問弁護士に恐喝され、自著の代筆の相当部分を依頼した秀才(桐山泰次氏)に去られ、学会組織の財産を私物化し、池田家個人財産を巧みに増やすことに貢献のあった金庫番(中西氏)を陰棲に追い込んだに池田大作。
●何故、こういう男が「のうのう」と生きているのか不思議でならない。
一時、児玉誉士夫、田中角栄、池田大作は、昭和が生んだ三悪人と言われたことがあった。
池田先生が、日蓮正宗から破門されたのは、当然の成り行きだったとしても、全世界から顕彰されたという総計300近くの名誉称号は、酷い皮肉として、日本史に残るだろう。
797 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/26(木) 10:04
所謂、反逆者達の言い分と池田先生=池田教徒達の言い分には、とんでもない開きがある。
接点がまるでないのである。
それは恰も。互いにそっぽを向いて、ひたすらがなり立てているように見える。
池田創価学会は、宗門に対して、「話し合いを拒否したのは、そちらの方。封建的に信者を見下している宗門は、時代に逆行しているのみならず、本質的に悪」と決めつけている。
ならば、聞きたいのは、「本質的に悪」ならば、創価学会は、そういう宗教の御本尊を祈祷し、教義を利用して、(少なくとも表面上は)発展してきた。
とすると、その発展自体間違っていたのではないか?
であれば、今まで利用してきた日蓮正宗の御本尊は、形式も含めて、全て返還すべきだし、教学の体系も即刻別物に変えるべきではないのか?
そして、池田大作の「青春対話」とか、「ナイチンゲール」に付いてのスピーチあたりを教学?の中心にするべきだと思う。
xxxxxxxxxxxx
池田先生はよく、所謂反逆者や宗門側の言い分を、「うそつきの天才ども」などと揶揄して、全く誠実に聞こうとしない。
しかし、そこで、白黒写真のネガのように白黒を全く逆に見てみるとよい。
つまり、池田先生が大嘘つきで、所謂反逆者達(山崎正友氏も含めて)や宗門側が真実を述べているとしたら。
そうすると、不思議なことに、全て、今まで意味をなさなかったことが意味を成してくるのである。
それは、例えば、今まで、本当の気色だと思っていたのが、外の気色が鏡に反射していたことがわかったようなものだ。
微妙な違い(左右逆)だから、余程注意しないと見過ごしてしまう。
本当は、大きな違い(幻想と現実)なのだが、原則を取り違えているから、わからないのである。
それは、丁度、舞台劇で、劇がフィクションだという約束ごとを忘れてしまうことにも似ている。
「創価学会は、日蓮正宗の教義を盗んだ」という大原則を忘れれば、創価学会の胡散臭さを見分けることは出来ない。
798 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/26(木) 12:41
訂正>>797
それは、例えば、今まで、本当の気色だと思っていたのが、外の気色が鏡に反射していたことがわかったようなものだ。

それは、例えば、今まで、本当の景色だと思っていたのが、外の景色が室内の鏡に反射していたことがわかったようなものだ。
799 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/26(木) 12:55
訂正>>795
奥様が御存命であるなら、是非、その手記を「酔いところも、悪い所も含めて」公開して頂けないだろうかあ?

奥様が御存命であるなら、是非、その手記を「良いところも、悪い所も含めて」公開して頂けないだろうかあ?
800 名前: ときどきROM 投稿日: 2004/02/26(木) 21:02
新・人間革命  創価大学 八十二 (2706)

山本伸一は、学生たちの就職に対する考え方を正しておかなければならないと思った。

「世の中に安定している会社なんて、一つもありません。社会が激動しているんだから。

 日々激戦に勝ち抜くために、どの会社も必死です。発展している会社は常に商品開発や
機構改革などを行い、真剣に企業努力をしています。

 たとえば、食品会社にしても、医薬品の分野に進出したり、生き残りをかけて、懸命に
工夫、研究し、活路を開いているんです。どの業界も、食うか、食われるかの戦いです。

 昨日まで、順調であっても、今日、どうなるかわからないのが、現実なんです。

 大会社に入っても、別会社への出向もあれば、人員整理もある。また、倒産することだ
ってあるでしょう。

 だから、〝この会社に入れば安心だ。将来の生活が保障された″などと考えるのは間違
いです」 学生たちは、真剣な顔になっていた。

〝挑戦″を忘れ、〝依存″の心をもった人が何人いようが、発展の力とはならない。

 伸一は言葉をついだ。

「就職する限りは、どんな仕事でもやろうと、腹を決めることです。 たとえば、出版社
というと、多くの人は編集をイメージするが、会社には経理もあれば、営業もある。また、
受付もあれば、清掃や営繕を担当する部門もある。

 有名出版社に入ったとしても、どこに配属されるかはわかりません。また、自分の好き
な部署に配属されても、部署は、状況に応じて変わっていくものです」

 皆、頷きながら話を聞いていた。

「社会も企業も、常に変化、変化の連続です。 その時に、自分の希望と違う職場だから
仕事についていけないとか、やる気が起こらないというのは、わがままであり、惰弱です。
敗北です。

 就職すれば、全く不得意な仕事をしなければならないこともある。いやな上司や先輩が
いて、人間関係に悩み抜くこともあるかもしれない。

 しかし、仕事とは挑戦なんです。そう決めて、職場の勝利者をめざして仕事に取り組む
時、会社は、自分を鍛え、磨いてくれる、人間修行の場所となります」
801 名前: SGI 投稿日: 2004/02/26(木) 23:00
>>792 みかんさん。
あっ、誤解を招いているようです。

 石田次男氏について、けっして「いい加減な態度」だとか「真摯な態度」でない、といっているのではなく、
 氏が追求したのは、仏法と諸学(外道義)の峻別であって、諸学の分類や体系化が目的でない故に諸学そのものへの論及は省することが多かった、と記したかったのです。
 つまり、仏法との対比において外道義を論じ、碁盤で将棋が指せないように、あるいは将棋盤で囲碁ができないように、もともと一人称・二人称の世界・論理に三人称の論理(俗諦)を持ち込むなというのが主眼なので、特段諸学の分類について詳細な論述にはこだわらなかった―外道の中での相違をことさらに示す必然がなかった―のではないかと思うのです。
 したがって、氏が六師外道義や六派哲学を含めて諸学(外道義)そのものに造詣がなかった――とはとらえておりません。

 私自身は、石田氏の業績について大変敬意を抱いております。
 直接お会いする機会はありませんでしたが、氏の生前においても、ある人を介して、氏の論調や主張、お人柄などを幾度となくお聞きしており、私にとっても恩人の1人です。
 いまでも石田次男氏こと「堅持院法明日徳居士」(平成4年2月4日寂)には追善をさせていただいております。
802 名前: SGI 投稿日: 2004/02/26(木) 23:18
…しかし、
 ヤフーbbのデータ流出事件の竹岡誠治容疑者の長男も本部職員なのか。唖然。
 やはり、本部幹部は“家業”なのでしょう。⇒ >>135 参照
803 名前: Leo 投稿日: 2004/02/27(金) 01:13
ときどきROMさん。 >>800

>〝挑戦″を忘れ、〝依存″の心をもった人が何人いようが、発展の力とはならない。

んー。これは名言だと思います。

創価への〝挑戦″を忘れ、創価への〝依存″の心をもった人が何人いようが、(真の)発展の力とはならない。
ということですね。

「権威主義者は一般に、自分の影響力に服従し、それを信じ、それに応える者たちを選抜するであろう。
だがそうすることで、彼は凡庸な者たちを選ぶことにならざるをえない。というのも、
彼は、自分の影響力に叛逆し、それを疑い、あえてそれに抵抗する者を排除するからである。
権威者は知的に勇気ある人々、すなわちあえて彼の権威を拒む人々が最も価値のある型である
かもしれないということを認めることができない。」
(K・R・ポパー 『開かれた社会とその敵』)

「あえて彼の権威を拒む人々が最も価値のある型であるかもしれない」ということですね。
804 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/27(金) 02:23
>>801SGIさん
>将棋が指せないように、あるいは将棋盤で囲碁ができないように、もともと一人称・二人称の世界・論理に三人称の論理(俗諦)を持ち込むなというのが主眼....
。。。。故福島源次郎氏も所謂池田教の最大の誤りは、仏法を無理矢理に世俗の学問で説明しようとした点にあるとしています。
それに対して、賛成するかどうかは別として、その通りだと思います。
「キリスト教と科学の闘争」という有名な本が、1870年くらいに書かれなした。(現在、部屋の中を探している)
そこで述べられているのは、ガリレオの例を持ち出すまでもなく、宗教権威が客観的事実に基づいた、知的観察の発展を妨げたことが述べられている。
仏法は、元々が宗教らしさを欠いていたから、そうした宗教権威というのはなかったと思います。
テラバダ仏教の坊さんのHPには、「仏教は心理学おいうより、科学である」なおと書いてありましきまし。
そこで、私は、心理学は、自然科学の分野ではないが、立派な科学ですよ、と書いた。
更に思ったのは、現在のテラバダ仏教を始め、現在存在している仏教は、完全な宗教となってしまっている、と書きました。
それが、いいことかどうかは別です。
宗教と化した仏教は当然、権威が最も重要になります。それが、SGIさんの言われる「一人称の世界」ということでしょう。
その中で論争するのなら、多いにするべきです。
同じ土俵で、同じルールで相撲を取ろうとするなら、大いに頑張って欲しいです。
ところが、現代世界、得に日本の文化の最大の特徴として、文化の世俗化というのがあると思います。
そんな中で、「相伝仏法!」と言われても、少数の趣味としての仏教としてなら、ある程度は流行るでしょうが、時代の中心にはならないでしょう。
欧米の宗教事情も非常に厳しいものがあり、世俗化を拒否した教会は、厳しく淘汰されています。
創価学会は悪ーーこれは絶対の事実です。
しかし、創価学会が発展してしまったのは、事実なのです。その理由は、仏法を巧みに世俗化させることに成功したからです。
創価学会みたいな悪を野さばらせてしまった、ーーこれは、重大な責任問題です!
ですから、「宗門は、一方的被害者」という見方にも、私は与することができません。
やはり、これからの真の広宣流布を在家、出家共に目指すのであれば、慎重さが必要であるのは確かですが、まず深刻な反省が必要だと思います。
例えば、大乗非仏説(これは、宗門でパンフレットが出ている)などの、現代仏教学の成果をもっと、総合的見地から、宗学に取り入れていくべきでしょう。
オールオアナッシングではない、健全な宗門の精神面での発展を望むものです。
805 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/27(金) 06:28
訂正>>804
それに対して、賛成するかどうかは別として、その通りだと思います

仏法を世俗の学問に照らし合わせて研究対照にしてよいかどうかは、別にして、池田創価学会の誤りは、相伝仏法である日蓮正宗の教義を理解できていなかった、と思います。
猊下の指導に対して、信服随順するのは、日蓮正宗信徒となったら、当然の務めです。
もし、それが出来なければ、退転届けを提出すれば済んだこと。誰も引き止めなかったでしょう。
それを、実に巧みに宗門の方から、破門させて、「宗門は、権威主義的を演出した。
実に狡猾だ。
かつて、創価学会から、大量の文書が外部に流出した。それに目を通した、あるジャーナリストは、あまりの丸非マークの多さに唖然としたという。
あまり多くの秘密は疑惑を生み、やがて、それは不信に繋がっていくもの。
今回の所謂、C作戦では、(将軍様)池田先生は、どんな作戦を立てたのか興味深い。
最初から、最後まで何とか、「宗門は陰険且つ、権威主義的で、無慈悲にも創価学会を破門にした」を演出したのだろう。
>テラバダ仏教の坊さんのHPには、「仏教は心理学おいうより、科学である」なおと書いてありましきまし。

テラバダ仏教の坊さんのHPには、「仏教は心理学というより、科学である」などと書いてありました。
806 名前: Leo 投稿日: 2004/02/27(金) 23:51
yurikoさん、SGIさん。

こちらのスレをお借りして、今回、お尋ねしたいことがあるのですが、
よろしいでしょうか。

『大白蓮華』2004年3月号に教学部長が宗門に「日精問題を質(ただ)す」という
1月9日に送った質問状の内容(全文)が紹介されていますが、正宗さんの方では
何か対応があったでしょうか?

「日精問題を質(ただ)す」は学会内部向けのパフォーマンスであって
(いつもの調子の学会本位の内容)、正宗さんの方では全然相手にしていないと
思いますが...
807 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/28(土) 05:42
>>806Leoさん
>大白蓮華』2004年3月号に教学部長が宗門に「日精問題を質(ただ)す」....

。。。実をいいますと、そのことは、最近、聖教新聞で知ったのです。
創価学会は、何かと過去の法主のスキャンダル(であるかのように)を針小棒大にして話をするのが得意みたいですね。
今までも、稚児法主、要法寺派遣法主、釈尊像建立など、過去に起った事件を根掘り葉掘りしてきましたね。
挙げ句の果ては、猊下の言葉尻を捉えて、大御本尊否定発言を捏造したいとか、「お前等いい加減にしろ」といった感じですよ。
他にも桜の木伐採とか子持ち杉伐採とか、「よくも、ここまで考え付くものだ」といった感じです。
それらは、全て内部向けだから、真面目に付き合う方が間違ってるんですよ。
それに、先日、聖教新聞で、流石に扱っている量は、小さかったのですが、未だに、シアトル事件があったかのように、語られていました。
この「針小棒大」のワンパターンですから、今度の日精上人問題も下らない難癖に過ぎないでしょう。
ただ、宗門は、どんな下らない難癖に対しても堂々と反論して欲しいと思います。
そうすることによって、自らの信心の姿勢を示し、信徒達が励まされるのみならず、創価学会員や全くの外部の方々を折伏していくことに繋がるからです。
808 名前: SGI 投稿日: 2004/02/28(土) 23:47
>>806Leoさん
 残念ながら『大白蓮華』2004年3月号を手に入れておりません。
 これまでとは違った新たなに疑難が提示されているのでしょうか。
 すでに宗門サイドからいくつかの破折文書が示されていますので、新論点でない限り単なる繰り返しならば何のリアクションはないでしょう。
 ちなみに(ご存知だとは思いますが)これまでの宗門サイドの破折文書をご紹介します。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~shibuken/shiryo2.htm
 タイトル「B01 法義研鑚委員会 H10/11/01(大白法513号) 日精上人に対する創価学会の疑難を破す

http://members.at.infoseek.co.jp/netplane/nissei.html
「創価学会による日精上人に対する再度の疑難を破す/時局協議会文書作成班1班」
「創価学会による日精上人に対する再々度の疑難を破す/法義研鑚委員会『大日蓮』98」

http://jagihashaku.main.jp/saido/01.htm
 日蓮正宗青年僧侶邪義破折班「新興宗教「創価学会」と離脱僧らの再度の邪難を摧破す」
809 名前: SGI 投稿日: 2004/02/29(日) 00:05
>>804 yurikoさん
 論旨において概ね賛意を表します。
 現代の世俗化・多元化の状況に耐え克服し、正法正義の宣揚と指導性の発揮すべく、宗門サイド(特に御僧侶方)の覚醒と新たな教学展開を望むものです。
 私が存知あげている御尊師方には、こうした意識を持ちながら日々研鑽されている方々がいます。ですので、絶望はしておりません。
810 名前: Leo 投稿日: 2004/02/29(日) 00:20
SGIさん。 >>808 資料のご紹介ありがとうございます。

学会は何度も「日精上人に対する疑難」をやっていたのですか。

>これまでとは違った新たなに疑難が提示されているのでしょうか。

>すでに宗門サイドからいくつかの破折文書が示されていますので、
>新論点でない限り単なる繰り返しならば何のリアクションはないでしょう。

一応時局班への反論が書いてありますが、結び部分で回答なき場合は法主の除歴云々
と書いておりリアクションがない場合不戦勝を狙うかのような書きぶりです。
SGIさんがご存知ないところをみると宗門サイドは相手にしていないのですね。
811 名前: SGI 投稿日: 2004/02/29(日) 23:54
>彼の後ろには、「創大祭」の実行委員長である押山和人という学生がついて歩いていた。(新・人間革命より)

 押山和人こと忍田和彦・元青年部長は、創価学園・大学の1期生。初の金時計(創立者賞)受賞者である。今なお鳳友会委員長を務め、学園OBの頂点に立つ(ちなみに、創価大OBの会=創友会トップは、正木正明氏・3期生)。現在、宗教法人「創価学会」責任役員17人の1人として名を連ねているが、学園・大学卒業生ではただ1人の責任役員だ。つまり、忍田氏は学園・大学OBの筆頭者いえよう。

 押田氏も正木氏も2人共、学生時代は学生自治会で活躍した。学生自治会の目標(合言葉)は「創立者構想の実現」。創立者=池田大作・創価学会名誉会長の思想を学び、その思想を継承し構想を実現していくことを自己の生き方・使命・人生の目的とする人材を輩出することをめざす。
 創価大は、創立構想を発表以来、宗教大学でないことや「学問の自由」「信教の自由」を保障する“開かれた大学”であることを世間に表明してきた。そこで、大学機構自身が直接“池田私兵養成大学”であることを担うことができず、学生の自治として「創立者構想」を実現することを担ってきたのである。忍田氏らは、その礎を築いたということだ。

 「創立者・池田先生に甘えてはいけない」と、学生自らが自治会の活動方針として学費の値上げを掲げ、物価スライド制を織り込んだ学費値上げを実現させたという、極めて珍しい実績を残す。この時の中心者が寺西宏友氏。創価中学1期生・大学4期生で、金時計の受賞者だ。現在創価大の教授を務める。
 寺西氏はドイツ経済史が専門であるが、1・2年生を対象とする共通基礎演習も担当している。
 演習のテーマは「『私の世界交遊録』を読む」。演習の内容は、「本演習のテーマは,創立者池田大作先生と現代世界を代表する知識人との出会いを綴った『私の世界交遊録』の読解を通じて,現代文明・社会の直面する諸問題に対する理解を深めることである。様々な分野を代表する人物の描いた軌跡を,創立者の感性で綴った本書は,まさに多様な現代社会に,どう取り組むかの示唆を与えてくれるものと思う」と紹介し、到達目標は「幅広い分野,また文化的背景を有する人々との対話に,創立者が,如何なる世界観・価値観をもって,臨んでいったのかを掴み取っていきたい」だそうだ。

 共通科目とは、ひと昔前ならば一般教養科目と呼ばれていたもので、専門科目を学ぶ前に履修にするものである。創価大では、新たに「大学科目」というものを設定し、創価大学や創立者に関することを学ぶことになっている。寺西氏が担当する共通基礎演習は、そのゼミ版である。
 いよいよ大学機構が前面に出て、創価大が“池田私塾”であることを鮮明にしてきたといえようか。

 忍田氏にしても、正木氏にしても、寺西氏しても、いずれも世襲を担う「ご学友グループ」の一員だ。アメリカ創価大の学長である羽吹好史氏も、同メンバーに名を連ねる。学会本陣の外堀は、この「ご学友グループ」を中心に学園・大学OBらに実権が移ってきている。
812 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/01(月) 01:14
>>811SGIさん
>の「ご学友グループ」を中心に学園・大学OBらに実権が移ってきている。
。。。さすが、SGIさんですね。
かつて、「池田問題対策委員会」→現在「外護の会」で、パンフレットを発行してましたよね。
そこで、この「ご学友グループ」の存在を知って、ちょっと驚いたことがありました。
この「ご学友グループ」について、もう少し詳しく知りたいのですが。
私の知っている範囲では、これは、「27人衆」とも別名呼ばれていて、創価学園や創価大学出身の超優秀な者達を選び、元々、池田大作の次男城久を世襲体制を固める、というものでしたよね。
私は、てっきり城久急逝の後、自然解散したとばかり、思っていたのですが、まだ活動していたとはね。
xxxxxxxxx私が、抑思うのは、池田人材養成術の胡散臭さです。
確かに、創価学会には人材が豊富です。
人材育成ーーこれは、戸田先生は水滸会 (男子青年部)や華陽会(女子)以来の伝統みたいですね。
最近の新人間革命では、毎度のように、恩師利用で、創価大学が、その両方の人材グループからの一貫した延長線にあるかのように、描いてますね。
でも、思うんですけど、池田(先生)は、国会議員を私兵化して、「本弟子」とか「新弟子」(どう違うんでしょうね?とか、「直系中の直系」*主に創友会 とか呼んで、意図的に差別化しようとしてますよね。
でも、こういうのって、共産党の組織主義と似たところがあって、結局、「衆愚支配」の延長でしかないんじゃないでしょうかね?
北朝鮮では、殆どの国民が飢えで苦しんでいるにに、党最高幹部が、「この上ない」贅沢
をしているので有名ですが、創価のエリ-ト達も似たようなことをしてるんでしょうね。
この奇怪な、創価英才主義は、日本の教育の手本になるどころか、日本の恥部となっていくことは間違いないでしょうね。
813 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/02(火) 02:32
乙骨氏の主催する「フォーラム2001」創価大学USAの実態を少々扱っている。
さすがに、宗教系大学だから、秘密主義があって、実態が掴みきれない。
無論のこと、米国の大学では、「まともな大学」の内には入っていない。
確かに、教授陣は、一応、有名大学出身者を集めている。
これは、日本の創価大学同様、金で何とか人を集めて、体裁を整えたのだろう。
しかし、大学というのは組織である。少数の有名人を集めたところで、全体として機能しないだろう。
学生の質はどうだろう?
一応、大学だから、一定の基準には達しているようだ。
しかし、どう考えても、優秀な人材が悪環境で長く学び続けるとは思えない。
そんな中、ある創価大学USAに出会った。彼はフレッシュマン。
明らかに、彼には失望の様子が見えた。
これは、池田創価の特徴なのいだが、まず彼等は、実体より、プロパンガンダを徹底的に行い、人々に「実際にそこに、既に『理想郷』が存在している」彼のように錯覚させる。
まずは、形(型)を作る。あとの中味は、何でもよい。
そんな伽藍堂だから、真剣に実質を求めるものにとって、創価教育で最初に出会うのが、「理想と現実のギャップ」だ。
私、個人の体験を綴れば、●米国の大学や大学院のハイレベルな課程には驚いた。何と言っても、人文系では、一冊読むのだけでも、相当の努力の必要な本を何十冊も読ませられる。
自然科学では、一日中実験室に閉じ込められる。
★、そんな中でも、淡々とこなしていく学生が多かったのには、尚驚いた。
ああいうのを見ていると、つくずく「アメリカ人畏るべし」と思ってしまう。
だから、本当に優秀な学生であれば、創価大学USAの実態は、あまりに拍子抜けに違い無い。
先に、紹介したフレッシュマンだが、一年を過ぎる前に、既に他の大学に転学することを決めている。
814 名前: xyz 投稿日: 2004/03/02(火) 12:07
>>813訂正
これは、池田創価の特徴なのいだが、まず彼等は、実体より、プロパンガンダを徹底的に行い、人々に「実際にそこに、既に『理想郷』が存在している」彼のように錯覚させる。

これは、池田創価の特徴なのいだが、まず彼等は、実体より、プロパンガンダを徹底的に行い、人々に「実際にそこに、既に『理想郷』が存在している」かのように錯覚させる。
815 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/02(火) 12:13
>>813訂正#1
人材育成ーーこれは、戸田先生は水滸会 (男子青年部)や華陽会(女子)以来の伝統みたいですね。

人材育成ーーこれは、戸田先生が創った水滸会 (男子青年部)や華陽会(女子)以来の伝統みたいですね。
816 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/02(火) 22:48
>>813訂正 #2
>そんな中、ある創価大学USAに出会った。彼はフレッシュマン。
明らかに、彼には失望の様子が見えた。

そんな中、ある創価大学USAの学生に出会った。彼はフレッシュマン。
明らかに、彼には失望の様子が見えた。
817 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/03/08(月) 00:54
>>750
原島氏に関しては、>>752に加えて、当時、
創価学会の幹部が多数、毎日のように、自宅を訪問して説得している。
もちろん原島氏の奥さんも。
で、内実は>>752だけど、原島氏がおかしくなったのだと、
創価学会では言われている。

>>764
創価学会の内部資料の対話チャートには、面白いことが書いてある。
日蓮も牧口も戦争を否定していない。
当時の情勢や社会からすれば、必要悪の戦争があったと考えるのは、
当然であると書いてある。
わかり易く言えば、平和のための戦争の肯定することで、
日蓮や牧口は平和主義者であったということ。
そして創価学会の主張は、牧口は平和主義を貫いたのであり、
嘘は言っていないのだそうだ。
818 名前: Leo 投稿日: 2004/03/08(月) 07:13
名無しさん。 >>817

>創価学会の内部資料の対話チャートには、面白いことが書いてある。
>日蓮も牧口も戦争を否定していない。
>当時の情勢や社会からすれば、必要悪の戦争があったと考えるのは、
>当然であると書いてある。
>わかり易く言えば、平和のための戦争の肯定することで、
>日蓮や牧口は平和主義者であったということ。
>そして創価学会の主張は、牧口は平和主義を貫いたのであり、
>嘘は言っていないのだそうだ。

そうすると現在でも必要悪の戦争があり、創価・公明は平和主義を
貫いているということになるのですね。

必要悪の戦争を認める平和主義というのは言うまでもなく中途半端と
いうか不徹底と思います。

言い訳に終始し、過去に不備があればそれを改善するという姿勢
がなければ進化・成長や未来をよりよいものにするということはできないと
思います。

言い訳主義の創価・公明には未来を託することができない。
819 名前: 直人 投稿日: 2004/03/08(月) 20:13
Leoさん、お久しぶりです。

日精師問題については、日蓮正宗青年僧侶邪義破折班から反論が出ました。

『―日精上人誹謗の蒙を啓く―創価学会教学部長 斉藤克司の邪問を破す』
http://jagihashaku.main.jp/saitojanan/mokuji.htm
820 名前: Leo 投稿日: 2004/03/08(月) 23:15
直人さん。 >>819

>Leoさん、お久しぶりです。

お久しぶりです。

>日精師問題については、日蓮正宗青年僧侶邪義破折班から反論が出ました。
>『―日精上人誹謗の蒙を啓く―創価学会教学部長 斉藤克司の邪問を破す』
>http://jagihashaku.main.jp/saitojanan/mokuji.htm

ご紹介ありがとうございます。

学会側が反論するか、有耶無耶にしてしまうか少し興味のあるところです。

(少なく
  • 法介
  • URL
  • 2016/10/29 (Sat) 19:44:22
 
Re: 2003年の投稿記事
(少なくとも、『―日精上人誹謗の蒙を啓く―創価学会教学部長 斉藤克司の邪問を破す』
 は『創価新報』か『大白蓮華』に掲載すべきように思います。)
821 名前: 直人 投稿日: 2004/03/09(火) 01:37
Leoさん、こんばんは。

>有耶無耶にしてしまうか少し興味のあるところです。

本来なら、斎藤氏から邪義破折班へ反駁分が出されるべきでしょうね。
平成3年頃は秋谷会長から宗門へのお尋ね文書や宗門からの回答を文書化
したりしていたのですけれどね。

しかし、『―日精上人誹謗の蒙を啓く―創価学会教学部長 斉藤克司の
邪問を破す』を一読してみましたが、感情的だなぁと思いました。邪義
破折班がやるのではなく日顕師が書いた方がもっとマシな論考になった
と思います。
822 名前: Leo 投稿日: 2004/03/09(火) 23:03
直人さん、こんばんは。

>しかし、『―日精上人誹謗の蒙を啓く―創価学会教学部長 斉藤克司の
>邪問を破す』を一読してみましたが、感情的だなぁと思いました。邪義

創宗の法論は元来感情的なものと思っていたのであまり気にしていなかった
のですが、やはり感情的ですかー。

>破折班がやるのではなく日顕師が書いた方がもっとマシな論考になった
>と思います。

そうなのかもしれないと思います。

学会は御大はどっしりかまえていて何かやるのは弟子の役目になっている
ようなので最高指導者は法論に参加しないようですが...
823 名前: 直人 投稿日: 2004/03/09(火) 23:48
Leoさん、こんばんは。

>そうなのかもしれないと思います。

一年程前の『聖教新聞』の紙上座談会で宮崎英修先生が「小児的主張にのみ
終始している」と御論考(「富士戒壇論」『仏教の歴史と文化』P653)に書
いたことについて、〝日顕師は身延派の学者から「小児的主張」と言われて
いたな〟(趣旨)という発言がありましたが、『立正大学図書館長宮崎英修
の誹謗妄言を破す』という論考はある程度評価できると思うのですけどね。
もっとも私は宮崎先生の『大石寺・板曼荼羅について――その価値と成立』
という御論考を読んでいないので、日顕師の説が正しいと直断できませんし、
日顕師の論考にも感情的なところは多少ありましたけどもそれでも大石寺教
学という観点から見ればある種の説得力はありました。
だから、今回も日顕師が反駁文を書いた方がよかったのにな、と思うのですね。
日顕師以外では、邪義破折班なんかが書くより高橋粛道氏が書いた方がもっと
論理的反駁になったでしょうね。(現宗門で教学的に耐えれるのは高橋氏くら
いでしょう。花野充道氏もよいですがあの人は天台思想が専門のようですし。)

>学会は御大はどっしりかまえていて何かやるのは弟子の役目になっている

それはあるでしょうね。
折伏大行進時代、日蓮宗、仏立宗、国柱会から創価学会へ対する批判書籍が
出ましたが、それは教学部長が書いたものを会長が校閲するくらいでしたし。

>最高指導者は法論に参加しないようですが

小樽問答の際も会長は法論に参加せずに教学陣(小平芳平氏、辻武寿氏)が
担当しましたね。
最高指導者(名誉会長・会長)は参加しなくとも副会長クラスが法論に参加
することはあるみたいですね。
http://www.e-net.or.jp/user/mblu/ndb/skbk1/houron/victory.htm

PS.
そう言えば、橋本好氏という学会員が東京都知事を折伏しようとして手紙を
約50回にわたって送っていましたっけ…。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?KEYWORD=++%94%71%8C%5B%90%CE%8C%B4%90%54%91%BE%98%59%93%61+
824 名前: 蘭 投稿日: 2004/03/13(土) 03:08

直人さんは、ほんと勉強されていますね。いつも驚きです。
825 名前: SGI 投稿日: 2004/03/21(日) 23:43
>>811 自己レスの続き

 創価大3期生は「本門の1期生」と称される。巷では、名誉会長の次男・城久氏が3期生だったからだといわれているが、実のところ、名誉会長が創立者として初めて入学式に臨むことができたからである。それ以前は創大祭や滝山祭には来学していた(学生で構成される実行委員会の招待)が、公式行事の式典に臨んだのは、第3回入学式が初めてだった。創立者が父兄として入学式に参加していては格好がつかないということで、式典として創立者の臨席ということになったのである。

 名誉会長は臆病者である。絶対に敵対者や悪感情を抱く人がいる場には臨まない。名誉会長が臨む場は、内部の会合かお膳立てされた会見の場しかなく、名誉会長が先頭に立って真正面から状況を切り開いたということは全くない。名誉会長は修羅根性の人だ。
 
 創価大でも同様だった。開学当時、東大・安田講堂に象徴される学園紛争に荒れる時代背景もあって、理想の大学(=大学の自治や学問の自由・信教の自由を保障すると約束していた)を築くという謳い文句に結構著名な教授らが理想に燃えて創価大に集っていた。
 ところが開学前後から実態が違った。やはり所詮“幹部養成学校”であり、学会本部(名誉会長)が横車を押そうとする。そこで教授陣らが反発し、瞬く間に教員組合が結成された。これが名誉会長の癇にさわったのだ。

 このような状況のところに、絶対に「火中の栗を拾わない」名誉会長が登場する訳がない。
 名誉会長は「1期生、2期生の諸君は、どうか自分たちがこの大学の創立者であると自覚をし、本気になってもらいたい。誰でも逃れることができない宿命というものがある。そこに肚を決めたとき宿命は使命となって、その人の一生を輝かせるのです。私が諸君に期待する真心を汲みとって、創立者の学生になってもらいたい。私は諸君を心から尊敬し、また信頼もしております」(第2回創大祭)とゲキを飛ばしている。

 そこで、教員組合潰しは忍田氏ら学生自治会が担う。組合員の教授らにワナをかけたり、講義のボイコットを決議し、組合解散のキャンペーンを張った。こうして組合は潰れ、大学は「創立者構想」の文言の下に価値観が一元化され、第3回入学式には創立者スピーチが実現したのである。名誉会長にとっては、きっと何とも晴れがましく嬉しかったに違いない。だから第3回入学式は、名誉会長の胸中では“第1回”であり、3期生は次男も在学しているだけに「本門の1期生」と名づけたのだろう。
 
 開学2年間でわずか5回しか訪問しなかった名誉会長は、この後本部棟8階に専用施設を作り上げ、さらに超豪華和風作りの専用施設「加住研修所」も建て、しばしば来学するようになり、時には年に十数度に及ぶようになった。
 自分が創立した大学と誇りながら、創立開学資金は全国の会員から募り、運営資金は学会からの援助に頼り、さらに学生に学費の値上がりを決議させ、自分の財産からは一銭も出していない。自分に敵対・悪感情を抱く者がいる間は姿を見せず、あるいはそれらの人々と直接語り合うこともなく、学生らに謀略などで排斥させた後、創立者・指導者然として振る舞う。
 小説『新・人間革命』とは裏腹に、やはり創価大学開学数年の事実も、名誉会長の人間性を反映しているといわざるをえない。
826 名前: 直人 投稿日: 2004/03/22(月) 01:46
>>824らん♪さん、おひさしぶり。

>ほんと勉強されていますね

いえいえ、《旅的途上》です。
生涯、学徒でありたい。そして少しでも今の自分と違った《未見の我》を見つけ
たい。《未見の我》を見つける旅は果てしない。今はまだホンの一歩だと……。
そう思ってます。
827 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/24(水) 04:28
>>825SGIさん
>教授陣らが反発し、瞬く間に教員組合が結成された。これが名誉会長の癇にさわったのだ。
 このような状況のところに、絶対に「火中の栗を拾わない」名誉会長が登場する訳がない。
。。。奈留程。
道理で、創価大学USAの第一回入学式に来なかったわけですよね。
フォーラム21で明らかにされているよに、
現在創価大学USAでは、微妙に教授陣と大学当局との対立が進行中だ。
創価大学USAでも日本の場合と同様、金でそれなりの人材を募ったのだが、中味もなしに、形だけを整えたところでどーしょうもない。
創立者池田先生のリップサービスに騙されて、そこに「学問の自由」や「理想」があると思い込んで、集った人達こそ気の毒。
私の知り合いの優秀な学生などは、そうした「ぎくしゃくした」雰囲気に耐え切れずに、一年も満たずに退学を決心した。
将来を考えた時、背負うリスクや失う時間が大き過ぎたのではないか?
創価大学USAが日本の創価大学と大きな違いは、一応「仏教系で宗教的」私学である点を表に出している点だ。
これは、当たり前だと思うのだが、「言行不一致」の池田哲学にしては、画期的なことだ。
勘繰り過ぎかも知れないが、普段、何にでも口を挟みたがる池田先生だが、●語学が不得意なお陰で、口を挟めなかった+●創価大学USAの存在は、スタータスシンボル、アクセサリ-程度で、本当はどうでもよかった。
というのがあると思いますね。
まっ、何れにしても、創価大学USAから人材らしき者が出ることはあり得ないでしょうね。
828 名前: Leo 投稿日: 2004/03/25(木) 06:00
>創価大学USAでも日本の場合と同様、金でそれなりの人材を募ったのだが、中味もなしに、
>形だけを整えたところでどーしょうもない。

以前から疑問だったのですが、創大の出身の中堅・末端幹部は多いのですが、大幹部は
いないんですよね。
829 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/25(木) 07:42
>>827
創価大学USAのHP→http://www.soka.edu/academics/academic_concentrations/
一応、面白いと思ったのは、学際的プログラムが導入されている点だ。
米国の一流大学の学生の間では、ダブルメジャアー(二つの学部専攻)は珍しくない。
これは、基礎学科の履修さえ済ませてさえいれば、態々繰り返し同じ科目を取らなくてよいから、時間的にもそんなにかからないからだ。
ただ、自然科学専攻から、人文科学に専攻を変える場合、必須科目が随分違うから、時間が倍かかってしまう。
また、人文系から、自然科学に専攻を変える者は殆どいない。
基礎体力が違う為だろう。
そういう意味で、創価大学USAでは、人文の分野に限られているものの、学際的教育に重きが置かれているのは良い。
もっとも、大学のよしあしは、大学院の出来次第だから、創価大学usaが「まともな」大学として認められる為には、限り無く遠い道のりがある。
日本の創価大学は、開学20年。やっと、法科大学院も開いた。
人材面では、問題が無いみたいだ。大学らしくなったという感じだ。
それなりに頑張って頂きたい。
830 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/25(木) 07:45

>>828 Leoさん
>以前から疑問だったのですが、創大の出身の中堅・末端幹部は多いのですが、大幹部は
いないんですよね。
。。。。
要するに、創価学会っていう所は、俗物的学歴主義になったっていうですよ。
一昔前、創価学園の最優秀者達は創価大学または、医学部。二番手は、国立大学または、海外留学。三番手が早稲田慶応など有名私立。残りは、創価大学。みたいな差別に暗黙の諒解があったんですけどね。
例えば、創価学会教学部長斉藤氏は、東大出身。
池田大作を中心とした「法華経の智慧」の対談参加者の学歴が凄い!
東大、慶応大学院など。
でも、何か、胡散臭さを感じてしまう。
というのは、如何にもこういうのは、名誉会長の学歴コンウレックスの表れが露骨だからだ。
東大出身の人間の頭脳でやっと、名誉会長とバランスが取れ、慶応や早稲田でも大学院出身でやっと対等に話が出来る。
といった具合だ。
所謂三流大学出身だったら、博士号を二つくらい持っていなければ、名誉会長と対談など、畏れ多いのだろう。
しかし、話している内容などは、面白いと思うこともあるが、別に騒ぎ立てる程のこともないと思うのだが。
831 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/25(木) 07:53
続2
聖教新聞では、学歴詐称を殊更、重大事件かのように語られているが、どうでもいいことではないのか?
社会的に成功している人物を観察すると、たまたま一流大学出身だったなんてことは、あってもいい。
しかし、現代社会では、平均寿命が延びて、人は、何段階もの人生設計を立てるのが望ましくなった。
また、社会の流動化に伴って、職業の選択だけでなく、職種まで変わるのは珍しく無くなった。
こういう変化は、アメリカ社会では、既に当たり前になっているが、日本ではこれからだろう。
そんな社会に於いて、たった一回の入学試験で、全人格の出来不出来を決定する不合理なnこと。
そして何より、創価学会は実力主義が自慢だった筈だ。
最終学歴が小学校卒の者が大幹部になったり、議員になったりしたのが、魅力だったのだ。
それに、池田大作が短大卒というのが魅力だったのではなかったのか?
イケダ&ガルブレイス ハーバート大学名誉教授を自慢してるのは、「勲章漁り」の悪趣味同様、「さもしさ」を感じてしまう。
832 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/25(木) 10:07
訂正>>829
日本の創価大学は、開学20年。

日本の創価大学は、開学30年。

参考HP
カルトスクール 創価大学USA
http://www.forum21.jp/contents/03-5-1.html
833 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/25(木) 11:05
>>811SGIさん
>押山和人こと忍田和彦・元青年部長は、創価学園・大学の1期生。初の金時計(創立者賞)受賞者である
http://www.toride.org/takeov/4_6_1.htm#6
●<池田大作 日本経済乗っ取りの野望(4)>
生徒自治会の会長を長い間つとめた男は、第一庶務に就職後も、創価大学のボスとして君臨した。  やがて、女子学生に、  「池田先生に会わせてやるから……」 等ともちかけ、http://www.toride.org/takeov/4_6_1.htm#6
手当たり次第に関係を結んでいたことが発覚し、クビになり、失脚した。

これって、本当のことですか?
834 名前: SGI 投稿日: 2004/03/26(金) 00:26
>>833 yurikoさんへ。
 本当です。事実です。

 学生自治会の初代委員長・K田氏は、>>825で記した教員組合潰しで功をあげ、創立者=名誉会長の覚えもよく絶大な権限を得た。名誉会長が創価大に来学すれば、そばに侍ることが許され、本部棟8階の名誉会長専用スペースを自由に出入りすることができたのである。

 で、「先生に会わせてあげる」を殺し文句に、次々と女子学生に手をつけていく。でもやがてスキャンダルは表面化し大問題となるが、自治会委員長にキズをつけてはいけないということで、さりげなく委員長を交代し、何となくウヤムヤのうちにスキャンダルをもみ消してしまう。

 そのK田氏は、学会本部に就職。しかも第一庶務に配属し、さらに池田家にも出入りが許され、北条・秋谷ら最高首脳幹部に直接名誉会長の指示を伝達する任務を担うほど、名誉会長に重用されるのだ。
 ところが、昔のクセが出てしまい(あるいは、名誉会長を真似たのか)、第一庶務の女性職員に手を出してしまう。ついに名誉会長の逆鱗に触れてしまい、地方の会館に左遷。ジ・エンドとなった。

 忍田氏ら学園エリートは、こんなバカな事はしない。根っからの優等生だ。この辺りが、もう一つ上の世代「野崎コレクション」に連なる幹部と肌合いが異なるところである。
835 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/26(金) 05:28
>>834SGIさん
>忍田氏ら学園エリートは、こんなバカな事はしない
。。えっ!すみません。ちょっと勘違いしてました。
私は、すっかりK田=忍田とばかり思ってましたよ。
私の個人的意見では、二人の男女が合意の上なら、一度に何人と付き合い、性交渉を持ってもいいじゃないかと思いますね。
私は、全くそいうのは不得手ですけど。。。
ところで、1000人に一人くらいは、普通の人間でも、異常性欲を生まれついて持っているらしいです。
アメリカでは、公式に一種の「身体障碍」と認められ、治療の為の保険も支給されます。
世間でいろいろ揶揄されがちですが、御本人達は大変な苦悩を経験しているらしいです。
それら障碍が職業として生かされれば、それなりに救いはあるのでしょうが、普通の生活ができないだけ、気の毒です。
特に、宗教関係の指導者や教育関係者、など責任の’ある立場の人達がこういう障碍を持っていれば厄介でしょう。
K田なども、たまたま、そいう素質を持っていただけでしょう。
恐らく、池田先生も御本人の自覚の有無は別として、この障碍を持っているのではないでしょうか?
しかし、諸天の加護か、池田先生は、「糖尿病」という性機能を損なう病気になりました。
かねこ夫人が一番、ほっとしてるんでしょうね。

864 名前: SGI 投稿日: 2004/03/30(火) 01:11
>>834 の続き
 「野崎コレクション」に連ねる人たちは、総じて酒やソープランドやギャンブルがお好き。と、いっても、>>835 でyurikoさんが言及しているような病的なものではなく、きわめて一般的な程度である。しかしながら、彼らが全国各地に行けば地元幹部による大接待攻勢が常習となっていった。

 こうした幹部職員のドンチャン騒ぎは、北条前会長死後、顕著になった。特に広布部員制度が生まれ「金集め」に奔走するようになってからだ。財務の金額を煽るために、多額の財務納金者には名誉会長との会食パーティがセットされ、日常的に宴会が開かれるようになると、歯止めがなくなった。

 つまり、担当地域の財務納金高が名誉会長の覚えを良くすることが如実に分かるようになると、それぞれの幹部が目標を立て、会員に財務を過度に呼びかけるようになり、目標が達成すると「打上げ会」を行うようになっていった。時には本部一行と共に、温泉宿をまるまる借り上げ、その一円の芸者さんたちを集め、途方もない祝宴を開いたことがある。

 さらに、豊富な資金力を誇る学会には内外の業者が群がる。本部でも地方でも、支払いは業者持ちの接待が繰り広げられ、リベートやキックバック、つけ届けも当たり前となった。一定の決裁権を持つ、ある程度の幹部になると、>>661 でも記したような“おいしい生活”が甘受できるのだ。

 学会の業者選定の原則は、会員が経営者または幹部として在職しているところ、あるいは創価大卒業生の就職枠を設けるところが中心となる。だから、夜の接待も口の堅い会員が経営するお店だけに安心して遊べるし、経営者も口外しないことが利潤につながっていることを十分にわきまえているから、広く知られわたることはない。なにも宗教貴族(本部職員)だけが“学会の金”で飯を食っているのではない。皆が運命共同体なのだ。
865 名前: SGI 投稿日: 2004/03/30(火) 01:12
>>864 の続き
 論旨が少しズレてしまった。戻す。
 学園エリートは根っからの優等生。学園時代から特別の薫陶を受けている。小山内校長時代と男女共学となった学園とは明らかに違う。学園エリート以外の創価大卒業生やフタケタ学園生の大半は、中堅幹部として学会組織を支える使命を持つのだろうが、彼ら学園エリートは池田創価学会の後継になるべく育成された人材群だ。以下、>>828 Leoさんの疑問にお答えするつもりで記す。

 池田創価学会の「第1世代」は、何といっても名誉会長や秋谷会長に代表される「昭和ヒトケタ世代」。この世代が戸田会長から直接薫陶を受けながら、師の遺志を裏切り“青年部クーデーター”を企て学会を牛耳、今なお支配を続けている。
 「第2世代」は、>>116 で記した「学会テクノクラート」であり、世代的には「団塊の世代」に当たる。『御義口伝』講義のメンバーであり、大学会のメンバーであり、鳳雛会・伸一会のメンバーであり、「野崎コレクション」にも連なる、50歳代後半から60歳代の、今実質的に学会や公明党を運営している世代層である。

 学園エリートは「第3世代」となる。彼らは「ウルトラマン世代」だ。⇒ >>134-135 参照
 学園(高校)1期生は、現在52歳。10期生では42歳となる。つまり壮年かもしれないが、実年と呼ばれるには早い。まだ「第2世代」が存在しているのだ。
 しかし、「第3世代」の筆頭として忍田氏が学会の責任役員に就任しており、正木氏(3期生)が役員室を主宰し、羽吹氏(1期生)が創価大学USAの学長を務め、寺西氏(4期生)や神立孝一氏(4期生)らが創価大の教壇に立ち、谷川佳樹氏(5期生)らが青年部を司り、その他各期から数名ずつが聖教新聞社や大学・学園の事務局、公明党(議員・職員)、関連団体・会社で、しかるべきポストに就き業務をこなしており、いつでも組織運営を担うことができる。
 
 また、秋谷会長の子息は6期生、北条前会長の子息は7期生で、「第1世代」の子ども世代は全て「第3世代」に属す。したがって、「第1世代」が引退する時、世代交代・世襲問題を考慮すれば、この学園エリートら“ご学友グループ”が博正氏?を祭り上げる(支える)新執行部の誕生は、十分に容易に予測できるのである。その世代交代の執行部トップは、男子部長・青年部長経験者の忍田か正木か谷川か―のいずれかもしれない。
871 名前: Leo 投稿日: 2004/03/31(水) 00:19
SGIさん。>>865 こんばんは。

>学園エリートは根っからの優等生。学園時代から特別の薫陶を受けている。小山内校長時代と
>男女共学となった学園とは明らかに違う。学園エリート以外の創価大卒業生やフタケタ学園生の
>大半は、中堅幹部として学会組織を支える使命を持つのだろうが、彼ら学園エリートは
>池田創価学会の後継になるべく育成された人材群だ。以下、>>828 Leoさんの疑問にお答えするつもりで記す。

ご紹介ありがとうございます。
なるほど、創大エリートというカテゴリはないが、学園エリート(ヒトケタ)という
暗黙のカテゴリがあるのですね。

> また、秋谷会長の子息は6期生、北条前会長の子息は7期生で、「第1世代」の子ども世代は全て「第3世代」に
>属す。したがって、「第1世代」が引退する時、世代交代・世襲問題を考慮すれば、この学園エリートら
>“ご学友グループ”が博正氏?を祭り上げる(支える)新執行部の誕生は、十分に容易に予測できるのである。
>その世代交代の執行部トップは、男子部長・青年部長経験者の忍田か正木か谷川か―のいずれかもしれない。

彼らが実質の後継者グループの可能性があるのですね。

彼らのうちのある人は本幹の前座でどうかしてしまったんじゃないかと思うほどの調子で敵対者攻撃スピーチ
をやらされていましたし、伝え聞くところによると福島氏と同じ大学出身ということで池田氏に相当しごかれて
いたとのこと。彼らの運営する創価の未来はどのようになるのでしょうか... (少し興味のあるところではあります)
872 名前: SGI 投稿日: 2004/04/04(日) 23:19
>>828 Leoさん、御返事が遅れました。ごめんなさい。
>彼らの運営する創価の未来はどのようになるのでしょうか... (少し興味のあるところではあります)
―― 私は大いに関心があります。どんな未来になることやら…。
 彼らに対する認識は、 >>134-135に書き込んだ通りなのですが、それでも創価学会が創価学会なりに少しはまともになるかもしれないとの期待を抱いているのです。でも、やっぱり空しいかな。敵対者攻撃スピーチにしても、不本意でやらざるをえない状況にあるのだと思いたいのですが…。

 さて、>>811 で言及しました“ご学友グループ”の氏名をご紹介しておきます。すでに過去にも何度が報じられたことがありますので、ここで再び公開しても構わないでしょう。“ご学友”ですから、当然ながら全員創価大の卒業生です。

 忍田和彦  羽吹好史  田代康則  吉郷研慈  馬場善久
 梶岡 誓  塩原将行  長谷川裕正  松村光晃  松田健児
 本多正紀  正木正明  寺西宏友  神立孝一  島田 勉
 和田吉隆  長竹信美  伊藤泰治  梶原哲也  東 宏治
 木下清一  須田 裕  上村英樹  今江正人  高田英典
 杉本典之  綿原範夫
 大迫美智代  小林容子  熊沢みさ子  西谷清美
 河野洋子  中尾多賀子  梶岡由美子
888 名前: yuriko 投稿日: 2004/04/09(金) 06:19
>>888自レス
>創価学会には、宗門問題が起きる前、押木氏という、伸一会に属する現役本部職員が中心となって、
>「池田問題対策委員会」というのがありました、
。。。。
これは、ずっと、SGIさんにお聞きしたいと思っていたのですが、
この「池田問題対策事務所(外護の会)の活動実態を知ってる範囲で教えて頂きたいのですが。
SGIさんが、本部職員だった時、彼等とどんな風に接していましたか?
押木事務長と交流はありましたか?
女性のメンバーはいましたか?
海外支部はあるのですか?
現在の活動はどうなってるのでしょう?
********************
これは、最近知ったのですが、元教学室長(代作担当)の桐村泰次さんは、まだ、創価学会副会長の任にあるみたいですが、どうなんでしょう?
彼は、英文で、創価学会教学教義解説書を出していたのですが、今は、見る影もありません。
一時、自宅に軟禁状態だったとも聞いたんですけどね。
891 名前: SGI 投稿日: 2004/04/17(土) 22:50
>>888 yurikoさんへ。
 しばしあれこれと考えましたが、今回はご返答を差し控えさせていただきます。何かと障りがあるもので。
 機会があれば、今後のレスの中でさりげなく言及することもあろうかと思いますので、この度は誠に申し訳ないが、あしからずご容赦くださいませ。
892 名前: yuriko 投稿日: 2004/04/18(日) 01:27
>>891SGIさん
。。。。諒解です。
まっ、自然な推論として、SGIさんが、「池田問題...」に、直接、間接に拘わっていらっしゃるだろうと思います。
少なくとも、親しい方が、そのメンバーなのでしょう。
それが、わかっただけで充分です。
こういう匿名制の掲示板というのは、大きな利点と欠点を併せ持ってますよね。
利点は、自分の立場を明かさずに、内部告発などをして、内部改革ができるし、
欠点は、匿名であるが故に、責任ある発言と見なされずに、信用されない、っていうのがあると思います。
読者としては、所謂「斜読み」をしながら、常に情報を探るといった所でしょうか?
私にとっては、SGIさんの存在は「神様」みたいです。
今後も、決して無理をなさらない程度に(創価学会から暗殺されないように)、内部情報を提供し、続けて下さい。
ただ、いったん外部になってしまうと、内部情報というのは掴み切れないでしょうが、そこは、様々な手段で手に入れて下さい。
そこで、「池田問題...」の件も、公開されている情報(フォーラム21など)をまとめる程度でも結構ですから、宜しくお願いします。
(^人^)
893 名前: yuriko 投稿日: 2004/04/22(木) 06:35
ヤッフーBB恐喝未遂犯人は、竹岡容疑者。
彼は、野崎コレクションの筆頭メンバー。野崎一族の中核。
最近のスピーチで、池田は熱原の法難の14年後、首謀者である平左衛門尉が一族諸共滅んだことを強調した。
その科学的根拠は別にして、謀略担当副会長野崎勲氏が中心になって企てた、宗門攻撃の捏ち上げシナリオc作戦から、丁度14年。
その時に合わせるかのように、野崎副会長は、突然の病死。64才の若さだった。
さらに、野崎一族の代表と目される創価学会全国クラスの男の悪事が暴かれ、野崎一族は滅亡した。
宮本邸盗聴事件等、創価学会の謀略に拘わったとされる竹内は、ヤフーBB恐喝未遂容疑で逮捕された。今度こそ、年貢の納め時だろう。
なぜなら、創価学会=公明党は政府責任与党である以上、そのメンバーに対して、厳しい規律を求めるのは、社会的要請であるからだ。
竹内容疑者は、知り過ぎた男として、創価学会からは処分されることはなかったそうだ。池田の直接関与も証言できるからだろう。
池田創価学会崩壊が一刻、いっ国迫っている。
関連HPhttp://roach.cocolog-nifty.com/blog/2004/03/bb.html
894 名前: yuriko 投稿日: 2004/04/22(木) 06:46
訂正>>893

池田創価学会崩壊が一刻、いっ国迫っている。

池田創価学会崩壊が一刻、一刻迫っている。
899 名前: SGI 投稿日: 2004/04/28(水) 19:33
 五月連休に当たり、「言論出版問題」について検証してみようかなと思い立ちました。
 ご承知の通り、すでに小説『新・人間革命』では「言論出版問題」についても歴史の書き換えを行っております。
 学会史観では、この「言論出版問題」は、学会を正しく理解して貰いたいとの熱意のあまり多少の行き過ぎはあったかもしれないが、世間が指弾するような言論の自由を蹂躙するようなことはなく、むしろ学会の急激な伸張に慄いたマスコミや既成勢力が、事を大げさに取り上げ騒ぎ立て、仏の使いたる学会を弾圧しようとした、いわば俗衆増上慢・魔の働きである、というものだろう。

 しかし、この問題は、言論の自由や信教の自由といった民主主義の根幹を揺るがし、さらに国立戒壇や王仏冥合に象徴される公明党の立党理念が政教分離の原則の観点から問われたことは間違いないことでしょう。
 もともと批判は許さないという独善的な思考と、目的のためには手段を選ばずという体質から生じたものであり、しかも対応策の1つとして電話盗聴=犯罪行為(通信の自由に抵触)に手を染めていくことにつながっていくのです。

 この辺りを時系列的に記述してみたく存じます。
 でも、果たして気力と時間があるのだろうか。単なる決意表明に終わったりして…。
900 名前: 経悟空 投稿日: 2004/04/28(水) 22:28
SGIさんの提案にによりこちらへ移動しました。

>私の認識では衆議院進出前に国民政党の宣言はなかったと思うのですが

これはわたしの記憶の混乱でした。公明党の結党が1964年であり、綱領に「王仏冥合」を
うたっても、日蓮正宗の国教化などを意図するのものではない、1972年に建立予定の正本堂が
いわゆる事の戒壇であるとその頃から言っていたとはおもいます。しかし1970年の本部幹部会
では「国立戒壇」の語の使用をやめるとの発言がされ、曖昧な表現がなくなり妙信講の活動が
盛んになるのでした。国民政党の宣言はさらにその後であります。

『創価学会を斬る』では創価学会が日蓮正宗の国教化を意図する団体であると認識していたと
おもいます。すでに国立戒壇路線の実体は消滅していても、「国立戒壇」語の使用を妙信講
などに配慮して廃止していないための誤解であろうから、この発言は適切であり、対外的には
「政教分離」の明確な宣言であったといってよいでしょう。SGIさんは役職の分離でなく、
こちらを指しておられたと理解いたしました。
901 名前: SGI 投稿日: 2004/04/28(水) 23:17
経悟空さん、ありがとうございました。
氷解しました。私も、経悟空さんと同様の認識です。

 「国立戒壇」や「王仏冥合」という表現が国教化を類推させ、厳しく指弾されたのだと思います。
 また、国立か民衆立か、国会決議を要するか否か、事の戒壇か否か、といった意義付けや手続きをめぐって、妙信講(現在の顕正会)との対立を派生させ、さらに今般の“宗創抗争”でも正本堂が重要な論点になっているのだと捉えております。

 昭和45(1970)年の本部総会での会長講演で、国立戒壇や国教化を明確に否定し、政教分離を約束し、開かれた学会をめざし、平和・文化・教育に重点を置くとの路線変更が、謝罪表明と共に、世間一般に快く受け容れられ期待もされたのだと思います。
902 名前: SGI 投稿日: 2004/04/28(水) 23:22
こちらでも《INDEX》をレスさせて下さい。ごめんなさい。
◎『人間革命』批判
 ◆序論 = >>13-16 (①青年部クーデター>>13 ②本命・石田次男>>14 ③大阪事件>>15 ④“人生の師”>>16
 ◆総説 =①池田神格化 >>251-252 ②歴史の捏造 >>296-297 >>741 >>763 ③資料「わが闘争」 >>162 >>165-166 ④途中目次 >>167 >>404
 ◆師弟神話 =①入信神話 >>30 >>32-33 >>46 ②年齢神話・編集者神話 >>47 ③竜氏手記のこと >>71 ④気配り上手 >>74 ⑤池田太作は折伏が苦手 >>75 ⑥まとめ >>79 ⑦法華経講義 >>90-91 ⑧丑寅勤行に出ない >>616
 ◆師敵対・亡恩の徒 =①「指導録」隠し >>161 >>190 >>205 ②遺品を奪う >>168 ③27回忌法要 >>169
 ◆「師弟不二」論 =①原点・求道 >>322 ②すり替え論理 >>323 ③弟子の道 >>332 ④仏法違背 >>336-337 ⑤師弟論は我見 >>341 ⑥会長帰命論 >>377 ⑦北条前会長の急逝 >>381 >>383 ⑧地上の楽園 >>382 ⑨小冊子『前進』 >>393 ⑩「11.7お詫び登山」教学問題 >>436 ⑪よき檀那とは >>437 ⑫人生の師 >>439
 ◆大阪事件 = >>15 >>187 >>469-470
 ◆昔の指導 =①小説『人間革命』から >>586 ②『広布と人生を語る』から >>587-590 ③池田会長の指導 >>591 ④戸田会長の指導 >>597-599 ⑤名誉会長の約束 = >>726

◎学会秘史・実態
 ◆青年部クーデター = >>106-109 (①参謀室長就任>>106 ②総務就任>>107 ③主要ポスト制圧>>108 ④勝てば官軍>>109) ⑤会長就任 >>111-112 ⑦会長終身規定 >>261 >>263 ⑧公明党結成 >>627-628 ⑨言論出版問題 >>697 ⑩森重紀美子・大蔵商事 >>679 >>739
 ◆池田・秋谷40年 =①学会テクノクラート >>116 ②秋谷栄之助 >>117 ③戸田先生の想い >>120 ④戸田会長利用 >>123 ⑤「私を守れ」 >>124-125 ⑥主導権争い >>129-131 ⑦原島・福島の離脱 >>752
 ◆後継者指名 =①もし「石田体制」なら >>171 >>174-176 ②後継指名なし >>182-183 ③遺言の捏造 >>186
 ◆学会の素顔 =①原島・桐村 >>619 ②中西治雄 >>643 ③原田稔 >>664 >>671 ④太田昭宏 >>690 >>698 ⑤茶化し貶め >>639 ⑥カリスマ性 >>663-664 ⑦人身攻撃 >>310 >>676 >>691 ⑧福島源次郎 >>747 >>791 >>801 ⑨野崎勲 別スレ「学会=公明党は憲法違反」》57 》66

◎後継問題
 ◆3つのポイント = >>705  ◆総論 = >>728-729 >>737
 ◆世襲制否定発言 = >>727
 ◆ポスト池田 = >>132-135 (①世襲問題 >>132 ②本部の人事 >>133 ③ウルトラマン世代 >>134 ④本部職員は家業 >>135 >>802) ⑤スターリン批判 >>302 >>311 >>661
 ◆ご学友グループ = >>811 >>825 >>834 >>864-865 >>872
903 名前: SGI 投稿日: 2004/04/29(木) 20:59
<言論出版問題①>[>>899-901 の続き]
時系列資料は、HP「年表・戦後最大の宗教企業とその時代」他を基にしております。
http://snow.prohosting.com/foggyday/

◆昭和35(1960)年
 ○05/03 池田大作氏、創価学会第三代会長に就任。

 #すべてはここから始まった。クーデターで会長の座を奪い取った(>>106-109 >>111-112 参照)だけに、政権強化のためには内外からの批判を許さなかった。“批判封じ”は、池田創価学会の一貫した姿勢。

 ○05/08【学会】会長、関西総支部幹部会で「関西の邪宗教の牙城」である「天理教を総攻撃せよ」と大号令。
 ○05/10【学会】会長、男子部幹部会(東京体育館)で「立正佼成会を撲滅せよ」と檄。

 #外部に敵を作り、内部に目を向けさせない。この手法は今も同じ。

 ○06/10【学会】会長、「創価学会は衆議院には出ません。なぜかならば、あくまでも宗教団体ですから、政治団体ではありません」と、学会政治部の衆議院進出を否定。
 わずか4年でこの言葉は本人によって覆される。「恩師戸田前会長からも、時きたならば衆議院へも出よとのご遺訓があったのであります」(64年5月3日会長講演)

 #前言を翻すことやスタンスを180度変えることなどは、学会・公明党の得意技。
  「臨機応変に手練手管でやれ」とは、名誉会長の指導。
 
◆昭和36(1961)年
 ○05/03【学会】文化部を文化局に格上げ。下部に政治・経済・言論・教育・学芸(のちの学術、ドクター、芸術 の3部)の各部設置を発表。言論部部長=秋谷栄之助。
 ○05/19【学会】言論部結成(男子部部隊長会)。会長、「広宣流布は言論戦で勝ち取るものであり、諸君に、一つの理念があれば、正義と情熱をもってこれを世に訴えていかなければならない。言論は時代を創り、時代を左右し、時代を決定し、指導していく力がある」と、言論戦の重要性を強調。
 ○05/24【学会】聖教新聞、言論部の設立目的について掲載。『言論部員は、内外の問題を広く勉強し、論じ、正義を主張する力をもって、世論の源泉に立つ』

 #この言論部が具体的に何をやっていたかは、>>697 を参照。
  “成果”の一例として、作家・社会運動家の平林たい子さんが、非難の手紙の殺到にたまりかね聖教新聞に投書したことがある。
  ⇒ 平林たい子 http://www.city.suwa.nagano.jp/Contents/Contents.asp?CONTENTNO=326
  すると、昭和38年7月28日の言論部第1回全国大会で、会長、「いままでは思い上がり、独断的であり、利己主義である彼ら(言論人)を恐れさせて、身ぶるいさせて、ほんとうに正しい言論戦はこわい、どうしようもないというところまで追って追って追いまくっていこうではありませんか」と述べる。
  さらに聖教新聞『社説』で、〃こうした事態は言論部の活動の前進であり、評論家に悲鳴をあげさせたのは、民衆の間から湧き起こった、たくましい真実の言論による勝利だ〃とする。
            ◇
  「部員総数は約七千。(中略)学会員は、この前後から老若男女を問わず正義のペンをとり、その言論の力で社会に適正な世論をつくり、時代を動かしていく作業を、自発的に、広く、深く、地道に進めていくのである」(『創価学会四十五年史・革命の大河』より)

[この項、続く]
904 名前: SGI 投稿日: 2004/04/29(木) 21:00
<言論出版問題②>[>>903 の続き]

◆昭和36(1961)年
 ○06/01【学会】会長、大白蓮華6月号で「しょせん、王仏冥合の実践の関所ともいうべき選挙戦は、日蓮大聖人の至上命令である。だれが、なんと批判しようが、末法の救世主日蓮大聖人の大精神をば、われわれ地湧の善薩は、断固、選挙を通して貫き通そうではないか。しこうして、われらは政党ではない。ゆえに、けっして、衆議院にその駒を進めるものではない。参議院並びに、地方議会等、その本質にかんがみて、政党色があってはならない分野に、人材を送るものである」と、かさねて学会政治部の衆議院進出を否定。

 ○10/07【学会】聖教新聞、会長の『先日、ある学者がきて、「創価学会は世襲制度ではありませんね」という話が出ました。封建制度の残骸のひとつに世襲制度という制度が現存しております。他の団体はいざ知らず、宗教界にあって、教団の世界にあって世襲制度ということは、もっとも誤った、いやしい姿であります。霊友会しかり、天理教も世襲制度であり、PL教団も、立正佼成会も、全部世襲制度であります。代々の財産をそのままうまく受け継いで、金儲けしようという、その縮図でもあるし、その一端だけをみても、彼らに真の仏法は、宗教ではなく、〃邪教〃であると断言できる理由であると私は思うのであります。日蓮正宗、創価学会は、永久に世襲制度ではありません。』との言葉を掲載する。

 #「言論出版問題」には関係ないのですが、ご紹介まで。
  要するに、教団の世襲制度は最も卑しい〃邪教〃の姿であると、激しく批判しているということ。
                    
◆昭和37(1962)年
 ○01/17【学会】政治結社「公明政治連盟(公政連)」の発足を発表。
  <基本要網>
  一、現今の政界は、保守、革新を問わず派閥抗争に明け暮れ、党利、党略を重んじ日本国民の福祉を忘れ、大衆とまったく遊離しつつあることを深く憂うるものである。
  一、公明政治連盟はこれらと本質的に異なり「社会の繁栄が即個人の幸福と一致する」諸政策を推進し、日本国民の真の幸福と繁栄のみならず、広く世界人類の永遠の平和実現を期するものである。
  一、われらの政治理念は、日蓮大聖人の立正安国論の精神を根本とし、その最高の哲理と最大の慈悲を基調とし、近代的にしてもっとも民主的な団体としての活動を行なうとともに、いっさいの不正に対し、厳然たる態度を明確にすることを公約する。
  <基本政策>
 (1)核兵器反対。いかなる理由を問わず、核兵器の製造、実験、使用に反対する。
 (2)平和憲法の擁護。
 (3)公明選挙による政界の浄化。
 (4)参議院の自主性確立。

 ○06/16【学会】聖教新聞、会長指導を掲載。
 『邪教などは、みんなうまい事を言って、金を巻き上げ、教祖のために、教団の勢力のために、それも本当に人々を救えるならば許せるけれども、全部が地獄に落ち、民衆が教祖にだまされ、そして教祖は立派な家ばかりつくり、民衆は最後には乞食みたいになってしまう。これが、邪宗教の姿です。創価学会としては、永久に皆さん方から、ただの一銭も寄付を願ったり、供養を願うようなことはいたしません』
 ※「学会の施設には、賽銭箱がない」「学会の信仰は一銭も金がかからない」「学会は金儲けが目的ではない」というのが学会員の自慢だった。

 #これも「言論出版問題」には関係ないのですが、ご紹介まで。
  いやー、昔日のことです。それにしても名誉会長の「永久」「絶対」ほど軽い言葉はない。

[この項、続く]
905 名前: SGI 投稿日: 2004/04/29(木) 21:01
<言論出版問題③>[>>904 の続き]

◆昭和37(1962)年
 ○7月参議院選挙 学会・公政連、9名の全員当選。
 ○07/05【学会】聖教新聞、会長談話「このたびの大勝利の原因は、あくまでも、わが日蓮正宗創価学会は、日本の柱であり、同志の皆さん方が、広宣流布を目ざして、その自覚をもって戦いをしてくださった。ともに、日本の民衆の方々が、日蓮正宗創価学会の活動、実践、目的に対して、おおいなる賛同と協力をしてくださったたまものであると、私は確信するのであります」を掲載。
 また北条副理事長の「この大勝利の原因は、けっしてほかでもない、わが創価学会会長・池田大作先生こそ、日本における、そして世界における平和を祈るたったひとりの大指導者であるということを、私は宣言したいのであります。(略)このただひとりの大指導者池田先生について、今後の広宣流布の大道をきょうからは、いよいよ自信をもって、断固まい進していきたいと堅く決意したのであります」も掲載。

 #参議院選挙の勝利で、事実上「池田体制」が不動のものなったことが伺われる。

 ○07/10【学会】聖教新聞、会長指導「なにも宗教団体が政界に進出してならないという憲法はありません。そういう規定はどこにもないわけです。乱れきったこの世の中に、墓番の宗教、金もうけの宗教はいざしらず、真の宗教は、信者は、信念と理念をもって、あらゆる分野に命を賭してすすんでいくことそれ自体が、宗教の使命であると私は確信したいのです」。
 「日本の国ほど、宗教に対する概念が誤っている国はないわけです。したがって、あらゆる点からみて、宗教団体が政界に進出することはとうぜんであり、いわんや、仏法のうえで、日蓮大聖人様が堂々と政界にすすみなさいとおおせの政界進出がわが創価学会の戦いなのであります。(拍手)
 したがって、だれびとがどう批判しようが、どのように怨嫉しようが、私でもは信心第一に、王仏冥合を目ざしていこうではありませんか。(拍手)」を掲載。

 #このころの聖教新聞は、まだ生発言を忠実に再掲しようとしているので、したがって、名誉会長の口ぐせである「したがって」が全く意味不明であることがよくわかる。ともかく、政界進出は大聖人の仏意だと言いたいらしい。

 ○07/20 参院「公明会」を結成。勤行・唱題の導師を会長が務める。
 ○09/13【学会】公政連、東京・池袋の豊島公会堂で結成式をかねた第1回全国大会。会長出席。

 #院内交渉団体の結成式であっても、やはり勤行・唱題で始まる。しかも導師は学会会長。
  北条浩・公政連副委員長は全国大会で、「池田先生を離れて、公政連の発展も、各々の幸せもありえない」と述べ、名誉会長が実際の党首であること示す。
  
 ○12/06 公明会結成国民大会(台東体育館)を開催。演壇の右側には「日本の柱 公明会」 左側には「王仏冥合の推進」の垂れ幕。
 聖教新聞の社説では「創価学会が、宗教に無知なるがゆえに、低級なる邪宗教に迷っていた大衆をめざめさせ、正しい宗教観を教えたごとくに、その腐敗堕落を嘆きながらも、無知なるがゆえに既成の政治家どもにだまされてきた大衆に、真の政治のあり方を教えるものである。政界の夜明けは、公政連、公明会の発展によってのみもたらされることは、心ある人の等しく認めるところとなったのである」と論じる。

 #つまり、学会と公政連・公明会が愚かなる民衆を覚醒しうるのだ、と断じているのである。

[この項、続く]
906 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/04/30(金) 04:56
個人的に言うと、この板は1年半位前からあまり
面白くなくなってしまったのですが、
SGIさんの書き込みは興味深く読んでおります。

これだけの事実(かどうか私には検証できませんが)をご存知で、
これだけの文章が書けるお方は、宗門内にもそうは居りますまい。
しかし、この板に書く意味が私にはよく分かりません。
もっと学会員が多く入る板のほうが学会に与える
影響は大きいでしょうに。SGIさんの目的のひとつは事実を学会員に
知ってほしいということでしょう。
であるならば、発表の場をもっと選んだらいかがですか。
907 名前: yuriko 投稿日: 2004/04/30(金) 06:11
>>906
>個人的に言うと、この板は1年半位前からあまり
面白くなくなってしまった

これって、私への嫌味だな。
別に、お前なんぞに読んで貰わなくていいよ。
910 名前: さんこ 投稿日: 2004/04/30(金) 22:58
そうかなぁ~。私も楽しみにまた興味をもってよんでいますよ。
自己満足とか偉ぶってみせるためにSGIさんは書いていないんじゃないですか?
SGIさん頑張ってください。
ついでにいうと私も以前の方が読みやすかったなぁ(えへ)
911 名前: SGI 投稿日: 2004/04/30(金) 23:34
>>906「名無しさん」さん、>>910 さんこさん、ありがとうございます。

 実は私も1年半前位からこの掲示板に参加しておりますので、雰囲気を変えた1人なのかもしれません。毎度書き込む度に“ちょっと場違いかな”と思いつつも、厚かましくレスしておりますが、掲示板に相応しくないのならば、まことに申し訳なく存じます。

 私が掲示板に参加する意図は、ご指摘のとおり、事実を知ってほしいということです。
 様々なところで繰り広げられる、学会員さんと法華講員さん、あるいはアンチと呼ばれる方とのレス応酬を見ていると、その多くが情緒的で感情的で狂信的なやり取りに終始し、きちんとした事実を基に論じ合うというのがとても少ないように見受けられます。
 そこで、もうちょっときちんとした認識の上に立って、しっかりと論じ合ってほしいとの願いを込めて、プロパガンダ情報以外で知り得た・体験した情報や事実を提示していこうかなと考えた次第です。

 で、この掲示板を選択したのは、
 1)最新レスが最上段に表示される形式の掲示板は、私の感覚に合わず苦手なこと。
 2)2ちゃんねる等は確かに参加者は多いのですが、レスのテンポが速く、さらに混交玉石で対応ができないこと。
 3)バリ会員さんが運営するサイトは、個人情報の保護等について信頼をおけないこと。
 4)学会員が大半を占める掲示板では、学会思考によってまともな論議ができないこと。
 5)念頭にしている伝えたい方は、学会に疑問を抱いている人や悩んでいる人、あるいは理性的・客観的に学会の在り様を考えている人であって、学会思考に染まり切ったバリ会員ではないこと。
 6)講員中心の掲示板では、自身の講活動で充足しており、ネットでの必然性がないこと。
 ――などで、私にとってはここでのレス応酬が心地よいのです。

 本来ならば、様々なスレッドにレスし意見を交わしたいところですが、時間や気力がなくままなりません。本当に残念です。
 それでもやはり多くの方に知っていただきたい思いはあります。
 ということで、皆さん、ここの掲示板をご紹介ください。皆で盛り上げよう。
913 名前: SGI 投稿日: 2004/04/30(金) 23:43
>>908
財務部員は戸田先生が作りましたが、広布部員は池田創価学会時代のものです。
内容が大きく変質しております。

財務は、寄付でもなく供養でもない、「御供養の精神」で拠出する基金ですか。
貴方がそれで納得しているならば、それはそれで私にとっては構わぬことです。
でも、財務で多くの方が苦しんでいるのが現実です。
どうぞ、その深刻な現実から目を逸らさないで、しっかりと見据えてください。
914 名前: Leo 投稿日: 2004/05/01(土) 01:18
SGIさん。 >>913

私は最近のこと(かつ地区(末端))しか知りませんが、(一応審査あがあるとの建前の)「広布部員」は
「財務」を年末に行い(銀行振り込みで領収書あり)、会館では彼岸勤行会などの折、
「公布金」の受付をやっています。

疑問なのが、「マイ聖教運動」で会員1人(実際は熱心な活動家1人)毎に聖教一部購読
を勧めるものです。

他にも学会系雑誌・書籍は結構あるのでお勧めの通り購読・購入したらそれだけでも
結構な金額になると思います(熱心な会員でも経済的に余裕がない限り全部は購入
しないと思われます)。
915 名前: Leo 投稿日: 2004/05/01(土) 01:30
一応審査あがあるとの建前の → 一応審査があるとの建前の
919 名前: SGI 投稿日: 2004/05/01(土) 09:03
 財務の歴史については、別スレ「交付基金について」》710-711に書き込んだことがあります。また収支報告に関しても、同スレ》705、》713で言及しておりました。ご参考までに。

  >>914「マイ聖教運動」ですか、昔(昭和40年代)からやっていることです。
 私も学生部に入った時に、購読用・切り抜き用・折伏贈呈用の最低3部は購読するよう指導され・した記憶があります。子供の頃から我が家では「マイ聖教」どころか家族人数の2倍以上は購読しておりましたので、“しゃーないなー”と思いつつ多部数購読しておりました。

 結婚して世帯を構えた時も、夫婦2人で5部。他にも民音だ、書籍だ、広布基金だ、財務だと、何やかんやとお金が出て行き、家計はいつもピーピー。可処分所得だったら生活保護が受けられるのではないかと妻と語り合ったこともあります。

 法華講に移ったら、そういう馬鹿げた出費がなくなり、寺院や講への支出額は学会組織への支出額の10分の1以下になりました。家族団らんで過ごす時間も経済的な裏付けも生まれ、レジャーを楽しむことができます。この5月黄金週間も小旅行をする予定です(けっして、どこかのように全国交流ではありません)。
920 名前: SGI 投稿日: 2004/05/01(土) 13:04
<言論出版問題④>[>>903-905 の続き]

◆昭和38(1963)年
 ○02/01【学会】大白蓮華2月号に助教授試験の模範答案文を掲載。
 『末法は折伏に限るのであるが、なお御僧侶の立場よりする法の上の折伏を、檀那の立場よりする武力・権力・金力による化儀の広布の時の折伏に比べれば、摂受とおおせられる。』
 『(化儀の広宣流布とは)今、わが創価学会が、選挙により権力を持ち、会長池田先生のもとで勇敢にあらゆる魔と戦い、本尊流布に進む姿がそれであると確信する。』

 ○03/20【学会】公明会の辻武寿議員、参議院本会議で、提出した公職選挙法一部改正案の趣旨説明。(1)戸別訪問禁止の撤廃(2)連呼行為の一部復活(3)文書、画画頒布制限の緩和(4)個人演説会の回数制限の撤廃(5)寄付行為、政治資金の規制、等。
 ※さっそくこのような党利党略のお手盛り改正案を提出するとは!公明会のこの改正案は廃案になったがその後もしつこく数度にわたって提出している。

 #あはっ、そうだよな。「大阪事件」も戸別訪問、買収容疑だったものね。

 ○04/04【学会】会長、聖教新聞で「私どもの選挙戦は、他の政権欲を考えておる政治、選挙とは違います。第一番目に、日蓮大聖人様のご遺命である王仏具合をめざしての、世界最高の崇高なる選挙戦であり、政治であります」と檄を飛ばす。

 #そうか、学会の選挙戦は「世界最高の崇高なる選挙戦」だったのか。

 ○04/17 第5回統一地方選。【学会】都知事選で自民系無所属・東竜太郎を支持。東、阪本勝を破って再選。公政連、1087名当選。藤原行正、都議に初当選する。
 東京葛飾区の学会員が詐欺投票(替え玉投票)の現行犯で逮捕。署長勾留2日・検事勾留10日の合計12日間勾留されても上部の指揮系統を口にせず、あくまで単独犯行を主張する。
           ◇
 『「池田大作さんが『創価学会の六十万票を自民党に入れる』という一筆を書いてくれる。それを僕がもらいに行き、大野伴睦(自民党則総裁)に届ける、なんてことがあったんだ」(中央公論新社刊『渡邉恒雄回顧録』※2000年1月18日発行)
 これは、1963年の東京都知事選のとき、学会票をほしがる自民党の要望に応え、現・読売ジャイアンツのオーナーで読売新聞社社主の渡辺恒雄氏が、池田大作と会い、票をバーターした際の生々しい証言である。
 事実、こうして学会票の獲得に成功した自民党は、狙いどおりに都知事選に大勝利し、二人の会談を設定した渡港氏は、その結果を踏まえながら、「まず学会勢力を自民党とくっつければ、相当な安定政権ができる」(前出・回顧録)と確信するに至ったようである。
 それにしても池田は、第3代会長就任からわずか3年後には、すでに時の権力者に擦(す)り寄り
  • 法介
  • URL
  • 2016/10/29 (Sat) 19:47:21
 
Re: 2003年の投稿記事
 それにしても池田は、第3代会長就任からわずか3年後には、すでに時の権力者に擦(す)り寄り、会員の頭数を交渉カードとして使い、政治工作に奔走(ほんそう)していたのであるから、呆(あき)れてものが言えないとは、このことだ。
 当時から学会員たちには、反権力、反自民のポーズを取りつつ、裏では、キッチリ権力を手中に収めようとしていた池田大作。今になっては、権力の権化、勲章オバケの異名を持つ池田であるゆえ、さほど驚きもしないが、やはりこの男、最初から信仰心の一カケラもないデタラメな人物であったことは間違いない。ここでも自らの野望(日本国乗っ取り)実現のために宗教を利用する姿が、如実に映し出されているではないか。』(慧妙2003年10月16日号)

[この項、続く]
921 名前: SGI 投稿日: 2004/05/01(土) 13:04
<言論出版問題⑤>[>>920 の続き]

◆昭和38(1963)年
 ○06/05 『文藝春秋』7月号発売。藤原弘達、林健太郎、宮城音弥、平林たい子による創価学会についての座談会記事を掲載。このうち藤原弘達、平林たい子宅に学会員からの抗議の手紙が殺到。

 #で、>>903 に記述したようなことになった。
  なにせ約7千人の言論部員が、「正義のペン」とやらを「(指令に基づいて)自発的に、広く、深く、地道に」一斉に投書するのだから凄まじい。

 ○08/30【学会】渉外局を三局に分割。渉外第一局長=藤原行正(マスコミ対応)、第二局長=大野潔(内部トラブル)、第三局長=竹入義勝(外部トラブル)。

◆昭和39(1964)年
 ○02/01【学会】『大白蓮華』2月号発行。秋谷栄之助、「(広宣流布の時には)わが男子青年部の手によって内閣を組織して…」等とする。

 ○04/  山崎正友、東京弁護士会に弁護士登録。
          ◇
 『純粋な〃池田教信者〃であった私は、弁護士会でもらった弁護士バッジを、いったん池田大作に渡し、本部広間での理事会の席上、池田大作につけてもらった。同時に、「〃公明党専属〃として、月一万円の嘱託料を支払うようにしよう」と言われた。(中略)
 嘱託の仕事は、公明党の〃法律相談〃(月一回くらい)の他は、選挙違反の処理であった。この選挙違反が、驚くほど多く、選挙のたびに忙殺された。事務所の仕事ができなくなることも、しぱしぱであった。(中略)
 逮捕された時に、ほとんどは、〃F票〃や組織の名簿などを押収されるから、その上の責任者が呼び出され、取り調べられる。イモヅル式に、何人かが挙げられる。下手をすると、地方本部や候補者にまで追及がおよぶ。候補者は10日間、悪ければ21日間、拘留されるのが常だった。
 私の仕事は、逮捕された人に接見し、〃やったことは認めよ。しかし組織上のことは言うな。あくまで自発的にやったこととして通せ〃と口止めするほかに、関係組織のガードを固めることだった。
 また、当時の大野潔渉外第三局長や都議・区議らとともに、検挙者の出た組織の関係者に〃口合わせ〃(我々は〃ストーリー〃と呼んだ)を指示するとともに、証拠になりそうなものを焼却処分させることだった。まさしく、〃証拠隠滅〃そのものの行為を、本部からの指示で、組織を挙げて行なうのである。(中略)
 東京都議会で公明党がキャスティングボートを握るようになってからは、選挙違反対策の方針が変わった。警視庁との間で、「公明党は、警察予算や人事、その他で協力する。その代わり、選挙違反は、現行犯、実行犯の処分はやむをえないが、組織の上層部への追及は行なわない」という了解が生まれた』(山崎正友『あの頃のこと』慧妙2000年12月1日号)

 ○04/02【学会】戸田城聖七回忌。
          ◇
 『昭和39年、戸田城聖氏の七回忌が過ぎた頃から、池田大作は「戸田先生の御遺志はすべてやり遂(と)げた。これからは私流にやる」と宣言した。この頃から、〃逸脱(いつだつ)〃が次第に公然化し、エスカレートしていくのである。
 39年という年は、池田大作が、〃正本堂建立御供養〃を発表し、また、〃衆議院進出〃を宣言した年である。それは、池田大作が、自らの〃本仏化〃と〃日本の国士たらん〃との野望を剥(む)き出しにしていく第一歩であった』(山崎正友『あの頃のこと』慧妙2002年7月1日号)

[この項、続く]
922 名前: 経悟空 投稿日: 2004/05/01(土) 17:30
>>911
SGIさん。

>そこで、もうちょっときちんとした認識の上に立って、しっかりと論じ合ってほしいとの
願いを込めて、プロパガンダ情報以外で知り得た・体験した情報や事実を提示していこうかな
と考えた次第です。

「言論問題」は創価学会の歴史の上で大きな区画で、以後は「鶴のタブー」がなくなります。
また「国立戒壇」の否定は妙信講の創価学会批判を招き、創価学会と宗門による宗内統制に
穴があいて正信覚醒の運動へ連鎖していきます。これらはすでに30年以前の事柄ですから
1970年の時点で1940年の日本を回顧するのに等しい。記憶と歴史の境目には党派的な言論が
あふれ、1940年の真相はそれらの党派が現役から退いてから次第にあらわになっていきます。

であればSGIさんが「プロパガンダ情報以外で知り得た・体験した情報や事実を提示」
されたいなら、いま日蓮正宗の側に立っている人たちの発信を批判なく提示されるべきでは
ないかと存じます。『年表・戦後最大の宗教企業とその時代』などはじゅうぶん正確な史実
とわたしは考えますが、著者の立場は日蓮正宗の側です。「宗創戦争」などは国民に興味が
ないものであるから、いづれかの側の発信しかない。われわれはそれらは括弧にまずいれ、
党派外の情報から宗創抗争の歴史の要点を把握するようつとめるのが望ましいとおもいます。
924 名前: SGI 投稿日: 2004/05/02(日) 01:40
>>922 経悟空さん。
 ご指摘の点に関して、概ね同意いたしますが、やや見解が異なるところがあります。
 私は、歴史認識や歴史研究においては少なからず党派性(表現が適切でないかもしれません)を帯びるものだと捉えております。

 事実の積み重ねが“真実”に至るものだとしても、その“真実”は100人いれば100通りの“真実”があるのではないでしょうか。“真実”は“評価”なのだと思います。事実を積み重ねる過程で、すでに取捨選択がなされているからです。情報や資料は批判なく提示し、受け手の判断に委ねるのが最善だとは存じますし、そのように心がけるべきですが、究極的には不可能なことではないでしょうか。

 「創価学会」を考察するに当たって、可能な限り第三者的(客観的)な視点で検証しようと思っておりますが、私は正宗信仰者であり、最終的にはその立場からの判断から逃れることはできません。私が望むのは、より多くの事実を収集し、検討し、「創価学会」に関する“真実”―この場合“実相”といった方が適切かもしれませんが―を、掲示板に参加されている皆さんと共に見出したいということです。

 >われわれはそれらは括弧にまずいれ、党派外の情報から宗創抗争の歴史の要点を把握するようつとめるのが望ましいとおもいます ―― 異論はありません。私のレスについても、訂正や補足、批評などをレスしていただければありがたく存じます。 

 ところで、
 「経悟空」というペンネームは、かつて山崎正友氏が名乗っていたと伝聞したことがあります。
 経悟空さんが、山崎氏ご本人ではないでしょうが、ご存知でしたか。
925 名前: SGI 投稿日: 2004/05/02(日) 01:41
<言論出版問題⑥>[>>921 の続き]

◆昭和39(1964)年
 ○05/03【学会】第27回本部総会を開催。
 「公明政治連盟を一歩前進させたい。すなわち、公明政治連盟をば、皆さん方の賛成があるならば、王仏冥合達成のために、また時代の要求、民衆の要望にこたえて、政党にするもよし、衆議院に出すもよし、このようにしたいと思いますけれども、いかがでございましょうか。(大拍手)それでは全員の賛同を得ましたので、これをもって決定といたします。(中略)
 恩師戸田先生も時きたらば衆議院へ出よとのご遺訓があったのです」と、公明政治連盟の政党化と衆院進出を発表する。

 #自身の前言(>>903 参照)を打ち消すために、日大講堂を埋め尽す全国の代表2万人を前に、突然「政党結成と衆議院進出」を諮り、その場で全員の賛同があったものとして決定してしまう。つまり、会員の賛意で路線転換したのだという誤魔化しだ。しかも恩師・戸田先生をも利用する、念の入れよう。かくて学会は「政党結成と衆議院進出」に駒を進める…。

 #なお、この本部総会では正本堂建立も発議している。
 その上で「正本堂の建立は事実上本山に於ける広宣流布の体制としてはこれが最後なのであります。したがってあとは本門戒壇堂の建立だけを待つばかりになります。したがって全体的な御供養といたしましては今度の正本堂の御供養だけで、いっさい将来はいたしません」とも。

 ○06/30【学会】会長、第27回学生部総会で講演。
 「……それで『創価学会は国立戒壇をめざしているからよくない』このように陳腐な論議をしております。まったくナンセンスのかぎりであります。戒壇とは、仏法の終着点であります。……いま大聖人様の仏法においては独一本門の仏法であるがゆえに、その終着点は本門の戒壇となります。
 ……御書には〃国立戒壇〃ということばはどこにもありません。戸田先生も、ちょっと〃国立戒壇〃ということばをもらしたことがありますが、私も先生がおっしゃったから申し上げたことも一、二ありますけれども、御書にも日興上人のおことばにも、日寛上人のおことばにも〃国立戒壇〃ということばはないのです。〃戒壇〃といえば〃本門戒壇建立〃となるのです」(聖教新聞1964年7/2号に掲載)
         ◇
 ※会長としては自分の代で戒壇建立したい。だが戸田は「国会の過半数の議決による御教書」と条件を付けていた。実際に正本堂が落成するまでにそれが不可能なことを分かっていたので、正本堂を事の戒壇とし広宣流布達成を宣言するため、池田は師匠の国立戒壇の定義を否定した。間違っていることを不純な動機でさらに否定したということ。

 #ふーん、戸田先生は「国会の過半数の議決による御教書」と条件を付けていたのか。
 学会の刊行物は、改訂版を出す度に都合の悪い部分を削除・改変するから確かめようがない。

 ○11/01【学会】青木享、『大白蓮華』11月号で、「学会の目的はただひとつであり、それは広宣流布といい、王仏冥合といい、国立戒壇建立といい、ぜんぶ同しことを指しているからである。広宣流布が達成されれば、すべての人は御本尊を信して個人の幸福をうちたて、同時に民主国家であるならば、政治家もまた日蓮大聖人の教えを根本にして政治活動を行なうのである。これは王仏冥合の姿にほかならない。そうなれば、日蓮大聖人の御遺命である戒壇建立の条件(王臣一同に三秘密の法を持ちて)がそうであるから、とうぜんの結果として、民衆の総意によって戒壇が建立されるのである。民主国家における民衆の総意は、同時に国家の意思であるから、それが国立戒壇と呼ばれても何ら不思議ではない」とする。

 #何だやっぱり、広宣流布=王仏冥合=国立戒壇建立じゃないか。なのに「国立戒壇建立」を否定していくから、妙信講との軋轢を起こしてしまう。

[この項、続く]
926 名前: 経悟空 投稿日: 2004/05/02(日) 21:11
>>924
SGIさん。

もろもろの事実から全体像を組み立てることは、その人の思惟方法や背景の知識が異なるから
少しずつ違う全体像が出来上がるでしょう。わたしが「党派」といったのはそういう意味では
なく、事実を捏造したり隠蔽したりする集団であります。たとえば「C作戦」というものが
宗門の側ではなかったといい、創価学会の側ではあったというたぐいです。事実はあったか
なかったかですから、いっぽうの側の主張は事実を捏造しているか、あるいは隠蔽しています。
党派の抗争においてはいくつかの重要な事実について存在と非存在の主張がわかれるのです。
要するに事実についての存在と非存在の主張は第三者の情報によってしか決着しないでしょう。

またSGIさんが日蓮正宗の信徒であるか、創価学会の会員であるかは事実から全体像を組み
立てる段階でも関係がありません。そのどちらでもないSGIさんがまずおられてそのSGI
さんが組み立てた全体像ができたあとで、日蓮正宗のほうがいいなあ、創価学会はいやだなと
評価されるのです。まず認識があって、その後に評価がされるのだから、認識には党派も立場
も無関係であります。もしそうでなければこういう掲示板に何の存在意義があるでしょうか?
およびSGIさんが日蓮正宗の信徒の立場で発言されるなら、宗内カルト「妙観講」への態度
を決められるべきです。『慧妙』の記事は間接的であっても引証しないほうがよいでしょう。

>「経悟空」というペンネームは、かつて山崎正友氏が名乗っていたと伝聞したことがあります。
>経悟空さんが、山崎氏ご本人ではないでしょうが、ご存知でしたか。
『甦るか創価学会』
http://sanity1.at.infoseek.co.jp/vsub5E.html
のことでしょうか。わたしは山崎正友さんとは面識はありませんが、萩本直樹さんが「凄い人」
といっていたのを思い出しました。
927 名前: 七誌 投稿日: 2004/05/04(火) 03:09
SGIさんと経悟空とのやり取りに関して、横から失礼します。
SGIさんが宗門の立場から事実を積み上げ宗門の側から見た真実を述べることは
一向に問題が無いと思います。
一見中立を装って片方に都合の良いニュアンスだけを
残すような書き方と比べればよほど良心的といえましょう。

経悟空さんが仰る党派性というのは別の言葉で言えば偏見(偏った見方)でしょう。
私は偏見があっても大いに結構だと思う。
偏見と偏見の意見を提示しあって読んだ人がどちらが正しいのかどちらを好きか
決めればよいのです。その意味で、924でのSGIさんの考え「情報や資料は批判なく提示し、
受け手の判断に委ねるのが最善だとは存じます」に賛成です。

ただし、情報や資料が事実では無い場合にはSGIさんが描き出そうとする真実
そのものが曇ってしまう=説得力を失い宗門に敵対する行為となってしまう
ことになるのではないでしょうか。

私は創価学会の側に立つ者ですが、学会も宗門もあまりに自分たちの都合のよい
ことばかり書きすぎて逆に説得力を持たないのが残念と思っています。
例えば、学会側は「宗門は僧が上で俗は下。俗は僧に従わなければならないと
言っている。」と主張しておりますが、それは本当かなあと
私は思ってしまいます。もっと別な表現を宗門はしているのではないかと
思うのです。そんな時代錯誤のことを宗門が言うはずがないと
普通の学会員は思いますよ。

偏見は偏見でよいのです。その一方で反論の場も設けてくださればと期待しております。
聖教新聞とは申しません。第三文明でも潮でもよいので反論の場を設けることによって
説得力も増すのだと思います。
文だけで決着なんか着くはずないのですけどね。
宗門にたいしても同様の思いです。

ところで、経悟空さん。私も萩本さんに学生時代お会いしたことあります。
経悟空さんとどこかでお会いしているかも。
経悟空さんはどちらの側に立ちますか?
928 名前: 七誌 投稿日: 2004/05/04(火) 03:33
SGIさん、私たちはジャーナリストでもないし警察官でもないので、
事実を追求したり確認することは難しいんです。
どこかで諦めてこれは事実だろうと信じなければならない。
そうでなければ時間がいくらあっても足りないし、お金も無限大に必要です。
池田先生が1000億円の隠し財産があるとかスイスに1兆円の口座があるとか
喧伝する宗門側の方もいますが、外為法に関係したしたことがある人なら、
そんなことは嘘だと経験上分かるものです。
しかし、先生が亡くなったときにどのくらいの財産を残していたかで、
大方のことが予想できるのではないでしょうかね。
新聞にも公表されるし、数字は事実といっても良いでしょう。
国税当局はそれほど甘くないですからね。
国税庁には中立よりも反学会の人のほうが断然多いのですから。
937 名前: SGI 投稿日: 2004/05/05(水) 18:20
>>926 経悟空さん。
早々のレス、ありがとうございます。家族旅行で留守をしておりました。申し訳ございません。
さて、
有効な第三者情報がない場合、対立する当事者双方の情報の中から判断するしかありません。
『慧妙』であれ、『創価新報』であれ、『聖教新聞』であれ、その他の機関メディアにしろ、一般情報にしろ、可能な限り情報を収集し、できるかぎりニュートラルな立場を維持しつつ、信憑性があり説得力があると判ずる情報・事実から結論を見出すしかないのではないでしょうか。


>>927 七誌さん。ありがとうございます。
学会メディアの情報は溢れるほど過剰な状況だと思います。
私としては、この掲示板で「創価学会を考える」に当って、自身が見聞した事以外は、バランスを取ることと判断が偏らないようにとの思いで、どちらかというと心情的に宗門サイドに立った情報提示になっていると思います。
私が提示した情報・事実・推論に誤りや反論があれば、反証をお願いしたいところです。互いの反証により検証がなされ、1つの姿が明らかになると思いますので、よろしくお願い致します。
938 名前: SGI 投稿日: 2004/05/05(水) 18:24
<言論出版問題⑦>[>>925 の続き]

◆昭和39(1964)年
 ○11/17【学会】公明政治連盟を改組し、『公明党』を結党。日大講堂で結党大会。
  委員長・原島宏治。書記長・北条浩。
  創立者である池田会長、その政治理念を提唱。結党宣言では『立正安国論』を引用して王仏冥合の大理念に立つとし、綱領には
(1)王仏冥合と地球民族主義による世界の恒久平和(核兵器の廃絶)
(2)人間性社会主義による大衆福祉の実現(人間性の尊重)
(3)仏法民主主義による大衆政党の建設(基本的人権の尊重)
(4)議会制民主政治の確立(政界浄化)――をかかげる。
         ◇
 <結党宣言>から
 『日本出世の大聖哲、日蓮大聖人、立正安国論にいわく「所詮天下泰平国土安穏は君臣の楽う所、土民の思う所なり、夫れ国は法に依って栄え法は人に因って貴し」と。
 この仏法の絶対平和思想、すなわち王仏冥合の大理念のみが、世界を戦争の恐怖から救いうる唯一の道なりと、われわれは強く確信する。ここにわれわれは、公明党の結党を内外に宣言するものである。
 公明党は王仏冥合・仏法民主主義を基本理念として、日本の政界を根本的に浄化し、(中略)大衆福祉の実現をはかるものである。しこうして、ひろく地球民族主義の立場から、世界に恒久的平和機構を確立することを最大の目標として勇敢に戦うことを、国民のまえに堅く誓うものである』
         ◇
 『「国立戒壇だ、広宣流布だ。百人が百人、そう信じていた。80年ごろまで、その気分は続いた」ある国会議員OBは第一党を目指す組織の昂揚を振り返る。「いままでは根本原理だけを教えてきたが、ここまできたら私が全魂を打ち込んで、育てていく」池田氏は陣頭指揮に立つ。まず、打ち出されたのは、「舎衛の三億」と呼ぶ原理。釈迦の教えの広まり具合を意味する仏教用語を現代に置き換えたのだ。「学会員が総人口の三分の一、信仰はしないが公明党支持が三分の一。あとの三分の一は反対であっても、事実上の広宣流布だ」同時に、それが信教の自由を認める証拠だ、とも主張した。』(『AERA』96年6月10日号)

 ○12/09 初代公明党委員長・原島宏治死去。新任委員長に辻武寿。
 ○12/16 原島宏治葬儀。
 『2時すぎ公明党原島君の葬儀参列。池田会長に会う』(朝日新聞社刊『佐藤栄作日記』第2巻)

 #えっ、原島氏はわずか3週間の委員長だったの。

◆昭和40(1965)年
 ○07/12【学会】会長、青年部最高幹部会で、
 「創価学会は宗教団体であり、公明党は政治団体でありますが、ともに日蓮大聖人の教えを奉じ、王仏冥合をめざす同体異名の団体である。(中略)あくまでも公明党は宗教政党であります。
 創価学会を離れて公明党はありえない。もしあるとすれば、既成政党となんら変わることなく、政治のための政治に堕することは必然であります。されば、永久に創価学会と公明党は、一体不二の関係で進んでいこうではありませんか」
 「学会員が日本の総人口の三分の一となり、さらに、信仰はしないが、公明党の支持である人たちが、次の三分の一となり、あとの三分の一は反対であっても、事実上の広宣流布なのであります。王仏冥合の実現は、この舎衛の三億を築けばよいのであります」などと述べる。(聖教の外に、大白蓮華9月号へ掲載)

 #ふーん、学会と一体不二ではない公明党は、既成政党と何ら変わらないのか。だから、利権汚職、スキャンダル、連立政権・右傾化路線と、「政治のための政治に堕することは必然」ということなのかな。そういえば、名誉会長はかつて「汚職議員が出たら公明党を解散させる」と言ってたっけ。

[この項、続く]
939 名前: SGI 投稿日: 2004/05/05(水) 18:25
<言論出版問題⑧>[>>938 の続き]

◆昭和41(1966)年
 ○(?)【学会】折伏教典の改訂五版を発刊。
 「(前略)このたび公明党の結成等、新しい段階を迎えて増補第五版を発行することとなった。化儀の広宣流布の機は熟し、いまや三代会長池田先生の指導のもと、王仏冥合達成へ向かって、めざましい進軍が続けられている」(北条浩理事長の「改訂第五版発刊の辞」P1)
 「日蓮大聖人の仏法の実践は、王仏冥合の達成である。(中略)正しい仏法によって、人間革命された政治家が、仏法の哲理を根本精神として、大慈悲を政治の上に反映させ具体化する時、はじめて理想的な政治が行われ、王仏冥合となるのである。(中略)創価学会は、個人の生活の確立のみでなく、社会の繁栄を願うがゆえに、仏法の大精神を体得した人、これを理解し、政治に反映させる決意のある人を推薦した。この推薦にこたえて、結成された政党が、公明党なのである。」(P352~353)

 「ただ一つ日蓮大聖人の教えどおりに信心修行しているのは、日蓮正宗(総本山富士大石寺)だけである。」(P96)
 「学会再建にあたった第二代戸田会長は、つねづね「戸田はけっして一宗一派を開くものではございません。ただ、生命のつづくかぎり、御本山へ、忠誠一途に尽くすのみであります」と申しておられたが、まことに、その一生こそ、先師牧口会長の遺志を継がれ、ひたすら総本山をお守りする真心ひとすじに貫かれた粉骨砕身のお働きであった。(中略)その御供養の至誠は数を知らず、すなわち、日蓮正宗の良き檀那、大信者として、偉大な生涯をまっとうされたのである。ここに創価学会と日蓮正宗との関係はおのずから明白となろう。」(P350)
 「謗法とは「正法を誹謗すること」であり、したがって、なにが正法であるかが問題である。それはいうまでもなく、末法今時の正法は、道理、文証いずれから論じても日蓮大聖人の教えであり、その教えは富士大石寺に伝わる三大秘法の大御本尊以外にあるはずがない。しかれば、謗法とは、その大御本尊を誹謗することであることはいうまでもない。」(P354)

 #当然のことながら『折伏教典』は廃刊。

 ○01/08 「2、3連絡の後、1時半出発して鎌倉へ。所要時間55分。ゴルフの練習をし、池田大作会長と6時半に会ふ。夜食を共にしながら約3時間ばかり話して別れる。公明党との協力関係出来るか」(『佐藤日記②』366頁)
 ○01/10 「東京都問題は公明党との妥協漸(ようや)くなる。岩佐君から池田会長の申し越し連絡あり。早速のきゝめか」(『佐藤日記②』366頁)
 →3日後の13日、都議会本会議は水道料金を平均で35.4%値上げする案を自民党と公明党の賛成で可決する。佐藤・池田会談の「ききめ」であった。都議会での公明党工作が、佐藤から池田に対してなされたこと、その最初の成果が都民を犠牲にする水道料金の値上げであったことは、その後の自公関係を考える上で象徴的だったといえる。

 ○02/04 「池田会長の処へ、岩佐君を介して、まきえの文箱を届ける。蓋し時計の御礼なり」(朝日新聞社刊『佐藤栄作日記』第2巻366頁)
 →2人の関係が親密になっていったことが分かる。池田は「時計」を贈り、その「御礼」に佐藤は「まきえの文箱」を届けているからである。

 #国民や会員の知らないところで着々と自民党との関係を深めている…。岩佐君とは、岩佐凱実・富士銀行頭取のことで、学会側の希望で仲介役を務めている。
 そういえば蒔絵は、名誉会長のお気に入りの工芸品だ。

 ○05/03【学会】第29回本部総会を開催。
 会長、「そういうようなわけで、昭和54年から11年目の昭和65年、西暦1990年、この年を目標として、広宣流布の大総仕上げにかかりたい。こう決意している次第であります。」等と語る。

 #そう、1990年(平成2年)は、学会・名誉会長にとって“特別な年”だったのです。

 ○05/08【学会】池田会長、本部幹部会席上で、今後、国立戒壇という言葉使わないと言明。正本堂は、天皇帰依や国会議決によらない「民衆立」との見解を示す。(それまでの学会・宗門・妙信講等の「国立戒壇」を否定。併せて学会独自の「国会議決による戒壇建立」をも否定。)       

 #これにより、妙信講との対立が明らかになる。
940 名前: SGI 投稿日: 2004/05/05(水) 18:31
<言論出版問題⑨>[>>939 の続き]

◆昭和41(1966)年
 ○06/01【学会】池田大作著『指導メモ』を聖教新聞社から刊行。
 『師弟』の項で(185頁)「私は戸田前会長と十年間、師弟の道を歩んできた。たとえ師匠が地獄に落ちようと、師匠のそばへ行くと決めていた。それが自分の人生と決め、だまされても、師匠と一緒なら、それでいい。それが師弟相対だと決めた」とする。

 #これは、名誉会長が説く得意の池田流の師弟観。こんなこと大聖人も戸田先生も説いていない。この任侠師弟観が、学会堕落の根底思想。

 ○06/22『田中幹事長を招致して明日の田中、辻(公明党)会談の打含せと注意を喚起しおく』(『佐藤日記(2)』445頁)
 ○06/23『田中幹事長は公明党北条[浩書記長]君と正式に初めて会見。円満に会話が行はれた様子。先づは一安心。引続き1週間以内に再会見の予定』(『佐藤日記(2)』446頁)
 →こうして、田中は佐藤の指示によって公明党とのパイプ役になった。

 #田中幹事長とは、もちろん田中角栄元総理のこと。後日「言論問題」で大活躍。

 ○07/ 【学会】会長、全国各地域の班長を励ますため「班長撮影会」を行う。これは班長を一回に5~60人から100人集めて記念写真を撮るという催しで、この年の7月前後、半年から10ヶ月かけて各地で開催された。
         ◇
 『これらの記念撮影は、来たるべき公明党初の衆議院選挙で戦う地域を中心に、創価学会員を総動員する狙いがあった。池田は学会員の信仰心をくすぐりながら、選挙戦勝利への、より高度なマインドコントロールを行なっていたのである。』(元・学会本部職員A・Y『偽仏の如是我聞を検証する!?(3)』 慧妙2003年9月16日号)

 ○(?)『公明』8月号発売。ヨーロッパの宗教政党を視察した北条浩副委員長、寄稿文の中で、公明党はヨーロッパの例と同じ原理に立つ宗教政党であり、日本にはいままでヨーロッパのような宗教的土壌がなかったのだから、その土壌をつくりながら、同時に平行して公明党をスタートさせたのだ、とする。
 ※共産党はこれを憲法第20条「いかなる宗教団体も政治上の権力を行使してはならない」に抵触するものとしている。

 #このころから、支持層が重なる共産党とのバトルが顕現化してきた。

 ○07/03【学会】池田会長の『立正安国論講義』を刊行。公明党の意義づけに多くの頁がさかれている。
 「発刊日の7月3日は、戸田前会長の出獄の日である。またこの日、奇しくも私が、昭和32年に国家権力の謀略によって入獄した日でもある」(P7~8)
 「公明党とは即、創価学会の異名であり、一体不二の関係にあることを知らなければならない」(P72)
 「この国権の最高機関たる衆議院に、三大秘法の仏法を奉じした真の民衆の代表を送り出すことこそ、現代の国家諌暁であることは、明白である」(P81)

 「まことの仏法の真髄は、日蓮正宗にしかない。そして、それを外護しゆく創価学会の活動をはばむものあれば、それこそ仏法を破滅させる魔の姿であり、もし、かつてのごとくあえて国家権力をもって、阻止しようものなら、終戦後のように「仏法実に隠没せば」の経文が、たちまちにして眼前に展開され、民衆を苦悩の深淵のなかへと進ませる結果となろう」(P333)
 「彼らは、いつも宗教団体の政治介入はいけないと、創価学会を非難してきた。ところが、最近になって創価学会の王仏冥合の大前進に恐れを懐いたこれら邪宗教は、なんの臆面もなく、にわかに参議院等に、自己の利益を守るべく候補者を立てたり、保守党と取り引して推薦候補にする等、邪宗教と政治家との結託が、目立ってきたのである」(P505)

 「もとより、王仏冥合の原理に照らし、創価学会が明王・聖人となる以外になきことは必然であった。ここに「王」とは、独裁者の「王」ではなく、民衆それ自体であり、また民衆の中より出、民衆の予望を担い、民衆の幸福のために戦う真実の指導者の意である。創価学会が、今日、公明党を誕生させたのもまさしくそのためである」(P545)
 「いっさいを指導しきっていくべき原理は、仏法の骨髄たる妙法以外にない。この偉大な妙法を持った公明党のみが、真実にして唯一の宗教政党である。しかして、これこそ現代世界が要望する、最高に革新的な政党なりと確信するものである」(P856)
 「立正安国論の実現とは、王仏冥合の実現であり、第三文明の偉大なる社会を実現することである」(P1094)

 #ここでは7月3日が「出獄・入獄の日」となっている。

[この項、続く]
941 名前: SGI 投稿日: 2004/05/07(金) 21:15
<言論出版問題⑩>[>>938-940 の続き]

◆昭和41(1966)年
 ○09/25【学会】本部幹部会を開催。
 海外では学会が公明党の支持団体であることから政治団体とみる見方が一部にあり、そのことから生じる無用の摩擦と誤解を回避するため、海外法人の名称をすべて『日蓮正宗』と改め、政治活動をいっさい行わないことを宣言する。これにともない『創価学会・オブ・〇〇』は『日蓮正宗・オブ・〇〇』と改称される。

 #『SGI憲章』でも、海外のSGIは一切の政治活動をしない、と宣言している。
 日本だけ政治支援活動を行い、海外ではやらないことについて、何らの説明が一度もない。

◆昭和42(1967)年
 ○01/29 第31回総選挙。
 公明党25名が当選し、参議院で第三党、衆議院では初進出でいきなり第四党となる。
 大橋敏雄、福岡二区でトップ当選。自民50%割る。公明党の伊藤惣助丸、初当選。
 選挙の二日後、池田会長は突然、公明党の委員長だった辻武寿、北條浩を更迭して、竹入・矢野体制に移行させた。竹入は都議会議員で学会組織では世田谷第一本部の本部長だった。

 「(委員長就任にあたって)池田会長から申し渡されたばかりで、正直いって面くらってます」(竹入義勝『毎日新聞』夕刊 67年2月1日付)
 「政治家になったのは、創価学会からの指示だった。委員長就任の打診があったときは、ともかく逃げ回ったが、最終的には従わざるをえなかった。学会の副理事長や総務をやってきたが、取りえは元気がよくて活動的だったことぐらいだ。だから、無我夢中で党活動に専念した」(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』98年9月18日付)

 #ついに衆議院進出。初挑戦で、いきなり25名の当選。
 ジャーナリズムも本格的に学会=公明党について論じるようになり、いよいよ言論弾圧の幕があく。

 ○01/  三一書房、毎日新聞記者・内藤国夫に都議会公明党に関する本を執筆するよう依頼する。

 ○02/24「対公明との関係は誠に微妙。よって池田会長並に竹入委員長に会見を申し込む」(『佐藤日記③』39頁)
 ○02/25「(竹入に会ったところ)意外に強硬。(立正佼成会の)庭野をきれとの話だが、それは出来ない。兎に角注意するで話は終る。今後特に気をつける要あり」(『佐藤日記③』39~40頁)

 #公明党が新体制になったので、佐藤首相も新たな関係構築に。この頃の竹入氏は政治家というより生真面目な学会員であったことが伺われる。

 ○(初夏)【学会】男子部地区部長候補の上原成宏、学会本部渉外三局の渡部理事に呼び出され、公明党本部へ行く。
        ◇
 話は「この間、話の出たZ社だけれども、室伏高信という年とった人が、池田先生のことを書こうとている。大右寺のほうにも取材にきている。それに編集の人間もくっついているけれども、どんな中身なのか知ることはできないだろうか。もし池田先生を誹謗するようなことだったら、何か考えなければいけないし……」という意味のことをいわれ、「できればゲラを手に入れてほしい」というわけです。
 「第三者がゲラを持ち出すのはちょっと無理じゃないですか」と言ったら、「どこの印刷所を使っているか調べるだけでいい」ということでした。(中略)
 「君のいったとおりだった。別に害になる本じゃなかった。ゲラも見たよ」というんで私は驚いたんです。私も多少そっちの仕事をしていましたから、「よくゲラが手に入りましたね」といったら、「印刷所だってどこだって、学会員はいるからな」というわけです。(中略)
 下山――直接の上司は渉外三局長の館岡総務です。館岡さんはいまの創価学会会長である北条浩にがっちりつながっているわけです。
 ――すると、渉外三局のボスは、北条浩氏だったわけですね。       
 下山――そうです。要するに、ダーティな部分の親玉で、あの北条氏は、たしか副会長になっていたと思います。(下山正行『私は創価学会のスパイだった』P20 ~23)

[この項、続く]
942 名前: SGI 投稿日: 2004/05/07(金) 21:17
<言論出版問題⑪>[>>941 の続き]

◆昭和42(1967)年
 ○07/20 第55特別国会、防衛二法改正案が成立。
 政府は、過去2回流れてきた防衛庁設置法および自衛隊法改正案(防衛二法)を、三たび提出してきた。6月9日の趣旨説明を皮切りに6月29日から衆院内閣委員会で審議が始まり、7月6日、自民党単独で強行採決された。これに対して野党各党は態度を硬化させ、7月の審議は全面的にストップする。
 この後、議長の斡旋と4党国対委員長会談を経て国会は正常化され、7月10日の補足質問の後、本会議での採決を経て法案は参院に送られた。参院でも野党は対決姿勢をとったが、一酸化炭索中毒症特別措置法案(CO法案)を取り引き材料に自社両党の妥協がなり、防衛二法改正案は7月20日に成立する。これについても、佐藤は密かに手を回していた。

 「10時登庁。国会も明1日を残すのみとなったので、最後の勉強を党側に指示する。何よりも防衛二法を通過さす事、その為に(秘書の)大津君を創価学会池田会長に連絡をとらす。会長が幸に引きうけてくれたので一寸安心。又その約束通り議事がとり運ばれた」(『佐藤日記③』106頁)
 →この頃になると、もはや特別の仲介者は必要なく、秘書からの連絡で事が運ぶようになっていた。佐藤と池田の関係がそれだけ親密なものになっていたということが分かる。

 #仲介者も公明党議員も通さず、直に首相官邸とのホットラインが佐藤内閣以来続いている。
 『随筆・新人間革命』でも明らかなように名誉会長の方から池田隼人首相邸に赴いたり、学会の「政党結成・衆議院進出」の路線変更と佐藤政権の時期が重なっており、法案成立に協力することで政府・自民党に“貸し”を作ろうとしている。
 そういえば「貸し方になるのが人生の勝利」というのが名誉会長の人生観でした。⇒ >>158-159 参考

 ○08/末 内藤国夫、三一書房から依頼の原稿を脱稿。(※11月末出版予定だったところ、三一書房、出版を断念する。)
        ◇
★内藤国夫著『公明党の素顔』(エール出版社)の場合
 67年1月ごろから、三一書房からの執筆依頼で、都庁担当新聞記者として取材してきた都議会公明党の素顔を書きはじめたという。これが創価学会・公明党の知るところとなり、出版社に圧力がかかり、出版計画は中止となる。
 内藤氏は出版社を変更し、極秘裏に出版準備をつづけたが、印刷工程でゲラが創価学会にわたった(業務上横領の疑い)ようで、公明党の竹入委員長が30数箇所の書き換えや削除を要求してきた。
 さらに、国際勝共連合の背後にいた右翼の頭目の笹川良一が内藤氏に「わしは公明党に前に一度恩を受けている。本はおれが全部買いたい」といってきたことも明らかにされた。この本は69年5月に出版されたが、大手取次店は配本を拒否し、小売店に宣伝して注文をとるという方法で、わずかに世に出された。(『前衛』03年11月号)

 #そう、そう。学会は右翼との関係も深いのでした。
 塚本素山氏を学会顧問に迎えていたこともありますし、笹川親子には『月刊ペン』裁判では大変お世話になりました。最近では外宣車による大石寺襲撃にも一肌脱いでいただいております。結構“ニッポンの闇”とのお付き合いも特別なものがあるようです。

[この項、続く]
943 名前: SGI 投稿日: 2004/05/09(日) 00:04
<言論出版問題⑫>[>>942 の続き]

◆昭和42(1967)年 
 ○09/ 公明党、10月に刊行予定の植村左内・編著『これが創価学会だ 創価学会幹部43人の告白』のゲラ刷りを入手。※植村左内(本名・村上行雄)氏は66年に脱会。
         ◇
 『「さて、当の植村氏は、創価学会脱会者として、学会を離れてすぐさま、新宗連の機関紙『新宗教新聞』に学会批判に記事を連載し、それをまとめて『これが創価学会だ』というタイトルで『しなの出版』から刊行予定であった。ところが、同書のなかに出てくる『中村君の日記』というのが植村氏自身の創作であるといった批判が出た。
 この当時、日大会頭の古田重二良氏は、日本宗教センターの理事長として、創価学会の加盟を再三にわたって要請したことは先述したが、同センターの加盟宗派が創価学会加盟問題でかなりの論議をしている。そして、注目すべきことは、立正佼成会の庭野日敬会長だけが条件付きで創価学会の加盟に賛成した。
 庭野氏によれば、『私としては、無謀な折伏や排他的独善的行動を改め、池田会長自らが代表となって加入し責任をもって会議に出席するならば、参加承認してもよいと思う』といって、創価学会から折伏の二字を奪い去ることを条件とした。だが創価学会は加盟せず、脱会者の植村は、立正佼成会の別動隊長とも言われる清水雅人氏の〃領導〃により、創価学会は犯罪者の巣窟と思わせるような連載記事を『新宗教新聞』に書きつづっていた」』(丸山実『「月刊ペン」事件の内幕』(P75~76)

 ○09/  公明党の辻武寿(前委員長、のち学会副会長)、矢野絢也書記長、竜年光(都議、のち脱会)の3人、自民党本部に福田赳夫幹事長を訪ね、『これが創価学会だ』の出版中止を依頼するが断られる。続いて賀屋興宣に依頼。(賀屋は版元の「しなの出版」に圧力をかけたとされる。)

 ○10/13 東京地裁、学会からでていた『これが創価学会だ』の出版禁止仮処分申請を却下。
         ◇
 『これが創価学会だ』は出版されるが、大手取次店、同書の新刊委託扱い・注文扱いを拒否。小売書店の店頭に並ばず。
 【学会】名誉毀損の告訴と、謝罪広告を求める民事訴訟を起こす。
 【学会】同書出版は新宗連が仕掛けたものとして、新宗連理事長で立正佼成会会長の庭野日敬を警視庁に告訴。庭野、警視庁に出頭する。
         ◇
 「庭野、古田重二良(日本大学会頭、社団法人宗教センター理事長)の仲介で北条浩と会談。学会・公明党立会いのうえで同書の廃棄処分を行なう。『新宗教新聞』編集長・清水雅人(本名・佶)、紙上に連載していた学会脱会者・植村左内(本名・村上行雄)氏の内部告発記事を『これが創価学会だ』(しなの出版)という単行本にまとめ新宗連加盟教団に大量に買わせようとするが、学会が名誉毀損で告訴する意志を明確にしたため新宗連側が忌避、自主的に本を回収する。」(『第三文明』83年6月号)
         ◇
 「古田氏は、日本で二大宗教団体といわれる創価学会と立正佼成会をなんとか和解する方途を考え、両者に接触していたが、植村氏の『これが創価学会だ』が出版されるに至って、立正佼成会側が、自らの手で植村氏の本を破棄し、それによって『布教戦争』の一時停戦をするといった古田氏の案が両者を動かしたのだった。植村氏の本は日大の校庭でもやされた。これが世にいう〃焚書事件〃である。ところが、植村氏が自著をもやされたと喧伝しているが、実際は裁断されたのであり、焚書ではなかった。」(丸山実『「月刊ペン」事件の内幕』P75~76)
         ◇
★元創価学会員・植村左内著『これが創価学会だ』の場合
 まだ本が出ないうちに、池田会長と竹入委員長が出版社を相手どり、図書発行等禁止仮処分申請をおこなった。東京地裁が、まだ本ができていないことを理由に申請を却下すると、今度は名誉毀損として告訴。この本も取次店が扱いを拒否した。
 68年12月には、出版社と創価学会・公明党の間に示談が成立し、出版社は著者に無断で印刷過程のすべてを創価学会・公明党にわたしてしまった。出版社への圧力には、福田赳夫、賀屋興宣という自民党中枢が関与し、宗教センター理事長で日本大学会頭の古田重二良氏が示談をまとめたという。
 庭野日敬立正佼成会会長(当時)によれば、古田氏は、立正佼成会に買い取られて配られた本を信者から取りもどし、日大校庭で焼いてしまったそうである。植村氏は、現代の"焚書"や創価学会からのいやがらせにあいながらも、別の出版社から出版にこぎつけた。(『前衛』03年11月号)

 #政治権力に右翼と訴訟・裁判、今も昔も変わらないのですね…。違っているのは、政治権力の中にいるということと、自陣メディアによる反キャンペーンの凄まじさ。

[この項、続く]
944 名前: SGI 投稿日: 2004/05/09(日) 00:08
<言論出版問題⑬>[>>943 の続き]

◆昭和42(1967)年 
 ○12/暮 民主社会主義研究会(民社研)の機関誌『改革者』の編集長・遠藤欣之助、同誌に公明党問題を書くため、鈴木一弘・矢野絢也編『労働運動と宗教 仏法と人間性社会主義』を一読したところ、同書に中大教授・武藤光朗の著作からの無断盗用があることを発見。遠藤、この事実を論文にまとめるが、ゲラ刷り段階で公明党に漏洩。公明党・竹入、某銀行頭取を通じて民社党に働きかけ、民社党から遠藤に発表中止を勧告させる。

◆昭和43(1968)年
 ○01/  植村左内、古田重二良の要求により、今後、学会批判書は書かないという文書に調印する。

 ○01/25【学会】関西本部幹部会を開催。会長、「幹部として学会の正しい姿を知り、間違いのない指導をしていくため」小説『人間革命』を読んでほしい、と要望。また参院選に触れ、王仏冥合の戦いの本義を再確認する。

#だから、小説『人間革命』は「現代の御書」。学会史観を植えつける洗脳書?
  >>251-252 >>296-297 >>741 >>763 を参照。

 ○02/12 「大津君を通じて池田会長へ援助方頼む。返事はいゝが会長も困っておるに違いない。そのうちに何とかなるだらう。社会党が倉石君罷免を強く主張する。理解しかねるとの返事。別途社会党と連絡して見ると、公明党が強いと云ふ。まだ解決の潮時が来てない結果と思ふ」(『佐藤日記③』233~234頁)
 →「倉石罷免」問題をめぐって、佐藤が池田会長に「援助方」を頼んでいたことが分かる。
 このときにわかに浮上した「倉石罷免」問題というのは、2月6日の閣議後の記者会見で、倉石農相が「現行憲法は他力本願だ。やはり軍艦や大砲がなければダメだ」と述べたことに端を発する。この発言に野党が反発して倉石農相の罷免を求め、2月23日まで16日間も国会は空転した。佐藤首相は事態打開のための水面下での工作を始めるが、それは公明党の竹入委員長に対してではなく、創価学会の池田会長に対してであった。

 ○02/14 「日大の古田君は国税庁に手をやく。当方は古田君を介して公明党への働きかけをする。今日の処まだ効果不十分」(『佐藤日記③』236頁)
 ○02/15 「今日も亦空転。然し公明党に動きあり。竹入君1日記者会見して動きを見せたが、野党につき上げられ又ぐらつく。然し池田会長のリモートコントロールがあるのでどうなるやら。物事は一進一退で解決するものか。夕刻古田君に架電してネジをまく。先生の方にも税で問題を起こしており、その上公明党との折衝で仲々忙しい事」(『佐藤日記③』236~237頁)。
 →「池田会長のリモートコントロール」という言い方は、本質をついていると同時に大変生々しいものである。
 
 #「日大の古田君」とは、古田重二良(日本大学会頭、社団法人宗教センター理事長)氏のこと。
 国会問題とのバーターで、学会批判本である植村左内・編著『これが創価学会だ』や隅田洋著『日蓮正宗・創価学会・公明党の破滅』の出版妨害に自民党政権が絡んでいることが伺われる。

 68年に入り、7月の第8回参院選を控え、公明党は国会や地方議会ではとくに「汚職と腐敗の摘発」に力を入れた。そのターゲットにすえられたのは、当時すでに何かと噂の絶えなかった田中角栄である。
 「(田中)元首相と親しくなったのは、国会の質問で貸しを作ったことだった……公明党の参院側が、田中さんの国有地払い下げ問題や女性問題を取り上げることになった。68年6月にジャーナリストが仲立ちし、東京紀尾井町の料理屋で話をした。
 田中さんは「女性問題は、責任をとっているので取り上げるのはやめてほしい」と率直に訴えてきた。最初は、よくしゃべる人だなという印象だった。駆け出しの私に誠心誠意、話をするなあと感心した。この会談があって、党の参院幹部に「自民党の中では相当伸びる人だし」ということで女性問題の質問はやめてもらった」(「竹入秘話」『朝日新聞』98年8月26日付)
 →室生忠によると、自民党田中派と公明党との間に太いパイプができるのは68年以降のことで、「田中の金脈問題と学会の税金問題を取り引き材料にして」(室生忠『創価学会・立正佼成会』)のことだったという。理由は違うが、この時期に田中と公明党との間に、太いパイプができたという点では共通している。そしてこのパイプは、やがて大きな意味を持つことになる。(『前衛』03年7月号)

 #虚虚実実というより、“貸し・借り”の取引きにすぎない?

[この項、続く]
945 名前: SGI 投稿日: 2004/05/09(日) 23:05
<言論出版問題⑭>[>>944 の続き]

◆昭和43(1968)年
 ○02/11 隅田洋(=隈部大蔵)著『日蓮正宗・創価学会・公明党の破滅』、日大会頭・古田重二良らの介入で初版即絶版、市販されず。
          ◇
 隈部大蔵(西日本新聞東京支社の経済担当論説委員)、『東北出版』から学会批判書を出すことを計画。介入を恐れ福岡県北九州市の日進印刷(教科書専門という)に発注するが露見。同地を選挙区の一部とする劔木亨弘文相が『東北出版』に中止を要請。古田重二良、『東北出版』に事前にゲラを見せるよう要請。社長、日大会頭室に出向きゲラを見せる。
 『東北出版』に学会員や東声会と目される暴力団が来訪。抗議の電話が相次ぐ。
社長、公明党の最高幹部宛に「今後創価学会・公明党関係の批判書は二度と出版しない」旨の証文を書かされる。同書は言論出版問題を機に70年6月に『あゆみ出版』から刊行された。
          ◇
 『隈部大蔵自身、その経歴は安藤竜也との共通の陰影部分につつまれ、謎めいている。彼が、のちに警視庁および裁判所で陳述したところによれば、「昭和19年に陸軍中野学校(諜報員養成機関)を卒業し、若干の軍務(情報活動)を経て終戦を迎え、戦後は、昭和25年頃から経済安定本部、経済企画庁に事務官として勤務し、次いで昭和32年から株式会社西日本新聞杜に論説委員(経済担当)として勤務したが、昭和43年頃、年来の仏教教義に対する強い関心から創価学会批判書を執筆、出版しようとしたことが原因で上層部との間に意見の対立を生じ、やがて昭和49年7月退社し、以後はかねてからの誘いに応じて東京都中央区銀座3丁目10番19号所在の月刊ペン社の編集局長に就任し、同社が発行する総合雑誌『月刊ペン』の編集に従事するとともに自らもこれに執筆していた」となっている。(「月刊ペン事件」判決書)(山崎正友『「月刊ペン」事件 埋もれていた真実』P30~31)

★隈田洋著『創価学会・公明党の破滅』の場合
・秘密裏に出版作業がすすめられたが、印刷段階で、印刷業界の幹部から印刷中止を迫られた。印刷所にはいやがらせがつづき、当時の劔木亨弘文相からも中止の圧力がかかったと、著者に伝えられる。この本の場合も古田日大会頭(※日本大学の古田重治郎会頭)からゲラの検閲を迫られた。出版社社長には暴力団員がつきまとい、ついに出版中止となった。(『前衛』03年11月号)

 「これではまるで、ソビエトで地下出版を出すようなものであろう。私自身、この記事には少々驚き「まてよ、作影(注=池田大作氏の影響の意)はやはり噂だけではなく事実かな」と思わざるを得なかった。
 というのは、西日本新聞といえばブロック紙の名門、論説委員といえばその最高の地位ぐらいのことはだれでも知っている。しかしその人ですら「極秘」のうちに出版を進める必要があり、見つかればつぶされてしまう。
 しかもそれに文部大臣が一役買っているのである。文部大臣が自ら言論弾圧に乗り出すとは少々恐れ入った話だが、「作影」が「○影」に波動して文部大臣を動かして論説委員の著書までつぶす、となるとただごとではない」(評論家・山本七平著「池田大作氏への公開質問状」『諸君』昭和56年6月号)

 #隈部大蔵氏は、後の『月刊ペン』裁判のもう一方の当事者です。氏の晩年は、対学会に心身を削っていく人生となりました。

[この項、続く]
946 名前: SGI 投稿日: 2004/05/09(日) 23:06
<言論出版問題⑮>[>>945 の続き]

◆昭和42(1967)年 
 ○07/01【学会】幹部用月刊誌『前進』で「きょうは七月四日、池田先生が三十二年参議院大阪地方区補選にかかる選挙違反容疑で逮捕された、忘れることのできない日です」と、池田逮捕を7月4日とする。

 #あれ?『立正安国論講義』と違うぞ。⇒ >>15 >>469-470 >>940 参照

 ○07/05~06【学会】、宮本孝(新宿第3総合ブロック第9総ブロックの男子部総B長)、砂川昭夫(欧州第2本部フランクフルト部隊長)、新宿区の末端幹部から実行班を選抜、新宿区内の郵便受けから投票入場券を抜き取らせ、総ブロック拠点に集め、不在者投票(替え玉投票)をさせる。北林芳典、『戸二読書会』の名目で住民票を閲覧、入場券者の生年月日・本籍等を確認。

 #これが世にいう「新宿替え玉投票」事件。

 ○07/08【学会】第13回社長会。会長「警察だって、動かしているのは竹入・井上だよ」と発言する。
 ○08/03【学会】第15回社長会。池田会長「私の頭の中にあることは全部事件をまぬがれる。頭を通るだけで良くなる。何でも話しておかねばならないのだ」と述べる。

 ○09/11 北条浩公明党副委員長、隈部大蔵を赤坂プリンスホテルに呼び出し、恫喝。
 ※結果、隈部は出版を断念する。
         ◇
 『昭和43年、隈部大蔵はペンネームで『創価学会・公明党の破壊』および『創価学会.公明党の解明』という批判書を書き、出版しようとしていた。名誉致損の告訴で反撃されるのを防ぐため、その原稿を知り合いの坂本英雄弁護士に預けたところ、その事務所の事務員が熱心な学会員であり、これを同弁護士黙認のもとコピーして創価学会本部に届けた。これを読んで、北条浩が激怒し、隈部を帝国ホテルのロビーに呼び出し、怒鳴りづけたことは、前章で述べたとおりである。
 「お前は、こんなくだらんことを書いて、ジャーナリストとして恥ずかしくないか。我々は巨大な象のようなものだ。お前は蟻のような存在だ。こんなものは屁とも思わん。しかし、我々は、蟻であろうと、向かってくる者は本気でふみつぶす。お前もふみつぶされたいか。お前も西日本新聞杜に圧力を掛けてクビにするぞ!」
 隈部大蔵は、まだ原稿の段階で情報をキャッチした創価学会の情報網と北条の権幕に震え上がり、出版をとりやめた。
 しかし昭和45年になって、創価学会による、藤原弘達氏の著書『創価学会を斬る』をめぐる出版妨害事件が起こり、これをきっかけに国会とマスコミから総攻撃を受けるに至った際、隈部大蔵は北条浩による威嚇の顛末をふくめて公表し、〃言論弾圧〃の一例として取り上げられるに至った。
 この件は池田大作みずからの一方的な謝罪でけりがつき、隈部大蔵は改めて二冊の著書を出版して、初志を貫徹した形となった。しかし、創価学会とのトラブルで、その後西日本新聞社にいづらくなり、退社せざるを得なくなった。新聞社の方が創価学会と付き合うことの利を選
  • 法介
  • URL
  • 2016/10/29 (Sat) 19:48:59
 
Re: 2003年の投稿記事
び、創価学会とトラブルをおこして不買運動などされることを恐れ、体よく隈部を追い出したのである。』(山崎正友『「月刊ペン」事件 埋もれていた真実』P30~31)

 ■北条副委員長の恫喝
 隅田洋著『創価学会・公明党の破滅』という学会批判書の著者である隅田洋を、今日まで半年がかりで探した結果、やっと探し出した。この隅田洋なる者が、ここにいる隈部大蔵その者だ。人違いであるとは、絶対に言わせない。まさか、大きな新聞社の経済社説を担当している論説委員が、学会教義の批判書を書くなどとは想像もしなかった。そんな関係で、隅田洋=隈部大蔵を捜し出すのに予想外に時間がかかってしまったが。
 しかしだ。いくらペンネームを用いて学会を批判しようとしても、全国的に張りめぐらされている学会の情報網にひっかからない「虫ケラ」はいないのだ。わかったか。
 よく聞いたがよい。たとえていえば、創価学会は「象」それも巨象だ。これにくらべてお前は1匹の「蟻」だ。創価学会を批判する輩に対しては、たとえ1匹の蟻といえども象は全力をもって踏みつぶすのだ。(『フォーラム21』04年4月15日号)

 #「たとえ1匹の蟻といえども象は全力をもって踏みつぶす」、有名なフレーズだ。
 「全国的に張りめぐらされている学会の情報網にひっかからない“虫ケラ”はいない」。つまり、日常的に諜報活動しているから、時たま善からぬ個人によって通信記録や個人情報の盗み出しがバレルのかもしれない。

[この項、続く]
947 名前: SGI 投稿日: 2004/05/09(日) 23:20
<言論出版問題⑯>[>>946 の続き]
◆昭和43(1968)年 
 ○10/11 東京地裁「新宿替え玉投票事件」で、〃他人の投票入場券を盗み、本人になりすまして公明党候補に詐偽投票をおこなった〃として、宮本孝・砂川昭夫に禁固1年・執行猶予4年、北林芳典に禁固4カ月・執行猶予3年など、創価学会員8人に有罪判決を下す。
 ※のち山崎正友は、この新宿替え玉投票の指示は新宿区・港区の総指令であった八矢英世〔後年、総務・創造社代表〕から発せられ、新宿区の男子部司令・松山久男が直接指揮をとった、と告発する。
         ◇
 『創価学会本部が、手の打ちようもない状況で焦るうちに、学会員の拘留も長期にわたり、耐えきれなくなった者が、次第に〃口を割る〃という最悪の状況になった。私は、そうした、〃落ちかけた者〃に急きょ接見し、御書を読み聞かせ、池田会長の指導と激励を伝え、一締に唱題して耐え抜くよう励ました。弁護士の地位を利用して接見し、創価学会幹部として〃信心指導〃して、「何もしゃべるな」と口封じしたのである。
 公明党も、手をこまねいていたわけではない。(中略)池田大作から直々に指令を受けた竹入義勝委員長は、警視総監に面会した。すべてを、ありのままに話し、「二度とこうしたことはやらないから、今度だけは助けてくれ。何とか、このあたりで収めてくれ」と深々と頭を下げた。
 当時の総監秦野章氏は、竹入氏とは〃無二の親友〃といわれた仲だった。後の総務部長の下稲葉耕吉氏(後の総監)とも、竹入氏は〃刎頚(ふんけい)の友〃といわれた仲だった。(中略)最後は、はっきりと、現在逮捕された者の範囲で事件をまとめ、それ以上の捜査の継続は中止することを約束した。(中略)
 その翌日、竹入氏は、今度は地検に行き、次席検事の河井信太郎氏に「どうか公明党を助けてくれ」と再び深々と頭を下げた。(中略)警視庁の意向を押し切ってまで捜査を続ける意思のなかった河井氏は「これっきり、一度だけですよ」と言って、捜査打ち切りを約束した。』

 『後に情報師団の一員となり、現在も、葬儀会社〃報恩社〃の社長という肩瞥きの裏で情報活動を続ける北林芳典も、この時、逮捕された。東京理科大の学生だった彼は、看守の子息の夏休みの宿題を手伝ってやるなど、如才なく振る舞い、〃自分はただの使い走りで大したことはしていない〃として、捜査官にウソ八百を述べて騙し、早々と釈放されて逃げていた。
 竹入氏が警視庁に事件の全容をありのままに話し、〃すでに取り調べが行なわれている範囲の事件として処理する〃ことに決まったから、北林は改めて再逮捕された。捜査宮は北林の顔を見て「お前に騎されるとは……」と絶句した。北林は、この時のことが評価され、情報員として用いられるようになったのである。その後も〃ウソの天才〃ぶりを発揮していることはいうまでもない。
 事件は、結局、〃男子総B長クラスの宮本孝史が考案し、首謀者として、検挙された人達を指図してやったこと〃として収束した。(中略)執行猶予判決の後、宮本は、論功行賞として、渉外第二局長らに見込まれ本部職員となり、同局に配置された。』
 
 『事件終了後、文化会館三階の広間(当時)で、池田大作出席の元で、弁護団の労がねぎらわれた。冷汗ものの経験をさせられた弁護士達(私以外は非学会員。その後も入会したという話は聞いていない)から辛口の注意や注文が寄せられた。
 池田大作は、「今後、二度と替え玉はやらせない。約束する」と約束したが、さらに「ただし、戸別訪問は別だ。戸別訪問は外国ではおおむね許されており、真の犯罪行為とはいえない〃形式犯〃だ。庶民の集まりである学会員が、選挙に参加するには、どうしても欠かすことができない。取り締まりの対象とならぬよう、充分注意を徹底しているが、それでも捕まる奴が出る。仕方がないことだ。したがって、戸別訪問事件については今後も出るが、対処をよろしく頼む」と、念を押した。
 創価学会の集団戸別訪問は、池田大作が容認し、積極的に奨励していた、という厳然たる根拠である。これは今も続いている。』

 『この事件の全容について、創価学会は〃デッチ上げだ〃などと言っていたが、全貌を知る竹入義勝氏が、一昨年秋、朝日新聞に連載した〃回顧録〃で事実を認め、自ら、河井次席検事に〃お手柔らかに〃と頭を下げに行ってさんざん文句を言われたことを公表したから、もはや否定のしようがなくなった。その恨みと怒りを、池田大作は、竹入氏に対する個人攻撃に振り替えているのである。』(山崎正友『あの頃のこと』慧妙01年1月16日号)
                           
 #学会員の皆さん、戸別訪問は犯罪です。名誉会長は「それでも捕まる奴が出る。仕方がないことだ」と語っております。自分の身は自分で守りましょう。
[この項、続く]
948 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/05/09(日) 23:25
>>928
隠し資産の話は、宗門じゃないでしょ。

週刊ポスト
創価学会が長銀の金融債を8000億円所有している。
http://www.weeklypost.com/jp/981009jp/news/news_4.html

インターネット行政調査新聞
池田大作名義の個人預金が、スイス銀行に1兆円あって、
ニューヨークに6000億円、ブラジルに4000億円と移された。
同時に、統一教会と生長の家も同時に指摘している。
http://www.gyouseinews.com/storehouse/aug2001/001.html

で、宗門が出所ってのを教えてくれるかな?
949 名前: SGI 投稿日: 2004/05/10(月) 22:17
1つの情報を得ました。

 今夏の参議院選挙後に行われるだろう内閣改造で、坂口大臣に代わって、公明党からは冬柴幹事長が総務省大臣として入閣する、というのです。もっとも冬柴氏本人が総務大臣を望んでいるのであって、小泉首相が現時点で「ウン」と言ったわけではなさそうですが。
 いずれにしろ、公明党としては、坂口大臣と冬柴幹事長の交代をさせ、秋の党大会で太田昭宏・幹事長代行を幹事長に昇格させる意向で、公明党の主張・言い分をある程度聞かないといけない小泉政権ですので、公明党が強く要望すれば実現の可能性は高いと思われます。

 おそらく太田氏の幹事長昇格は次期党代表への布石ですが、この党執行部の意向について、必ずしも学会本部が1つにまとまっていないようです。
 この太田昇格案は、故・野崎勲氏の“置き土産”なのですが、別スレ「学会=公明党は憲法違反」》57 》66 にレスしたように、すでに「過去の人」となっていたため、“置き土産”が名誉会長の指示・支持・承認によるものなのかが判らないからです。

 というのも、太田氏の党代表は既定路線のはずだったのですが、本部中枢幹部の間には「どうも太田は先生に嫌われているらしい」との認識があります(⇒>>690 >>698 参照)。そこで、名誉会長の本心は、太田氏の党代表就任を望んでいない、という受け止め方が1つ。
 かつて学会を代表し名誉会長の意向を受けながら党を仕切っていたのは、間違いなく野崎氏です。野崎氏は神崎代表の指南役でもありました。しかし自公連立政権(小泉内閣)誕生以来、野崎氏は仕切り役からはずされており、直近の名誉会長の真の意向を知らず、“置き土産”自体が「過去のもの」ではないか、との疑念があるのです。

 もう1つは、「ポスト池田(秋谷)」の後継問題が微妙に影を落としているとのことです。
 昭和50年代、野崎―太田コンビで青年部をリードし、太田青年部から「ご学友グループ」世代(⇒>>811 >>825 >>865 >>872 参照)の忍田・正木・谷川へとバトンタッチされていきました。したがって、党が太田執行部ならば、学会執行部は誰が仕切るのかという問題です。
 つまり、このまま「池田-秋谷コンビ」なのか、「原田-西口コンビ」なのか、それとも一気に「ご学友グループ」なのか、が定まっていないため、太田昇格案について決着がつけられないというのです。

 太田昭宏氏は、もう58歳。神崎代表の2歳下です。神崎代表の後を継ぐならば、すでに幹事長に就いていても遅くないはず。なのに、いまだ名誉会長からの明確なご指名がない。名誉会長に嫌われているのか、それとも「ポスト池田(秋谷)」に結論が出ていないのか。どちらにせよ、学会も、党も、早晩「後継問題」に結論を出さざるをえない、といったところでしょうか。
 あるいは、ひょっとして「後継問題」に結論が出ない・出せないのかもしれません。
957 名前: SGI 投稿日: 2004/05/11(火) 23:44
>>949 自己レスの続き

 で、冬柴幹事長が総務大臣ってか。想像するだに怖ろしい。
 総務省のHPには、総務省の役割は「行政組織、公務員制度、地方行財政、選挙、消防防災、情報通信、郵政事業など、国家の基本的仕組みに関わる諸制度、国民の経済・社会活動を支える基本的システムを所管し、国民生活の基盤に広く関わる行政機能を担う省です」とある。戦前の内務省以上の権限を持つ、強大な行政権力機構だ。

 そのトップに、あの冬柴氏が座る。おぞましい…。
 「表現の自由」や「通信の自由」「投票の自由」「生命身体の安全」「私生活の保護」といった、今でも学会組織によって脅かされているかもしれない基本的人権が、さらに圧迫されるかもしれないのだ。
 >>950 犬作さんが、ご紹介されているサイトに記述されているような事を体験した者として思う。もしそんな日が来たとしたら、ネットに書き込むこともままならず、学会批判は地下活動になってしまうかもしれない。やだ、やだ。
958 名前: 七誌 投稿日: 2004/05/12(水) 02:52
創価学会によって基本的人権が脅かされているというのは、
SGIさんの主観が入りすぎでしょう。
主観を語る代わりに事実を挙げてくださればもっと説得力を持ちますけどね。

私には創価学会の力を過信しすぎているように思えてしょうがない。
創価がすこしでも法に触れるようなことをすれば、よだれをたらして
喜び飛びつくグループがうじゃうじゃ居るわけです。
与党に居ようが学会の幹部だろうが、法に触れるようなことをするときには、
こんなことして大丈夫かとビクビクしながら警戒してるはず。
自分たちには敵が多いことを知ってると思うけどねえ・・・。
監視が厳しくてとても好き勝手なことなんか出来ませんよ。
共産党や民主党だけでなく、学会員の監視もあるんだから、
キャバレーにも行けないんじゃないかなあ。
自腹で行くすし屋だって、誰かに贅沢しやがってと言われるんじゃないかと
回りの目を気にしてますよ。
959 名前: 七誌 投稿日: 2004/05/12(水) 02:55
人権が脅かされているのなら、確かな証拠を押さえて法に訴えればよいのです。
例の弁護士が知恵を貸してくださるでしょう。
960 名前: 七誌 投稿日: 2004/05/12(水) 03:11
SGI氏ほどのお方が犬作殿があげたサイトを信じるとは・・・。
このようなサイトを揚げるような奴こそ創価学会を利する行為だと思うね。
だれがそんなストーカーモドキのことをするんだ。
そんな閑な学会員はいませんよ。みんな生活に一杯いっぱいなんだから。
頭のおかしい会員がやるか恐れはあるかもしれないけど、
それを組織的犯行とするのは100%立証できません。

脱会したときには、まあしかしおばちゃん連中の噂話のネタにはなるかもね。
まあそれも1ヶ月かそこらでしょう。信念があればたいしたことじゃない。

学会にダメージを与えようとするならば、
動かしがたい内部情報=経理の情報だろうね。
学会を監査している公認会計士が知っているだろうけどね。
たぶん、SGIさんが期待するような事実は無いと思うよ。
961 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/12(水) 06:05
>>958-960七誌さんへ
。。。学会員の方ですか?
創価学会員が徒党を組んで、脱会者に対して嫌がらせをしているのは事実ですよ。
それは、組織の幹部の支持ではないかも知れませんが、結果的に組織的スト-カ-行為になってしまっているのです。
どんな理由にしる、「脱会者は裏切り者」という気持ちが起きてしまうのでしょう。
それは、幹部の指導や池田大作の指導にも数多あります。
そうすることが、組織防衛の為、最も効果的なのでしょう。
つまり、会員が組織のあり方に疑問を感じても、「罪悪感」が生じ、それを打ち消そうとするからです。
ちょっと前に、日蓮正宗の一寺院が発行している「妙教」という雑誌に、元創価大学山岳部に属していた、三人がリレーで体験発表した記事が掲載されていました。
彼等は、福島元副会長から、創価学会の腐った体質を聞いて、脱会への一つのきっかけにしたのですが、
彼等が脱会を決めたのは、現役学生の時だったのですが、組織から凄まじいスト-カ-行為を受けた実態が、詳しく綴られていました。
彼等は、山岳部に属していただけに、命懸けの体験を共にしたのでしょう。それだけに、他の学生達からは、裏切られたと思われたのでしょう。
「可愛さ余って、憎さ百倍」というのは、何か一つの目標に向かって運動していた経験があればあ、どんな組織でも起こり得るでしょうが、
創価学会の場合、互いの距離が、物理的にも心理的にも近すぎる為、別れる時摩擦が起きるんじゃないでしょうか?
>人権が脅かされているのなら、確かな証拠を押さえて法に訴えればよい
。。。やくざの嫌がらせと同じで、親分(幹部)の関知しない所で起きたとすれば、いくらでも「言い訳」は出来ますよ。
もしも、創価学会員=公明党員が自治大臣という内閣の中でも、重要なポストに就いたら、日本はメッチャクッチャになるのは間違いないでしょう。
創価学会方式の陰険で、こそこそやる体質は、創価学会が過去に行ってきた犯罪記録を見れば明らかだと思いますけど。
「世間がしまったと思った時が、広宣流布」(池田の社長会発言)
を考えれば、国民が公明党議員が自治大臣のポストに就くことに対する不安は、充分に根拠があると思います。


962 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/05/12(水) 07:02


 噂話ですか??

>創価学会員が徒党を組んで、脱会者に対して嫌がらせをしているのは事実ですよ。

 何故泣き寝入りをするのですか?
 訴えるべきでしょう。
 もしそのような事実のに接しっていて、法的措置を取る様に何故勧めないのですか?
 被害者サイドから訴訟等の事実が出てこない以上、以前の香典を持て帰るの類としか思えません。
 被害者はさっさと訴えてください。

963 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/12(水) 09:14
訂正961

もしも、創価学会員=公明党員が自治大臣という内閣の中でも、重要なポストに就いたら、日本はメッチャクッチャになるのは間違いないでしょう。

もしも、創価学会員=公明党員が総務大臣という内閣の中でも、重要なポストに就いたら、日本はメッチャクッチャになるのは間違いないでしょう。
>>962沖浦克治 さん
>被害者はさっさと訴えてください。
。。。別板の書き込みによると、あなたは、池田憤版本を全部燃やしたことがあるそうですね。
すっかり、見直しました!
あなたは、本当は素晴らしい方だったのですね!
そこでなのですが、
池田創価学会の陰湿さは、沖浦克治さんもよくわかっている筈なんですけどね。
彼等は、目的達成の為にはどんなことでもやるのですよ。それも、巧みに。
埼玉桶川事件以来、厳しいスト-カ-規制法が施行されていますが、法の網をくぐるなんて簡単なことですよ。
大幹部で脱会した、ある方などは、地元の会員から逆恨みされて酷い目に遭いました。
例えば、汚物を玄関先にまかれるとか。
ある有名女優(実際に御会いしたのですが)は、自宅に何者かに火をつけられたそうです。
幸い、発見が早かったのですが、心当たりといえば、創価学会員しかなかったとのことでした。
このように、犯罪被害などというのは、現行犯で捕まえる以外に、被害の実態を証明できないのですよ。
創価学会には、「口コミ」指導というのがありますよね?所謂、オフレコです。
このオフレコ指導というものの影響は、決してバカにできないんですよね。
池田が、日顕上人を針金でしばって、トンカチでぶっ叩くなどという物騒なスピーチをした途端、実際にそれを法華講員に対して実行した創価学会員がいたそうですよ。
また、ある幹部は、「退転、反逆者は、虫のように潰すしかない」とか、池田は「退転者を追い詰めて自殺に追い込め!」などと、指導しているそうじゃありませんか。
つくづく、池田創価学会は根本的な部分で、仏教からかけ離れてしまったのですね。
公明党議員が、イラクで善意で働いていたボランティアを「反日分子」とか「自己責任!」とか言って、見捨てようしたのは、奈留程、創価学会員らしいなと思うのです。

964 名前: SGI 投稿日: 2004/05/13(木) 00:39
七誌さんへ。

>>958
>SGIさんの主観が入りすぎでしょう。
―― いえいえ体験です。
>事実を挙げてくださればもっと説得力を持ちますけどね。
―― 具体的に挙げれば氏素性が特定されてしまいますし、また時折、書き込んでもいます。
 それに何も私に関る事実でなくても、基本的人権が脅かされている事実は、ネットでもメディアでも本掲示板でも度々論及されており、充分ご承知のことと存じます。
 まさか七誌さんともあろうお方が、すべて妄想だ・誇張だ・捏造だ・ためにする情報だ、なんてことは言いますまい。
>ビクビクしながら警戒してるはず。
―― 警戒して慎重なことは確かですが、ビクビクはしていないのじゃないかな。
>回りの目を気にしてますよ。
―― うん。周りの目を気にして、それなりのキャバレーや寿司屋に行っております。中枢幹部はキャバレーよりもクラブかな。
 以前、どっかのスレで彼らの“おいしい生活”ぶりを書き込んだ記憶があるのですが、探し出せない。

>>959
>確かな証拠を押さえて法に訴えればよいのです。
―― 犯罪は否かは警察の判断。民事ならば不介入。名誉毀損の場合は挙証責任は訴える側に。そして裁判ともなれば途方もない時間と労力と金がかかる。市井の一般人には不可能に近い。
 経験に基づけば、弁護士に依頼・相談する時から相当苦労するし、訴えたら訴えたで大変な騒動を招く。寝た子を起こす(虎の尾を踏む)感じで、状況はさらに悪化するのです。無法がまかり通る印象を持つのは私だけだろうか。
 それに、仮に犯罪あるいは人権侵害が立証されたとしても「一部の善からぬ会員の仕業だ」ということで、おしまい。
 あるいは「アンタの場合は特別で、普通はそんなことはない」というレアケースに貶めてしまうだけ。
>例の弁護士が知恵を貸してくださるでしょう。
―― そうしたネットワークが築けないから、皆さん、じっと我慢で耐え忍んでいるのでしょう。

965 名前: SGI 投稿日: 2004/05/13(木) 00:40
続き
>>960
>だれがそんなストーカーモドキのことをするんだ。
>そんな閑な学会員はいませんよ。
―― するんだな、これが。
 なにせ「悪を滅するのが善だ」とか「批判者や脱会者を倒すのが正義だ」とか「自殺に追い込め」といったアジテーションを繰り返しているのですから。
 また、本部直結の専門実行部隊が存在しているし、地域には教宣部というセクションもあり、時には他県から訳が分からぬまま動員され人権侵害行為に従事する青年部もいるのです。
>頭のおかしい会員がやるか恐れはあるかもしれないけど、
―― 総じてバリ会員のモラルハザードは目を覆うばかりです。

>おばちゃん連中の噂話のネタにはなるかもね。
―― この口コミによる侵害が最も悪辣深刻なのですよ。地域コミュニティーでの立場や名誉を破壊するのですから。子供たちの“いじめ”と同じ病根なのではないでしょうかね。
>まあそれも1ヶ月かそこらでしょう。
―― はぁ、1ヵ月?呆れてしまうな、このコメントには。
 私の場合は、尾行や盗聴疑惑が断続的に約3年続き、交友関係などの身辺調査は、私だけはなく妻までもが親兄弟や親族・小学校時代の友達まで及び、私の親兄弟は一時監視下に置かれました。
 学会関係者には転居先を知らせていないにもかかわらず、学会時代の友人や知人が訪ねてきたり、差出人不明の投書や無言電話による嫌がらせが続いたり、玄関先に汚物を撒かれたり猫や鼠の屍骸を投げ込まれたりもしました。 

>学会にダメージを与えようとするならば、動かしがたい内部情報=経理の情報だろうね。
―― 学会の“表の経理”は辻褄が合っている、と担当者が語っていました。
 問題は“裏・奥の経理”。でもこれも、ルノアール絵画疑惑や古金庫事件のように、誰かが泥をかぶって幕引き。「単発であれば大丈夫」と本部中枢は踏んでおりましょう。集中して次から次へと暴露され、司直の手が入らない限り、期待できない。
 だからこそ、政権与党でいたいと思うのでしょう。その上で、今度は冬柴幹事長の総務大臣就任で、旧・内務省以上の行政権力を押さえようという魂胆かもしれません。


967 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/05/13(木) 05:20


>別板の書き込みによると、あなたは、池田憤版本を全部燃やしたことがあるそうですね。

 燃やしませんよ。
 処分をしましたがね。
 後悔しております。

968 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/13(木) 06:55
<<967沖浦克治さん
>後悔しております。
。。。
何で?
ところで、
池田先生と国会議員の関係って、何だと思います?
やはり、師匠と弟子でしょう。
でも、池田先生って、創価学会内部では、「友達」っているんですかね?
いないんじゃないでしょうか?
かねこ夫人は?
夫婦の間でも、やっぱり師弟の関係なんでしょうね。
私が幼かった頃、かねこ夫人は、「モンペ」をはいて、廊下に寝ていると聞きました。
師匠の自分の夫の身に万が一の事態が出来しても、いつでも対応できるようにする為だそうです。
でも実際は、かねこ夫人の居ない時と場所で、池田先生は、他の女性と「いちゃついて」いたのですから、気の毒ですよね。(月刊ペン事件裁判に於ける原島証言)
竹入公明党元委員長にしても、委員長時代は、「雇われ」的で、決して対等の人間関係ではなかったみたいですね。
今は反逆している大橋元衆議院議員にしても、現役時代は、池田先生との関係は師弟だったのでしょう。
こういう宗教的関係を政治という世俗の世界に持ってくるのは、危険だと想うんですけどね。
要するに、池田大作っていう人は、公私とかを区別できない、親の成育に問題のある人格破綻者に過ぎないと思うんですけど。

969 名前: 七誌 投稿日: 2004/05/13(木) 11:53
>>965
>>無言電話による嫌がらせが続いたり、
>>玄関先に汚物を撒かれたり猫や鼠の屍骸を投げ込まれたりもしました。

ホンマですか。こういう人間の精神構造が分からんなあ。
猫やねずみの死骸を投げるなんてのは、金をもらってもやだね。
大体どうやってそれを手に入れるかもわからんち。
そのような基地外を取り締まれないとは、警察って何なんでしょう。
SGIさんが話を作るとは思えないので、これは事実として受け止めましょう。
また、学会の不正経理を暴けないとしたら、日本の国税庁や検察やマスコミは
何なんでしょう。角栄ですらあげられたのです。学会の力はそれよりも
強いのか。そうは思わんけどなあ。

970 名前: 七誌 投稿日: 2004/05/13(木) 12:04
>>965
「自殺に追い込め」といったアジテーションを繰り返しているのですから。

これホンマですかあ。私は聞いたことありまへんでえ。
教宣部の会合には言ったことがあります。
驚いたのは脱会したメンバーの名前はオープンにしないのです。
なぜかというと、名前がおおっぴらになるとその脱会者に
会員が迷惑を及ぼす恐れがあるからということです。
つまりなぜ脱会したのかとか、しつこく話すような会員が居ることを
想定しているのです。
そのくらい脱会者とのコンタクトには気を使っております。
これは私の地域だけなんだろうか。

971 名前: 七誌 投稿日: 2004/05/13(木) 12:13
>>964
>>それに何も私に関る事実でなくても、基本的人権が脅かされている事実は、
>>ネットでもメディアでも本掲示板でも度々論及されており、
>>充分ご承知のことと存じます。

勉強不足であまり存じ上げておりません。ネットの書き込みは基本的に
信じておりません。事実の確認の仕様無いからです。ですから、SGIさんのように
1年半くらいの書き込みを読んで、信頼を抱いた方の言葉は事実確認は出来ませんが
信じますよ。
しかし、司法の手を借りることが出来ないというのは、暗黒世界ですね。
小説の世界のように思えます。

972 名前: SGI 投稿日: 2004/05/14(金) 00:19
七誌さん、レスありがとうございます。

>>969
>ホンマですか。こういう人間の精神構造が分からんなあ。
―― ほんまです。ほんま、判りまへんな。狂っておりますがな。
>猫やねずみの死骸を投げるなんてのは、金をもらってもやだね。大体どうやってそれを手に入れるかもわからんち。
―― 猫は1回だけ。おそらく車に轢かれたものだったと思う。
 ネズミは4~5回かな。毛が粘着のりでベトベトだったから、「ゴキブリホイホイ」みたいなもので捕まえたのではなかろうか。
>そのような基地外を取り締まれないとは、警察って何なんでしょう。
―― 警察にも何回か足を運びましたが、犯人の捜査はしないですね。せいぜいパトロールの強化を約束してくれる程度でした。でも、署での応対では、学会・公明党と警察の関係をうかがい知れて、不愉快な思いもしたけど、参考にもなった。
>SGIさんが話を作るとは思えないので、これは事実として受け止めましょう。
―― ありがとうございます。
>学会の力はそれよりも強いのか。そうは思わんけどなあ。
―― 権力が“その気”なれば、学会とて安泰ではいられまい。だからこそ、政権与党に組し、かつ権力のコントロール側に座そうとし、また足元がすくわれないよう、あらゆるところに“気配り”をしているのでしょう。

973 名前: SGI 投稿日: 2004/05/14(金) 00:20

>>970
≫「自殺に追い込め」
>これホンマですかあ。私は聞いたことありまへんでえ。
―― そうですか。実は私も『慧妙』やネットの情報ですので不確実なのですが、
 それでも学会関係者からは「確かにそういう発言はあった。けど、いつものスピーチ途中の脱線部分での受け狙いなのだから、誰も本気で受け止めていない」との返事をもらったことがあります。

>脱会したメンバーの名前はオープンにしないのです。
>その脱会者に会員が迷惑を及ぼす恐れがあるからということです。
―― というより、会員が脱会者とコンタクトし、脱会することを予防しているのではないかと推察します。
 学会の在り様に疑問や不満、憤りや諦めを抱いている人は数知れずいます。どんどん活動家が減っているのが現状ではないでしょうか。学会組織は“本当の事”を知られるのが困るのです。本部の統治方針は「依らむべし・知らしべからず」が基本なのですから。

>>971
>司法の手を借りることが出来ないというのは、暗黒世界ですね。小説の世界のように思えます。
―― そうですね、まさに五濁悪世なのでしょう。
 「事実は小説よりも奇なり」とも申します。今このスレで「言論出版問題」を考証しておりますが、事実は、小説(人間革命)よりはるかに凄まじいものです。当時より状況は悪くなっており、学会はG・オーウェルが描く世界そのものだと感じております。

 その世界が、学会・公明党勢力が政権与党として管理する側に回ることで、社会の多方面に広がり影響を及ぼしていることを危惧するのです。そんなところに「次の内閣改造で冬柴幹事長が総務大臣を望んでいる」との情報に接し、戦慄感さえ覚えました。
 個人的な印象なのですが、もともと冬柴幹事長はどうも好かんのです。今回の年金問題で、冬柴幹事長も未納期間を認めましたので、大臣就任は難しくなったかもしれませんが、それでも公明党が政権に組している事実は、過去の「言論問題」等の事跡から鑑みても、大いに憂うべきことだと思います。

974 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/05/14(金) 02:05
SGI殿は文体が恐ろしく変わりますな。本当は3人くらいで書いているんじゃないの。
だいたい、SGIなんていうハンドルネームが怪しい。
S-鈴木(仮名)
G-後藤(仮名)
I-石井(仮名)
とかいって、3人の頭文字だったりして。
3人のうちの一人はまじめそうな人だけどね。

975 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/14(金) 03:04
>>974
>GI殿は文体が恐ろしく変わりますな。
。。。
下衆の勘繰りっていうのだとおもいますね。

976 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/14(金) 06:29


>>961訂正
>それは、組織の幹部の支持ではないかも知れませんが、結果的に組織的スト-カ-行為になってしまっているのです。



それは、組織の幹部の指示ではないかも知れませんが、結果的に組織的スト-カ-行為になってしまっているのです。
977 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/14(金) 07:42
>>973SGIさん
>今回の年金問題で、冬柴幹事長も未納期間を認めましたので、大臣就任は難しくなったかもしれません
。。。
池田先生は年金をちゃんと払ってるのでしょうか?
もし、これで払っていなかったとしたら、面白いことになると思うのですが。。。
979 名前: SGI 投稿日: 2004/05/16(日) 01:35
>>977 yurikoさんへ。
 さあ、どうでしょうか。これは個人情報ですからね。こうなれば、自己責任において公表されるのではないでしょうかね。(前・福田官房長官の談話風)

 本部職員等は厚生年金ですから、名誉会長の会長座任中は、会長職の給与から天引きされていたと想像しますが、会長退任後は、学会からはスピーチの講演料や原稿料といった名目で報酬が支払われていると聞いたことがありますので、源泉所得税は控除されていても、社会保険料については個人(国民年金)での納付となるのではないでしょうか。
 どうも年金制度自体がよくわからないので、お答えようがないのです。ごめんなさい。
980 名前: SGI 投稿日: 2004/05/16(日) 01:37
<言論出版問題⑰>[>>938-947 の続き]

◆昭和44(1969)年 
 ○03/ 『公明党の素顔』のゲラ上がる。大手取次店、同書の委託販売を拒否。
 エール出版社に北条浩、竜年光(公明都議)、山崎尚見(学会渉外局長)が訪れ、出版の取り止めや内容の変更を求めた外、「これまでにかかった諸経費はすべて面倒を見る」「出せば必ず売れる創価学会の本をお宅にお願いするから」などの申し入れをする。
 内藤、信濃町のレストランで北条浩・山崎尚見と面談。さらに数日後に内藤、有楽町の中華レストランで竹入委員長と面談。竹入、入手ルートを明かさぬまま『公明党の素顔』ゲラを取りだし、「池田大作会長の批判だけは許せない。断固戦う。池田会長の出てくるところは全部削ってほしい」と申し入れる。内藤、これを拒否する。(吉良陽一『実録 創価学会=七つの大罪』)

 ○04/ 民社研機関誌『改革者』編集長・遠藤欣之助、創価学会の『民労』結成構想に対する批判記事を『経済往来』に執筆。
 学会がこれに反論したので、遠藤、再批判をまとめるが、組版段階で同誌スポンサー筋の銀行頭取から圧力がかかり、発表を断念する。(吉良陽一『実録 創価学会=七つの大罪』)

 ○04/初め エール出版社、内藤国夫の『公明党の素顔』を出版。新聞による書籍広告は『朝日』『毎日』の他は出来ず。
 内藤、呼び出され笹川良一事務所へ行く。笹川、「私は前に公明党に借りがあるので、この際、その借りを返したい。そのためにあなたの本を全部買い取りたい」と申し入れるが、内藤これを拒否。笹川、エール出版社に一括買い上げを申し入れるが拒否され、複数の書店から約9000冊を購入。(吉良陽一『実録 創価学会=七つの大罪』)

 ○08/下旬 藤原弘達氏(※明治大学法学部教授)が「この日本をどうする」という警世キャンペーンシリーズの第1巻として『日本教育改造法案』を出版。東京、大阪、名古屋、札幌、福岡などで出した車内広告の片隅に、次回作『創価学会を斬る』の出版を予告する。

 #いよいよ『創価学会を斬る』が登場。車内広告は、藤原弘達氏の“仕掛け”?

 ■藤原弘達『角栄、もういいかげんにせんかい』(講談社刊)から
 (内藤国夫、植村左内、隈部洋らが出版の妨害を受けていたので)こうした創価学会・公明党の言論弾圧を目のあたりにするにおよんで、私のこの種の圧力に対する反抗心は、いやがうえにも盛り上がらざるを得なかった。(中略)
 戦中派の私としては、いいたいことも満足にいえない時代に多感な青年時代を送り、戦後になってやっと自由の世になったと思っていたところに、こうした言論に対する暴力的ともいえる抑圧である。人間としての自由まで束縛されるとあっては、黙って引っ込む気にはなれなかった。
 「これは、信条の自己確認であり、生き甲斐の実践だ。こうなったら、徹底的に闘ってやるぞ」
 私は創価学会・公明党の内蔵する諸問題を指摘すること以上に、人間の権利を確保するための闘いとしての認識を強めていったのである。

 (中略)最大にして唯一の問題は、この本をどうやって出版するかということだった。
 懇意にしていた書店、出版社主のだれにもちかけても、「おやめなさい、身辺が危ないですよ」という返答が返ってくるばかり。ある古書店主などは、「先生のその本が出たら、神田の街を逆立ちして歩いてみせる」とさえ、冗談めかしていったものである。
 そこで、いろいろ検討した結果、創価学会の息のまったくかかっていない小さな出版社を選ぶことが肝要だった。そして、発刊まで秘密を守ることができ、学会から圧力をかけられた場合、それに屈することなく最後まで頑張ることができるかどうかが、第一の選定基準であった。
 そこで登場してきたのが、日新報道という小出版社である。

[この項、続く]
981 名前: SGI 投稿日: 2004/05/16(日) 01:38
<言論出版問題⑱>[>>980 の続き]

 (中略)私は綿祓社長に、「この本は活字になっても出版されない危険がある。それでもいいか」ときくと、「いい」という。「資金はあるか」とたずねると、「五百万円ぐらいはある」という。「それが全部なくなってもよいか」と念を押すと、「けっこうです」と答える。
 私も最終的には自費出版も覚悟しなければならないと思い、二千万円ほどを用意した。「やるべきときにやるのが男だ」と、いささか悲壮な覚悟を決めた。執筆上の助手としてもうひとり、明治大学での直系「弟子」の富田信男(現・明治大学教授)を加える。

 そして、私と富田、日新報道側の三人だけで、秘密裏にことを運ぶことにし、社内にさえカンコウ令を布いた。そして、11月初旬の刊行を目ざしてスタートしたのが、7月のことであった。「この日本をどうする」というシリーズの第一巻を『日本教育改造案』とし、『創価学会を斬る』はあえて第二巻におさめることにしたのは、内藤国夫、植村左内、隈部洋らが出版の妨害を受けていたので、もしそういうことがありうるとすれば、私にはどのような形でくるであろうか、第一巻で事前の偵察をしてみたいと思ったからだ。
 第一巻『日本教育改造案』の車内広告を、東京、大阪、名古屋、札幌等の大都市で出し、その片隅に、ごくごく小さく、第二巻『創価学会を斬る』の予告を出したのが、44年8月末のことであった。


 #これに対して創価学会・公明党は、池田大作会長(当時)の指示のもと、『創価学会を斬る』の出版妨害に着手。広告直後から、藤原氏宅の電話がジャンジャン鳴り出す。これは内藤氏の場合と同じ。

 ○08/末 『朝早く北条さんから自宅へ電話をもらい、私は学会本部で池田から1つの仕事を命じられた。(中略)(北条・秋谷同席で、池田大作は)「政治評論家の藤原弘達が学会批判の本を出そうとしている。選挙前にこんな本が出るのは邪魔だ」「藤原君は、彼と面識があっただろう。すぐに相手と話をつけて、余計な雑音を押さえろ」池田はいつもこの調子だった』(藤原行正=元創価学会渉外局長『池田大作の素顔』89年4月発行 112頁)

 ○08/31 池田の命を受けた藤原行正氏は、著者の藤原弘達氏宅を訪ね、①出版の中止、②題名の変更、③出版時期の延期、④原稿の閲覧、⑤池田会長を扱わない…等の措置を求める。弘達氏、これを拒否。

 ■藤原弘達『角栄、もういいかげんにせんかい』(講談社刊)から
 私はきっぱりといった。
 「君は憲法が保障している言論・出版の自由の項目を知らないのか。君のいうことは明らかに圧力ではないか。公明党は憲法擁護をうたっているようだが、こんな憲法を踏みにじるようなことをして、なにが憲法擁護だ。そんなことをきくような俺だと思っているのか」
 執拗なまでによくねばった藤原都議だったが、これには返す言葉もなかったようだ。これまで学会批判の記事や論文がほとんどなかったのは、おそらく、たいていの執筆者が執拗な圧力にうんざりして、〃自己規制〃を強いられたのであろう。

 たとえば、『週刊文春』昭和45年(1970)1月12.19日合併号の「各界五十氏、創価学会への直言」をみると、約四割の人たちが発言を断わっているというほどだ。その冒頭にコメントを拒否した高名な作家なるものの発言を載せてあるので、ちょっと引用しておこう。
 「〃直言〃だって? イヤだ。イヤだ。公明党はイヤなんだ。批判したら、また投書と電話で波状攻撃をされちゃたまらんもの。二、三回やられてるんだ。向こうは多数だが、こちらはひとり。やりきれませんよ。僕はなにもいいませんよ。大体そういう不愉快な目に合わせる宗教と政党に、僕がいい感じをもっているはずがないでしょう。発言するとなると、どうしても悪口になっちゃう。そうなると、また学会会員たちの波状攻撃だ。なにしろ、モノいえぼ唇さむし、一銭のトクにもならないぼかりか、実害があるんだから……」

 ○09/04 藤原行正氏、出版社の日新報道にも出版中止を掛け合うが、これも不調(於・キャピタル東急ホテル)。
 ○09/14 今度は秋谷栄之助・聖教新聞主幹と藤原行正氏が、藤原弘達氏の自宅を訪問。1時間45分に及ぶ交渉だったが、やはり不調に終わる(この時の会談の内容は藤原弘達氏によって録音され、後に公表されることとなる)。
 ○09/19 再び日新報道側をホテル・オークラに呼び出し、前回同様の要求を繰り返す。今度は「藤原弘達の本を出すなら、あらかじめ原稿を見せて欲しい。また、出さないという事になったら、代わりに学会・公明党で、より有利な儲かる仕事を依頼し、決して損のないようにする」ことを強調。つまり、事前検閲の要求と利益誘導である。

[この項、続く]
984 名前: SGI 投稿日: 2004/05/16(日) 16:50
<言論出版問題⑲>[>>981 の続き]

■藤原行正著『池田大作の素顔』(講談社刊)から(P112)
 44年8月末、朝早く北条さんから自宅へ電話をもらい、私は学会本部で池田から一つの仕事を命じられた。「池田先生があんたに話がある。本部に顔を出してくれ」 その時、本部の応接間には北条、秋谷の両人が同席していた。
 「政治評論家の藤原弘達が学会批判の本を出そうとしている。選挙前にこんな本が出るのは邪魔だ」
 「藤原君は彼と面識があっただろう。すぐに相手と話をつけて、余計な雑音を押さえろ」
 池田はいつもこの調子だった。要するに同じ時期、出版予告の出ていた学会批判書『創価学会を斬る』の筆者、出版元に談判して出版を中止させろというのが池田の指示であった。(中略)

 実はその年の6月頃から学会内部では『創価学会を斬る』の情報をキャッチしていた。それが8月末になって、同書の出版予告が車中ポスターで掲載される事態となった。池田が私を呼んだのはその直前だったわけである。

 #藤原弘達氏が「私と富田、日新報道側の三人だけで、秘密裏にことを運ぶことにし、社内にさえカンコウ令を布いた」(>>981)にもかかわらず、学会側はすでに6月頃には出版情報を入手していたという。学会の諜報能力の高さを示す。

■藤原行正著『池田大作の素顔』から(P115)
 この初回訪問の時、私は弘達氏への五つの依頼項目を用意していた。(中略)
 これは私の独創というより、当時の創価学会が外部からの批判封じの一策として、対外的な交渉の場でよく使った一つのパターンなのである。相手の様子を見ながらこちらの要求を一つずつ順に小出しにしていくわけで、Aが駄目ならB、Bが駄目ならCといった具合。かなりネチっこい交渉方法だから相手にとっては迷惑この上なかっただろう。

 迷惑といえば、このころの学会のやったイヤガラセ戦術は凄まじかった。学会の攻撃目標となった相手は「人海戦術」による散々な被害を覚悟せざるを得なかった。
 この昭和44年の言論妨害時には組織内に言論部という部門があり、学会批判者などへひどいイヤガラセをする担当者まで準備されていた。全国の各地域から一定の役職以上の婦人部幹部、あるいは筆の立つ一般学会員を抜擢して言論部員に任命しておき、何か問題が生じるたびに各地の創価学会会館などへ召集をかけるのだ。
 なにしろ七百万世帯を数える巨大集団だから、その言論部員は五人や十人ではない。本部から指示が出るたびに各地の部員たちは葉書を持ち寄り、多い場所では一ヵ所百人、百五十人単位で集まった。

 現場の一室では言論部担当の学会幹部から部員一人ひとりに具体的なテーマ、宛先までがふり分けられる。それぞれがせっせとイヤガラセの手紙や投書を書き、その場で書き上げるまで帰宅させない。
 これを全国数十カ所、数百カ所の各支部、各会館でいっせいにやるわけだから、標的にされた相手はたまらない。文字どおり、イヤガラセの手紙が洪水のように流れこんでくることになる。

 たとえばこの出版妨害事件の際、学会側から相手の弘達氏の自宅に投げ込まれたイヤガラセの投書類は優にミカン箱十箱分はあったろう。
 この投書作戦のほかに電話作戦も強烈だった。やはり本部が学会員を総動員して、学会批判をやったテレビ局やラジオ局、雑誌編集部をめがけどんどん電話をかけさせた。個人宅にも「家に火をつけるゾ」「夜道に気をつけろ」といった脅迫電話が殺到したり、散々なイヤガラセ戦術が展開されたものである。

 投書作戦も電話作戦も池田お得意のやり方だった。「私の言葉は学会の憲法だ」とウソぶいた池田三代会長の号令一下、選ばれた言論部員をはじめ学会員たちは池田の言葉を疑いもせず「悪者」に向けて熱心に攻撃をしかけた。その姿は世間の目には一種の狂信集団と映っただろうが、学会員個々はむしろ熱心な信者たちであり、その宗教心を池田が巧みに操っていた。

 学会の裏側を知らされず、池田大作の打つ手はすべて順風満帆と一般学会員は頭から信じきっていた。しかもその前年にキモを冷やした「集団替え玉投票事件」(>>946-947)をうまくモミ消せたことが池田大作をさらにのぼせあがらせていた。
 図に乗った指導者のもとで、学会全体が世間をナメていたといえる。言論出版妨害事件はその延長上に起こるべくして起こった象徴的な出来事であった。

 #我が家は拠点だった。あの頃、大人達がせっせと投書作りしていたのを思い出す。大量の葉書を見て、懸賞への応募だと思い「当るといいね」と言ったら、集まっていた大人たちに笑われたこともある。

[この項、続く]
985 名前: SGI 投稿日: 2004/05/16(日) 16:51
<言論出版問題⑳>[>>984 の続き]

■藤原行正著『池田大作の素顔』から(P120)
 ところが、弘達氏は急に「いいよ、じや会おう」と折れ、急転直下、翌14日の再訪を約束する事態となった。
 あとから考えれば、氏が態度を変えたのはこちらへの譲歩ではなく、しつこい相手に一杯食わせてやろうとの魂胆だったようである。もう一度会って、その会話をテープに取って動かぬ証拠とし、横暴きわまる創価学会の圧力を世間に公表してやる。弘達氏の頭にその考えが浮かんだのは、おそらく私との電話中だったと推察する。

 その日、私は再び本部へ向かい、弘達氏との約束の一件を池田へ直接報告した。「今度は秋谷も一緒に行け」 池田は同席していた秋谷にそう命じた。秋谷は翌日、名古屋出張の仕事があるとかで、「名古屋の帰りに相手の家に寄りますから、藤原さん一人で先に行ってください」と、私へいった。
 のちに弘達氏と私、そして秋谷の“密談”が録音された実物テープの存在が公表された際も「藤原さん、悪いけど表へ出てくださいよ」と、要領よく逃げを打ったが、最初から彼は池田に命じられたので仕方なく同行するといった表情であった。
 前日にそんないきさつがあり、9月14日、藤原弘達宅訪問はまず私が先着した。30分ほど遅れて秋谷もやってきた。

 この時の約1時間40分におよぶ三者の会話内容が弘達氏の準備した隠しマイクで録音され、「創価学会による言論妨害の動かぬ証拠」となる。
 しかし、この「極秘テープ」が誌上公開によって世間へ知れわたったのは問題の三者会談からすでに6ヵ月が経過した時期だった。それはなぜか。創価学会の言論弾圧自体はのちに国会で各党の憲法論議まで呼び、世の耳目を集めたほどの重大事件だったが、そのテープそのものはそう衝撃的な内容ではなかったからである。

 #著者や出版社への“圧力”が功を奏さないため、次に取次会社や書店に“圧力”をかけることに…。

◆昭和44(1969)年 
 ○09/ 「池田大作は、後にリクルート事件で有名になる池田克也(当時は潮出版社勤務)に命じ、大手書籍取次店や大手書店に圧力をかけさせる。

 創価学会に批判的な報道に抗議することを主たる任務とする全国各地の言論部員に、藤原弘達氏と日新報道に対して激しい抗議を行わせたため、藤原弘達氏の自宅や日新報道には、「ぶっ殺すぞ」とか「地獄に堕ちる」といった脅迫まがいの電話や手紙が、連日、殺到。抗議の葉書や手紙の量は段ボール箱数箱分にのぼるまでになった。

 さらには書籍の取次会社に圧力をかけ、『創価学会を斬る』を市場に流通させないよう工作するとともに、聖教新聞の社員や外郭企業の潮出版社の社員を動員して書店に『創価学会を斬る』を置かないよう圧力をかけたのだった。」(『慧妙』03年7月16日付)

■藤原行正著『池田大作の素顔』から(P123)
 最初は私と秋谷を鉄砲玉に使っておきながら、池田は下手な手を打っていた。私たちの動きとは別に学会系の潮出版社など出版関係、雑誌関係の幹部たちを動員して、「おまえらも全力を挙げてあの本の出版を潰せ」と命じてしまっていたのである。
 そこで当時の潮出版社幹部だった池田克也(現衆議院議員)らが大手取次店各社、大手書店などに手を回していた。もし新刊書の『創価学会を斬る』を取り扱うなら学会系の潮出版社の刊行物をすべて引き上げることもありうるゾ。そんな脅迫めいた裏工作が九月中旬から連日展開されていた。

[この項、続く]
986 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/16(日) 22:52
>>985SGIさん
>創価学会に批判的な報道に抗議することを主たる任務とする全国各地の言論部員。。。。。

今から、10年以上前のこと。
アメリカ全国放送のシンジケート系テレビ番組で、「ソーカガッカイ」が放送されたんですよ。
内容は創価学会の本質を暴く、客観的なものでした。
主に、創価学会がカルトたる所以は、「異常に強いピアプレッシャーによって、一端入会するや、人間関係による心理的圧力によって、人心操作をする所にある」としてました。
更に「脱会者による反ソーカガッカイ」→STOP THE NSA(SOKAGAKKAI)の活動を報告していました。
数日後のワールドトリビューン(米国版聖教新聞)では、同番組に対する批判記事が載り、その中で、公然と、SGIN(当時はSA)のメンバーは、じゃんじゃん同番組を放送した地方局に抗議のファックスを送りつけましょう!と煽っていました。
これは、違法行為とまでいわなくとも、反社会的行為と言えると思う。
それにしても、SGIは、今や187国に拡大したと、創価学会員は浮かれているが、全世界にその臭い息をまき散らすことになったとは、zpっとするのである。
あの、「STOP THE NSA]はどうなったのか興味はある。
987 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/16(日) 23:00
訂正>>986

全世界にその臭い息をまき散らすことになったとは、zpっとするのである。

全世界にその臭い息をまき散らすことになったとは、ぞっとするのである。
988 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/16(日) 23:01
訂正>>986

全世界にその臭い息をまき散らすことになったとは、zpっとするのである。

全世界にその臭い息をまき散らすことになったとは、ぞっとするのである。
989 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/17(月) 12:23
>>986
>テレビ番組の名前は、インサイドエィデション(INSIDEEDITION)
990 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/17(月) 22:02
訂正>>989

テレビ番組の名前は、インサイドエィデション(INSIDEEDITION)

テレビ番組の名前は、インサイドエディション(INSIDEEDITION)
991 名前: SGI 投稿日: 2004/05/17(月) 23:20
>>986 yurikoはん
そうですか。学会SGIは米国でもやっているのですか。
となると、欧州でもやっているのかもしれませんね。
であれば、フランスでのSGIがカルト認定は、
やはり当然のことだ、となりますな。
992 名前: SGI 投稿日: 2004/05/17(月) 23:21
<言論出版問題・21>[>>984-985 の続き]

◆昭和44(1969)年 
 ○09/ 
■本部職員・岩崎文彦氏の証言
 私は、業務命令で書店に行かされました。たしか全員で19名だったと思います。本が店頭に並ぶ少し前に、各部門から選抜されたメンバーが急遽、集められました。聖教新聞社の広告局、業務局(新聞販売部門)、出版局(書籍販売部門)、潮出版社からも来ていました。場所は聖教旧館の隣にあった業務局が入っていた建物の2階仏間で、私は出版局からの選抜です。責任者は出版総局長だった横松昭、出版局次長だった青柳清が現場の指揮をとっていました。
 そこで聞かされたのは、こんな話です。「藤原弘達が『創価学会を斬る』という本を出す。創価学会を批判するとんでもない本だ。書店を回ってそれを押さえろ」。書店での口上も指示されました。「この本を、ここにある棚から中にしまってください。そうしてもらえなければ、『人間革命』などの扱いをしません」。『人間革命』は書店にとって売れ筋の本でしたから、十分圧力になると考えたのでしょう。そして最終的には、「創価学会を敵に回すのか」と。そこまで圧力をかけろといわれたんです。
 青柳のもとで書店を地域別に分けて担当する区を決め、行動開始です。青柳が北條さんから「お前が中心でやれ」と命令されたと聞きました。期間は1ヵ月前後だったと記憶しています。(岩崎文彦・昭和43年聖教新聞入社。聖教新聞社出版局、広告局、業務局等を経て、同55年退職。/『フォーラム21』03年7月1日号)

■日新報道・遠藤留治社長インタビュー
 「この日本をどうする」第1巻の『日本教育改造法案』を昭和44年8月に出版した際、国鉄(現JR)、私鉄の各線に中吊り広告を出したんですが、その広告の左端に、次作として『創価学会を斬る』の出版予告を載せたんです。抗議電話が始まったのは、この出版予告を出した直後からでした。
 会社にいると電話がジャンジャンかかってくる。それは『日本教育改造法案』についての問い合わせ電話ではなく、ほとんどすべてが『創価学会を斬る』についてのものでした。「いったいどういう内容なんだ」「いつ出版するんだ」という探りの電話から、「出版をやめろ」とか「ぶっ殺すぞ」「地獄に堕(お)ちるぞ」という脅迫電話まで、ひっきりなしでした。もちろん名前は名乗りません。一方的に怒鳴りまくった上で電話を切る、というパターンが延々と続きました。

 また、この抗議電話とともに、舞い込んだのが抗議の葉書や手紙でした。段ボール何箱分に
  • 法介
  • URL
  • 2016/10/29 (Sat) 19:51:04
 
Re: 2003年の投稿記事
くもの凄い数でした。
 (藤原弘達氏宅に対しても)それはひどいものでした。やはり段ボール箱で何箱にものぼったんじゃないでしょうか。電話での脅迫もひどいものでしたので、警察がそれとなく藤原弘達氏のお子さんなど家族の警備をしたほどでした。
 ですから藤原弘達氏は身の安全を図るため、都内のホテルを転々として『創価学会を斬る』の執筆を続け、私たちも移動しながら編集作業を続ける有り様でした。なお、この抗議電話や葉書は出版後もますますエスカレートし、内容もひどいものでした。

 日販、東販という大手書籍流通会社をはじめ、のきなみ拒否です。「取り扱えない」というので、「なぜだ」「どうして」と理由を聞くと、誤魔化していましたが、そっと創価学会の圧力であることを教えてくれる業者もありました。結局、書籍の配本契約を結んでいた11社のうち、初版の配本を請け負ってくれたのは栗田書店1社だけという悲惨な状況でした。(中略)

 藤原弘達氏が創価学会・公明党による言論出版妨害の事実を明らかにする以前、私も『朝日新聞』や『読売新聞』など、全国紙の記者や編集幹部に会って、創価学会・公明党がこんなひどいことをしていると事実を説明しました。ところが、彼らはこの問題を全く扱おうとはせず、政治問題化してから初めて扱うようになったんです。このマスコミの怠慢には本当に失望し、怒りを覚えました。
 今日も、創価学会の莫大な広告費や『聖教新聞』の印刷費、購読部数、視聴率などの前に、新聞・テレビなどの巨大メディアは屈し、創価学会問題を積極的に報じようとはしませんが、当時から彼らは、勇気とジャーナリズム精神を喪失していた、と言わざるをえません。(『フォーラム21』03年7月1日号)

[この項、続く]
993 名前: SGI 投稿日: 2004/05/17(月) 23:23
<言論出版問題・22>[>>992 の続き]

◆昭和44(1969)年
 ○09/ 藤原弘達、前述(>>981 >>985 参照)の録音テープの存在をマスコミに流す。

■藤原行正著『池田大作の素顔』から(P122)
 藤原弘達氏がテープの存在だけを天下に公表したことで、池田大作は「大変なことになった」と血相を変えた。
 下手をすると創価学会の最高責任者として自分が社会的糾弾の矢面に立たされる。池田はまずその不安に怯え、「おい、大丈夫か!」 オロオロした声をあげた。持ち前の厚顔としたたかさで学会内部にニセの「池田神話」を広め、超ワンマンぶりを発揮しながら、一歩世間へ引っ張り出されると臆病そのものという地がモロに出た。

 一方、相手の藤原弘達氏はなかなかのクセ者だった。氏は最初から池田に攻撃のターゲットを絞っていたらしく、実に巧みにテープを武器に使った。テープの存在を匂わせながら実物をなかなか見せないのである。
 直接の当事者だった私は内心で苦笑する思いだった。問題のテープが公表されるまでその内容を知っているのは相手の弘達氏と私、秋谷の三人だけだったが、言論弾圧だ、と大騒ぎされるほどの言葉を口にした覚えはないし、むしろ遠回しで温和な発言に終始したという確信さえあった。

 そのことを池田に伝えていた。私の言葉を信用していれば話は簡単だった。この段階で、当事者の私なり秋谷なりが正式に謝罪し責任を明らかにすれば、学会組織まで累が及ぶことはなかっただろう。
 実はテープの一件が暴露された直後、学会上層部で善後策を協議した。北条、秋谷、私の三人に竹入と矢野なども加わり、その場で「謝罪すべし」という一つの結論が出ていた。
 この時は私もハラを決めていた。テープをとられた一件は自分のミスだ。私が頭を下げ、学会側の要求を撤回した上で都議を辞任する。要するに学会側に言論妨害の意図は一切なく、私の独断でただお願いに上がっただけという事態収拾案だった。諸般の情勢からそんな形で当事者が早目に社全的責任を明らかにするのがもっとも妥当な解決策ではないか。最高幹部の間ではその方向で意見の一致をみていたのである。(中略) 

 もっとも、この最高幹部間の取り決めは池田の勝手な先走りでご破算となった。(中略)
 そして、テープの一件が暴露されたのは池田がこの指示(取次店や書店への圧力 >>981 )を出した直後であった。池田一人が悪あがきを繰り返し、キズはどんどん深まっていったのである。(略)問題はすでにテープだけではなかった。いずれ取次店や書店への学会の圧力まで暴露されるかもしれない。池田は気を揉み、心配のあまり一種のパニック状態に陥っていた。

 #「学会内部にニセの「池田神話」を広め、超ワンマンぶりを発揮しながら、一歩世間へ引っ張り出されると臆病そのものという地がモロに出た」。これが、池田大作という男の正体。
 まさに『佐渡御書』の「おごる者は必ず強敵に値いておそるる心出来するなり。例せば修羅のおごり、帝釈にせめられて。無熱池の蓮の中に小身となって隠れしが如し」だ。

◆昭和44(1969)年
 ○10/ 対応に窮(きゅう)した池田大作は、竹入義勝を通じて、当時の自民党幹事長・田中角栄にもみ消しを依頼する。「創価学会批判の本が出るというので、私が田中さんに頼んで仲介に動いてもらった」(竹入義勝『朝日新聞』98年8月26日付)

■原島嵩著『池田大作・創価学会の真実』(日新報道刊)から(P108)
 池田会長に対する批判は絶対に許さないという風潮が学会内にありましたので、藤原行正氏も「池田会長の批判だけはやめてほしい」と要求したのです。池田の無謬性、絶対性は、創価学会の生命線だからです。この池田批判を許さないという体質は、今も続いております。
 藤原弘達氏は、この申し入れを突っぱねました。そのため、当時、公明党の委員長であった竹入義勝氏が、池田の意向のもとに、当時自民党幹事長であった田中角栄氏に依頼したのです。

 #ついに田中角栄の登場――。
 内藤国夫著『公明党の素顔』の場合は笹川良一氏が(>>942 >>980 参照)、植村左内著『これが創価学会だ』(>>943-944 参照)や、隈田洋著『創価学会・公明党の破滅』の場合(>>945-946 参照)は日大会頭・古田重二良らの介入だったが、『創価学会を斬る』では自民党の超大物・現役幹事長=田中角栄氏が斡旋役だった。
 この現役幹事長の介入という事実が、学会の言論弾圧の実態を政治問題・憲法問題へと引き上げ、衆目に曝されることになった。名誉会長の身から出たサビだ。

[この項、続く]
994 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/18(火) 04:00
>>993SGIさん
>現役幹事長の介入という事実が、学会の言論弾圧の実態を政治問題・憲法問題へと引き上げ、衆目に曝されることになった。名誉会長の身から出たサビだ。
。。。。『池田大作の素顔』by藤原行正ーー読みましたよ。
14年くらい前に出版されたんですよね。
何と言っても、言論出版妨害事件の一方の当事者が事実を語ったのですから、注目しました。
ところが、世間では、そんなに注目がなかったし、学会も完全に無視していましたね。
ただ、相変わらずの人身攻撃に終始していましたね。
批判するものの人格を貶めて、信用を落とすというやり方は、何も新しいものではありませんでしたよね。
現在、藤原氏は、24時間看護で療養中だそうです。気の毒なことです。
池田大作が、言論出版妨害事件の歴史的事実を糊塗、歪曲した上で、人間革命に創価学会が受けた法難として、記述することは予想されtました。
でも、ここまでとなると、「死人に口無し」「障碍者に口無し」を露骨に実施するとはね。。。。。
創価学会が一宗教団体として、責任逃れをするなら、それは仕方がないのです。
それを世間の人や会員が観察して、軽蔑されても、自業自得であり、嫌なあ脱会すればよいだけのこと。
ところが、学会は公明党という公共に影響ある公党を「シャム双生児」のように抱えているというのが問題なのです。
一宗教団体が、ある評論家に「執筆への手心をしてくれるよう頼む」ーー微笑ましいです。
ところが、公権力でもって、圧力をかけるとなると、民主主義の原則までひていするという憲法問題にも発展するでしょう。
そういう危険性が、創価学会=公明党が政治に関わっている限り、常にあるということを国民は知るべできすね。
国民は、公明党にNOと言うべきなのです。
995 名前: SGI 投稿日: 2004/05/18(火) 23:13
>>994 yurikoさん。
>学会は公明党という公共に影響ある公党を「シャム双生児」のように抱えているというのが問題なのです。
―― 同意。
 まず1つは、昭和45年5月3日の本部総会で「政教分離」を表明・約束した(後述)にもかかわらず、実態は今なお「永久に創価学会と公明党は一体不二の関係」(昭和40年7月12日・池田会長 ⇒>>938)にあり、国民や社会に対して平然とウソをついていること。

 次に、学会が宗教的理念〔王仏冥合・国立戒壇―国立戒壇義については異論あり〕に基づいて政治進出を図るならば、やはり当初の戸田構想の通り、政党結成と衆議院進出はするべきでなかった。その意味で、名誉会長は師匠・戸田先生の指導を反故にしたこと。これは、師敵対行為にほかならない。
 それでも、もし政党結成・衆議院進出を図るならば、信教の自由(憲法14・19・20条)を自他共に保障することを鮮明に公約し、その上で憲法20条の政教分離の原則について見解(場合によっては憲法改正の表明)を示し、宗教政党として政治活動を行うべきで、国民政党の看板は欺瞞のなにものでもなく、二律背反になっていること。

 さらに、名誉会長は「衆議院に進出しない」と再三言明(⇒>>903-904)していたにもかかわらず、いとも簡単に前言を翻したこと(⇒>>925)。この事実も看過できない。
 これまで名誉会長の発言には一貫性がなく、自語相違もはなはだしいことは自明だ。過去の指導や発言(⇒>>586-591 >>726)と今日の在り様をみれば一目瞭然である。宗教指導者としての資質が欠落しているといわざるをえない。まぁ、新興宗教の教祖は詐欺師が多いともいわれているので、最も適格かもしれないが、どちらにせよ信用・信頼ができないということには変わりがない。
996 名前: SGI 投稿日: 2004/05/18(火) 23:14

 そして、現在の政権与党の一角を占めているという事実を鑑みた時、この「言論出版問題」の事跡や現状の学会SGIの在り様を振り返れば、yurikoさんがご指摘の通り、 
>公権力でもって、圧力をかけるとなると、民主主義の原則まで否定するという憲法問題にも発展するでしょう。そういう危険性が、創価学会=公明党が政治に関わっている限り、常にあるということを国民は知るべできすね。国民は、公明党にNOと言うべきなのです。
―― ということになろう。

 池田創価学会が、基本的人権である言論の自由を侵害し弾圧したのは事実だ。だからこそ、国会をはじめ社会から厳しく指弾され、名誉会長(当時会長)は謝罪し猛省し「二度と同じ轍を踏んではならない」と約束したのである。
 なのに、『新・人間革命』等を通して、事実を糊塗し史実の書き換えを進めている。やはり昭和45年の謝罪・猛省は、世間を欺くためのポーズであったことを示す。平然とウソをつき、基本的人権を蹂躙する体質を持つ集団(⇒>>957-965 >>972-973)が、今、政権与党(権力)側に座している事実を重く受け止めなければならない。
997 名前: SGI 投稿日: 2004/05/18(火) 23:15

 池田創価学会は批判を許さない組織だ。
 名誉会長の個人的な資質もあろうが、もともとクーデターで会長の座を奪い取った(⇒>>106-109 >>111-112)のだから、会長就任の正当性が疑わられるだけに、批判を封じ、「神話」を作り、業績を誇り、外部に敵を設けなければならない。これは、池田創価学会SGIの宿命なのだ(⇒>>902-903)。

 学会内では、今も昔も「池田大作批判」は、ご法度。一切の池田批判、正面からの批判はもちろん、皮肉やからかい、野次、ちょっとした不平不満の批判すら許されない。本部幹部会等で、皮肉やからかい、野次を飛ばすのは、名誉会長ただ1人。組織では、せいぜい“ガス抜き”なら許される程度だ。
 しかし批判者は、排除されるだけではなく、幾多の事実が示すように、凄まじい個人攻撃・人格攻撃を受ける。時には社会的な抹殺にさえ至る。言論の自由は、学会内では圧殺されているのだ。

 言論の自由は、他人・他者からの批判に一切寛容になれない人・集団によって侵害される。このような不寛容な人間・集団こそが、自由や民主主義の敵・悪なのである。ましてや池田創価学会は、過去において「言論出版問題」の事跡があり、さらにその「猛省・謝罪」をないがしろにし、今なお批判者に対しては容赦ない攻撃を組織をあげて繰り広げている。

 そのような団体が、国のあらゆる機関にはびこり影を落とし、国の行く末を握っている。言論の自由がないところは、必ず全体主義・ファシズムになることを忘れてはならない。
 この度の年金未納問題を通じて、有権者が与野党の政治家に愛想をつかせ、ますます政治不信を増長させ、今夏の参議院選挙で投票に行かなければ、組織に言われるまま投票する学会員の票(公明党票)がものをいうことになる。そうなると、個人情報保護の名目の下、言論統制が敷かれ、気がつけば“物を言えば唇寒し”の状況が生まれているかもしれないのだ。
998 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/19(水) 00:53
>>997SGIさん
>言論の自由は、他人・他者からの批判に一切寛容になれない人・集団によって侵害される。
。。。
如何なる集団(公益集団、私的集団を問わず)であっても、その集団内ぼ憲法があり、それに従わない者が出れば、排除されますよね。
株式会社においても、いかなる理由であれ、社員を解雇できるのであって、その理由は述べなくてもいいのです。
ところが、公益性が高まれば高まる程、その集団は、社会一般の決まりにも従わなくてはならなくなります。
したがって、裁判闘争となると、資金や支援体制を確保するのは難しいものの、個人が公人や公益法人を、不当解雇などで、訴えて勝訴する可能性はあるのですよね。
ところが、宗教団体から破門などされて、それが「不当」だと叫んでみた所で略100無駄でしょう。
創価学会では、「査問会議」なるものが敵的に開かれており、「除名処分」が相当数の会員に対して、既に行われています。
その決定が如何に不合理、不当にものであっても、外部は文句はいえないでしょう。
ところが、創価学会=公明党が益々、公益性が高まれば、社会の注目度も高まり、「一般の意見」に謙虚に耳を傾ける義務が出て来るのです。
つまり、創価学会=公明党は、出鱈目とはいえ、一応のカルト的教義(池田先生は1000万会員の人生の師)が魅力となって、発展の動機となってきましうたが、
公益性が増せば増す程、カルト教義を引っ込ませざるをえなくなってきました。
創価学会=公明党は、広宣流布(池田創価学会の天下取り構想)を目指していたにも拘わらず、いざそれが実現(信者数の増大)してしまえば、元の動機(大義)の存在理由も無くなってしまう、というジレンマに陥ってしまたんですよ。
長い目で見れば、公明党が自民党に吸収されるというのも宜(むべ)なるかなといった所ではないでしょうか?
999 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/19(水) 01:15

>公益性が増せば増す程、カルト教義を引っ込ませざるをえなくなってきました。
。。。
牧口 戸田 池田 と三代の会長だけで、他の北条氏や秋谷氏が創価学会が掲げる教義に何の影響も与えないのも当然でしょうし、
これから、博正あたりが、名目上の創価学会の後継者になっても、教義上は何の意味を持たないでしょう。
創価学会=公明党の魅力は、カルト教義にあったにも拘わらず、それが無くなわけですから、創価学会が池田没後、自然に空中分解するのはやむを得ないでしょうね。
ただ、SGIさんが言及したような「青年部クーデター」を指揮するような野心家が、創価学会に出現すれば別ですが、望み薄といった感じですが。
もし、第二の池田大作が現れれば、それなりに面白いんですけどね。
1000 名前: SGI 投稿日: 2004/05/21(金) 23:55
>>998 yurikoさん
>公明党が自民党に吸収されるというのも宜(むべ)なるかな
―― おそらく本部中枢には、そのような認識というか方針・施策の選択肢の1つとしてあるのだと思います。
 「言論問題」以降、学会世帯数は明らかに停滞しており、公明党の単独政権は夢のまた夢。そこで、自民党との連立や連合・合併は視野に入っていたはずです。昭和59年(1984)の「二階堂擁立劇」の際、先輩幹部に「なぜ?」と聞いた時、「学会の最終目標は政権入りだから」との答えが返ってきました。その後90年代初頭の小選挙区比例代表制導入やPKO法案賛成、竹下派分裂を通して、自民党との連立へのタイムスケジュールが組まれていたのです。途中、新進党への参画という寄り道がありましたが、現在の自公連立に至りました。

 自公連立といっても、実質的には自民党池田派化です。学会にとって、公明党は所詮“道具”にすぎません。あくまでも学会の利益が主体です。なかんずく名誉会長の尊厳性を守ることが目的。これさえ果たせれば、なにも公明党の看板にこだわる必要はないのです。本当は「国父」を目指しているのでしょうが、もう残されている時間がありません(そういえば「五十二年路線」の最中、会長勇退の直前、ホメイニ師のイラン革命が起こった時、信濃町界隈では妙に興奮していたのを思い出します)。今は、学会(名誉会長)にとって“利”があるか否かが判断基準なのでしょう。公明党の存在は有用ですが重荷でもあるというのが、中枢幹部のいつわざる認識ではないでしょうか。

>公益性が増せば増す程、カルト教義を引っ込ませざるをえなくなってきました。
―― そうかな。
 もともと名誉会長=学会ブレーンの思想にカルト教義といえるほどの内実があるとは思えません。古今東西の至言を集めただけの、きわめて常識的で当たり前の「生き方論」をアラベスク模様にしているだけではないでしょうか。
 宗教的な教義も、別スレ「創価学会(SGI)は世界宗教をめざす」で書き込んでおりますが、大聖人の仏法を中心に置いているようですが、東西の各宗教の“良い処取り”をし、最大公約数の共通性を見出そうとしているのだと思います。誤解を恐れずに言うならば、よっぽど日蓮正宗の方が異端・カルトでしょう。
 学会SGIがカルトなのは、教義上に根づくものではなく、個人崇拝に基づく様々な在り様・実態であって、その意味でのカルト色が学会のエネルギーでもあることは確かです。その名誉会長が醜く老い、終末を迎えようとしているだけに、学会の特異な活力が失われつつある中、「ポスト池田」の学会組織の永続性と組織の活力維持を図ろうと、名誉会長の「神格化」と社会との同化の間で信濃町本部が苦慮しているのではないでしょうか。

  • 法介
  • URL
  • 2016/10/29 (Sat) 19:53:11
 

ホーム

>